【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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離れても想いはめぐる蔦の章

53.急報

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魔獣を無力化する作戦が開始された。
 無理に核の破壊を狙うのではなく、生け捕りによる無力化を目指す。

 遠眼鏡越しではなく、肉眼で見る魔獣は、想像していた以上に――重かった。
 魔獣は四足で大地に伏せるように佇んでいた。
 その背にある翼は、やはり大きい。
 馬は魔獣に怯えてここまで接近できない。負傷兵の救護のために後衛に控えさせ、歩兵のみが前進していた。

「これ以上前へは出るな」
 ダリウスの声が戦場に響く。
 無理に核を狙うな。討ち取ろうとするな。――今日の目的は、違う。
 魔獣は動かない。
 いや、動けないのではない。
 ルヴァリエ鉱山を中心に、円を描くように、その巨体は一定の距離を保っている。

 魔獣が一歩、踏み出した。
 その瞬間、大地が震え、ぶるぶると震えた結界が破裂する。
 前線の兵が体勢を崩す。
 振り下ろされた前脚が、盾列をまとめて弾き飛ばし、土と血が混じった飛沫が舞った。
「後退! 予定通りだ! 負傷兵を回収!」
 兵たちはそれでも退く。討ちに行かない。誘い込む。
 トトリが負傷兵の前に出て魔獣の前脚を弾く。
 素早く拾われた負傷兵はすぐさま後退し、背後にまわされる。
 魔獣は追ってこない。
 だが、鉱山へ近づく気配を見せると、即座に反応した。

「拘束――!」
 一斉に魔道具が起動する。
 地面に刻まれた陣が淡く光り、魔獣の脚元に粘性を持った捕縛の網が展開された。
 脚から胴へと絡みつく。

 魔獣が吠え、翼をばたつかせる。
 その拍子に、退化した翼が大きく広がり、風圧が走った。
 咄嗟に全員が地面に伏せる。

「――っ!」

 一瞬だが、巨体が地を離れた。
 浮き上がりきれずに着地し、再び衝撃が走る。

「飛ぶ、飛ぶ、飛んだ!」
 兵たちの間に、恐慌が走る。
「陣形を崩すな!」
 ダリウスは怒鳴るように叫んだ。
「魔道具は動いている、怯まず続けろ!」

「引きつけます……っ!皆は、立て直しを……!」
 トトリが叫ぶ。
 大柄な身体を低く構え、巨斧を構えたまま魔獣の正面へ踏み込む。
 右脚が再び振るわれるが、トトリは真正面からそれを受け止めた。
 鈍い音が響き、ずるずると押し負けた足の下、地面に深い溝が刻まれる。
「ぐ……っ!」
 だが、踏みとどまる。
 おっとりとした普段の様子からは想像できないほどの力で、トトリは斧で押し返し、魔獣の動きを一瞬止めた。
「トトリ、ありがとね……っと!」
 その隙を、セレスが逃さない。
 白刃が閃く。
 彼女は地面を蹴り、槍を操って魔獣の体の上へと駆け上がった。
 翼膜を破くように、何度も正確に刃を差し込む。
 叫び声を上げた魔獣の大振りな一撃を跳ねかわす。鱗が飛び散った。
 もはやこれまでと見るなり、舞うように空中を跳んで後退する。

 魔獣が怒りの咆哮を上げる。
「飛ばせるな! 翼骨を拘束!」
 ダリウスの叫びに、魔道具班が半ば悲鳴を上げながら位置を修正する。
 鎖のような光が翼へ絡みつく。
 だが、完全には止まらない。
 魔獣は暴れ、翼の先が岩を削り、砂塵が舞い上がる。
 飛ばされた鱗が矢のように降り注いだ。

「くそ……っ!」
 アルベルトが歯を食いしばり、剣を握り直した。
 側近たちが縋るように言う。
「アルベルト殿下、撤退しましょう、御身が危険です!」
「駄目だ!まだ僕が退くような状況ではない、作戦は予定通りに続いている!」

 王族が戦場から撤退する、その姿が兵士の士気にどれほど関わるか。
 アルベルトは戦闘経験は乏しい。それでも、その意味を理解していた。だから逃げはしなかった。

「投射!」
 放たれた矢が魔獣の首元を突く。
 魔獣が暴れる。
 翼が地面を叩き、岩が砕けた。

 だが、倒れない。
 それでも少しずつ、確実に、動きが鈍る。
 
 魔獣は声を上げ、巨体を揺すった。
 黒褐色の鱗が擦れ合い、岩同士がぶつかるような不快な音が辺境の空気を裂く。
 その音は怒りではなく――どこか、苦痛を帯びた悲鳴を思わせる。

 魔獣が突然、翼を大きく打ち上げた。
 急に向きを変えようとする魔獣に、ばきばきと拘束のための魔道具が破れる音がした。

 その時――ダリウスは、視界の端で異変を捉えた。
 作戦に従って後退しようとするアルベルトたちの隊列の――その中に、おかしな動きがある。
 ダリウスの目はまるでスローモーションのようにその光景を見た。

 転ぶふりをして、アルベルトをその場に引き留める、従者らしき男。
 咄嗟に手を貸そうとしたアルベルトが引っ張られ、地面に膝をつく姿。
 転んだ筈の男の方はすぐさま駆け出し、その勢いでアルベルトの背に蹴りを入れる。

 魔獣の前脚が、大きく持ち上がった。

 狙われた怒りか、あるいは本能的な反撃か。
 太い脚が、岩を砕く勢いで振り下ろされる。
 その先に残されているのが、アルベルトだと理解するまでに、時間はかからなかった。

「――殿下!」

 考えるよりも先に、身体が動いた。
 ダリウスは剣を投げ捨てる勢いで前に出た。
 アルベルトを突き飛ばし、同時に自らは魔獣の攻撃を受け止める形になる。

 衝撃は、想像を遥かに超えていた。

 鎧が砕け散る。
 足場が崩れ、視界が傾く。
 それでも最後の意地で、ダリウスは渾身の力でその剣を投げた。

 魔獣の目に深々と突き刺さる剣を見て――

「辺境伯!」
 真っ青になったアルベルトの叫び声が聞こえた気がした。

 だが、倒れた先に地面はなかった。
 魔獣の脚が叩きつけた衝撃で、崖際の岩盤が崩れ落ちていたのだ。
 そのまま身体が放り出される。
 風が唸り、耳鳴りがする。

 ――これは、まずいな。

 そんなことを、妙に冷静に思った。
 
 ほんの一秒。その間に、ダリウスは火花が迸るように自分の夢を見た。
 父。母。幼い自分。孤児院。カイネ、イリア、トトリ、セレス、ジーク。領地の災害。両親の死。頼りにしていた人々の死。終わらない魔獣の処理。戦い。けれど何より金が足りない、金、金、人を助けるために金が足りない、物が足りない、そのせいで助けられるものが零れ落ちていく。誰か。誰か……たった一人で王都へ行き、何の援助も無かった日。自分を見つめる少女の瞳。厄災の烙印。受け入れると決意した時。受け入れられたのは寧ろ自分だと理解した日。その背を守り抱くことを許された時。翠の瞳。やわらかな笑み。送り出された朝の静かな表情。交換し、小指につけた彼女の指輪の重み。帰ると、約束した。

 最後に見えたのは、切り立った岩肌と、遠ざかる戦場の喧騒。
 戦場には、魔獣の咆哮と、人々の叫びだけが、取り残されていた。





 私は邸で、ジークの運んできてくれた禁書の写しを読み解く作業を進めていた。
 魔晶石関係の交渉が一通り片付き、こちらに時間を割けるようになっていた。
 辺境に行きたい気持ちはある。
 交渉が終わった今、不可能ではないけれど……
 戦闘に全く不慣れな私が現場に行って、邪魔になるのも避けたかった。

 書庫の奥は、昼間だというのに薄暗く、紙と埃の匂いが重なっている。

「……え?」
 ――今、ダリウス様に呼ばれた気がした。

 けれど、視界にあるのは積み上げられた書架と、窓から差し込む細い光だけだった。
(気のせいね。ダリウス様はいらっしゃらないのだもの……)
 そう思おうとして、胸の奥に小さなざわめきが残る。

 私は息を整え、手元の写本に視線を戻した。
 ジークが、何日もかけて写し取ってくれた禁書。
 その文字は古く、ところどころ判読が難しい。それでも、少しずつ、意味が繋がり始めている。

 ――しるし。

 そう書かれた語を、指でなぞる。
 禁書には何度もその言葉が出てくる。
 「烙印」とは書かれていない。
 「厄災」という言葉も見当たらない。
 ただ、「印」と。
 それどころか、「聖印」と呼ぶ時もある。
 なのに、神殿はこの禁書を「厄災の烙印」に関わるものだと呼んでいたという……

 文字の意味は、何枚もの表に整理していた。
 少しずつ読み解かれる言葉。

 ――あやまちし時に現れる印。
 ――あやまつ者は、その前に立つことを許されない。

 その一文を読み解いた時、胸がひどく締めつけられた。

 あやまち。
 誰の?どのような?

 ――その時。

 扉が、強く叩かれた。

「ルーチェ様!」
「……イリア」
 聞き慣れた声ではあったが、そこに含まれた切迫に、背筋が凍る。
 返事をする前に、扉が開き、使者が駆け込んできた。

 顔色は蒼白で、息が乱れている。
「辺境より、急報です」
 その言葉だけで、世界が遠のく。

「奥様、落ち着いてください。ルヴァリエ鉱山付近、魔獣の捕縛に成功致しました。しかし辺境伯様は……!」
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