【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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埋もれた祈りを秘める雪の章

16.辺境の砦にて

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 それからしばらくして。
 私と辺境伯様は、共に魔晶石の発見された山の麓の砦へ赴いた。
 
 冬の空気は澄みきっていて、息を吐くと白く溶けて消える。
 辺境は、やはり厳しい。吹き抜ける風は鋭く、雪原はどこまでも続いていた。
 大陸の北端、未踏の山は、かつては麓の人々から神の山として畏れられていた場所だという。
 今は大陸中央部から追いやられた魔獣の最後の棲処だ。辺境伯領は、その未踏の地と領界を接している。
 山の麓には砦が建てられ、常に辺境伯領から兵が差し向けられて駐屯していた。
 有事の際には最前線となる場だけれど、充分に準備を済ませた厳寒期の今は、少し穏やかな雰囲気が漂っていた。
 
 ここに来た理由は、魔晶石が見つかった洞窟周辺の視察だ。
 そして、今、一人でここを守ってくれているセレスの慰労。
 邸はカイネとイリアに任せ、私たちは護衛を連れて向かった。
 辺境伯様一人であればもっと少数の警護だけで身軽に動けるものを、私がいるせいで今回は物々しい。
 申し訳なくは思ったが、この機会に護衛の方々と親しむことのできるよう努力することにした。
 
 辺境の兵士たちは、顔をほころばせ、迎え入れてくれた。
「お陰で辺境は救われました」と口々に言われ、胸の奥がじんと熱くなる。
 かつての私は、そんな言葉を向けられる資格などないと思っていた。
 今は――ひたすら、感謝を返したくなる。
 ただ、兵士たちは魔晶石の一件を知らない。あくまで私の持参金によるものだと思っている。
 不安や疑念を抱かせないよう、私は洞窟自体へ行くのは控えることに決めていた。

 セレスは今、洞窟周辺の様子を警戒しつつ、辺境の兵たちを鍛え直しているそうだ。
「今のところ問題は起きていません」
 長い髪を高い位置で括ったセレスは、凛とした立ち姿で辺境伯様に報告する。
「辺境伯様、少し――」
「ああ。……ルーチェ嬢、すまないが」
「構いません。私は部屋で休ませて頂きますから」

 辺境伯様がセレスに呼ばれて席を立ったあと、私はひとりで砦の回廊に出た。
 厚い石壁は外気を通さず、でも耳を澄ませば風の唸りが低く響いている。
 灯された松明の揺らぎが、長い影を床へ伸ばした。
 窓から外を覗くと、白い雪が山の稜線を撫でていく。 
 その冷たい景色に見惚れながら、ふとこの数日の旅路を思い返した。

 小さな港町では、凍える風の中、網を繕っていた漁師たちが、私たちへ深く頭を下げた。
 街道沿いの集落では、子どもたちが笑いながら木剣を振っていた。
 点在する小さな砦――どこへ行っても、皆が辺境伯様を見つけると背筋を伸ばし、静かな感謝のまなざしを送っていた。
 辺境の地は厳しい。
 でも、その厳しさの中で必死に生きている人たちの温かさが、胸に沁みた。
 そして、何より。
 以前、私が言った「この土地を見たい」という小さな願いを、辺境伯様が覚えていてくださった。
 その事実が何より嬉しい。

 どこでも、辺境伯様は忙しそうだった。
 報告を受け、指示を飛ばし、ときに兵たちの肩へ手を置き、静かに励ましていた。
 その背中は私の知る誰より力強くて――けれど、やっぱり疲れているようにも見えた。

 ◆

 回廊を歩いていると、遠くから金属のぶつかる音がした。
 何事かと思い、音のする方へ足を向ける。
 訓練場の扉が半ば開いており、そこから漏れる熱気が感じられた。

 中を覗くと、訓練場には兵士たちが集まっていた。
 その中央で二人の人影がぶつかりあう。
 辺境伯様と、セレスが戦っている。
 兵士たちはまるで御前試合を見物するかのように固唾を飲んで見守っていた。
 
 セレスの手に握られた長槍が、唸りを上げて空気を裂いた。刃先が肩口を狙う。
 けれど辺境伯様は半歩だけ滑るように退き、刃は紙一重で空を切った。
 次の瞬間、金属が火花を散らす。
 セレスが踏み込み、渾身の突きを繰り返す。
 槍の柄を滑らせながら変則的に角度を変え、死角から喉元を狙う。
 誰も息をするのを忘れたほどの速さと鋭さだった。
 けれど、剣は一本の線のように迷いなくそこへ入った。
 すれすれで軌道をそらし、かと思えば返す刀で、槍の柄の端を軽く叩く。
 それだけでセレスの体勢がわずかに崩れた。

 兵士たちから低いどよめきが起こる。
「さすがだ……」
「副団長ですら通せないのか……」

 セレスはすぐに体勢を立て直し、歯を食いしばって前へ。
 その判断の速さと胆力に、私は目を見張った。
 一撃喰らえば、すぐに勝負がつくであろう一打。
 けれど、辺境伯様はさらに一歩踏み込んだ。
 刃が風を裂き、陽炎のように揺らめいたかと思うと、次の瞬間には、剣の切っ先がセレスの喉元の寸前に止まっていた。

 時間が止まったようだった。
 セレスは息を荒くしながら、悔しげに唇を噛む。

「……また負けましたね」
 参りました、とすぐさま体勢を立て直し、静かな一礼。
 辺境伯様は剣を引き、穏やかな声で言った。
「俺の方が背が高い。間合いの分だけ有利だ。相変わらず、お前の技量は申し分ない」
 セレスは槍を支えながら、悔しさを隠さず顔を歪めた。
「それでも……勝てません。それに、間合いの有利は槍を使う私にこそある筈です」
「……」
 セレスの言葉に、辺境伯様は少し考え込んでいた。
 鞘に戻した剣の柄を指先が軽く叩く。
「……お前は些か、決着を急ぎすぎるところがある。そのせいで手数が減り、隙が生まれる……もう少し、自分の持久力を信じてみてはどうだ」
「未熟でした。精進致します」
 その悔しそうな顔は、もっと先へ行きたいという強さだった。
 辺境伯様は軽く溜め息をつく。
「土をつけられる日も遠くはなさそうだ」
「尽力します」

 兵士たちは、尊敬と憧れの目で二人を見つめていた。
 そして、その背中に守られているのだと理解していた。
 私は胸の奥がじんと熱くなった。
 セレスは自分を未熟だと言ったけれど、王都の近衛騎士にだって引けを取らない強さだ。
 その彼女をして届かないほど――辺境伯様は、強い。
 ――この人は、ただ優しい人なのではなく、本当に強い人なのだ。
 この辺境を守るために、命を賭けて立つ人なのだ。
 
 訓練場の興奮がまだ空気に残る中、セレスが周囲へ指示を飛ばし、兵士たちは整列して礼をとった。
 辺境伯様の視線がふとこちらへ向けられ、彼はわずかに目を見開いた。
「……ルーチェ嬢」
 名前を呼ばれた瞬間、胸がどくりと鳴った。
 たった今までの鋭い気配がそっと柔らかく解け、凍える空気のなかにだけ春が差したようだった。
「お疲れさまです。すごかったです、とても……」
 そう告げると、彼は視線をわずかに逸らし、頬に触れた髪を指で払った。
 汗で濡れた前髪の下、耳の先がうっすら赤い。
「……見ていたのか」
 その低い声に照れが滲んでいて、私は思わず微笑んでしまった。

 槍を肩に担いだセレスは兵士たちに解散を命じた。
 それから私に一礼する。
「お恥ずかしいです。……情けなくも負けるところを見られてしまいました。副団長として、ルーチェ様の護衛騎士として、もっと凛々しい姿をお見せしたかったのに……」
 頬を膨らませ、少し目を逸らして立っている。
 いつもの凛とした姿からは想像もつかない、子どものような悔しそうな顔だった。 
 私は思わず首を振る。
「とても素敵だったわ、セレス。動きが速くて、息をするのも忘れそうで……槍というのはあんなに速く取りまわせるのね。王都の騎士を見たことはあるけれど、その誰よりも綺麗な技で、見惚れていたの」
 セレスは途端に顔を真っ赤にして、槍の柄で地面をこつんと叩いた。
 視線がきょろきょろと地面のあたりを彷徨う。
「そ、そう……でしょうか……?まだまだなのですが……」
 その姿が愛おしいほど真っ直ぐで、私も自然と笑顔になってしまう。
「本当よ。ずっと努力をしてきたのだと伝わってきて……凛々しかったわ。セレスみたいな女性が護衛騎士だなんて、私は幸せ者ね」
「ルーチェ様……!」
 ぎゅっと胸の辺りを手で押さえている。

 そのとき。
 隣に立つ辺境伯様から、視線を感じた。
「……」
「……」
「……勝ったのは俺だが」
 ぼそりと低い声。
 セレスが唇を尖らせ、ちら、とそちらを見上げた。
「なんですか旦那様。勝利だけでは飽き足らず、ルーチェ様からの慰めまでご所望ですか。慰めは敗者の特権ですよ」
「いや、……違う、そんなことは、ない」
 呟いて目を逸らす。
 先ほどまで狼のように鋭く獲物を追い詰める気配を纏っていた人が、今は、褒めてほしくて耳をぴんと立てて待っている大型犬のようだった。
 ――そんな顔、ずるい。
 胸の奥がくすぐったくなる。

「そうね、お慰めするのはできないけれど……辺境伯様も、本当に……素敵でしたよ。勝利をお喜び申し上げます」
 そう言うと、彼は短く息を呑んだ。
 次いで視線を落とし、ほんの少し口元が緩む。
「次は私がお褒め頂けるように頑張りますね、ルーチェ様」
「はいはい」
 
 訓練場の空気はあたたかかった。
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