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依頼掲示板の前に立つと、周りの冒険者たちの目が一瞬こっちを向いて、すぐ逸れる。
もう慣れた。別にいい。私が見たいのは掲示板であって、あいつらの顔じゃない。
今日の新着。東の森で薬草の群生地調査、報酬は銀貨五枚。街道沿いの魔物の出没地点の記録、銀貨八枚。廃坑周辺の地質調査、銀貨十二枚。
——お、これいい。
肩にいるルゥがぴくりと耳を動かした。膝の上のノルは丸くなって寝ている。フードの中のピノは……まだ寝てる。こいつはいつも寝てる。
「また調査系ばっかり?」
隣にいた冒険者が呆れた声を出す。名前は知らない。でかい狐を連れている。私のルゥの三倍はある体で、喋り方もしっかりしている。契約料もそのぶんかかっているはずだ。
あの狐、左の前足をかばってないか。爪の付け根あたり——気になる。あとで見よう。いや、他人の精霊か。やめとこう。
「討伐の方が稼げるだろ。お前ランク上げる気ねえの」
「んー」
聞いてない。廃坑の地質調査、対象範囲は東の丘陵地帯。地中に潜る仕事がある。
ノートを開く。昨日のデータ。ノルとピノで地中と上空を同時にやった場合と、ルゥに地上走査させた場合の比較。この広さだと——ノルとピノの二段構えが勝つ。ただし風が強い日はピノの滞空が安定しないから、そこは現地判断。
「おい、聞いてる?」
「あ、うん。ごめん。何だっけ」
「……もういい」
男が行った。何の話だったっけ。まあいい。
***
受付にノートと依頼書を持っていく。カイルが書類の束の向こうから顔を上げた。
「リーネさん、おはようございます。昨日の報告書、確認しました」
「何か問題あった?」
「いえ。対象範囲の三割増しまで記録してありましたけど」
「ノルの調子が良かったから、ついでに広げた」
「ついでに、ですか」
カイルが小さく笑った。何がおかしいのかわからない。
「リーネさんの完了率、たぶん今うちの支部で一番高いですよ。調査依頼に限ればですけど」
「そう。——廃坑の地質調査、これ受ける」
カイルが受理印を押す。慣れた手つきだ。
「お気をつけて。廃坑の周辺、最近ちょっと魔物の目撃があるみたいです」
「うん」
ノルを抱き上げる。柔らかい。額にある角の芽、先月よりほんの少し硬くなった。
ノルに話しかけるとき、いつも不思議な感覚がある。ずっと昔、何かに向かって言葉を選んでいたような。聞き方ひとつで返ってくるものが変わる——そういう手触りだけが、手に残っている。
「ノル、今日は地中やるよ」
「……ん。ふかい?」
「まだわからない。現地で決める」
「……わかった」
ルゥが肩の上で尻尾を振った。自分も行く、と言いたいらしい。
「ルゥは今回待機ね」
「……」
尻尾がしゅんと下がる。かわいい。
でもこれはかわいさの問題じゃない。ノートを開く。昨日までの比較データ。ルゥは何でも器用にこなすけど、地中に関してはノルに精度で負ける。広域はピノが上。今回の依頼内容なら、ノルとピノの二体で回した方がいい。
「次は出番あるから」
「……ん」
尻尾が少しだけ戻った。
***
東門を出る。フードの中でピノがようやく目を開けた。
「……そと?」
「そと。今日はいっぱい飛んでもらうよ」
「……ねむい」
「知ってる」
街道を歩きながら、すれ違う冒険者を見る。
でかい狐を連れた男が、精霊に「あっち調べてこい」と指を差す。狐は走っていって、しばらくして戻ってくる。「なにも、ないように思います」。男は舌打ちした。「使えねえな」。
使えないんじゃない。「あっち」が広すぎる。
——とは言わない。言ったところで伝わらない。それに私が気にしているのはそこじゃない。
あの狐、同じ質問を繰り返したら何回目から答えがブレ始めるんだろう。体が大きいぶん安定するのか、それともうちのルゥと同じタイミングで落ちるのか。種族が同じなら体格差は関係ない、っていうのが今の仮説だけど、サンプルが足りない。
——やめよう。他人の精霊だ。
ノルが腕の中で耳を動かした。
「……つち。においする」
「うん。今日はそっち」
ピノが頭の上でもぞもぞ動く。
「……たかい。たかいとこ、いく?」
「いくよ。まずピノに上から見てもらって、ノルに地中を確認してもらう。昨日より広い範囲だから、区画を分けてやろう」
「……ん」
「……くかく。わかった」
三体の精霊を連れて、丘陵地帯へ向かう。
今日も楽しくなりそうだ。
***
廃坑の調査は順調だった。
ピノに上空から丘陵地帯の全体を見てもらい、地表に露出している岩の種類と分布を確認。その情報をもとに、ノルに地中を区画ごとに潜ってもらう。
「ノル、東の区画。表層から順番に、岩の種類を教えて」
「……うえ。やわらかい。つぎ……かたい。しろい」
「白いか。石灰岩っぽいな。もう一段下は?」
「……くろい。きらきら、すこし」
ノートに書き込む。これを区画ごとに繰り返す。ピノの上空データと照らし合わせれば、地下の構造がかなり見えてくる。
こういう仕事が好きだ。三体の情報を頭の中で重ねて、見えないものの形を浮かび上がらせる。
依頼の範囲は昼過ぎに終わった。報酬分の仕事は済んだけど、ノルがまだ元気だったので——少し、寄り道をした。
廃坑の奥。依頼の範囲外。ノルに地中深くまで潜ってもらったら、面白いデータが取れた。深度ごとの岩質の変化が、東と西でまるで違う。何かがある。今日のところはここまでだけど、ノートに記録だけしておく。
***
夕方、ギルドに戻ると空気がおかしかった。
受付の前に冒険者が固まっている。声が大きい。怒鳴り合いではない。けれど、苛立った声がいくつも重なっている。
その中心にいたのは、見覚えのある男たちだった。このギルドの上位パーティ。でかい狐を連れたリーダーと、同じくらい大きなうさぎを連れた女、もう一人も大型の狐——精霊の体がどれもルゥの四倍はある。喋り方も違う。「お気をつけください」「了解しました」。流暢で、丁寧で、指示への反応も速い。
契約料だけで私の生活費が何回分か飛ぶような連中だ。
そのリーダーの右腕が布で吊られていた。狐の方も、背中の毛が焦げている。
「何があったの」
カイルに聞くと、声を落として教えてくれた。
「東の森の大型討伐です。ファングベアって呼ばれてる獣型——知ってます?」
「名前だけ」
「ここ半年くらい東の森に居着いてて、商隊の被害が出てたんです。それで討伐依頼が出たんですけど——」
カイルが視線をパーティの方に向ける。
「三回目の挑戦で、三回目の失敗です」
三回。あの連中が三回失敗した。
「精霊で正面からぶつけても仕留めきれないみたいで。森の地形を使って逃げるらしいんです。追い詰めようとすると暴れて木を薙ぎ倒す。精霊が怪我をして撤退——今回もそのパターンだったと」
リーダーの男が受付の壁を殴った。どん、と鈍い音が響く。
「あの野郎、逃げ足だけは一丁前だ。こっちが追い込んでも方向変えやがる。パターンが読めねえ」
パーティの女が首を振る。
「読めないっていうか、そもそも情報が足りないのよ。森が広すぎて、どこに逃げるか予測できない」
「だから力押しで仕留めるしかねえだろ。次はもっと——」
「もっと何? これ以上精霊を傷つけるの?」
ぴり、と空気が張った。
私は聞きながら、別のことを考えていた。
パターンが読めない。情報が足りない。森が広すぎる。
——それ、調べればいいんじゃないか。
戦う前に。精霊をぶつける前に。まず、あの獣がどこを通って、どこに逃げて、どこで寝ているのか。森のどこに何があるのか。全部調べて、全部並べて、全部比べれば——見えるものがある。
ノルなら地中の痕跡を辿れる。ピノなら上空から森の構造を見渡せる。ルゥなら地上の細かい追跡ができる。三体を使い分ければ、あの森をまるごと読める。
——たぶん。
胸の奥で、何かが跳ねた。
「あの」
声を出していた。
冒険者たちの目がこっちを向く。さっき掲示板の前でもそうだった。一瞬見て、すぐ逸れる——はずだったのに、今度は逸れなかった。
「私にやらせてくれませんか」
沈黙。
リーダーの男が私を見た。それから、肩の上のルゥと、腕の中のノルと、フードから顔を出しているピノを見た。
どれも手のひらに乗るサイズだ。
「——は?」
笑い声がひとつ。それが伝染して、周りにも広がった。
「お前、冗談だろ。その精霊で何すんだよ」
「調査です」
「調査? 討伐依頼だぞ」
「倒す前に調べたい。あの獣の行動パターンと、森の地形。それが揃えば——」
「揃えば、何だよ」
男が腕を組んだ。吊られていない方の腕で。
「俺たちが三回突っ込んで仕留められなかったもんを、お前のその——何だ、手乗りの精霊で調べたら倒せるってか」
周りがまた笑う。
別にいい。笑われるのは慣れてる。
「倒せるかどうかはわからない。でも、今のまま力押しを繰り返しても同じ結果になる」
男の目が細くなった。
カイルが間に入った。
「——依頼の規定上、同時に複数パーティが受けることは可能です。リーネさんが調査名目で受けて、結果を共有する形なら問題ありません」
さすがカイル、話が早い。
リーダーの男がしばらく黙って、それから鼻を鳴らした。
「好きにしろ。ただし邪魔だけはすんなよ」
「しない。戦わないから」
「……戦わない?」
「うちの子たちは調べるのが仕事だから」
ルゥが肩の上で胸を張った。ノルは丸くなって寝ている。ピノはフードに引っ込んだ。
——お前ら、もうちょっと頼もしい絵面にならない?
まあいい。見た目はどうでもいい。
明日から、東の森に入る。
***
東の森は思ったより広い。
入口に立って、まずピノを飛ばした。
「ピノ、上から森の全体を見て。端から端までどのくらいあるか、形はどうなってるか」
「……ん。いく」
もこもこの体が飛膜を広げて、ふわりと浮いた。木々の隙間を縫って上昇していく。小さい体だから枝にぶつかる心配は少ないけど、高く上がりすぎると精度が落ちる。ノートを確認する。ピノの最適高度は木の天辺より少し上、それ以上だと細かいものが見えなくなる。
しばらくして、ピノが戻ってきた。頭の上に着地する。
「……ひろい。みなみ、ながい。にし、がけ。きた、かわ」
「南に長くて、西側に崖、北に川か。東は?」
「……ひらけてる。もり、うすい」
ノートに描く。森はおおまかに南北に長い楕円。西は崖で塞がれ、北は川。東は森が薄くなって開けた地形に出る。
逃げるなら東か南。崖と川には向かわない。
「ピノ、もう一回。今度は森の中に獣道がないか見て。太い道だけでいい」
「……ん。ふとい。だけ」
二回目の飛行。ピノの索敵は二回目まではほぼブレない。三回目から粗くなる。だから太い情報だけ先に取る。
戻ってきたピノの報告と、さっきの地形を重ねる。獣道が三本。南東方向に二本、北東方向に一本。どれも太い。大型の獣が繰り返し通った跡だろう。
「ピノ、ありがとう。いったん休んで」
「……ねむい」
「寝ていいよ」
フードに潜り込んで、すぐ寝息が聞こえた。回復は早い。
次はノル。
「ノル、地中に潜ってほしい。獣道に沿って、地面の下に何があるか見て」
「……ちかく? とおく?」
「近くからでいい。この道に沿って、まず表層」
ノルが地面に鼻をつけて、するりと潜った。うさぎなのに穴を掘る速さが尋常じゃない。しばらくして顔だけ出す。
「……ね。おおきい、ね。あっち、いってる」
「根が太いのか。木の根だね。その下は?」
「……いし。かたい」
「硬い石が浅いところにあるんだ。どのくらいの深さ?」
ノルが耳を傾ける。角の芽がわずかに震えた。
「……あさい。ここ、あさい」
ノートに記録。獣道沿いの地盤は浅い岩盤の上に薄い土。根が横に広がっている。
これを区画ごとに繰り返す。森を東西南北に四分割して、それぞれの地盤と植生をノルに調べてもらう。
***
二日かけて、森の地図ができた。
地上の情報はピノ、地中の情報はノル。二つを重ねてノートに描き込む。ルゥには区画の境目を走ってもらって、地上の細かい痕跡——足跡、爪痕、毛、糞——を拾わせた。
「ルゥ、この区画に足跡あった?」
「……あった。おおきい。ふかい」
「深いか。体重があるんだな。方角は?」
「……みなみ。みなみ、いった」
「ありがとう。次、隣の区画も同じように」
「……ん。いく」
尻尾を振って走っていく。ルゥは三体の中で一番足が速い。広い範囲を短時間で回れる。精度はノルに劣るけど、この仕事は精度より速度だ。
三日目の夕方、ノートを広げて全部を並べた。
見えてきた。
ファングベアの行動パターン。日中は森の南側の窪地で寝ている。夕方から動き出して、北東の獣道を使って川沿いまで降りる。水を飲んで、そのまま南東の獣道から戻る。周回ルートだ。
巣は南側の窪地。入口が二つあるけど、一つは崖の下で使いにくい。メインの出入口は南東向き。
ここまではピノとルゥの情報で十分だった。
問題はここからだ。ベテランたちが「パターンが読めない」と言ったのは、追い込んだときの逃走経路。通常の周回ルートとは別に、追い詰められると予測できない方向に逃げる——と、彼らは思っている。
でも本当にそうか?
ノルの地中データを見る。森の地盤は一様じゃない。西側は岩盤が浅くて根が横に広がり、足場が安定している。東側は土が深くて柔らかい。大型の獣が全力で走ったら、足が沈む。
北は川。南は崖に近づくほど地盤がもろくなる。
あの獣は地面の硬さで走る方向を選んでいる。足場がいい方へ、いい方へ。追い詰められたときに「予測できない方向」に逃げたんじゃない。足の裏が教えてくれる方向に逃げただけだ。
つまり、地盤がわかれば逃走ルートが読める。
ノルのデータがなければ見えなかった。ピノの上空情報だけでも足りない。三体のデータを重ねて初めてわかる。
——ノルとピノの連携、今回やばいな。相性が良すぎる。
いや、今はそっちじゃない。集中しろ。
もう一つ。ルゥが拾った足跡のデータで、面白いことがわかった。
足跡の深さが均一じゃない。前足と後足で沈み方が違う。左右でも違う。右の前足がいつも浅い。
かばっている。右前足の踏み込みが弱い。古傷か、関節の問題か。
ということは、右前方向への反応が遅い。
弱点は右前方。
逃走ルートは地盤で読める。弱点方角もわかった。あとは——逃がさない仕組みを作ればいい。
***
四日目。ギルドでカイルに地図を見せた。
「これ、全部リーネさんが?」
「ノルとピノとルゥが」
「……三体でここまで出せるんですか」
「出せるよ。聞き方を変えれば」
カイルが地図を見つめる。行動パターン、周回ルート、地盤の硬さ、逃走経路の予測——全部書き込んである。
「右前方が弱い、っていうのは確かですか」
「ルゥが二日かけて足跡を七十以上拾った。全部深さを比べた。右前だけ一貫して浅い。かばってる」
「……なるほど」
カイルが少し黙って、それから聞いた。
「これ、あのパーティに見せます?」
「見せる。ただ——見せるだけじゃ足りない」
地図の南側を指す。ファングベアの巣がある窪地。
「逃走ルートを塞ぎたい。この獣は足場がいい方向に逃げる。だから足場を潰す」
「潰す?」
「ノルに地中の根を調べさせた。南東の獣道沿い、三ヶ所に大きな根が浅いところを走ってる。ここを崩せば地面が陥没する。陥没すれば足場が悪くなって、そっちには逃げられない」
「根を崩す……リーネさんの精霊で?」
「ノルだけじゃ力が足りない。ルゥと合わせればいけると思う。根を掘り出すのはノル、引っ張るのはルゥ。全部ぶち抜く必要はない。弱くするだけでいい。上を走ったら崩れる程度に」
カイルが地図と私を交互に見た。
「北は川で塞がってる。西は崖。南東を潰して、東側の柔らかい地盤を残す。逃げるなら東に行くしかなくなる」
「東に追い込んで——」
「東の地盤は柔らかい。大型の獣が全力で走ったら足が沈む。速度が落ちる。そこに、右前方から仕掛ける。反応が遅い方向から」
「仕掛けるって、誰が」
「ベテランのパーティ。あの人たちの精霊なら、速度が落ちた状態で弱点方角からなら仕留められる」
私の精霊は戦わない。戦えない。
ただ、どこで、どう戦えばいいかは教えられる。
***
翌日、ベテランパーティのリーダーにギルドで説明した。
「——で、南東のここを崩して逃走ルートを塞ぐ。東に追い込んで、右前方から仕掛ければ仕留められると思います」
男は地図をじっと見ていた。
「……お前、これ全部あの手乗りの精霊で調べたのか」
「手乗りって言わないで。名前がある。ノルとルゥとピノ」
「名前——精霊に名前つけてんのか」
「つけちゃいけない決まりはないでしょ」
男が鼻を鳴らした。でも、前みたいに笑いはしなかった。
「足跡の深さで弱点がわかるってのは、本当か」
「七十以上のサンプルで一貫してる。右前の踏み込みが弱い」
「……七十?」
「ルゥが二日走り回って集めた。あの子の追跡精度、このくらいの範囲なら信頼できる」
男がパーティの女を見た。女がうなずいた。
「試す価値はある。少なくとも四回目の力押しよりはマシよ」
男が地図に目を戻した。
「……わかった。お前の段取りでやる。ただし、俺たちが仕掛けるときにお前は下がれ。巻き込まれたらどうしようもねえからな」
「もちろん。私はここで見てる」
ノートを掲げた。男の眉がぴくりと動いた。
「……お前さ、何でそんな楽しそうなんだよ」
「え? 楽しいけど」
***
六日目。作戦の日。
前日にノルとルゥで南東の三ヶ所を仕込んだ。ノルが根の構造を読んで弱い箇所を特定し、ルゥが根を噛んで繊維を緩める。見た目はほとんど変わらない。でも上を大型の獣が全力で走ったら、地面が抜ける。
夕方、ファングベアが動き出す時間。
ピノを飛ばす。巣の上空。
「……でた。みなみ、いく」
「南か。いつもの周回ルートだね」
「……おおきい。すごく、おおきい」
ピノの声が少し震えていた。平気。あの子は調べるだけ。戦わなくていい。
ベテランパーティが待機しているのは北東。ファングベアの周回ルートの途中にいる。
計画通りなら、パーティが接触して追い込みが始まる。ファングベアは逃げる——足場のいい方向へ。南東の獣道に向かう。でも今日はそこが抜ける。足場が悪いと感じたら、次に向かうのは東。柔らかい地盤。速度が落ちる。そこへ、右前方から。
ピノがリアルタイムで位置を伝えてくる。
「……きた。きた、いった。はやい」
「パーティと接触した?」
「……おおきい、こえ。——にげた。にげた、みなみ」
南。想定通り。
「南東の道に入った?」
「……みなみひがし。はしってる——あ」
「あ?」
「……とまった。つち、くずれた」
仕掛けが動いた。
「方向変えた?」
「……ひがし。ひがし、いった」
東。柔らかい地盤。ここからだ。
ノルが腕の中で耳を立てた。地面に振動が伝わっている。
「……おそい。あし、しずんでる」
ノルにもわかるくらい、あの獣の足取りが重くなっている。
ピノの声が上がった。
「……きた。おおきいの、きた。みぎ、から——」
パーティが右前方から仕掛けた。
遠くで、重い音がした。
それから、もう一度。
そして静かになった。
ピノがしばらく上空で旋回していた。
「……うごかない。もう、うごかない」
「——終わった?」
「……おわった」
私は仕留めていない。精霊が与えたダメージは、たぶんゼロに近い。ノルが掘って、ルゥが噛んで、ピノが見た。それだけだ。
でも、あの獣はもう動かない。
ノートを開く。今日のデータを書き込む。
ピノの索敵、リアルタイム追跡でも三回目まで精度が落ちなかった。上空からの動体追尾は静止物の索敵とは別カテゴリかもしれない。これはでかい発見だ。あとで条件を変えて再検証したい。
ノルの振動感知。地面越しに大型獣の足取りの変化を読み取れた。今まで試したことがなかった。角の芽が成長したら、もっと精密になるかもしれない。
ルゥの根への噛みつき。破壊力は低いけど、ノルの分析と組み合わせれば構造の弱点を突ける。こっちのデータも残しておきたい。
——ノルとピノの連携、やっぱりやばい。地中と上空のデータを同時に取れるのがこんなに強いとは思わなかった。今回のログ、全部数値化してノートに——
「おい」
ベテランパーティのリーダーが戻ってきた。狐の背に乗って。
狐の背中に傷はない。今回は無傷だ。
「仕留めたぞ」
「お疲れ様でした。怪我は」
「ない。——お前の言った通りだった。右前方からだとまるで反応が違った」
男が私を見た。前とは違う目だった。
「……お前、何者だよ」
「何者って。見ての通り、低ランクの調査屋ですけど」
ルゥが肩の上で胸を張った。ノルは腕の中で角の芽を私の手に押しつけている。撫でてほしいらしい。ピノはもうフードの中で寝ている。
——お前ら、せめて勝利の場面くらいシャキッとしてくれない?
まあいい。この子たちはこれでいい。
***
翌日のギルドは、空気がまるで違っていた。
入った瞬間に視線が集まる。いつもの「見て、逸れる」じゃない。見て、逸れない。
「おい、あれだろ。ファングベアの」
「手乗りの精霊三匹で討伐依頼こなしたっていう——」
「討伐したのはグレンたちのパーティだろ」
「でも段取り全部あの子が組んだって話だぞ」
面倒くさい。
掲示板に向かう。今日の新着を見たいだけなのに、道を空けられる。昨日まで気にもされなかったのに。
「リーネさん」
カイルが受付から手を振った。報酬の精算だ。
「ファングベアの件、報酬が出てます。グレンさんのパーティと折半になりますけど——調査の貢献分として、ギルド判定で四割ついてます」
「四割? 多くない?」
「グレンさんが『段取りがなければ仕留められなかった』と報告書に書いてくれたので」
あの人、そんなこと書いたのか。
「あと、ランクの昇格審査が通りました。これで中位です」
「……ああ、うん」
「嬉しくないんですか」
「いや、別に。ランクが上がると受けられる依頼が増えるんでしょ? それはいい」
カイルがまた笑った。この人はよく笑う。
報酬を受け取ってノートにメモしていると、後ろから声がかかった。
「よお」
グレンだった。右腕の布はもう外れている。隣に狐を連れていた。背中の焦げ跡が薄くなっている。手入れしたんだろうか。
「——ちょっと聞きたいことがある」
「何ですか」
「お前のあの調べ方。地面の下と上の情報を重ねて、逃走ルートを読むやつ。あれ、俺たちにもできるか」
意外だった。この人、力押し一辺倒かと思ってた。
「できると思います。やり方を変えればいいだけなので」
「教えてくれ」
「いいですよ。まず、精霊に指示を出すとき、範囲を——」
ノートを開いた。区画分割の考え方、指示の出し方、データの取り方。説明し始めたら止まらなくなった。
「——で、同じ指示を三回出してブレ幅を見るんです。ブレが大きい場合は範囲を狭めてもう一度。精霊の種族と体格による差は今のところデータが足りないんですけど、少なくとも同じ種族なら指示の精度で結果が変わるのは確実で、たとえば『あっちを調べろ』だと精度が四割くらいまで落ちるんですけど、方角と距離を指定するだけで七割に上がって、さらに対象を限定すれば九割近くまで——」
グレンの目がだんだん遠くなっている。
「——それを三体で同時にやると情報の層が増えるんですけど、組み合わせのパターンが膨大で、今の私のデータだとまだ最適解が——」
「わかった、わかった。ストップ」
グレンが手を上げた。
「……悪い。半分も理解できてねえ」
「え、どこからですか。区画分割のところからもう一回——」
「いや、もういい。お前だからできるんだよ、あれは」
そう言って背を向けた。狐が小さく「失礼します」と頭を下げて、主人のあとをついていく。
——何だよ、途中なのに。
ルゥが肩の上で私の頬を尻尾でぱたぱた叩いた。慰めてるのか、からかってるのか。
***
「リーネさん」
カイルが受付越しにこちらを見ていた。一連のやり取りを全部聞いていたらしい。
「何」
「ファングベアの調査、最終日のピノの索敵データってまとめました?」
「まとめたよ。動体追尾のほうが静止物索敵より持続回数が多かった。追いかける対象がいるとピノの集中が続くみたいで——」
「やっぱり。報告書の数値見て気になってたんです。前回の依頼と比べて、ピノの索敵回数と精度の相関が変わってません?」
足が止まった。
「——待って。あなた、前回の報告書の数値覚えてるの」
「全部は覚えてないですけど、リーネさんの報告書はデータが多いので、印象に残るんです。今回のピノの数値と前回を並べたとき、落ち方のカーブが違うなと」
この男、何なんだ。
ギルドの受付係が、精霊の索敵精度の減衰カーブの話についてくる。しかも私の過去データと比較して。
「……あなた、話が通じるね」
「ありがとうございます」
「褒めてるかどうかは微妙なところだけど」
カイルがまた笑った。
ノルが腕の中で耳を動かした。ピノがフードの中でもぞもぞしている。ルゥの尻尾がゆっくり揺れている。
三体とも、落ち着いている。こいつらは人を見る目がある——というか、敵意がない人間の前だとすぐのんびりする。
「カイルさん、一つ聞いていい?」
「何でも」
「あなた、毎日大量の依頼報告を見てるでしょう。他の冒険者の精霊の使い方と、私の使い方、何が違うと思う?」
カイルが少し考えた。
「他の方は——精霊を、強い道具として使ってます。強い精霊に大きな仕事を任せる。それが当たり前で、誰も疑ってない」
「うん」
「リーネさんは、精霊と話してます。聞いて、返して、また聞いて。道具じゃなくて、会話の相手として使ってる。——使ってるって言い方も変ですけど」
カイルの言葉が、妙に刺さった。
精霊と話す。聞いて、返して、また聞く。
——そうだ。私がやっていることは、ずっとそれだ。
ノルにどう聞けば正確な答えが返ってくるか。ピノにどこまで任せて、どこで切り替えるか。ルゥの速さをどの場面で活かすか。全部、この子たちとの会話の中で見つけてきた。
でも、この世界で同じことをしている人を、私は見たことがない。
みんな、精霊に「やれ」としか言わない。それで動くから疑問を持たない。強い精霊に金を払って、雑な指示で力押しして、それが精霊の使い方だと思っている。
——おかしくないか、それ。
精霊はもっとできる。もっと正確に、もっと賢く動ける。聞き方を変えるだけで。組み合わせを変えるだけで。私のノートにはその証拠がいくらでもある。
なのに誰もやらない。誰も気づかない。
この世界の精霊の使い方は——根本から、間違ってるんじゃないか。
大きなことを考えている自覚はある。でも、データは嘘をつかない。
「……リーネさん?」
「——ごめん、考え事してた」
「すごく楽しそうでしたけど」
「楽しいよ。次の依頼、何かいいのない?」
カイルが掲示板を指差す。新しい依頼書が一枚、追加されていた。
内容を読む。北の山岳地帯で大規模な地形調査。報酬が高い。でもそれより——対象範囲が広い。今までの依頼の倍以上ある。ピノの広域索敵、ノルの精密調査、ルゥの地上走査。三体をフルに使って、もっと大きな地図を作れる。組み合わせのパターンもまだ試していないものがある。
「……これ、受けていい?」
「どうぞ。リーネさんの新しいランクなら受けられます」
「ランク上がったの、初めて役に立った」
ノルを抱き上げた。角の芽を指で撫でる。
「次はもっと広い場所だよ。楽しくなるよ」
「……ん。たのしい。すき」
ノルが何を好きなのか、正確にはわからない。広い場所が好きなのか、潜るのが好きなのか、私と一緒にいるのが好きなのか。
でもまあ——わからなくても、いい。
ルゥが尻尾を振った。ピノがフードから顔だけ出した。
「……つぎ。やま?」
「山。いっぱい飛ぶよ」
「……ねむい」
「知ってる」
三体の精霊を連れて、掲示板の前を離れる。
できることは、まだまだある。
【完】
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最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作は、長編連載を視野に入れた読切作品です。
もし「この続きが読みたい」と思っていただけましたら、ぜひ【お気に入り】や【感想】をお願いいたします。
皆様からのリアクションを投票として受け取り、反響次第で【長編連載化】を決定いたします。
★前作も同じ形で皆さまの声をいただき、長編化に至りました。
『帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~』
(連載中・ついにあの謎が判明する山場なので、追いかけるなら今がオススメです)
皆さまの反応が、この物語の続きを作ります。
読切を他にも投稿していますし、連載中の作品も作者ページから読めますので、ぜひご確認ください。
もう慣れた。別にいい。私が見たいのは掲示板であって、あいつらの顔じゃない。
今日の新着。東の森で薬草の群生地調査、報酬は銀貨五枚。街道沿いの魔物の出没地点の記録、銀貨八枚。廃坑周辺の地質調査、銀貨十二枚。
——お、これいい。
肩にいるルゥがぴくりと耳を動かした。膝の上のノルは丸くなって寝ている。フードの中のピノは……まだ寝てる。こいつはいつも寝てる。
「また調査系ばっかり?」
隣にいた冒険者が呆れた声を出す。名前は知らない。でかい狐を連れている。私のルゥの三倍はある体で、喋り方もしっかりしている。契約料もそのぶんかかっているはずだ。
あの狐、左の前足をかばってないか。爪の付け根あたり——気になる。あとで見よう。いや、他人の精霊か。やめとこう。
「討伐の方が稼げるだろ。お前ランク上げる気ねえの」
「んー」
聞いてない。廃坑の地質調査、対象範囲は東の丘陵地帯。地中に潜る仕事がある。
ノートを開く。昨日のデータ。ノルとピノで地中と上空を同時にやった場合と、ルゥに地上走査させた場合の比較。この広さだと——ノルとピノの二段構えが勝つ。ただし風が強い日はピノの滞空が安定しないから、そこは現地判断。
「おい、聞いてる?」
「あ、うん。ごめん。何だっけ」
「……もういい」
男が行った。何の話だったっけ。まあいい。
***
受付にノートと依頼書を持っていく。カイルが書類の束の向こうから顔を上げた。
「リーネさん、おはようございます。昨日の報告書、確認しました」
「何か問題あった?」
「いえ。対象範囲の三割増しまで記録してありましたけど」
「ノルの調子が良かったから、ついでに広げた」
「ついでに、ですか」
カイルが小さく笑った。何がおかしいのかわからない。
「リーネさんの完了率、たぶん今うちの支部で一番高いですよ。調査依頼に限ればですけど」
「そう。——廃坑の地質調査、これ受ける」
カイルが受理印を押す。慣れた手つきだ。
「お気をつけて。廃坑の周辺、最近ちょっと魔物の目撃があるみたいです」
「うん」
ノルを抱き上げる。柔らかい。額にある角の芽、先月よりほんの少し硬くなった。
ノルに話しかけるとき、いつも不思議な感覚がある。ずっと昔、何かに向かって言葉を選んでいたような。聞き方ひとつで返ってくるものが変わる——そういう手触りだけが、手に残っている。
「ノル、今日は地中やるよ」
「……ん。ふかい?」
「まだわからない。現地で決める」
「……わかった」
ルゥが肩の上で尻尾を振った。自分も行く、と言いたいらしい。
「ルゥは今回待機ね」
「……」
尻尾がしゅんと下がる。かわいい。
でもこれはかわいさの問題じゃない。ノートを開く。昨日までの比較データ。ルゥは何でも器用にこなすけど、地中に関してはノルに精度で負ける。広域はピノが上。今回の依頼内容なら、ノルとピノの二体で回した方がいい。
「次は出番あるから」
「……ん」
尻尾が少しだけ戻った。
***
東門を出る。フードの中でピノがようやく目を開けた。
「……そと?」
「そと。今日はいっぱい飛んでもらうよ」
「……ねむい」
「知ってる」
街道を歩きながら、すれ違う冒険者を見る。
でかい狐を連れた男が、精霊に「あっち調べてこい」と指を差す。狐は走っていって、しばらくして戻ってくる。「なにも、ないように思います」。男は舌打ちした。「使えねえな」。
使えないんじゃない。「あっち」が広すぎる。
——とは言わない。言ったところで伝わらない。それに私が気にしているのはそこじゃない。
あの狐、同じ質問を繰り返したら何回目から答えがブレ始めるんだろう。体が大きいぶん安定するのか、それともうちのルゥと同じタイミングで落ちるのか。種族が同じなら体格差は関係ない、っていうのが今の仮説だけど、サンプルが足りない。
——やめよう。他人の精霊だ。
ノルが腕の中で耳を動かした。
「……つち。においする」
「うん。今日はそっち」
ピノが頭の上でもぞもぞ動く。
「……たかい。たかいとこ、いく?」
「いくよ。まずピノに上から見てもらって、ノルに地中を確認してもらう。昨日より広い範囲だから、区画を分けてやろう」
「……ん」
「……くかく。わかった」
三体の精霊を連れて、丘陵地帯へ向かう。
今日も楽しくなりそうだ。
***
廃坑の調査は順調だった。
ピノに上空から丘陵地帯の全体を見てもらい、地表に露出している岩の種類と分布を確認。その情報をもとに、ノルに地中を区画ごとに潜ってもらう。
「ノル、東の区画。表層から順番に、岩の種類を教えて」
「……うえ。やわらかい。つぎ……かたい。しろい」
「白いか。石灰岩っぽいな。もう一段下は?」
「……くろい。きらきら、すこし」
ノートに書き込む。これを区画ごとに繰り返す。ピノの上空データと照らし合わせれば、地下の構造がかなり見えてくる。
こういう仕事が好きだ。三体の情報を頭の中で重ねて、見えないものの形を浮かび上がらせる。
依頼の範囲は昼過ぎに終わった。報酬分の仕事は済んだけど、ノルがまだ元気だったので——少し、寄り道をした。
廃坑の奥。依頼の範囲外。ノルに地中深くまで潜ってもらったら、面白いデータが取れた。深度ごとの岩質の変化が、東と西でまるで違う。何かがある。今日のところはここまでだけど、ノートに記録だけしておく。
***
夕方、ギルドに戻ると空気がおかしかった。
受付の前に冒険者が固まっている。声が大きい。怒鳴り合いではない。けれど、苛立った声がいくつも重なっている。
その中心にいたのは、見覚えのある男たちだった。このギルドの上位パーティ。でかい狐を連れたリーダーと、同じくらい大きなうさぎを連れた女、もう一人も大型の狐——精霊の体がどれもルゥの四倍はある。喋り方も違う。「お気をつけください」「了解しました」。流暢で、丁寧で、指示への反応も速い。
契約料だけで私の生活費が何回分か飛ぶような連中だ。
そのリーダーの右腕が布で吊られていた。狐の方も、背中の毛が焦げている。
「何があったの」
カイルに聞くと、声を落として教えてくれた。
「東の森の大型討伐です。ファングベアって呼ばれてる獣型——知ってます?」
「名前だけ」
「ここ半年くらい東の森に居着いてて、商隊の被害が出てたんです。それで討伐依頼が出たんですけど——」
カイルが視線をパーティの方に向ける。
「三回目の挑戦で、三回目の失敗です」
三回。あの連中が三回失敗した。
「精霊で正面からぶつけても仕留めきれないみたいで。森の地形を使って逃げるらしいんです。追い詰めようとすると暴れて木を薙ぎ倒す。精霊が怪我をして撤退——今回もそのパターンだったと」
リーダーの男が受付の壁を殴った。どん、と鈍い音が響く。
「あの野郎、逃げ足だけは一丁前だ。こっちが追い込んでも方向変えやがる。パターンが読めねえ」
パーティの女が首を振る。
「読めないっていうか、そもそも情報が足りないのよ。森が広すぎて、どこに逃げるか予測できない」
「だから力押しで仕留めるしかねえだろ。次はもっと——」
「もっと何? これ以上精霊を傷つけるの?」
ぴり、と空気が張った。
私は聞きながら、別のことを考えていた。
パターンが読めない。情報が足りない。森が広すぎる。
——それ、調べればいいんじゃないか。
戦う前に。精霊をぶつける前に。まず、あの獣がどこを通って、どこに逃げて、どこで寝ているのか。森のどこに何があるのか。全部調べて、全部並べて、全部比べれば——見えるものがある。
ノルなら地中の痕跡を辿れる。ピノなら上空から森の構造を見渡せる。ルゥなら地上の細かい追跡ができる。三体を使い分ければ、あの森をまるごと読める。
——たぶん。
胸の奥で、何かが跳ねた。
「あの」
声を出していた。
冒険者たちの目がこっちを向く。さっき掲示板の前でもそうだった。一瞬見て、すぐ逸れる——はずだったのに、今度は逸れなかった。
「私にやらせてくれませんか」
沈黙。
リーダーの男が私を見た。それから、肩の上のルゥと、腕の中のノルと、フードから顔を出しているピノを見た。
どれも手のひらに乗るサイズだ。
「——は?」
笑い声がひとつ。それが伝染して、周りにも広がった。
「お前、冗談だろ。その精霊で何すんだよ」
「調査です」
「調査? 討伐依頼だぞ」
「倒す前に調べたい。あの獣の行動パターンと、森の地形。それが揃えば——」
「揃えば、何だよ」
男が腕を組んだ。吊られていない方の腕で。
「俺たちが三回突っ込んで仕留められなかったもんを、お前のその——何だ、手乗りの精霊で調べたら倒せるってか」
周りがまた笑う。
別にいい。笑われるのは慣れてる。
「倒せるかどうかはわからない。でも、今のまま力押しを繰り返しても同じ結果になる」
男の目が細くなった。
カイルが間に入った。
「——依頼の規定上、同時に複数パーティが受けることは可能です。リーネさんが調査名目で受けて、結果を共有する形なら問題ありません」
さすがカイル、話が早い。
リーダーの男がしばらく黙って、それから鼻を鳴らした。
「好きにしろ。ただし邪魔だけはすんなよ」
「しない。戦わないから」
「……戦わない?」
「うちの子たちは調べるのが仕事だから」
ルゥが肩の上で胸を張った。ノルは丸くなって寝ている。ピノはフードに引っ込んだ。
——お前ら、もうちょっと頼もしい絵面にならない?
まあいい。見た目はどうでもいい。
明日から、東の森に入る。
***
東の森は思ったより広い。
入口に立って、まずピノを飛ばした。
「ピノ、上から森の全体を見て。端から端までどのくらいあるか、形はどうなってるか」
「……ん。いく」
もこもこの体が飛膜を広げて、ふわりと浮いた。木々の隙間を縫って上昇していく。小さい体だから枝にぶつかる心配は少ないけど、高く上がりすぎると精度が落ちる。ノートを確認する。ピノの最適高度は木の天辺より少し上、それ以上だと細かいものが見えなくなる。
しばらくして、ピノが戻ってきた。頭の上に着地する。
「……ひろい。みなみ、ながい。にし、がけ。きた、かわ」
「南に長くて、西側に崖、北に川か。東は?」
「……ひらけてる。もり、うすい」
ノートに描く。森はおおまかに南北に長い楕円。西は崖で塞がれ、北は川。東は森が薄くなって開けた地形に出る。
逃げるなら東か南。崖と川には向かわない。
「ピノ、もう一回。今度は森の中に獣道がないか見て。太い道だけでいい」
「……ん。ふとい。だけ」
二回目の飛行。ピノの索敵は二回目まではほぼブレない。三回目から粗くなる。だから太い情報だけ先に取る。
戻ってきたピノの報告と、さっきの地形を重ねる。獣道が三本。南東方向に二本、北東方向に一本。どれも太い。大型の獣が繰り返し通った跡だろう。
「ピノ、ありがとう。いったん休んで」
「……ねむい」
「寝ていいよ」
フードに潜り込んで、すぐ寝息が聞こえた。回復は早い。
次はノル。
「ノル、地中に潜ってほしい。獣道に沿って、地面の下に何があるか見て」
「……ちかく? とおく?」
「近くからでいい。この道に沿って、まず表層」
ノルが地面に鼻をつけて、するりと潜った。うさぎなのに穴を掘る速さが尋常じゃない。しばらくして顔だけ出す。
「……ね。おおきい、ね。あっち、いってる」
「根が太いのか。木の根だね。その下は?」
「……いし。かたい」
「硬い石が浅いところにあるんだ。どのくらいの深さ?」
ノルが耳を傾ける。角の芽がわずかに震えた。
「……あさい。ここ、あさい」
ノートに記録。獣道沿いの地盤は浅い岩盤の上に薄い土。根が横に広がっている。
これを区画ごとに繰り返す。森を東西南北に四分割して、それぞれの地盤と植生をノルに調べてもらう。
***
二日かけて、森の地図ができた。
地上の情報はピノ、地中の情報はノル。二つを重ねてノートに描き込む。ルゥには区画の境目を走ってもらって、地上の細かい痕跡——足跡、爪痕、毛、糞——を拾わせた。
「ルゥ、この区画に足跡あった?」
「……あった。おおきい。ふかい」
「深いか。体重があるんだな。方角は?」
「……みなみ。みなみ、いった」
「ありがとう。次、隣の区画も同じように」
「……ん。いく」
尻尾を振って走っていく。ルゥは三体の中で一番足が速い。広い範囲を短時間で回れる。精度はノルに劣るけど、この仕事は精度より速度だ。
三日目の夕方、ノートを広げて全部を並べた。
見えてきた。
ファングベアの行動パターン。日中は森の南側の窪地で寝ている。夕方から動き出して、北東の獣道を使って川沿いまで降りる。水を飲んで、そのまま南東の獣道から戻る。周回ルートだ。
巣は南側の窪地。入口が二つあるけど、一つは崖の下で使いにくい。メインの出入口は南東向き。
ここまではピノとルゥの情報で十分だった。
問題はここからだ。ベテランたちが「パターンが読めない」と言ったのは、追い込んだときの逃走経路。通常の周回ルートとは別に、追い詰められると予測できない方向に逃げる——と、彼らは思っている。
でも本当にそうか?
ノルの地中データを見る。森の地盤は一様じゃない。西側は岩盤が浅くて根が横に広がり、足場が安定している。東側は土が深くて柔らかい。大型の獣が全力で走ったら、足が沈む。
北は川。南は崖に近づくほど地盤がもろくなる。
あの獣は地面の硬さで走る方向を選んでいる。足場がいい方へ、いい方へ。追い詰められたときに「予測できない方向」に逃げたんじゃない。足の裏が教えてくれる方向に逃げただけだ。
つまり、地盤がわかれば逃走ルートが読める。
ノルのデータがなければ見えなかった。ピノの上空情報だけでも足りない。三体のデータを重ねて初めてわかる。
——ノルとピノの連携、今回やばいな。相性が良すぎる。
いや、今はそっちじゃない。集中しろ。
もう一つ。ルゥが拾った足跡のデータで、面白いことがわかった。
足跡の深さが均一じゃない。前足と後足で沈み方が違う。左右でも違う。右の前足がいつも浅い。
かばっている。右前足の踏み込みが弱い。古傷か、関節の問題か。
ということは、右前方向への反応が遅い。
弱点は右前方。
逃走ルートは地盤で読める。弱点方角もわかった。あとは——逃がさない仕組みを作ればいい。
***
四日目。ギルドでカイルに地図を見せた。
「これ、全部リーネさんが?」
「ノルとピノとルゥが」
「……三体でここまで出せるんですか」
「出せるよ。聞き方を変えれば」
カイルが地図を見つめる。行動パターン、周回ルート、地盤の硬さ、逃走経路の予測——全部書き込んである。
「右前方が弱い、っていうのは確かですか」
「ルゥが二日かけて足跡を七十以上拾った。全部深さを比べた。右前だけ一貫して浅い。かばってる」
「……なるほど」
カイルが少し黙って、それから聞いた。
「これ、あのパーティに見せます?」
「見せる。ただ——見せるだけじゃ足りない」
地図の南側を指す。ファングベアの巣がある窪地。
「逃走ルートを塞ぎたい。この獣は足場がいい方向に逃げる。だから足場を潰す」
「潰す?」
「ノルに地中の根を調べさせた。南東の獣道沿い、三ヶ所に大きな根が浅いところを走ってる。ここを崩せば地面が陥没する。陥没すれば足場が悪くなって、そっちには逃げられない」
「根を崩す……リーネさんの精霊で?」
「ノルだけじゃ力が足りない。ルゥと合わせればいけると思う。根を掘り出すのはノル、引っ張るのはルゥ。全部ぶち抜く必要はない。弱くするだけでいい。上を走ったら崩れる程度に」
カイルが地図と私を交互に見た。
「北は川で塞がってる。西は崖。南東を潰して、東側の柔らかい地盤を残す。逃げるなら東に行くしかなくなる」
「東に追い込んで——」
「東の地盤は柔らかい。大型の獣が全力で走ったら足が沈む。速度が落ちる。そこに、右前方から仕掛ける。反応が遅い方向から」
「仕掛けるって、誰が」
「ベテランのパーティ。あの人たちの精霊なら、速度が落ちた状態で弱点方角からなら仕留められる」
私の精霊は戦わない。戦えない。
ただ、どこで、どう戦えばいいかは教えられる。
***
翌日、ベテランパーティのリーダーにギルドで説明した。
「——で、南東のここを崩して逃走ルートを塞ぐ。東に追い込んで、右前方から仕掛ければ仕留められると思います」
男は地図をじっと見ていた。
「……お前、これ全部あの手乗りの精霊で調べたのか」
「手乗りって言わないで。名前がある。ノルとルゥとピノ」
「名前——精霊に名前つけてんのか」
「つけちゃいけない決まりはないでしょ」
男が鼻を鳴らした。でも、前みたいに笑いはしなかった。
「足跡の深さで弱点がわかるってのは、本当か」
「七十以上のサンプルで一貫してる。右前の踏み込みが弱い」
「……七十?」
「ルゥが二日走り回って集めた。あの子の追跡精度、このくらいの範囲なら信頼できる」
男がパーティの女を見た。女がうなずいた。
「試す価値はある。少なくとも四回目の力押しよりはマシよ」
男が地図に目を戻した。
「……わかった。お前の段取りでやる。ただし、俺たちが仕掛けるときにお前は下がれ。巻き込まれたらどうしようもねえからな」
「もちろん。私はここで見てる」
ノートを掲げた。男の眉がぴくりと動いた。
「……お前さ、何でそんな楽しそうなんだよ」
「え? 楽しいけど」
***
六日目。作戦の日。
前日にノルとルゥで南東の三ヶ所を仕込んだ。ノルが根の構造を読んで弱い箇所を特定し、ルゥが根を噛んで繊維を緩める。見た目はほとんど変わらない。でも上を大型の獣が全力で走ったら、地面が抜ける。
夕方、ファングベアが動き出す時間。
ピノを飛ばす。巣の上空。
「……でた。みなみ、いく」
「南か。いつもの周回ルートだね」
「……おおきい。すごく、おおきい」
ピノの声が少し震えていた。平気。あの子は調べるだけ。戦わなくていい。
ベテランパーティが待機しているのは北東。ファングベアの周回ルートの途中にいる。
計画通りなら、パーティが接触して追い込みが始まる。ファングベアは逃げる——足場のいい方向へ。南東の獣道に向かう。でも今日はそこが抜ける。足場が悪いと感じたら、次に向かうのは東。柔らかい地盤。速度が落ちる。そこへ、右前方から。
ピノがリアルタイムで位置を伝えてくる。
「……きた。きた、いった。はやい」
「パーティと接触した?」
「……おおきい、こえ。——にげた。にげた、みなみ」
南。想定通り。
「南東の道に入った?」
「……みなみひがし。はしってる——あ」
「あ?」
「……とまった。つち、くずれた」
仕掛けが動いた。
「方向変えた?」
「……ひがし。ひがし、いった」
東。柔らかい地盤。ここからだ。
ノルが腕の中で耳を立てた。地面に振動が伝わっている。
「……おそい。あし、しずんでる」
ノルにもわかるくらい、あの獣の足取りが重くなっている。
ピノの声が上がった。
「……きた。おおきいの、きた。みぎ、から——」
パーティが右前方から仕掛けた。
遠くで、重い音がした。
それから、もう一度。
そして静かになった。
ピノがしばらく上空で旋回していた。
「……うごかない。もう、うごかない」
「——終わった?」
「……おわった」
私は仕留めていない。精霊が与えたダメージは、たぶんゼロに近い。ノルが掘って、ルゥが噛んで、ピノが見た。それだけだ。
でも、あの獣はもう動かない。
ノートを開く。今日のデータを書き込む。
ピノの索敵、リアルタイム追跡でも三回目まで精度が落ちなかった。上空からの動体追尾は静止物の索敵とは別カテゴリかもしれない。これはでかい発見だ。あとで条件を変えて再検証したい。
ノルの振動感知。地面越しに大型獣の足取りの変化を読み取れた。今まで試したことがなかった。角の芽が成長したら、もっと精密になるかもしれない。
ルゥの根への噛みつき。破壊力は低いけど、ノルの分析と組み合わせれば構造の弱点を突ける。こっちのデータも残しておきたい。
——ノルとピノの連携、やっぱりやばい。地中と上空のデータを同時に取れるのがこんなに強いとは思わなかった。今回のログ、全部数値化してノートに——
「おい」
ベテランパーティのリーダーが戻ってきた。狐の背に乗って。
狐の背中に傷はない。今回は無傷だ。
「仕留めたぞ」
「お疲れ様でした。怪我は」
「ない。——お前の言った通りだった。右前方からだとまるで反応が違った」
男が私を見た。前とは違う目だった。
「……お前、何者だよ」
「何者って。見ての通り、低ランクの調査屋ですけど」
ルゥが肩の上で胸を張った。ノルは腕の中で角の芽を私の手に押しつけている。撫でてほしいらしい。ピノはもうフードの中で寝ている。
——お前ら、せめて勝利の場面くらいシャキッとしてくれない?
まあいい。この子たちはこれでいい。
***
翌日のギルドは、空気がまるで違っていた。
入った瞬間に視線が集まる。いつもの「見て、逸れる」じゃない。見て、逸れない。
「おい、あれだろ。ファングベアの」
「手乗りの精霊三匹で討伐依頼こなしたっていう——」
「討伐したのはグレンたちのパーティだろ」
「でも段取り全部あの子が組んだって話だぞ」
面倒くさい。
掲示板に向かう。今日の新着を見たいだけなのに、道を空けられる。昨日まで気にもされなかったのに。
「リーネさん」
カイルが受付から手を振った。報酬の精算だ。
「ファングベアの件、報酬が出てます。グレンさんのパーティと折半になりますけど——調査の貢献分として、ギルド判定で四割ついてます」
「四割? 多くない?」
「グレンさんが『段取りがなければ仕留められなかった』と報告書に書いてくれたので」
あの人、そんなこと書いたのか。
「あと、ランクの昇格審査が通りました。これで中位です」
「……ああ、うん」
「嬉しくないんですか」
「いや、別に。ランクが上がると受けられる依頼が増えるんでしょ? それはいい」
カイルがまた笑った。この人はよく笑う。
報酬を受け取ってノートにメモしていると、後ろから声がかかった。
「よお」
グレンだった。右腕の布はもう外れている。隣に狐を連れていた。背中の焦げ跡が薄くなっている。手入れしたんだろうか。
「——ちょっと聞きたいことがある」
「何ですか」
「お前のあの調べ方。地面の下と上の情報を重ねて、逃走ルートを読むやつ。あれ、俺たちにもできるか」
意外だった。この人、力押し一辺倒かと思ってた。
「できると思います。やり方を変えればいいだけなので」
「教えてくれ」
「いいですよ。まず、精霊に指示を出すとき、範囲を——」
ノートを開いた。区画分割の考え方、指示の出し方、データの取り方。説明し始めたら止まらなくなった。
「——で、同じ指示を三回出してブレ幅を見るんです。ブレが大きい場合は範囲を狭めてもう一度。精霊の種族と体格による差は今のところデータが足りないんですけど、少なくとも同じ種族なら指示の精度で結果が変わるのは確実で、たとえば『あっちを調べろ』だと精度が四割くらいまで落ちるんですけど、方角と距離を指定するだけで七割に上がって、さらに対象を限定すれば九割近くまで——」
グレンの目がだんだん遠くなっている。
「——それを三体で同時にやると情報の層が増えるんですけど、組み合わせのパターンが膨大で、今の私のデータだとまだ最適解が——」
「わかった、わかった。ストップ」
グレンが手を上げた。
「……悪い。半分も理解できてねえ」
「え、どこからですか。区画分割のところからもう一回——」
「いや、もういい。お前だからできるんだよ、あれは」
そう言って背を向けた。狐が小さく「失礼します」と頭を下げて、主人のあとをついていく。
——何だよ、途中なのに。
ルゥが肩の上で私の頬を尻尾でぱたぱた叩いた。慰めてるのか、からかってるのか。
***
「リーネさん」
カイルが受付越しにこちらを見ていた。一連のやり取りを全部聞いていたらしい。
「何」
「ファングベアの調査、最終日のピノの索敵データってまとめました?」
「まとめたよ。動体追尾のほうが静止物索敵より持続回数が多かった。追いかける対象がいるとピノの集中が続くみたいで——」
「やっぱり。報告書の数値見て気になってたんです。前回の依頼と比べて、ピノの索敵回数と精度の相関が変わってません?」
足が止まった。
「——待って。あなた、前回の報告書の数値覚えてるの」
「全部は覚えてないですけど、リーネさんの報告書はデータが多いので、印象に残るんです。今回のピノの数値と前回を並べたとき、落ち方のカーブが違うなと」
この男、何なんだ。
ギルドの受付係が、精霊の索敵精度の減衰カーブの話についてくる。しかも私の過去データと比較して。
「……あなた、話が通じるね」
「ありがとうございます」
「褒めてるかどうかは微妙なところだけど」
カイルがまた笑った。
ノルが腕の中で耳を動かした。ピノがフードの中でもぞもぞしている。ルゥの尻尾がゆっくり揺れている。
三体とも、落ち着いている。こいつらは人を見る目がある——というか、敵意がない人間の前だとすぐのんびりする。
「カイルさん、一つ聞いていい?」
「何でも」
「あなた、毎日大量の依頼報告を見てるでしょう。他の冒険者の精霊の使い方と、私の使い方、何が違うと思う?」
カイルが少し考えた。
「他の方は——精霊を、強い道具として使ってます。強い精霊に大きな仕事を任せる。それが当たり前で、誰も疑ってない」
「うん」
「リーネさんは、精霊と話してます。聞いて、返して、また聞いて。道具じゃなくて、会話の相手として使ってる。——使ってるって言い方も変ですけど」
カイルの言葉が、妙に刺さった。
精霊と話す。聞いて、返して、また聞く。
——そうだ。私がやっていることは、ずっとそれだ。
ノルにどう聞けば正確な答えが返ってくるか。ピノにどこまで任せて、どこで切り替えるか。ルゥの速さをどの場面で活かすか。全部、この子たちとの会話の中で見つけてきた。
でも、この世界で同じことをしている人を、私は見たことがない。
みんな、精霊に「やれ」としか言わない。それで動くから疑問を持たない。強い精霊に金を払って、雑な指示で力押しして、それが精霊の使い方だと思っている。
——おかしくないか、それ。
精霊はもっとできる。もっと正確に、もっと賢く動ける。聞き方を変えるだけで。組み合わせを変えるだけで。私のノートにはその証拠がいくらでもある。
なのに誰もやらない。誰も気づかない。
この世界の精霊の使い方は——根本から、間違ってるんじゃないか。
大きなことを考えている自覚はある。でも、データは嘘をつかない。
「……リーネさん?」
「——ごめん、考え事してた」
「すごく楽しそうでしたけど」
「楽しいよ。次の依頼、何かいいのない?」
カイルが掲示板を指差す。新しい依頼書が一枚、追加されていた。
内容を読む。北の山岳地帯で大規模な地形調査。報酬が高い。でもそれより——対象範囲が広い。今までの依頼の倍以上ある。ピノの広域索敵、ノルの精密調査、ルゥの地上走査。三体をフルに使って、もっと大きな地図を作れる。組み合わせのパターンもまだ試していないものがある。
「……これ、受けていい?」
「どうぞ。リーネさんの新しいランクなら受けられます」
「ランク上がったの、初めて役に立った」
ノルを抱き上げた。角の芽を指で撫でる。
「次はもっと広い場所だよ。楽しくなるよ」
「……ん。たのしい。すき」
ノルが何を好きなのか、正確にはわからない。広い場所が好きなのか、潜るのが好きなのか、私と一緒にいるのが好きなのか。
でもまあ——わからなくても、いい。
ルゥが尻尾を振った。ピノがフードから顔だけ出した。
「……つぎ。やま?」
「山。いっぱい飛ぶよ」
「……ねむい」
「知ってる」
三体の精霊を連れて、掲示板の前を離れる。
できることは、まだまだある。
【完】
------------------------------------------------
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作は、長編連載を視野に入れた読切作品です。
もし「この続きが読みたい」と思っていただけましたら、ぜひ【お気に入り】や【感想】をお願いいたします。
皆様からのリアクションを投票として受け取り、反響次第で【長編連載化】を決定いたします。
★前作も同じ形で皆さまの声をいただき、長編化に至りました。
『帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~』
(連載中・ついにあの謎が判明する山場なので、追いかけるなら今がオススメです)
皆さまの反応が、この物語の続きを作ります。
読切を他にも投稿していますし、連載中の作品も作者ページから読めますので、ぜひご確認ください。
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精霊に「やれ」と言えば動く。この世界の全員がそう信じている。
レイドだけが違った。範囲を絞り、条件を決め、段階的に聞く。それだけで最弱の蛇は誰より正確に答える。——誰にも理解されず、追放された。
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レイドは蛇一体で名乗り出る。
【完結】アル中の俺、転生して断酒したのに毒杯を賜る
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前世、俺はいわゆるアル中だった。色んな言い訳はあるが、ただ単に俺の心が弱かった。酒に逃げた。朝も昼も夜も酒を飲み、周囲や家族に迷惑をかけた。だから。転生した俺は決意した。今世では決して酒は飲まない、と。
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異世界転生してしまった。どうせ死ぬのに。
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好きな人と結婚して初めてのクリスマスに事故で亡くなった私。異世界に転生したけど、どうせ死ぬなら幸せになんてなりたくない。そう思って生きてきたのだけど……。
異世界召喚されたけどスキルが地味だったので、現代知識とアイテムボックスで絶品料理を作ったら大商会になっちゃいました
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手違いで剣も魔法もない異世界に召喚された、しがない日本のサラリーマン、湊カイリ。
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ひょんなことから出会った没落貴族の美少女・リリアナと共に、カイリは現代知識と地味スキルを駆使して屋台から商売をスタート。
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主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
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