捧げモノの花嫁は一途な理星に想われる

あおまる三行

文字の大きさ
5 / 7

5.知りたいこと

しおりを挟む
 ――しばらくして。

 セオの検査にも、大分慣れてきた。

 神霊術の膜が展開される前触れを、身体が覚えている。空気がわずかに張りつめ、温度が均される感覚。
 初めての頃のように肩に力が入ることはなく、リシェルは自然と呼吸を整えていた。

 熱くも冷たくもない。身体の表面をなぞるように、一定の距離を保ったまま巡っていく。
 最初は、その「触れられていないのに触れられている」感じに戸惑っていたが、今はただ、目を閉じて委ねていられる。

(……慣れって、怖いな~……私が考えなしなせいかもしれないけど)
(それともやっぱり、セオが上手いのかな。神霊術は習ったこともないけど、ここまで展開するのは難しいだろうし……)
(というより、お湯の中みたいで気持ち良いんだよね、これ……癖になりそうで……)

 検査の合間、セオは相変わらず、空中に何かを書きつけている。
 薄く光る文字や記号が、幾重にも重なっては消えていく。終わった後も、彼は手元の板状の装置に視線を落とし、何やら忙しそうに指を動かしていた。

 ふわりと下ろされても、以前のようにふらつくことはない。
 リシェルは、そっと身を乗り出した。

 セオの肩越しに覗き込むと、そこには意味不明な図と数式、注釈らしき小さな文字がびっしりと並んでいる。
 線と線が矢印で結ばれ、円で囲まれ、途中で二重線に打ち消されている箇所もあった。

(……さっぱりわからない)

 文字自体は読める。けれど、言葉として頭に入ってこない。
 学校は途中でやめてしまった。文字と簡単な計算を覚えただけで、あとは生活のために働いて、そのうちに「花嫁」として召し上げられたのだから、当然といえば当然だ。

 それでも、セオが毎回こうして熱心に書きつけているもの何なのかが、少し気になった。

「……何を書いてるんですか、セオ」

 思ったよりも、気軽な声が出た。
 セオは顔を上げ、少しだけ目を瞬かせる。

「記録です。今日の神域接続安定値、精神層の揺らぎと――」
「毎回、変化はあるの?」
「……もしや、関心がありますか?」

 ふむ、と眼鏡にふれたセオは、とても嬉しそうに見えた。目がきらりと光る。

「目の付け処は悪くありません。神霊術式の位相変化は重要な観点です。人間側の生命力循環に如何にして神域側が合わせてきているのか、人間側の精神安定が欠如した場合に有意な影響が鑑みられるかどうか、その説を提唱したのはおよそ百二十年前の――」

 神域との境界膜の厚み。研究の歴史。用語が次々に積み重なり、数値と仮説が連なっていく。
 リシェルは、途中から完全に置いていかれていた。
 口を挟むタイミングも見失い、ただぽかんと口を開けたまま、瞬きを繰り返す。

「……」

 ふと、セオが言葉を止めた。
 リシェルの顔を見て、少しだけ眉を寄せる。

「……失礼。つまりは、です」

 言い直す声音は、先程よりもずっとゆっくりだった。

「今のあなたは、神域と繋がってはいるが、身体も心も、破綻の兆候はありません。回復の率も非常に良い。だが、消耗の速度も同様に速く、――あなたは消耗と回復を予測より速い周期で繰り返している、とわかりました。それが不安材料となっています」

 なるほど、とリシェルはこくりと頷く。

「だから、こうして何度も確認しているんですね」
「ええ」
「……不安材料、と言ってましたけど。私は神域の花嫁として不安がある、ってこと?」
「いいえ」

 すぐに否定される。
 そして、しばらく黙ってから、静かに口を開いた。

「不安材料だと感じているのは、あくまで俺一人です。……神域は、もとより人間の事情など考えない」

 淡々とした声音だった。

「花嫁がどんな人生を送ってきたか、どんな感情を抱いているか……そういったものは、多分考慮どころか、伝わっていません。はっきり言ってしまえば、あなたと同程度に神域との調和力の高い人物であれば、入れ替えても気づかないでしょう。……もっとも、そんな人はそうそう見つかりませんが」

 リシェルは、思わず膝の上で指を組んだ。
 ずっと、どこかで思っていたことだった。けれど、こうしてはっきり言葉にされると、胸の奥がひやりとする。

「……あは。そうですよね」

 ぽつりと、笑いがこぼれた。

「変なの。それなのに、人が一人、選ばれて。……それで国が豊かに回るって」
「歪です」

 セオは即答した。

「だが、現状では、それしかない。だから改善したい」

 リシェルは顔を上げた。

「改善……?」
「……あなたには話していませんでしたが。俺は花嫁の「婚礼」までの時間を、もっと長くしたいのです。消耗を抑え、負担を分散し、接続を段階的に行えるようにして……ずっと人柱頼りのこの国に、もっと安全な支えを作りたいんです」

 静かな部屋に、その言葉が落ちた。
 リシェルは、すぐには反応できなかった。
 あまりにも、大きな話だったからだ。

「……そんなこと、できるんですか?」
「分かりません」

 あっさりとした答え。

「俺が成せずとも構わない。俺を継いで、いつか誰かが成す、その小さな礎になれれば十分です」
「……」
「けれど、悲観はしていません。予想より順調なくらいです。……これまで、花嫁は聖別され、直接的な調査対象にすることができなかった。神域への冒涜だとされていたからです」

 淡々と続く説明の裏に、長い時間が透けて見える。
 セオは片手を軽く握り締めていた。

「計画を何度も練り直しました。面会の許可を取るために、理論を積み上げて、危険性を潰して……ようやく、ここまで来た」

 リシェルは、もう一度、淡く熱を持って光る無数の文字と数式に目を向けた。
 意味は分からない。けれど、そこに費やされた時間と労力だけは、なんとなく伝わってくる。

(この人は……)

 リシェルは小さく息を吸った。

「……次の、花嫁様が」

 言葉を切り、少しだけ視線を落とす。

「きっとあなたの研究成果を喜びとともに受け取ると思います……セオ」

 セオは、ぴたりと動きを止めた。
 一瞬、何かを考えるように黙り込み、それから低く言った。

「……すみません。やはりあなたにする話ではありませんでした」
「え? ……ああ、気を使わせちゃいましたね。大丈夫ですよ。……あっ、でも、私の生活を快適にする方法がわかったら、いつでも教えてくださいね。大歓迎です」

 リシェルは、苦笑するように言った。
 セオは否定も肯定もせず、視線を伏せたまま、小さく頷く。

「……すみません」

 その謝罪が、何に対してのものなのかは、はっきりしなかった。





 研究局から術士団の詰め所までは、決して遠くない。
 それでもセオは、足取りがいつもより重いことを自覚していた。

 武装した神霊術士たちが行き交うこの場所は、研究局とは空気が違った。
 鉄の擦れあうがちゃがちゃとした重い音が響き、訓練の声が絶え間なく聞こえてくる。

 詰め所の奥、武具を納めた棚の前に立っていたヴィンスが、気配に気づいて顔を上げた。

「……セオ。なんだ、こんなところにまで」
「野暮用だ」
「珍しいな。ここは喧しいから嫌いじゃなかったのか」
「……少し、時間をもらいたい。ヴィンソン・レルクス術士団長に頼みがある」
「なんだ、改まって。嫌な予感しかしねぇ」

 そう言いながらも、ヴィンスは腕を組んでこちらを向いた。追い返すつもりはなさそうだと判断し、セオは用件を切り出す。

「今代の花嫁様の出自記録を見せてほしい」

 途端に、ヴィンスの表情が変わった。
 わずかに眉が寄り、口元の笑みが消える。

「……それが、研究局の管轄じゃなくて、ウチにある意味を考えろよ」

 低く言われ、セオは一瞬だけ目を細めた。

「承知している」
「本当に?」

 ヴィンスはちらと周囲の様子を確認して、声をひそめた。

「花嫁様はな、公的には「最初から神域にいた」ことになってんだ。出生も、家族も、過去も。全部、無かったことになる。俺たちと同じ人間じゃない……ということになってるんだ」

 それは、知っている。
 記録上、花嫁は突然に出現する存在だ。人間社会の連なりから切り離され、神域との接続点としてのみ扱われる。

「だが、迎え入れの実務は存在するだろう」

 セオは、淡々と返した。

「花嫁を選び、聖別の手続きを行い、揺籠へ収める。その一連を担当したのは、お前の先代の術士団長のはずだ」
「……だから?」
「その際の内部記録が見たい。見せてくれ」

 ヴィンスは舌打ちした。

「相変わらず、真正面から来るなお前は」

 しばしの沈黙。
 周囲では、他の術士たちが何事もないように行き交っている。だが、この一角だけ、空気が張り詰めていた。

「……なんでまた、そんなもんが必要なんだ」

 問いは、探るような響きを含んでいた。
 セオは即答しなかった。
 理由はいくつでも用意できる。だが、そのどれを口にしても、何かが足りない気がした。

「……花嫁の情報が、少しでも欲しい。やはり花嫁当人にあたれたことで、研究は思いのほか進捗している。俺が何かを見出せれば……この国のためになる」

 結局それだけ言った。
 ヴィンスは、じっとセオを見た。
 長い付き合いだからこそ分かる、微細な違和感。

「……お前さ」

 低く、慎重に。

「前から変な奴だとは思ってたが。最近、ちょっと妙じゃないか」
「別に変わらない」
「……」
「もう、俺の権限で閲覧できる記録はすべて見た。彼女の礼節の様子から言って、下級貴族の子女あたりかと思ったんだが……見つからない」

 ヴィンスは、深く息を吐いた。

「……分かったよ」

 そう言って、懐から鍵束を取り出した。

「きっかり五分だけだぞ。持ち出し不可。写しも禁止。口外したら即、始末書だ」
「充分。一度読めば覚える」

 セオは誇るでもなく言う。それから、ヴィンスをまっすぐに見た。

「恩に着る、ヴィンス」
「……そういうとこだぞ。まあ、また今度、ジアへの贈り物選びにでも付き合ってくれ」
「了解した。……仲が良くて何よりだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...