最安もふもふ三匹に名前をつける変な冒険者ですが、この子たちの力を引き出せるのは私だけです ~精霊偏愛録~

Lihito

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1話

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 依頼掲示板の前に立つと、周りの冒険者たちの目が一瞬こっちを向いて、すぐ逸れる。

 もう慣れた。別にいい。私が見たいのは掲示板であって、あいつらの顔じゃない。

 今日の新着。東の森で薬草の群生地調査、報酬は銀貨五枚。街道沿いの魔物の出没地点の記録、銀貨八枚。廃坑周辺の地質調査、銀貨十二枚。

 ——お、これいい。

 肩にいるルゥがぴくりと耳を動かした。膝の上のノルは丸くなって寝ている。フードの中のピノは……まだ寝てる。こいつはいつも寝てる。

「また調査系ばっかり?」

 隣にいた冒険者が呆れた声を出す。名前は知らない。でかい狐を連れている。私のルゥの三倍はある体で、喋り方もしっかりしている。契約料もそのぶんかかっているはずだ。

 あの狐、左の前足をかばってないか。爪の付け根あたり——気になる。あとで見よう。いや、他人の精霊か。やめとこう。

「討伐の方が稼げるだろ。お前ランク上げる気ねえの」

「んー」

 聞いてない。廃坑の地質調査、対象範囲は東の丘陵地帯。地中に潜る仕事がある。

 ノートを開く。昨日のデータ。ノルとピノで地中と上空を同時にやった場合と、ルゥに地上走査させた場合の比較。この広さだと——ノルとピノの二段構えが勝つ。ただし風が強い日はピノの滞空が安定しないから、そこは現地判断。

「おい、聞いてる?」

「あ、うん。ごめん。何だっけ」

「……もういい」

 男が行った。何の話だったっけ。まあいい。


***


 受付にノートと依頼書を持っていく。カイルが書類の束の向こうから顔を上げた。

「リーネさん、おはようございます。昨日の報告書、確認しました」

「何か問題あった?」

「いえ。対象範囲の三割増しまで記録してありましたけど」

「ノルの調子が良かったから、ついでに広げた」

「ついでに、ですか」

 カイルが小さく笑った。何がおかしいのかわからない。

「リーネさんの完了率、たぶん今うちの支部で一番高いですよ。調査依頼に限ればですけど」

「そう。——廃坑の地質調査、これ受ける」

 カイルが受理印を押す。慣れた手つきだ。

「お気をつけて。廃坑の周辺、最近ちょっと魔物の目撃があるみたいです」

「うん」

 ノルを抱き上げる。柔らかい。額にある角の芽、先月よりほんの少し硬くなった。

 ノルに話しかけるとき、いつも不思議な感覚がある。ずっと昔、何かに向かって言葉を選んでいたような。聞き方ひとつで返ってくるものが変わる——そういう手触りだけが、手に残っている。

「ノル、今日は地中やるよ」

「……ん。ふかい?」

「まだわからない。現地で決める」

「……わかった」

 ルゥが肩の上で尻尾を振った。自分も行く、と言いたいらしい。

「ルゥは今回待機ね」

「……」

 尻尾がしゅんと下がる。かわいい。

 でもこれはかわいさの問題じゃない。ノートを開く。昨日までの比較データ。ルゥは何でも器用にこなすけど、地中に関してはノルに精度で負ける。広域はピノが上。今回の依頼内容なら、ノルとピノの二体で回した方がいい。

「次は出番あるから」

「……ん」

 尻尾が少しだけ戻った。


***


 東門を出る。フードの中でピノがようやく目を開けた。

「……そと?」

「そと。今日はいっぱい飛んでもらうよ」

「……ねむい」

「知ってる」

 街道を歩きながら、すれ違う冒険者を見る。

 でかい狐を連れた男が、精霊に「あっち調べてこい」と指を差す。狐は走っていって、しばらくして戻ってくる。「なにも、ないように思います」。男は舌打ちした。「使えねえな」。

 使えないんじゃない。「あっち」が広すぎる。

 ——とは言わない。言ったところで伝わらない。それに私が気にしているのはそこじゃない。

 あの狐、同じ質問を繰り返したら何回目から答えがブレ始めるんだろう。体が大きいぶん安定するのか、それともうちのルゥと同じタイミングで落ちるのか。種族が同じなら体格差は関係ない、っていうのが今の仮説だけど、サンプルが足りない。

 ——やめよう。他人の精霊だ。

 ノルが腕の中で耳を動かした。

「……つち。においする」

「うん。今日はそっち」

 ピノが頭の上でもぞもぞ動く。

「……たかい。たかいとこ、いく?」

「いくよ。まずピノに上から見てもらって、ノルに地中を確認してもらう。昨日より広い範囲だから、区画を分けてやろう」

「……ん」

「……くかく。わかった」

 三体の精霊を連れて、丘陵地帯へ向かう。

 今日も楽しくなりそうだ。


***


 廃坑の調査は順調だった。

 ピノに上空から丘陵地帯の全体を見てもらい、地表に露出している岩の種類と分布を確認。その情報をもとに、ノルに地中を区画ごとに潜ってもらう。

「ノル、東の区画。表層から順番に、岩の種類を教えて」

「……うえ。やわらかい。つぎ……かたい。しろい」

「白いか。石灰岩っぽいな。もう一段下は?」

「……くろい。きらきら、すこし」

 ノートに書き込む。これを区画ごとに繰り返す。ピノの上空データと照らし合わせれば、地下の構造がかなり見えてくる。

 こういう仕事が好きだ。三体の情報を頭の中で重ねて、見えないものの形を浮かび上がらせる。

 依頼の範囲は昼過ぎに終わった。報酬分の仕事は済んだけど、ノルがまだ元気だったので——少し、寄り道をした。

 廃坑の奥。依頼の範囲外。ノルに地中深くまで潜ってもらったら、面白いデータが取れた。深度ごとの岩質の変化が、東と西でまるで違う。何かがある。今日のところはここまでだけど、ノートに記録だけしておく。


***


 夕方、ギルドに戻ると空気がおかしかった。

 受付の前に冒険者が固まっている。声が大きい。怒鳴り合いではない。けれど、苛立った声がいくつも重なっている。

 その中心にいたのは、見覚えのある男たちだった。このギルドの上位パーティ。でかい狐を連れたリーダーと、同じくらい大きなうさぎを連れた女、もう一人も大型の狐——精霊の体がどれもルゥの四倍はある。喋り方も違う。「お気をつけください」「了解しました」。流暢で、丁寧で、指示への反応も速い。

 契約料だけで私の生活費が何回分か飛ぶような連中だ。

 そのリーダーの右腕が布で吊られていた。狐の方も、背中の毛が焦げている。

「何があったの」

 カイルに聞くと、声を落として教えてくれた。

「東の森の大型討伐です。ファングベアって呼ばれてる獣型——知ってます?」

「名前だけ」

「ここ半年くらい東の森に居着いてて、商隊の被害が出てたんです。それで討伐依頼が出たんですけど——」

 カイルが視線をパーティの方に向ける。

「三回目の挑戦で、三回目の失敗です」

 三回。あの連中が三回失敗した。

「精霊で正面からぶつけても仕留めきれないみたいで。森の地形を使って逃げるらしいんです。追い詰めようとすると暴れて木を薙ぎ倒す。精霊が怪我をして撤退——今回もそのパターンだったと」

 リーダーの男が受付の壁を殴った。どん、と鈍い音が響く。

「あの野郎、逃げ足だけは一丁前だ。こっちが追い込んでも方向変えやがる。パターンが読めねえ」

 パーティの女が首を振る。

「読めないっていうか、そもそも情報が足りないのよ。森が広すぎて、どこに逃げるか予測できない」

「だから力押しで仕留めるしかねえだろ。次はもっと——」

「もっと何? これ以上精霊を傷つけるの?」

 ぴり、と空気が張った。

 私は聞きながら、別のことを考えていた。

 パターンが読めない。情報が足りない。森が広すぎる。

 ——それ、調べればいいんじゃないか。

 戦う前に。精霊をぶつける前に。まず、あの獣がどこを通って、どこに逃げて、どこで寝ているのか。森のどこに何があるのか。全部調べて、全部並べて、全部比べれば——見えるものがある。

 ノルなら地中の痕跡を辿れる。ピノなら上空から森の構造を見渡せる。ルゥなら地上の細かい追跡ができる。三体を使い分ければ、あの森をまるごと読める。

 ——たぶん。

 胸の奥で、何かが跳ねた。

「あの」

 声を出していた。

 冒険者たちの目がこっちを向く。さっき掲示板の前でもそうだった。一瞬見て、すぐ逸れる——はずだったのに、今度は逸れなかった。

「私にやらせてくれませんか」

 沈黙。

 リーダーの男が私を見た。それから、肩の上のルゥと、腕の中のノルと、フードから顔を出しているピノを見た。

 どれも手のひらに乗るサイズだ。

「——は?」

 笑い声がひとつ。それが伝染して、周りにも広がった。

「お前、冗談だろ。その精霊で何すんだよ」

「調査です」

「調査? 討伐依頼だぞ」

「倒す前に調べたい。あの獣の行動パターンと、森の地形。それが揃えば——」

「揃えば、何だよ」

 男が腕を組んだ。吊られていない方の腕で。

「俺たちが三回突っ込んで仕留められなかったもんを、お前のその——何だ、手乗りの精霊で調べたら倒せるってか」

 周りがまた笑う。

 別にいい。笑われるのは慣れてる。

「倒せるかどうかはわからない。でも、今のまま力押しを繰り返しても同じ結果になる」

 男の目が細くなった。

 カイルが間に入った。

「——依頼の規定上、同時に複数パーティが受けることは可能です。リーネさんが調査名目で受けて、結果を共有する形なら問題ありません」

 さすがカイル、話が早い。

 リーダーの男がしばらく黙って、それから鼻を鳴らした。

「好きにしろ。ただし邪魔だけはすんなよ」

「しない。戦わないから」

「……戦わない?」

「うちの子たちは調べるのが仕事だから」

 ルゥが肩の上で胸を張った。ノルは丸くなって寝ている。ピノはフードに引っ込んだ。

 ——お前ら、もうちょっと頼もしい絵面にならない?

 まあいい。見た目はどうでもいい。

 明日から、東の森に入る。


***


 東の森は思ったより広い。

 入口に立って、まずピノを飛ばした。

「ピノ、上から森の全体を見て。端から端までどのくらいあるか、形はどうなってるか」

「……ん。いく」

 もこもこの体が飛膜を広げて、ふわりと浮いた。木々の隙間を縫って上昇していく。小さい体だから枝にぶつかる心配は少ないけど、高く上がりすぎると精度が落ちる。ノートを確認する。ピノの最適高度は木の天辺より少し上、それ以上だと細かいものが見えなくなる。

 しばらくして、ピノが戻ってきた。頭の上に着地する。

「……ひろい。みなみ、ながい。にし、がけ。きた、かわ」

「南に長くて、西側に崖、北に川か。東は?」

「……ひらけてる。もり、うすい」

 ノートに描く。森はおおまかに南北に長い楕円。西は崖で塞がれ、北は川。東は森が薄くなって開けた地形に出る。

 逃げるなら東か南。崖と川には向かわない。

「ピノ、もう一回。今度は森の中に獣道がないか見て。太い道だけでいい」

「……ん。ふとい。だけ」

 二回目の飛行。ピノの索敵は二回目まではほぼブレない。三回目から粗くなる。だから太い情報だけ先に取る。

 戻ってきたピノの報告と、さっきの地形を重ねる。獣道が三本。南東方向に二本、北東方向に一本。どれも太い。大型の獣が繰り返し通った跡だろう。

「ピノ、ありがとう。いったん休んで」

「……ねむい」

「寝ていいよ」

 フードに潜り込んで、すぐ寝息が聞こえた。回復は早い。

 次はノル。

「ノル、地中に潜ってほしい。獣道に沿って、地面の下に何があるか見て」

「……ちかく? とおく?」

「近くからでいい。この道に沿って、まず表層」

 ノルが地面に鼻をつけて、するりと潜った。うさぎなのに穴を掘る速さが尋常じゃない。しばらくして顔だけ出す。

「……ね。おおきい、ね。あっち、いってる」

「根が太いのか。木の根だね。その下は?」

「……いし。かたい」

「硬い石が浅いところにあるんだ。どのくらいの深さ?」

 ノルが耳を傾ける。角の芽がわずかに震えた。

「……あさい。ここ、あさい」

 ノートに記録。獣道沿いの地盤は浅い岩盤の上に薄い土。根が横に広がっている。

 これを区画ごとに繰り返す。森を東西南北に四分割して、それぞれの地盤と植生をノルに調べてもらう。


***


 二日かけて、森の地図ができた。

 地上の情報はピノ、地中の情報はノル。二つを重ねてノートに描き込む。ルゥには区画の境目を走ってもらって、地上の細かい痕跡——足跡、爪痕、毛、糞——を拾わせた。

「ルゥ、この区画に足跡あった?」

「……あった。おおきい。ふかい」

「深いか。体重があるんだな。方角は?」

「……みなみ。みなみ、いった」

「ありがとう。次、隣の区画も同じように」

「……ん。いく」

 尻尾を振って走っていく。ルゥは三体の中で一番足が速い。広い範囲を短時間で回れる。精度はノルに劣るけど、この仕事は精度より速度だ。

 三日目の夕方、ノートを広げて全部を並べた。

 見えてきた。

 ファングベアの行動パターン。日中は森の南側の窪地で寝ている。夕方から動き出して、北東の獣道を使って川沿いまで降りる。水を飲んで、そのまま南東の獣道から戻る。周回ルートだ。

 巣は南側の窪地。入口が二つあるけど、一つは崖の下で使いにくい。メインの出入口は南東向き。

 ここまではピノとルゥの情報で十分だった。

 問題はここからだ。ベテランたちが「パターンが読めない」と言ったのは、追い込んだときの逃走経路。通常の周回ルートとは別に、追い詰められると予測できない方向に逃げる——と、彼らは思っている。

 でも本当にそうか?

 ノルの地中データを見る。森の地盤は一様じゃない。西側は岩盤が浅くて根が横に広がり、足場が安定している。東側は土が深くて柔らかい。大型の獣が全力で走ったら、足が沈む。

 北は川。南は崖に近づくほど地盤がもろくなる。

 あの獣は地面の硬さで走る方向を選んでいる。足場がいい方へ、いい方へ。追い詰められたときに「予測できない方向」に逃げたんじゃない。足の裏が教えてくれる方向に逃げただけだ。

 つまり、地盤がわかれば逃走ルートが読める。

 ノルのデータがなければ見えなかった。ピノの上空情報だけでも足りない。三体のデータを重ねて初めてわかる。

 ——ノルとピノの連携、今回やばいな。相性が良すぎる。

 いや、今はそっちじゃない。集中しろ。

 もう一つ。ルゥが拾った足跡のデータで、面白いことがわかった。

 足跡の深さが均一じゃない。前足と後足で沈み方が違う。左右でも違う。右の前足がいつも浅い。

 かばっている。右前足の踏み込みが弱い。古傷か、関節の問題か。

 ということは、右前方向への反応が遅い。

 弱点は右前方。

 逃走ルートは地盤で読める。弱点方角もわかった。あとは——逃がさない仕組みを作ればいい。


***


 四日目。ギルドでカイルに地図を見せた。

「これ、全部リーネさんが?」

「ノルとピノとルゥが」

「……三体でここまで出せるんですか」

「出せるよ。聞き方を変えれば」

 カイルが地図を見つめる。行動パターン、周回ルート、地盤の硬さ、逃走経路の予測——全部書き込んである。

「右前方が弱い、っていうのは確かですか」

「ルゥが二日かけて足跡を七十以上拾った。全部深さを比べた。右前だけ一貫して浅い。かばってる」

「……なるほど」

 カイルが少し黙って、それから聞いた。

「これ、あのパーティに見せます?」

「見せる。ただ——見せるだけじゃ足りない」

 地図の南側を指す。ファングベアの巣がある窪地。

「逃走ルートを塞ぎたい。この獣は足場がいい方向に逃げる。だから足場を潰す」

「潰す?」

「ノルに地中の根を調べさせた。南東の獣道沿い、三ヶ所に大きな根が浅いところを走ってる。ここを崩せば地面が陥没する。陥没すれば足場が悪くなって、そっちには逃げられない」

「根を崩す……リーネさんの精霊で?」

「ノルだけじゃ力が足りない。ルゥと合わせればいけると思う。根を掘り出すのはノル、引っ張るのはルゥ。全部ぶち抜く必要はない。弱くするだけでいい。上を走ったら崩れる程度に」

 カイルが地図と私を交互に見た。

「北は川で塞がってる。西は崖。南東を潰して、東側の柔らかい地盤を残す。逃げるなら東に行くしかなくなる」

「東に追い込んで——」

「東の地盤は柔らかい。大型の獣が全力で走ったら足が沈む。速度が落ちる。そこに、右前方から仕掛ける。反応が遅い方向から」

「仕掛けるって、誰が」

「ベテランのパーティ。あの人たちの精霊なら、速度が落ちた状態で弱点方角からなら仕留められる」

 私の精霊は戦わない。戦えない。

 ただ、どこで、どう戦えばいいかは教えられる。


***


 翌日、ベテランパーティのリーダーにギルドで説明した。

「——で、南東のここを崩して逃走ルートを塞ぐ。東に追い込んで、右前方から仕掛ければ仕留められると思います」

 男は地図をじっと見ていた。

「……お前、これ全部あの手乗りの精霊で調べたのか」

「手乗りって言わないで。名前がある。ノルとルゥとピノ」

「名前——精霊に名前つけてんのか」

「つけちゃいけない決まりはないでしょ」

 男が鼻を鳴らした。でも、前みたいに笑いはしなかった。

「足跡の深さで弱点がわかるってのは、本当か」

「七十以上のサンプルで一貫してる。右前の踏み込みが弱い」

「……七十?」

「ルゥが二日走り回って集めた。あの子の追跡精度、このくらいの範囲なら信頼できる」

 男がパーティの女を見た。女がうなずいた。

「試す価値はある。少なくとも四回目の力押しよりはマシよ」

 男が地図に目を戻した。

「……わかった。お前の段取りでやる。ただし、俺たちが仕掛けるときにお前は下がれ。巻き込まれたらどうしようもねえからな」

「もちろん。私はここで見てる」

 ノートを掲げた。男の眉がぴくりと動いた。

「……お前さ、何でそんな楽しそうなんだよ」

「え? 楽しいけど」


***


 六日目。作戦の日。

 前日にノルとルゥで南東の三ヶ所を仕込んだ。ノルが根の構造を読んで弱い箇所を特定し、ルゥが根を噛んで繊維を緩める。見た目はほとんど変わらない。でも上を大型の獣が全力で走ったら、地面が抜ける。

 夕方、ファングベアが動き出す時間。

 ピノを飛ばす。巣の上空。

「……でた。みなみ、いく」

「南か。いつもの周回ルートだね」

「……おおきい。すごく、おおきい」

 ピノの声が少し震えていた。平気。あの子は調べるだけ。戦わなくていい。

 ベテランパーティが待機しているのは北東。ファングベアの周回ルートの途中にいる。

 計画通りなら、パーティが接触して追い込みが始まる。ファングベアは逃げる——足場のいい方向へ。南東の獣道に向かう。でも今日はそこが抜ける。足場が悪いと感じたら、次に向かうのは東。柔らかい地盤。速度が落ちる。そこへ、右前方から。

 ピノがリアルタイムで位置を伝えてくる。

「……きた。きた、いった。はやい」

「パーティと接触した?」

「……おおきい、こえ。——にげた。にげた、みなみ」

 南。想定通り。

「南東の道に入った?」

「……みなみひがし。はしってる——あ」

「あ?」

「……とまった。つち、くずれた」

 仕掛けが動いた。

「方向変えた?」

「……ひがし。ひがし、いった」

 東。柔らかい地盤。ここからだ。

 ノルが腕の中で耳を立てた。地面に振動が伝わっている。

「……おそい。あし、しずんでる」

 ノルにもわかるくらい、あの獣の足取りが重くなっている。

 ピノの声が上がった。

「……きた。おおきいの、きた。みぎ、から——」

 パーティが右前方から仕掛けた。

 遠くで、重い音がした。

 それから、もう一度。

 そして静かになった。

 ピノがしばらく上空で旋回していた。

「……うごかない。もう、うごかない」

「——終わった?」

「……おわった」

 私は仕留めていない。精霊が与えたダメージは、たぶんゼロに近い。ノルが掘って、ルゥが噛んで、ピノが見た。それだけだ。

 でも、あの獣はもう動かない。

 ノートを開く。今日のデータを書き込む。

 ピノの索敵、リアルタイム追跡でも三回目まで精度が落ちなかった。上空からの動体追尾は静止物の索敵とは別カテゴリかもしれない。これはでかい発見だ。あとで条件を変えて再検証したい。

 ノルの振動感知。地面越しに大型獣の足取りの変化を読み取れた。今まで試したことがなかった。角の芽が成長したら、もっと精密になるかもしれない。

 ルゥの根への噛みつき。破壊力は低いけど、ノルの分析と組み合わせれば構造の弱点を突ける。こっちのデータも残しておきたい。

 ——ノルとピノの連携、やっぱりやばい。地中と上空のデータを同時に取れるのがこんなに強いとは思わなかった。今回のログ、全部数値化してノートに——

「おい」

 ベテランパーティのリーダーが戻ってきた。狐の背に乗って。

 狐の背中に傷はない。今回は無傷だ。

「仕留めたぞ」

「お疲れ様でした。怪我は」

「ない。——お前の言った通りだった。右前方からだとまるで反応が違った」

 男が私を見た。前とは違う目だった。

「……お前、何者だよ」

「何者って。見ての通り、低ランクの調査屋ですけど」

 ルゥが肩の上で胸を張った。ノルは腕の中で角の芽を私の手に押しつけている。撫でてほしいらしい。ピノはもうフードの中で寝ている。

 ——お前ら、せめて勝利の場面くらいシャキッとしてくれない?

 まあいい。この子たちはこれでいい。


***


 翌日のギルドは、空気がまるで違っていた。

 入った瞬間に視線が集まる。いつもの「見て、逸れる」じゃない。見て、逸れない。

「おい、あれだろ。ファングベアの」

「手乗りの精霊三匹で討伐依頼こなしたっていう——」

「討伐したのはグレンたちのパーティだろ」

「でも段取り全部あの子が組んだって話だぞ」

 面倒くさい。

 掲示板に向かう。今日の新着を見たいだけなのに、道を空けられる。昨日まで気にもされなかったのに。

「リーネさん」

 カイルが受付から手を振った。報酬の精算だ。

「ファングベアの件、報酬が出てます。グレンさんのパーティと折半になりますけど——調査の貢献分として、ギルド判定で四割ついてます」

「四割? 多くない?」

「グレンさんが『段取りがなければ仕留められなかった』と報告書に書いてくれたので」

 あの人、そんなこと書いたのか。

「あと、ランクの昇格審査が通りました。これで中位です」

「……ああ、うん」

「嬉しくないんですか」

「いや、別に。ランクが上がると受けられる依頼が増えるんでしょ? それはいい」

 カイルがまた笑った。この人はよく笑う。

 報酬を受け取ってノートにメモしていると、後ろから声がかかった。

「よお」

 グレンだった。右腕の布はもう外れている。隣に狐を連れていた。背中の焦げ跡が薄くなっている。手入れしたんだろうか。

「——ちょっと聞きたいことがある」

「何ですか」

「お前のあの調べ方。地面の下と上の情報を重ねて、逃走ルートを読むやつ。あれ、俺たちにもできるか」

 意外だった。この人、力押し一辺倒かと思ってた。

「できると思います。やり方を変えればいいだけなので」

「教えてくれ」

「いいですよ。まず、精霊に指示を出すとき、範囲を——」

 ノートを開いた。区画分割の考え方、指示の出し方、データの取り方。説明し始めたら止まらなくなった。

「——で、同じ指示を三回出してブレ幅を見るんです。ブレが大きい場合は範囲を狭めてもう一度。精霊の種族と体格による差は今のところデータが足りないんですけど、少なくとも同じ種族なら指示の精度で結果が変わるのは確実で、たとえば『あっちを調べろ』だと精度が四割くらいまで落ちるんですけど、方角と距離を指定するだけで七割に上がって、さらに対象を限定すれば九割近くまで——」

 グレンの目がだんだん遠くなっている。

「——それを三体で同時にやると情報の層が増えるんですけど、組み合わせのパターンが膨大で、今の私のデータだとまだ最適解が——」

「わかった、わかった。ストップ」

 グレンが手を上げた。

「……悪い。半分も理解できてねえ」

「え、どこからですか。区画分割のところからもう一回——」

「いや、もういい。お前だからできるんだよ、あれは」

 そう言って背を向けた。狐が小さく「失礼します」と頭を下げて、主人のあとをついていく。

 ——何だよ、途中なのに。

 ルゥが肩の上で私の頬を尻尾でぱたぱた叩いた。慰めてるのか、からかってるのか。


***


「リーネさん」

 カイルが受付越しにこちらを見ていた。一連のやり取りを全部聞いていたらしい。

「何」

「ファングベアの調査、最終日のピノの索敵データってまとめました?」

「まとめたよ。動体追尾のほうが静止物索敵より持続回数が多かった。追いかける対象がいるとピノの集中が続くみたいで——」

「やっぱり。報告書の数値見て気になってたんです。前回の依頼と比べて、ピノの索敵回数と精度の相関が変わってません?」

 足が止まった。

「——待って。あなた、前回の報告書の数値覚えてるの」

「全部は覚えてないですけど、リーネさんの報告書はデータが多いので、印象に残るんです。今回のピノの数値と前回を並べたとき、落ち方のカーブが違うなと」

 この男、何なんだ。

 ギルドの受付係が、精霊の索敵精度の減衰カーブの話についてくる。しかも私の過去データと比較して。

「……あなた、話が通じるね」

「ありがとうございます」

「褒めてるかどうかは微妙なところだけど」

 カイルがまた笑った。

 ノルが腕の中で耳を動かした。ピノがフードの中でもぞもぞしている。ルゥの尻尾がゆっくり揺れている。

 三体とも、落ち着いている。こいつらは人を見る目がある——というか、敵意がない人間の前だとすぐのんびりする。

「カイルさん、一つ聞いていい?」

「何でも」

「あなた、毎日大量の依頼報告を見てるでしょう。他の冒険者の精霊の使い方と、私の使い方、何が違うと思う?」

 カイルが少し考えた。

「他の方は——精霊を、強い道具として使ってます。強い精霊に大きな仕事を任せる。それが当たり前で、誰も疑ってない」

「うん」

「リーネさんは、精霊と話してます。聞いて、返して、また聞いて。道具じゃなくて、会話の相手として使ってる。——使ってるって言い方も変ですけど」

 カイルの言葉が、妙に刺さった。

 精霊と話す。聞いて、返して、また聞く。

 ——そうだ。私がやっていることは、ずっとそれだ。

 ノルにどう聞けば正確な答えが返ってくるか。ピノにどこまで任せて、どこで切り替えるか。ルゥの速さをどの場面で活かすか。全部、この子たちとの会話の中で見つけてきた。

 でも、この世界で同じことをしている人を、私は見たことがない。

 みんな、精霊に「やれ」としか言わない。それで動くから疑問を持たない。強い精霊に金を払って、雑な指示で力押しして、それが精霊の使い方だと思っている。

 ——おかしくないか、それ。

 精霊はもっとできる。もっと正確に、もっと賢く動ける。聞き方を変えるだけで。組み合わせを変えるだけで。私のノートにはその証拠がいくらでもある。

 なのに誰もやらない。誰も気づかない。

 この世界の精霊の使い方は——根本から、間違ってるんじゃないか。

 大きなことを考えている自覚はある。でも、データは嘘をつかない。

「……リーネさん?」

「——ごめん、考え事してた」

「すごく楽しそうでしたけど」

「楽しいよ。次の依頼、何かいいのない?」

 カイルが掲示板を指差す。新しい依頼書が一枚、追加されていた。

 内容を読む。北の山岳地帯で大規模な地形調査。報酬が高い。でもそれより——対象範囲が広い。今までの依頼の倍以上ある。ピノの広域索敵、ノルの精密調査、ルゥの地上走査。三体をフルに使って、もっと大きな地図を作れる。組み合わせのパターンもまだ試していないものがある。

「……これ、受けていい?」

「どうぞ。リーネさんの新しいランクなら受けられます」

「ランク上がったの、初めて役に立った」

 ノルを抱き上げた。角の芽を指で撫でる。

「次はもっと広い場所だよ。楽しくなるよ」

「……ん。たのしい。すき」

 ノルが何を好きなのか、正確にはわからない。広い場所が好きなのか、潜るのが好きなのか、私と一緒にいるのが好きなのか。

 でもまあ——わからなくても、いい。

 ルゥが尻尾を振った。ピノがフードから顔だけ出した。

「……つぎ。やま?」

「山。いっぱい飛ぶよ」

「……ねむい」

「知ってる」

 三体の精霊を連れて、掲示板の前を離れる。

 できることは、まだまだある。


【完】

------------------------------------------------
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作は、長編連載を視野に入れた読切作品です。  
もし「この続きが読みたい」と思っていただけましたら、ぜひ【お気に入り】や【感想】をお願いいたします。 
皆様からのリアクションを投票として受け取り、反響次第で【長編連載化】を決定いたします。 

★前作も同じ形で皆さまの声をいただき、長編化に至りました。 
『帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~』  
(連載中・ついにあの謎が判明する山場なので、追いかけるなら今がオススメです)

皆さまの反応が、この物語の続きを作ります。 
読切を他にも投稿していますし、連載中の作品も作者ページから読めますので、ぜひご確認ください。
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