【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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光と影が交差する芽吹きの章

幕間 ユフェミア

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 ユフェミア・クラリシエールが辺境伯家の門をくぐった日の朝は、まだ冷たい風が吹いていた。
 馬車の窓から見える広大な領地を前に、彼女は胸の奥が静かに強くなるのを感じていた。

 かつては宰相も輩出したクラリシエール伯爵家の娘。
 世が世なら、旧い名家の令嬢として扱われていただろう。
 といっても、栄華は遠い昔の話だった。
 クラリシエール伯爵家は数世代前の失策を皮切りに地位を落とし、今では名ばかりが辛うじて残るのみ。
 両親は亡くなり、親族も残っていない。クラリシエール伯爵家が復興することは、もうないのだろう。
 ゆえに彼女が成人を迎えた頃には、名家の娘というより、扱いに困る没落貴族の末裔になっていた。
 十代の頃は、家名目当ての縁談が後を絶たなかった。
 求められるのは伴侶としての人格ではなく、古い家柄の看板と、ユフェミアの子に受け継がれる由緒ある血筋だった。
 向き合う相手は、彼女の目を見ようとしない。
 気品を保ち、どれほど礼儀正しく返答しても、彼らの興味は「旧家クラリシエールの名」であり、ユフェミアという一人の人間ではない。

 彼女はすべて断った。
 それは家名を買い取ろうとする者にとっては傲慢に映ったようで、次第に紹介は減り、やがて途絶えた。
 しかし、誇りを捨てなかった代償は重かった。
 貴婦人や令嬢の友人格として、いくつかの館に雇われた時期もあった。
 血筋と教養を買われ、子弟教育を任されることもあったが、待遇は決して良いとはいえず、「没落貴族」という言葉が陰でつきまとう生活が続いた。
 それでも彼女は、毎日の学びを怠らなかった。
 伯爵家の血筋に生まれたという矜持ではなく、「教える者である自分は清廉でありたい」という、儚いプライドによるものだった。
 
 そんな折、以前仕事で知り合った王宮官吏の紹介で、「辺境伯家が王都から迎えた奥様のために、話し相手も務まる女性家庭教師を探している」という話が舞い込んだ。
 王宮官吏――リヒトは、「君が良いなら妹に推薦しておきます」と事務的にユフェミアに告げた。

 辺境伯領、と聞いた時、ユフェミアは当初は躊躇した。
 貧乏で荒廃した領地、という噂を耳にしていた土地だ。
 しかし、告げられた待遇は予想よりもはるかに良いものだった。
 
 ――これなら一人で生きていくためのお金を貯められる。
 ――それにしても、辺境伯家が、本当に私を必要としているのだろうか。
 ――私が教えるという奥様は、「厄災」の烙印持ちだと噂になっていたけれど……
 ――けれど、それはただの迷信だと言う人もいる。

 半信半疑のまま、ともかく書面を送った。
 採用の知らせを受け取った時、そこには家名の話も何もなく、ただ条件だけが記載されていた。

 
 ユフェミアを出迎えたイリアとカイネは、礼を尽くした動作で頭を下げた。
 相手が没落した伯爵家の娘であろうと、辺境伯家に仕える身であろうと、その態度には一切の侮りがない。
 ユフェミアは「奥様のご友人格の家庭教師」として手厚く遇された。
「こちらへどうぞ。旦那様と奥様がお待ちです」
 丁寧な案内に続き、ユフェミアは執務室へと通される。
 扉が開くと、窓から差す薄い陽光のもとに二人の姿があった。

 端正な立ち姿の辺境伯――ダリウス。
 そしてその隣に、控えめに、それでいて優しい光を帯びた瞳で見つめ返す女性――ルーチェ。

 ユフェミアは、一瞬だけ言葉を失った。
 確かに、公爵家の令嬢として名を聞いたことはあった。
 厄災の烙印を持ち、自分の周囲を次々と不幸に陥れた令嬢だと。
 だが、目の前の女性は噂から想像した「不幸を撒き散らす公爵令嬢」とはまるで違う。
 柔らかな落ち着きと、周囲を緩やかに明るくする気配をもった、稀有な女性。
 その姿には、どこか懐かしさすら感じられた。

 何より、ルーチェの瞳には厄災の烙印が宿るというのに、まなざしはどこまでも優しい。
 じっと見つめられると、この方に恥じない自分であらねばと、背筋が伸びるような気がする。
 それはきっと、ユフェミア以外の者たちも同じなのだろう。

 ダリウスは寡黙ながら、ルーチェに向ける視線は温かく、他者への礼も簡潔で誠実だった。
 その在り方が周囲に秩序を生んでいるのだと、ユフェミアはすぐに理解した。
 
「ユフェミア、遠いところをありがとうございます。私に、礼儀作法を教えてくれると」
 敬意に満ちた声音。
 自分より身分は上のはずなのに、まるで上下を気にする様子がない。
 ユフェミアは、胸の奥がじわりと温かくなるのを感じた。
「……はい。身に余る光栄です、ルーチェ様。微力ではありますが、全力でお支えいたします」
「よろしくお願いします。もう一度基礎から学びたいのです」

 周囲を見回すと、廊下の隅々まで清潔に磨かれ、使用人たちが交わす言葉は穏やかだ。
 暖炉の火は常に手入れが行き届き、来客への茶器は簡素ながら品のある銀細工が施されている。
 没落貴族の娘として、各地を転々とし、仕えた先では「家名目当ての縁談」を押し付けられて逃げ出したこともある。
 だからこそ、目の前に広がる光景は、胸に深く染みた。
 ダリウスの澄んだ眼差しにも、ルーチェの穏やかな微笑にも、作り物の虚飾はひとつも見当たらない。
 これほどの主に仕えるのなら、自分の誇りを、ようやく正しい場所に置ける――そう思えた。
 
 ユフェミアは深く頭を下げる。
「どうか、よろしくお願いいたします」
 ルーチェがぱっと嬉しそうに笑った。
 その笑顔の無垢さに、ユフェミアはそっと胸に手を当てる。
(ああ……この方々の力になりたいと、今、心の底から思った)
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