厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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光と影が交差する芽吹きの章

41.ねぎらいと心配

 舞踏会の翌日から、王都の空気は目に見えて変わった。

 ヴァルト辺境伯家――その名が、日々の会話の端々に上るようになったのだ。
 それも、嘲りや半信半疑ではなく、熱を帯びた関心として。

 魔晶石の発見。公表されたルヴァリエ鉱山の名。
 御前試合で示された、辺境騎士団の実力。
 洗練されていながら実用性を失わない、辺境独自の技術。
 そして、舞踏会で人々の目を奪った、ルーチェの装い。
 社交界では囁きが飛び交い、やがて確信に変わっていった。
 あのドレスを仕立てたのは、王都一と謳われながらも、ここしばらく表舞台から距離を置いていた職人――ヴィッセル。
 結果、ヴィッセルの工房にはこれまで以上の注文が殺到した。
 昼夜を問わず、使いが列をなし、予約帳はあっという間に埋め尽くされる。
 ヴィッセルは頭を抱えつつも、久しぶりに胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 一方で、辺境伯邸――正確には、旧クラリシエール邸を改修したその邸にも、山のように書簡が届いていた。
 挨拶状。
 面会の打診。
 技術協力の依頼。
 あからさまに賄賂を匂わせるものまで混じっている。

 辺境は遠く、貧しく、野蛮だと――
 そう思い込んでいた者たちが、手のひらを返すように関心を示し始めていた。

 しかし、その光が強くなるほど、影もまた濃くなる。
 魔晶石を巡る利権。
 辺境の技術を欲する貴族たちの視線。
 そして、神殿の沈黙。

 表向き、王都は祝祭の余韻に包まれていた。
 だが水面下では、静かな駆け引きが始まっている。
 辺境伯家は、否応なくその中心に立たされていた。

 それでもこの数日間、邸の中は、比較的穏やかだった。





 執務室には、午後の淡い光が差し込んでいた。
 窓辺に積まれた書類の山は、舞踏会以降に急増したものだ。
 挨拶状、依頼状、面会の申し入れ。
 ヴァルト辺境伯家の名が、いまや王都で一種の流行語のように囁かれている証でもあった。

 ダリウスは机に向かい、ひとつひとつに目を通しながら、内心では静かに警戒を強めていた。
 注目されることは、守りにもなる。だが同時に、刃にもなる。
 味方を増やす一方で、嫉妬や敵意もまた、確実に増えていく。
「……ここは保留だな」
 低く呟いて書類を脇へ分ける。魔晶石に関する打診が、あまりにも露骨だった。
 善意を装いながら、こちらの出方を探ってくる文面。そういうものほど、厄介だ。
(それから、辺境からの書簡にも目を通さなくては……)

 忙しいながらも回っているのは、周囲のお陰だ。
 家を切り盛りしてくれているイリアの働きに加えて、こういう細々とした書類を的確に仕分けてくれるカイネがいる。
 二人がそれぞれ使用人たちを差配して動いてくれているし、警備の方はセレスが騎士たちをまとめあげて采配している。
 辺境の方はトトリが押さえてくれているから不安はない。万一何かあればジークが走ってくれるだろう。
 直接的にダリウスの仕事を引き受けてくれるルーチェの存在も、素直にありがたかった。
 あまり妻に頼りきりになるのもどうかとは思うが、ルーチェは書類仕事の面においても非常に有能だった。
 そういうところは官吏として名をあげているリヒトとよく似ているのだろう。
 領主としての定例の仕事はダリウスの手を煩わせることもなく彼女の判断で終えてくれるし、協議が必要なことについては欠かさず共有してくれる。
 そして、自分たちが苦手としている社交の方面――例えば唐突に家を訪ねてきた貴族へのやんわりとした拒絶、送りつけられた贈答品への返礼の品の選択、金額設定、各家にどういった順番で手紙を返すべきか……そういう微妙な機微にかかわる差配ついて、ユフェミアの右に出る者はいなかった。

 そういう意味で、以前より忙しい筈が、責任が分散されて気が軽い。
 周囲の力がないまま自分一人で回そうとしたら、早々に破綻を迎えていただろう。
 心中に感謝しながら、ダリウスは書き終えた書類を除けた。

「カイネ。次を」
 呼びかけても返事がない。
 ダリウスは顔を上げ、向かいの椅子に座る執事を見た。
 カイネは、珍しく机上の書類ではなく、どこか宙を見つめていた。
 視線は合っているのに、焦点が合っていない。完全に思考が別の場所へ行っている顔だ。
 赤い髪も少し乱れているように見える。
「……おい、カイネ」
「……」
「カイネ」
「へっ!? あ、はい!」
 肩を跳ねさせて我に返る様子に、ダリウスは思わず眉をひそめた。
「……疲れているのか」
「いえ! 全然! 大丈夫です!」
 即答だったが、やや早口で、説得力に欠ける。
 ダリウスは一瞬だけ考え、視線を書類に戻した。

(仕事を頼みすぎたか)
 カイネには多岐にわたる業務に関わってもらっている。
 信頼できる部下に入ってもらいたいという気持ちと、カイネが人一倍有能であることに甘えた結果、負担が集中していたのは否めない。
 最近、イリアもどこか落ち着かない様子だ。
 二人とも、緊張と疲労が表に出始めているのかもしれない。
 分担しているとは言え、つい、有能な者に仕事が集中してしまう。
 彼らの上司として、非常に良くない傾向だった、とダリウスは自省した。
(状況が変わった今だからこそ、よく注意しなければ……)
 仕事は山ほどある。警戒も怠ることはできない。しかし、倒れてしまっては意味がない。

「今日はここまででいい。残りは俺一人で進める」
「え、でも……」
「命令だ。お前は午後から休暇だ」
 そう言うと、カイネは一瞬だけ目を丸くし、それから苦笑した。
「……すみません。ありがとうございます」
 王都の光は、確かに眩しい。だが、その影は深い。
 そのことを忘れてはならない。
 守るべきものが増えた今だからこそ、なおさら。
 ダリウスは再び書類に視線を落とし、静かにペンを取った。

「……そう言えば、ユフェミアも今日は欠勤だったな。やはり、お前たちには」
 苦労をかけすぎているな、という言葉より早く、カイネがばっと顔を上げた。
 手元からペンが転がり落ちたのを、慌てて空中で掴んでいる。
「えっ、あ、はい!体調がお悪かったかと!」
 その勢いに、少々面食らった。
「……詳しいな」
「いや!いやまさか!詳しくなんてありませんよ!俺は彼女のことなんて何も知りませんし!」
「……」

(どうも……相当、疲れているらしいな、カイネは……)
 返しがおかしい。異様に早口だ。
 冷や汗をかいているようにも見える。
 カイネは言いながら、がっくりと項垂れた。
「……すいません。今日の俺はもうダメです。お言葉に甘えて、失礼致します」
 書類を置いて、逃げるように廊下の奥へと足早に去っていく。
 普段の軽口も、飄々とした態度も、そこにはなかった。
 扉の向こうに足音が遠ざかっていく。

 室内に残されたダリウスは、カイネを無言で見送ってから、首を傾げた。
「……今のはなんだ」

(そう言えば、ユフェミアも、カイネを心配していたな……)
 今日は休ませてほしいと伝えられた後のことだ。
 ユフェミアは言いにくそうに、「カイネに、迷惑をかけてすみませんでしたと伝えてください」と目を逸らしながら伝えてきた。
 彼女らしくもない、後ろめたそうな様子で。
 どうしたのかと聞いたら「後生ですからお見逃しくださいまし」と困ったように言われて、流石に踏み込めなかった。
(二人とも、何かあったのか……?)
 考えはしたが、答えに辿り着く前に思考は止まる。

「うう……旦那様……」
 扉を叩く音に顔を上げる。
 げっそりした様子のセレスが入ってきた。
「……お前も体調不良か?」
「いえ……ただ、ご令嬢方からの手紙の山が処理しきれなくて……」
「……難儀だな。無視して構わないが……明日になったらユフェミアに相談するといい」
「ありがとうございます。それと……」
「それと?」
「舞踏会の料理を、結局ほとんど口にできなかったことが……尾を引いていて……」
「……」
「見たこともない食材もあって……美味しそうだったのに……」

 セレスは長い髪を凛々しく括り、端正な横顔を曇らせてそんなことを言う。
 彼女の言葉を聞いて、ダリウスは少し笑っていた。
「笑わないでください旦那様!とても重要なことですよ?」

 一拍置いてから、ダリウスは気になっていたことを尋ねた。
「……なあセレス。皆の様子が少しおかしくないか」
 ぽつりと漏らした言葉に、セレスが首を傾げる。
「おかしい、ですか?」
 お前もな、と言いたいのを控えて、ダリウスは咳払いした。

「カイネも、ユフェミアも、……イリアもだ。いつもと違う。カイネは明後日の方を見てぼうっとしているし、ユフェミアは時々顔を赤くして落ち着かない様子だし、イリアは溜め息ばかりついている」
 ダリウスは眉を寄せる。彼なりに気にかけてはいるのだが、その理由までは思い至らない。
「舞踏会の後の疲れでは」
 セレスはあっさりと言った。
 ダリウスと同じ意見だった。
「やはりそうか……確かに、慌ただしかった」
「でしたら、今度皆でおいしいものでも食べに行きましょうよ」
「……食事?」
「はい。甘いものでも、肉でも。お腹いっぱいになると元気が出ます」
 セレスは真顔でそう言い切る。
「不肖わたくし、騎士セレスとしては旦那様に甘い菓子と豪華な肉を所望致します!」
「……参考にしておこう」

 そんな間の抜けたやり取りの裏で、それぞれが胸に抱えている理由に、二人は気づかないままだった。
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