【第一部完結】科学で興す異世界国家

Lihito

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33話:逆転

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西部、リアンの屋敷。

「バーゴ子爵が、正式に西部につきました」

報告を聞いて、リアンは静かに頷いた。

「そうか」

「アルカスに直接出向いて、縁を切ると宣言したそうです」

「……律儀なことだ」

窓の外を見る。
空は晴れ渡っていた。

バーゴの獲得で、アルカスの商業基盤は崩壊する。
ベルンという出口を失えば、あの領地は干上がるしかない。

「商路の締め付けを強化しろ」

「はっ」

「止めを刺す。アルカスには一切の物資を通すな」

「承知いたしました」

男が退出した後、リアンは椅子に深く腰掛けた。

(所詮、ここまでか)

正直、もう少し手応えがあると思っていた。
フェルゼン侯爵やゼクス辺境伯を味方につけた手腕。
あの技術力。あの成長速度。

だが、結局は辺境の小領主に過ぎなかった。
経済戦という土俵に引きずり込めば、この程度だ。

「……次はヴァリウス兄上だな」

呟いて、リアンは次の書類に手を伸ばした。

王位継承まで、あと一年と少し。
アレンは脱落した。残る敵は、一人だけだ。

***

同じ頃——ベルンの市場。

「おい、染料はどうした!」

「蒸留酒が入ってこないぞ!」

商人たちが、問屋の前で声を上げていた。

「知らん! うちにも入ってこないんだ!」

「馬鹿な、先週まで普通に仕入れられたじゃないか!」

「だから知らんと言っている! 仕入れ先に聞いても『もう卸せない』の一点張りだ!」

市場は混乱していた。

ここ数週間で爆発的に売れていた染料と蒸留酒。
それが、突然止まった。

「客が待ってるんだぞ! 予約も入ってる!」

「こっちだって同じだ! どうしろってんだ!」

怒号が飛び交う中——。

「あら、困ってるねえ」

一人の女商人が、悠々と荷車を引いていた。

赤毛のポニーテール。琥珀色の瞳。
ミーシャだった。

「お、おい、ミーシャ! お前、染料持ってるのか!?」

「ん? ああ、これ?」

荷車には、鮮やかな青の布が積まれていた。

「売ってくれ! 頼む!」

「いやあ、悪いね。これはもう売り先が決まってるんだ」

「金なら出す! 倍出す!」

「倍ねえ……」

ミーシャは肩をすくめた。

「悪いけど、無理だよ。あたしも仕入れ先との約束があるんでね」

「仕入れ先? どこだ! 教えてくれ!」

商人たちがミーシャを取り囲んだ。

ミーシャは、少し困ったような顔をした。

「……まあ、最近知ったんだけどさ」

「なんだ、早く言え!」

「この染料と酒、アルカス製らしいんだよね」

沈黙が落ちた。

「……アルカス?」

「そう。あの辺境の」

「馬鹿な。アルカスは石炭と鉄だけだろう」

「あたしもそう思ってたんだけどねえ。どうやら新しく作り始めたらしくて」

ミーシャが肩をすくめた。

「で、ベルンの領主様がアルカスの殿下を切ったじゃない?」

「ああ……」

「それに怒って、ベルンの商人には卸さないって言ってるらしいよ」

商人たちの顔が青ざめた。

「そ、そんな……」

「まあ、あたしはアルカスを拠点にしてるから関係ないんだけど」

ミーシャが荷車を引き始めた。

「あ、待て!」

「なんだい」

「俺たちは……俺たちはどうすればいいんだ」

ミーシャは振り返った。

「さあねえ。でも、聞いた話だと——」

少し間を置いて、続けた。

「アルカスを拠点にする商人なら、受け入れてくれるらしいよ。『来る者は拒まない』って、殿下が言ってたとか」

商人たちが顔を見合わせた。

「……アルカスに、行くのか?」

「あたしは強制しないよ。ただ、選択肢を示しただけさ」

ミーシャは笑って、去っていった。

***

それから数日。

アルカスには、続々と商人が訪れていた。

「よ、よろしくお願いします……」

「ああ、歓迎する」

俺は一人一人と面談し、条件を説明した。

「うちを拠点にしてくれるなら、染料と蒸留酒を優先的に卸す。ただし——」

「ただし?」

「ベルンでは売らないでくれ。他の街なら構わない」

商人たちは少し躊躇したが、すぐに頷いた。

「……分かりました」

「よろしく頼む」

当然だ。
ベルンで売れなくても、他で売れる。
そして、この品質の商品を扱えるのは、うちの商人だけ。

(リアン兄上がやったのと、同じことだ)

「こちらの方が条件がいい。来るなら歓迎する」

人材の引き抜き。
やり返しただけだ。

***

ベルンは、急速に干上がっていった。

商人がいなくなれば、物が流れない。
物が流れなければ、経済が回らない。

「バーゴ様、市場の売上が激減しております!」

「商人たちがアルカスに流れています!」

「住民からも不満の声が——」

バーゴは、執務室で頭を抱えていた。

「な、なぜだ……なぜこうなる……」

つい先日まで、勝ち誇っていたはずだった。
アレンを見下ろして、溜飲を下げたはずだった。

それが、一週間で逆転した。

「あ、あの小僧……!」

バーゴは拳を握った。

「許さん……許さんぞ……!」

だが、打つ手がない。

リアンに泣きついても、「商人の問題は自分で解決しろ」と言われるだけだろう。
いや、そもそも——。

(西部につくと言った手前、今さら……)

バーゴは歯を食いしばった。

選択肢は、一つしかなかった。

***

数日後、アルカス領。

「殿下、バーゴ子爵が再びお見えです」

セバスの報告に、俺は笑った。

「へえ。今度は何の用だ?」

「『お話がしたい』と。かなり憔悴しているご様子で」

「そうか。——通せ」

***

謁見の間。

バーゴは、前回とは別人のようだった。

肩を落とし、目は落ち窪み、顔色は土気色。
あの傲慢な態度は、どこにもなかった。

「あ、アレン殿下……」

「やあ、バーゴ子爵。どうした、顔色が悪いぞ」

「そ、それは……」

バーゴが膝をついた。

「お、お許しください……! 先日の無礼、深くお詫びいたします……!」

俺は黙って見下ろした。

「許す? 何をだ?」

「わ、私は……私は間違っておりました……! どうか、もう一度……!」

「もう一度?」

俺は首を傾げた。

「確か、『西部につく』と言っていたな。『より強い方につく』と」

「そ、それは……」

「『貴様のような小僧に頭を下げていられるか』とも言っていたな」

バーゴの顔が引きつった。

「『せいぜい辺境で朽ち果てろ』——だったか?」

「あ、あれは……その……」

「随分と威勢が良かったじゃないか」

俺は一歩、前に出た。

「で、今日は何をしに来た? また俺を見下ろしに来たのか?」

「ち、違います……! お願いです、どうか……」

「どうか、何だ?」

「商人を……商人を戻してください……! このままではベルンが……!」

俺は鼻で笑った。

「知らんな」

「そ、そんな……!」

「商人たちは自分の意思でアルカスに来た。俺は何も強制していない。『より良い条件を示しただけ』だ。——誰かさんと同じようにな」

バーゴの顔から、血の気が引いた。

「お、お願いです……何でもしますから……」

「何でも?」

バーゴが必死に頷く。

俺は腕を組んで、しばらく黙っていた。

「……帰れ」

「え……」

「帰れと言っている。お前と話すことは何もない」

「そ、そんな……!」

「お前は『西部につく』と言った。なら、西部に助けを求めるのが筋だろう」

俺は背を向けた。

「リアン兄上は慈悲深い方だ。傘下の者を見捨てたとあっては、沽券に関わるだろうからな」

「で、ですが……」

「それとも何か? 俺に土下座すれば許してもらえると思ったのか?」

振り返らずに言った。

「甘いな、バーゴ子爵。——俺は、お前ほど優しくない」

「あ……あ……」

「セバス、お帰りいただけ」

「はい。——バーゴ子爵、こちらへ」

バーゴが引きずられるように退出していった。

泣き声が、廊下に響いていた。

***

バーゴが去った後。

俺は窓の外を見た。

「……殿下」

セバスが声をかけてきた。

「なんだ」

「見事な手際でした。ですが——バーゴ子爵は、本当にリアン殿下に泣きつくでしょうか」

「泣きつくさ」

俺は笑った。

「あの豚に、他の選択肢はない。俺に追い返された以上、リアン兄上にすがるしかない」

「なるほど」

「そして、兄上は——」

俺は窓の外を見た。

「味方を見捨てることは、できない」

バーゴはリアンの傘下だ。
リアンがアルカスを締め付ければ、自分の傘下が困る。

締め付けを緩めれば、俺が息を吹き返す。
締め付けを続ければ、バーゴが死ぬ。

どちらを選んでも、リアンは損をする。

「罠は、完全に閉じた」

俺は静かに言った。

「あとは、兄上がどう動くか——だな」
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