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光と影が交差する芽吹きの章
26.王都へ
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それからしばらくして――
門の前には、まだ朝の冷えが残っていた。
春が近いとはいえ、辺境の朝は油断すると指先がかじかむ。
私は外套の前を整えながら、門扉の外に並ぶ馬車と騎士たちを見渡した。
思ったよりも人数は少ない。それでも、選び抜かれた顔ぶれだ。
「ルーチェ。行こう」
そう声をかけられて、はっとする。
ダリウス様はすでに私の傍に立ち、いつものように静かな眼差しでこちらを見ていた。礼装ではないが、動きやすさの中にも品のある装いだ。
「はい」
差し出された手を取る。
手袋越しでも分かる、確かな温度。
馬車の段差へと自然に導かれ、私はそのまま乗り込んだ。
「寒くはないだろうか」
「大丈夫です。……お気遣い、ありがとうございます」
そう答えながら、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
こうして当たり前のように気遣われることに、まだ慣れない。
馬車の周囲では、騎士たちが最終確認をしていた。
セレスが槍を肩にかけ、周囲を鋭く見回している。今日は鎧姿だが、その表情はいつもと変わらず凛としている。
「奥様。私はすぐ傍を行きますので、何かあればすぐお声を」
「ええ。頼りにしているわ、セレス」
そう答えると、彼女は少しだけ照れたように視線を逸らした。
イリアはというと、馬車の反対側で荷の確認をしていたが、ふと顔を上げて私を見る。
「カイネは大丈夫でしょうか……」
小さく、しかし本気で心配そうな声。
「先に王都入りなんて、あの人に任せてしまって」
「大丈夫だと思うわ」
私はそう言って微笑んだ。
「いつも軽々仕事をこなしているし、それにユフェミアも一緒ですもの」
「それは……そうなんですが」
イリアは納得しきれない様子で腕を組む。
「あの人、余計なところで張り切って、肝心なところで燃料切れになりそうで」
「それは分かる。カイネはそういうところがあるもんね」
少し離れたところから、セレスがぼそりと同意した。
「ユフェミア嬢は穏やかな方だと聞いたし」
「そうなの」
「でも、イリアも心配しすぎかな。カイネは私たちより年上なんだし、いつも飄々となんとかしてるから、きっと大丈夫だよ」
「うーん……」
そのやりとりを聞いていたダリウスが、低く咳払いをする。
「カイネには、邸の改装と情勢把握を任せている。責任は分かっているはずだ」
「……はい」
イリアは渋々ながらも頷いた。
きっと、心配なのだろう。
トトリは騎士団長として、辺境を預かってくれることになっている。
「トトリ。留守を頼む」
「任せてくださいね、ご安心を~」
大きな身体でのんびり請け負われて、緊張も抜けてしまいそうだった。どこか安心感がある。
ダリウス様がもう一度、私のほうを向く。
「王都は久しぶりだろう。無理はしないでほしい」
「はい。……ダリウス様も」
一瞬、言葉が重なる。
視線が合い、どちらからともなく小さく息を吐いた。
「では、行ってくる」
そう言って、彼は軽く手を振る。
「行ってまいります」
馬車がゆっくりと動き出す。
門の前に並ぶ人々が遠ざかり、やがて邸の姿も見えなくなった。
私は窓越しに、辺境伯邸の門を最後まで見つめていた。
――王都。
かつては、ただ耐える場所だった。
けれど今は違う、と。私はそっと手を握りしめた。
◆
王都へ向かう馬車の揺れは、来た時と同じく穏やかだった。
ところどころで馬車を止めるたび、村の人々が駆け寄ってくる。
口々に言われる「ありがとう」が胸に響く。
私は馬車の窓を開け、風に頬をさらした。
――誇らしい。
その想いが、自然に胸の奥からこぼれた。
だからこそ、王都での舞踏会に赴く理由が、ただ義務のためではなくなる。
私たちの歩みが、誰かの都合だけで踏みにじられることのないように。
ここで築かれた日々を守るために。
馬車の前方から、セレスの声が響く。
「奥様、次の谷を越えれば宿営地です。無理はなさらず」
その声音もどこか誇らしげで、私は小さく頷いた。
「ありがとう、セレス。……皆が守ってくれているから、安心して行けるわ」
イリアがちらりとこちらを見て、軽く頷いた。
「奥様がそう言ってくださるなら、それだけで十分です」
馬車は再びゆっくりと動き出した。
王都までの道のりは長いが、心は不思議と静かだった。
握った拳に、力がこもる。
雪解け水と春の陽光の中、旅は続いていった。
◆
王都の大通りを進み、馬車は旧市街へと向かっていく。
新市街と比べれば静かな通りを抜けて、馬車がゆっくりと止まった。
セレスが扉を開けてくれる。
私は裾を整えて外へ降り立った。
「……」
目の前に立っていたのは、淡い灰色の石壁と白い窓枠が美しく調和した、上品な屋敷だった。
広すぎず、華美すぎず、それでいて確かな品格があった。
淡い灰色の石壁が、春先のやわらかな光を受けて静かに輝いていた。
白く塗られた窓枠は派手さこそないが、石の色と不思議なほどよく調和している。
――旧クラリシエール伯爵邸。
かつては補修も叶わず、王都では幽霊屋敷などと囁かれていたとユフェミアから聞いている。
けれど、いま目の前にある建物は、そうした噂を静かに否定していた。
「……とても、綺麗ですね」
思わず口をついて出た言葉に、隣のダリウス様がうなずく。軽く腕を差し出されて、私はそこに手を添えた。
さりげなく私を促す仕草まで自然で、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
中に入ると、広すぎないが天井の高い玄関ホールが現れた。
「ルーチェ様、お帰りなさいませ。……いえ、ようこそ、と申し上げるべきでしょうか」
最初に姿を現したのはユフェミアだった。
亜麻色の髪をきちんとまとめ、淡い紫の瞳がほっとしたように細められる。ゆるやかなショールを羽織っていた。
その後ろから、少し遅れて見慣れた赤髪がのぞいた。
「いやあ、間に合ってよかったです。俺の胃が持たないかと思いましたよ」
「……カイネ」
思わず名前を呼ぶと、彼は肩をすくめて笑う。
「冗談です、冗談。手配は完璧です。……まあ、完璧にするまでが大変でしたけど」
ユフェミアは一歩前に出て、深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます、ルーチェ様、旦那様。まさか、この家が再び人を迎える日が来るとは思っておりませんでした。辺境伯家の方々がここまで丁寧に整えてくださって……」
「こちらこそ。ユフェミアが話してくれたから、ここを選べたの」
そう言うと、彼女は少し驚いたように目を瞬かせ、それから柔らかく微笑んだ。
奥へ進むと、応接間がある。窓が大きく取られ、白いレース越しに庭が見えた。庭もまた、華美な花壇ではなく、低木と季節の花が整然と植えられている。
壁際には古い燭台を模した魔灯が取り付けられており、昼間でも柔らかな光を落としている。
客室、執務室、そして――私たちに用意された居室。
窓辺に立つと、王都の街並みが遠くに見えた。
窓から差し込む光が、かつての荒廃を完全に押し流している。
ダリウス様も邸を見回していた。
「……幽霊屋敷と呼ばれていたとはな。信じられない」
ぽつりと言うと、カイネが苦笑した。
「ええ。夜になると誰も近づかなかったそうで。職人の中には本気でお祓いをしようとした奴もいました」
「……それは大変だったな」
「でも、ほら。いまはこんなに立派でしょう?」
胸を張る彼の横で、イリアが静かに室内を見回している。
「無駄がなくて、落ち着きます。旦那様と奥様に似合う邸ですね」
「だろ!?ユフェミア嬢の意見も聞いてさ、めちゃくちゃ頑張ったよ俺は。これはイリアも褒めざるをえないんじゃないか?」
「はいはい……大変よくできました」
「ええ、カイネは本当に、よく聞いてくれました」
ユフェミアが微笑む。
「守りやすい構造だな」
ダリウス様は短くそう言った。視線はすでに柱の位置や廊下の奥へ向いている。
「外からの死角が少ない。相当考えて改修してくれたな」
「でしょう?」
カイネが得意げに応じる。
「工夫しましたよ。旧邸の構造も利用しました。万一の時でも、逃げ道も防衛線も確保済みです」
「……ここなら、安心してお仕えできます」
ユフェミアの声は小さかったが、確かな決意があった。
私は改めて、邸の中央に立つ。
王都での拠点。
けれど、それ以上に――私たちが、ここで胸を張って立つための場所。
そう思えたことが、何より嬉しかった。
門の前には、まだ朝の冷えが残っていた。
春が近いとはいえ、辺境の朝は油断すると指先がかじかむ。
私は外套の前を整えながら、門扉の外に並ぶ馬車と騎士たちを見渡した。
思ったよりも人数は少ない。それでも、選び抜かれた顔ぶれだ。
「ルーチェ。行こう」
そう声をかけられて、はっとする。
ダリウス様はすでに私の傍に立ち、いつものように静かな眼差しでこちらを見ていた。礼装ではないが、動きやすさの中にも品のある装いだ。
「はい」
差し出された手を取る。
手袋越しでも分かる、確かな温度。
馬車の段差へと自然に導かれ、私はそのまま乗り込んだ。
「寒くはないだろうか」
「大丈夫です。……お気遣い、ありがとうございます」
そう答えながら、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
こうして当たり前のように気遣われることに、まだ慣れない。
馬車の周囲では、騎士たちが最終確認をしていた。
セレスが槍を肩にかけ、周囲を鋭く見回している。今日は鎧姿だが、その表情はいつもと変わらず凛としている。
「奥様。私はすぐ傍を行きますので、何かあればすぐお声を」
「ええ。頼りにしているわ、セレス」
そう答えると、彼女は少しだけ照れたように視線を逸らした。
イリアはというと、馬車の反対側で荷の確認をしていたが、ふと顔を上げて私を見る。
「カイネは大丈夫でしょうか……」
小さく、しかし本気で心配そうな声。
「先に王都入りなんて、あの人に任せてしまって」
「大丈夫だと思うわ」
私はそう言って微笑んだ。
「いつも軽々仕事をこなしているし、それにユフェミアも一緒ですもの」
「それは……そうなんですが」
イリアは納得しきれない様子で腕を組む。
「あの人、余計なところで張り切って、肝心なところで燃料切れになりそうで」
「それは分かる。カイネはそういうところがあるもんね」
少し離れたところから、セレスがぼそりと同意した。
「ユフェミア嬢は穏やかな方だと聞いたし」
「そうなの」
「でも、イリアも心配しすぎかな。カイネは私たちより年上なんだし、いつも飄々となんとかしてるから、きっと大丈夫だよ」
「うーん……」
そのやりとりを聞いていたダリウスが、低く咳払いをする。
「カイネには、邸の改装と情勢把握を任せている。責任は分かっているはずだ」
「……はい」
イリアは渋々ながらも頷いた。
きっと、心配なのだろう。
トトリは騎士団長として、辺境を預かってくれることになっている。
「トトリ。留守を頼む」
「任せてくださいね、ご安心を~」
大きな身体でのんびり請け負われて、緊張も抜けてしまいそうだった。どこか安心感がある。
ダリウス様がもう一度、私のほうを向く。
「王都は久しぶりだろう。無理はしないでほしい」
「はい。……ダリウス様も」
一瞬、言葉が重なる。
視線が合い、どちらからともなく小さく息を吐いた。
「では、行ってくる」
そう言って、彼は軽く手を振る。
「行ってまいります」
馬車がゆっくりと動き出す。
門の前に並ぶ人々が遠ざかり、やがて邸の姿も見えなくなった。
私は窓越しに、辺境伯邸の門を最後まで見つめていた。
――王都。
かつては、ただ耐える場所だった。
けれど今は違う、と。私はそっと手を握りしめた。
◆
王都へ向かう馬車の揺れは、来た時と同じく穏やかだった。
ところどころで馬車を止めるたび、村の人々が駆け寄ってくる。
口々に言われる「ありがとう」が胸に響く。
私は馬車の窓を開け、風に頬をさらした。
――誇らしい。
その想いが、自然に胸の奥からこぼれた。
だからこそ、王都での舞踏会に赴く理由が、ただ義務のためではなくなる。
私たちの歩みが、誰かの都合だけで踏みにじられることのないように。
ここで築かれた日々を守るために。
馬車の前方から、セレスの声が響く。
「奥様、次の谷を越えれば宿営地です。無理はなさらず」
その声音もどこか誇らしげで、私は小さく頷いた。
「ありがとう、セレス。……皆が守ってくれているから、安心して行けるわ」
イリアがちらりとこちらを見て、軽く頷いた。
「奥様がそう言ってくださるなら、それだけで十分です」
馬車は再びゆっくりと動き出した。
王都までの道のりは長いが、心は不思議と静かだった。
握った拳に、力がこもる。
雪解け水と春の陽光の中、旅は続いていった。
◆
王都の大通りを進み、馬車は旧市街へと向かっていく。
新市街と比べれば静かな通りを抜けて、馬車がゆっくりと止まった。
セレスが扉を開けてくれる。
私は裾を整えて外へ降り立った。
「……」
目の前に立っていたのは、淡い灰色の石壁と白い窓枠が美しく調和した、上品な屋敷だった。
広すぎず、華美すぎず、それでいて確かな品格があった。
淡い灰色の石壁が、春先のやわらかな光を受けて静かに輝いていた。
白く塗られた窓枠は派手さこそないが、石の色と不思議なほどよく調和している。
――旧クラリシエール伯爵邸。
かつては補修も叶わず、王都では幽霊屋敷などと囁かれていたとユフェミアから聞いている。
けれど、いま目の前にある建物は、そうした噂を静かに否定していた。
「……とても、綺麗ですね」
思わず口をついて出た言葉に、隣のダリウス様がうなずく。軽く腕を差し出されて、私はそこに手を添えた。
さりげなく私を促す仕草まで自然で、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
中に入ると、広すぎないが天井の高い玄関ホールが現れた。
「ルーチェ様、お帰りなさいませ。……いえ、ようこそ、と申し上げるべきでしょうか」
最初に姿を現したのはユフェミアだった。
亜麻色の髪をきちんとまとめ、淡い紫の瞳がほっとしたように細められる。ゆるやかなショールを羽織っていた。
その後ろから、少し遅れて見慣れた赤髪がのぞいた。
「いやあ、間に合ってよかったです。俺の胃が持たないかと思いましたよ」
「……カイネ」
思わず名前を呼ぶと、彼は肩をすくめて笑う。
「冗談です、冗談。手配は完璧です。……まあ、完璧にするまでが大変でしたけど」
ユフェミアは一歩前に出て、深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます、ルーチェ様、旦那様。まさか、この家が再び人を迎える日が来るとは思っておりませんでした。辺境伯家の方々がここまで丁寧に整えてくださって……」
「こちらこそ。ユフェミアが話してくれたから、ここを選べたの」
そう言うと、彼女は少し驚いたように目を瞬かせ、それから柔らかく微笑んだ。
奥へ進むと、応接間がある。窓が大きく取られ、白いレース越しに庭が見えた。庭もまた、華美な花壇ではなく、低木と季節の花が整然と植えられている。
壁際には古い燭台を模した魔灯が取り付けられており、昼間でも柔らかな光を落としている。
客室、執務室、そして――私たちに用意された居室。
窓辺に立つと、王都の街並みが遠くに見えた。
窓から差し込む光が、かつての荒廃を完全に押し流している。
ダリウス様も邸を見回していた。
「……幽霊屋敷と呼ばれていたとはな。信じられない」
ぽつりと言うと、カイネが苦笑した。
「ええ。夜になると誰も近づかなかったそうで。職人の中には本気でお祓いをしようとした奴もいました」
「……それは大変だったな」
「でも、ほら。いまはこんなに立派でしょう?」
胸を張る彼の横で、イリアが静かに室内を見回している。
「無駄がなくて、落ち着きます。旦那様と奥様に似合う邸ですね」
「だろ!?ユフェミア嬢の意見も聞いてさ、めちゃくちゃ頑張ったよ俺は。これはイリアも褒めざるをえないんじゃないか?」
「はいはい……大変よくできました」
「ええ、カイネは本当に、よく聞いてくれました」
ユフェミアが微笑む。
「守りやすい構造だな」
ダリウス様は短くそう言った。視線はすでに柱の位置や廊下の奥へ向いている。
「外からの死角が少ない。相当考えて改修してくれたな」
「でしょう?」
カイネが得意げに応じる。
「工夫しましたよ。旧邸の構造も利用しました。万一の時でも、逃げ道も防衛線も確保済みです」
「……ここなら、安心してお仕えできます」
ユフェミアの声は小さかったが、確かな決意があった。
私は改めて、邸の中央に立つ。
王都での拠点。
けれど、それ以上に――私たちが、ここで胸を張って立つための場所。
そう思えたことが、何より嬉しかった。
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