捧げモノの花嫁は一途な理星に想われる

あおまる三行

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6.焼肉日和

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 検査が終わった後、しばらく二人でお茶を飲む時間が、いつの間にか当たり前になっていた。

 セオはあまりお喋りが得意ではないようだった。
 けれど、リシェルを無視することは決してない。
 ひとつひとつ聞いて、真面目に答えてくれる。時折琴線にふれる話題になると説明が止まらなくなる。
 その様子は、雑談というほど軽い感じがなくて、周りからは「話しにくい」と言われるのだとこぼしていた。

(そんなことはないと思うけど。……でも、これだけ逐一真摯に対応されると、気後れしちゃう人もいるのかな)

 セオによる神霊術の余韻が抜けきらず、身体の内側がまだあたたかい。
 もしそう言ったら、セオは多分、身体に残った残滓を丁寧に清めてくれるのだろう。
 けれどリシェルは何も言わずに椅子に腰掛け、両手でカップを包んでいた。

 向かいの席で、セオが書類を閉じる。
 最後に一行、何かを書き足してから、ようやくこちらを見た。

「……なに?」

 何か言いたいのかな、とその視線に思う。
 セオは気圧されたように一瞬だけ目を落とし、それから改めて口を開いた。

「リシェル」

 名前で呼ばれるのは、もう珍しくない。
 それでも、呼ばれると、胸の奥がほんの少しだけ揺れる。

(私を呼んでくれるのは、彼くらいだから……)

「何か、してほしいことはありますか」

 まっすぐな問いに、リシェルは瞬きをする。

「してほしいこと?」
「はい。あなたには協力してもらってばかりなので」
「……うーん」
「あくまで俺に叶えられる範囲で、ということにはなってしまいますが」

 理屈としてはいつものセオだ。
 それでも少し、なんだか悔しそうに見えた。

(……外に出たい、とかは)

 言っても無駄だろう。
 それどころか、困らせてしまう。
 花嫁がここから外へ出ることが、どれほど難しいかは、説明されなくても分かっている。

(誰かに会いたい、とかも……だめだろうな)
(別に会いたい人もいないけど。でも……街を歩いてみたい。本当に大地が豊かになっているのか、知りたい。セオがどんなところで働いてるのかも、見てみたいかも……)

 だが、それを言えばセオが困るのが目に見えている。
 なんだかんだ、とても誠実な人だから。

 困らせたくなかった。

 リシェルはカップの縁を指でなぞりながら考えた。

(……断りやすい話にしよう。笑って流せるような)

「……それじゃあ、ね」
「なんでしょう」

 セオは、即座にこちらを見る。

「お肉が食べたいです」
「は」

 セオの真顔を見て、少しだけ後悔した。
 慌てて、言い訳を足す。

「もちろん駄目なのは分かってます。花嫁は清潔でなきゃいけないし、不浄なものは口にしてはいけないって……」

 語尾が、少し弱くなる。

「あは、びっくりしたでしょう。花嫁にこんなことを頼まれるなんて。……もう、冗談が通じないな。笑って? あなたをびっくりさせてみたかっただけなの」

 セオは完全に予想外だったらしい。
 眼鏡の奥で、黄緑色の瞳が瞬いている。

「……肉」
「焼いたり煮たりすると、美味しいでしょう。ずっと食べてないから。時々懐かしくなる……」

(何を具体的に説明してるんだろう、私)

「……少し、考えさせてください」

 セオはそう言って、視線を落とした。
 彼は額に指を当て、何かを組み立てるように黙り込む。

「……花嫁の食事制限は、神域との接続安定性を最優先に設定されたものです。ただし不浄とされているのは主に加工過程と保存環境であって、獣肉そのものが必ずしも」

 はっとしたように口を閉じ、顔を上げた。

「……失礼」

 それから、短く息を吐く。

「結論から言うと……やってみます」

 セオは、リシェルをまっすぐ見て、言った。
 一瞬、意味が分からなかった。

「……え?」
「小量で、管理された状態で、影響を観測できるなら。理論上は可能ですし、情報も取れます」

 淡々とした声には、どこか決意めいた響きがある。
 リシェルは、目を見開いた。

「いいんですか」
「いいかどうか、ではなく」

 セオは少しだけ言い淀み、

「俺が言いました。してほしいことはないかと。であれば、取り組みます」

 そう言った。
 胸の奥が、じんわりと熱くなる。

(断られる前提だったのに……)

「……ありがとうございます」

 そう言うと、セオはわずかに視線を逸らした。

「まだ確保できるかは分かりません。調達経路と管理基準の確認が必要です。数日はかかるでしょう」
「それでも……嬉しいです」

 リシェルは、思わず笑ってしまった。
 セオは、その笑顔を一瞬だけ見つめ、それから咳払いをした。

「では、結果がわかり次第、報告します」

 いつもの締めくくり。
 けれど、今日は少しだけ違って聞こえた。

 セオが帰った後も、リシェルはしばらく、胸の内に残った温かさを持て余していた。

(……お肉かぁ。久しぶりだな)
(セオも食べる?って、訊けば良かった)
(あんまりガツガツしてそうには見えないけど、男の人だし私よりは食べるよね……)

 ――ただの食事の話のはずなのに。
 その言葉を思い出すだけで、なぜか少し元気が湧いてくる。





 研究局を出たセオは、その足で術士団の詰め所へ向かった。
 石造りの建物は、いつ来ても騒がしい。人の匂いが濃い。
 金属の擦れる音、笑い声。同じく神霊術を扱う集団だが、研究局とは空気がまるで違う。

 詰め所の奥、卓を占拠していたヴィンスは、セオの姿を見つけると眉を上げた。

「……どうした、セオ。最近よく来るな」

 挨拶もそこそこに、セオは要件だけを切り出した。

「食事に余りは出るか」
「は?」

 ヴィンスが間の抜けた声を出す。

「術士団の食事だ。多少は残るだろう」
「いや、まあ……そりゃあ、出るだろうが。なんで」
「一人分でいい。材料をまわしてくれ。研究局ではしばらく肉の提供予定がなかった」

 訝しげに見ながら、ヴィンスは腕を組んだ。

「肉。お前が食うの?」
「俺じゃない」
「じゃあなんで」

 一瞬、セオは言い淀んだ。

「……友人が、肉を食べたいと」
「……」

 沈黙。
 ヴィンスがゆっくりと問う。

「……俺とジア以外に友達いたの? お前……」
「…………」

 セオは答えなかった。気まずそうに明後日の方を見る。
 ヴィンスはしばらくセオの顔を眺め、それからにやりと笑った。

「花嫁様かね」
「……」

 即答しない沈黙が、肯定になった。

「まあ、気にしてるんだろうなとは思ってた。女っ気皆無のお前が、様子見に通うなんて」
「誤解だ」
「……でも、お前が友人と言いたくなる程度には交友を深めちまったわけだ」
「……まあな。お陰で検査協力も、得やすく……なった」

 言いながら、セオは自分の声音に罪悪感が滲んでいるのを感じ取る。
 ヴィンスはそれに気づいたのか、肩をすくめていた。

「まあいいさ。けどよ、肉って……」
「何だ」
「いや、なんつーか……色気がねぇな」

 確かに、とセオは思った。
 花を贈るでも、装飾品を用意するでもない。
 ヴィンスは笑っていいのか迷っている様子で、頭を掻いた。

「で? 何でそんなもん欲しがってるんだ、花嫁様が」
「……いや、いつも検査にとても従順に協力してくれるものだから。代わりに何かしてほしいことはないかと尋ねた。……結果がこれだ。普段、花嫁の食事は質素なものだからな。若い女性には物足りないのだろう」

 簡潔な説明だった。
 だが、ヴィンスはじっとセオを見たまま動かない。

「それだけ?」

 セオは、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
 リシェルの表情が脳裏をよぎる。
 お気楽で自由奔放です、と言わんばかりの態度で――そのくせ、あの遠慮がちで、断られる前提の言い方。

「……ああ。……医局にも確認は取ってある。ジアは寧ろ推奨すると言った」
「そう。……こりゃ、次に会った時にはお前の話で盛り上がれそうだ」

 ヴィンスが目を細めた。

 彼女は、こちらに気を遣っている。
 本来、花嫁は気遣われる側の立場である筈だ。
 ――外に出たいと、言われるかと思っていた。こちらが訊いたからにはどのような我儘にも精一杯応えてみせる、と覚悟していたというのに。
 恐らく彼女は、選択肢の中から、「セオが最も断りやすく、断った時の負荷が軽い内容」を提示したのだろう。

 けれど、それは小さくとも、彼女の願いだ。
 ようやく掬いあげた、彼女の自己主張。

(それならば……)
(こちらは、それに全力で応えるべきだ)

 それが研究者として正しいのか、人として正しいのかは、分からない。
 だが、今のセオにとっては、どちらでもよかった。

 ヴィンスはしばらく黙り込み、やがて溜め息をついた。

「……分かったよ。なるたけ良い部位を回させよう」
「助かる」
「調理は?」
「俺がやる」
「え」
「焼くだけだ、問題ない。下味は調理場に頼む」
「……お前の責任感も大したもんだな」

 呆れたように言いながらも、ヴィンスは笑っていた。

「花嫁様が美味しいって仰ったかどうかくらいは、教えてくれよ」
「……ああ」





 それは、次にセオが揺籠を訪れた日のことだった。

 検査が終わり、いつものように少し休むよう言われてから、リシェルは寝台に腰掛けていた。
 今日はお茶の準備の気配がないから、セオはもう帰り支度かな、と少し残念に思っていた。
 毛布を膝に掛け、ぼんやりと硝子窓の外を眺めていると、背後で、聞き慣れない音がした。

「セオ?」
「先日の約束です」
「……?」

 思わず振り返る。
 部屋の一角、簡易調理台の上で、セオが何やら作業をしていた。
 近寄ってみて驚く。

「……え。うそ。お肉?」
「頼まれたので。許可は取りました」
「え、わ、すごい……! ここで焼くの?」
「……あなたが所望しているのは、調理済みの冷たい肉ではないのだろうと。俺なりに推測しました」

 ぱち、という乾いた弾ける音。
 赤褐色の数切れの肉が、熱を受けて音を立てる。
 脂が溶け、焦げる匂いが立ち上る。

 揺籠にはあまりにも似つかわしくない。
 神域に近い、清浄で静かな空間に、不釣り合いなほど生々しい香り。

「……」

 リシェルの腹の虫が鳴った音を、セオは聞き逃さなかったようだ。
 くっと笑いを堪えた横顔に、思わず頬が熱くなる。

「……私も焼く」

 涎を飲んで、照れ隠しに近くに寄ろうとしたが、「危ないので」と軽く制された。
 焼き目がつき、香ばしさがさらに強くなる。
 匂いが残るだろうかと思っていたら、セオは軽く術式を展開して、空気を入れ替えてしまう。
 もったいないような気もしつつ、すんすんと鼻を鳴らしていた。

「一応、毒味をします」

 セオはそう言って、小さく切り分けた肉を自分の口に運んだ。
 咀嚼し、飲み込み、数秒待つ。

 何事もないと判断したらしい。
 今度は、同じように小さく切った一切れを持ち上げる。

「……どうぞ」

 リシェルは、固まった。

「……え?」
「どうぞ」

 躊躇っている間にも、肉の香りは逃げていく。
 リシェルは意を決して、口を開けた。
 運ばれてきた肉を、屈んでそっと噛む。

「……!」

 思わず、目を見開いた。

「……おいしい……」

 言葉が、素直に零れた。

 見れば、セオが固まっていた。

「……そんなに、食べたかったんですか」
「へ?」
「いや……皿にも取らないので」
「……え!」

 考えてみれば、近くの机に皿は置いてあった。
 セオはそこに肉を乗せてくれようとしていたのだろう。
 一気に頬が熱くなる。

(勘違い……!)
(そうだよね、そうだよね、食べさせようとするタイプの人じゃないよね、この人……!)

 その様子を、セオはじっと見ていた。
 眼鏡の奥の黄緑の瞳が、わずかに揺れる。

「……味は?」
「や…………おいしい、です……すごく……」

 もう一口、と言いかけて、はっとする。
 欲張ってはいけない、と、長年染みついた思考が顔を出す。

 だが、セオは頷いた。

「……火傷してはいけませんから」
「……」
「はい、どうぞ。召し上がってください」

 少し冷まして、今度は本当に、口元に寄せられた。

(……私に、恥かかせないように、してくれてるんだね)
(余計に恥ずかしいような気もするけど……)

 けれど、断るのもなんだか悔しいような気もしてきて、今度は遠慮せずに食べた。
 羞恥心とは裏腹に、美味しくて頬が緩み、思わず笑ってしまう。
 結局、まるで餌付けされるように、何度もセオに食べさせてもらった。

 食事の合間、セオは何度も装置に目をやる。
 数値を確認し、波形を追う。

「接続状況に変化なし。負荷も増加していない」
「……つまり?」
「獣肉は、不浄ではない可能性が高いということです……ん、どうぞ」

 はむ、と差し出された次の肉を口に頬張る。
 細かく切られていて食べやすかった。

「む……本当?」
「少なくとも、現時点では問題は見られません」
「そう、意外で……」
「美味しいですか」
「んん」

 一瞬だけ、セオは言葉を選ぶように視線を落とし、それから続けた。

「時々、食事に取り入れるよう言いつけておきます」
「……いいんですか?」
「検証の結果です。こういうことが言えるようになるので、やはり花嫁当人への実験は必要不可欠ですね」
「ありがとう! セオ」
「礼を言われるようなことでは……」

 言いかけて、言葉が止まる。
 咳払いを一つ。

「……いえ。どういたしまして」

 視線を逸らす仕草が、どこかぎこちない。
 嬉しくて、リシェルはそっと目を閉じて口を開ける。

「ね、もっと食べさせて」
「……あまり、そう無防備なことはしない方が良いですよ」
「セオがしてくれるか……むぎゅ」

 ただ食べているだけなのに。
 それだけなのに。

(……ああ)
(生きてる、って感じがする)

 セオがじっとこちらを見ていた。

「よく食べますね」
「……だめ?」
「……いいえ。…………報われます」
「セオも食べて」
「俺はいいんです」
「食べないと力が出ませんよ。帰ったらまた、お仕事なんでしょう?」
「……では、お言葉に甘えて、少し頂きます」

 肉の焦げる匂いは、まだ揺籠に残っている。
 清浄であるはずの空間に、確かに、人の営みの匂いがしていた。

 それが、なぜだか、とても嬉しかった。
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