悪役令嬢より悪役な〜乙女ゲームの主人公は世界を牛耳る闇の黒幕〜

河内まもる

文字の大きさ
18 / 49

17 刎頸の友(ケヴィン視点)

しおりを挟む
 両想い━━ハンナ嬢のひとことに、私の感情は動転した。まさか、そんなはずはない。ディーが、あのディーが?

 卓の前の椅子に座ったディーが、ひどく不安げな眼差しで私を見つめている。その表情に、3年前のディーの姿が重なった。そうだ、あれは私たちがまだ互いに12歳だったときのことだ。

 私は当時もいまも、帝城、皇宮に出入りできる、数少ない子どもだ。ふつう、貴族といえど役職もなく、皇帝陛下のお召もなしに帝城に入ることはできない。だがバルツァー家をはじめ、いくつかの貴族にはそれが許されていた。バルツァー家が特別待遇を受けていたのは、もちろん『皇帝陛下の剣』だからだ。

 他にも親衛隊や侍従の家族などがこれにあたるのだが、私は、そういった貴族の子弟たちのなかで、とくに将来、武にたずさわることになる幾人かとともに、帝城のなかで剣の修行を受けていた。そして私は━━面映おもはゆいことだが『神童』と呼ばれていた。

 たしかに剣の腕には自信があった。

 10歳になるころには、たいていの近衛騎士を剣で打ち負かしていたし、12歳になると騎士団の訓練の名目で、帝都の外で行われる魔獣狩りに随行した。私がそのとき狼を一匹、斬り殺したことが、貴族たちの間で評判になった。

 魔獣ではない単なる狼だったのだが、たしかに12歳の子どもがやることではなかったように思う。俊敏で獰猛な野生の狼を狩るとなれば、大人の騎士でさえ手こずるだろうから。

 ケヴィン・バルツァーは『神童』だ━━噂が独り歩きしはじめたのは、このころからだ。いずれ頼もしい皇帝陛下の剣となって、朝敵をことごとく打ち払うだろうと。

 お笑い草だろう。この平和な時代に、朝敵などというものがどこにある。こちらから魔王国に戦争をしかけないかぎり、私がいかに剣を研ぎ済まそうと、それを抜く機会などありはしないというのに。

 だがこの噂はひとりの少年を妬ませた。もうわかるだろう?そう、ディートハルト・フォン・ヴァイデンライヒだ。

 ディーは誇り高い男だ。自分が剣の腕で、同い年の少年の後塵こうじんを拝していることは、認めがたかっただろう。また、それだけの才能をディーはもっている。彼は才能の塊なのだ。私は剣だけだったが、ディーは学問や芸術やギャンブルの駆け引きや、あらゆる分野で一流を極める能がある。その能力をささえているのが、負けず嫌いなディーの性格だ。

 そして同時に、いまも昔も素直すぎるディーは、皇宮の内外で吹聴してまわった。

「なにが神童だ」

「俺が皇族でなければ」

「魔獣狩りに随行していれば」

「俺ならケチな狼なんかじゃなく魔獣を斬っていた」

「ケヴィン・バルツァーなどより、俺のほうが強い」

「ケヴィンは俺と勝負しろ!」

 挑発するようなディーの発言に、皇宮の内外はざわめいた。ディーもまた剣の腕に冴えがあることはよく知られていたからだ。大人気ない貴族たちは、まるで見世物でも楽しむような気軽さで、私とディーの試合を望んだ。

「ケヴィンくんは殿下に勝つ自信がおありかな?」

「殿下は剣術指南役をうならせるほどの天才だというではないか」

「いずれにせよ美しい少年剣士同士の決闘だ━━ぜひ特等席で見届けたいものだ」

 日に日に決闘を望む声が高まる中、私は屋敷にひきこもるようになった。1度皇宮で、剣を持って私を探し回るディーから逃げまわったこともある。私は思ったよりも自分が冷めた人間であることを自覚せざるをえなかった。ディーと私、どちらが強いかと聞かれれば、試してみたい気持ちはたしかにある。けれどそれでも決闘を避ける私は、思ったよりも剣にかける気持ちが薄い人間だったのかもしれない。

 そんなある日、屋敷の使用人たちがそろって私の居室を訪ねてきた。そして執事がみなを代表して言った。

「失礼ながら私どもは、ケヴィンさまこそが帝国最強と信じております」

「まさか。私は父上に遠く及ばない」

「いいえ、ケヴィンさまがいずれは旦那さまを超えること、私は疑っておりません。ですが━━」

 そこで使用人たちの表情が暗くなる。

「ですが近ごろのケヴィンさまのなさりようはなんですか。ディートハルト殿下の挑戦、なぜお受けになりませぬ。私たちは、最強と信じるケヴィンさまが、腰抜けのように殿下から逃げまわり、あげく屋敷にひきこもるありさまを━━正直に申し上げますが、情けなく思っているのです」

 使用人たちの中には、すすり泣きをしているものまであった。自慢に思っていた主が、挑戦者からこそこそ逃げ回っている姿が、よほど悲しかったのだろう。失望したのだろう。私は思わずため息をついた。

「…ではひとつ訊ねよう。ディートハルト殿下と狼と、どちらが恐ろしいと思う」

「それは━━」

 執事が言葉をつまらせた。彼らは私が狩った狼の死体を見ている。剥製になって屋敷に飾られているからだ。あれと12歳の子ども、比べようもないだろう。

「狼のほうが恐ろしい。当たり前だ。あれは私を殺そうとかかってきた。だけど私は、に立ち向かったぞ」

「ではなぜ」

「皇帝陛下の剣と、護るべき皇族が醜く争って良いはずがない」

 私の言に、執事がはっとした。

「殿下と争って私が勝てば、帝室の顔に泥を塗る。殿下が勝てば、近衛騎士団が侮られる。私個人のことはどうでもいいんだ。それよりも、帝国と帝室のことを考えなければならない」

 とたんに使用人たちが滂沱ぼうだの涙を流した。

「12歳のケヴィンさまが、それほど深く帝国のことをお考えであったとは。やはり、やはりケヴィンさまは尊敬に値する主でございましたっ…」

 しかしやはり私は未熟だったのだ。この一件から数日後、使用人の口からことの顛末てんまつが漏れ伝わり、貴族社会で評判になってしまったからだ。私は使用人たちに口止めしておくべきだった。

 そしてさらに数日後。

「け、ケヴィンさま、ディートハルト殿下がケヴィンさまを訪ねてまいりましたっ」

 私室で剣を磨いていた私に、執事が大慌てで知らせてきたのだ。私は頭をバリバリかいて、うなるしかなかった。

「皇族がわざわざ臣下の屋敷にお運びくださったのだ、会わないわけにはいかないだろうな…」

 いよいよ決闘に応じるしかないのだろうか。私は重い腰をあげて、屋敷の応接間に向かった。だが、扉を開けた瞬間に私は息を呑んだ。

 応接間の窓からさす陽射しが、に反射してきらめいている。まだ未成熟な身体にがからみついている。私に気づいたディーが、アメジストの瞳に不安げな色をたたえて言った。

「ケヴィン、俺は自分が恥ずかしい」

「殿下、なにを…」

「貴様が天下国家のことを考え、ずっと屈辱をこらえていたというのに、俺はその心もわからず、自分の嫉妬心から、貴様に非礼な挑発を続けてきた」

 だとして、これはいったいなんなんだ。私は混乱した。なぜディートハルト殿下は、上半身をはだけて、むちをその身体に巻きつけているのだ。そもそも皇族が冷たい床の上に座して、私に頭を下げているということが、ありえない事態だった。

「殿下、ひとまずソファにおかけになってください」

「いいや、ケヴィン。俺はこれで良いのだ。そんなことよりも、俺は貴様の心を慰めたい。あるいは慰めにもならんかもしれんが、このの鞭で、心ゆくまで俺を打ってくれ!」

「殿下を鞭打つ!」

「そうだ。それで貴様は、このかんの屈辱を晴らしてくれればよい」

 馬鹿げている━━そう思いつつも、私はゴクリと生唾を飲んでいた。この白い肌を打つ。の鞭で傷つける。苦痛に歪んだディーの表情が脳裏に浮かんだ。美しい顔だ。銀の髪と紫水晶の瞳に彩られた、その顔が…。

 幼かった私には、自分自身の異様な昂ぶりが、いったいなんなのかわからなかった。だがいまならわかる。私はあのとき、ディーの姿に欲情していたのだ。いまなお鮮烈に焼きついた記憶。あの日のディーは、ひどく艶かしかった。私はまるで変態じじいだ。美少年の白い肌を鞭打つことを想像して、悦びを感じるのだから。

 だが━━そもそもディーが悪いのだ。彫像のように整ったディーの容姿で、上半身をはだけて、おまけに鞭打てなどと。あれで目覚めない人間がいたら、そのほうが異常なくらいだ。正常だった私の感覚は、あのとき完全に狂ってしまった。

 それでも幼い私は、せいいっぱい頑張ったと思う。強烈な欲望を抑え込んで、私はひざまずき、ディーの衣服を整えた。

「殿下、わ、私はなんとも思っていません。皇族ともあろうものが、臣下に対してなんということをおっしゃるのです」

「だが━━」

「良いのです。それよりも、殿下のお心の清冽なこと、私は心をうたれた思いです」

 だから私は━━ディーをその場に立たせて、自分はもう1度ひざまずいた。

「これよりケヴィン・バルツァーの剣は、殿下のためにのみ振るわれます」

 あの眩しいほどの肢体を手に入れたくて。ディーを自分だけのものにしたくて。

「殿下のもとを片時も離れることなく、いかなるときも裏切ることなく、身命と忠誠を捧げ奉る」

 私は戸惑うディーを前に、騎士の誓いをたてた。近衛騎士団は皇帝陛下にのみ騎士の誓いを捧げねばならない。だから私は、バルツァー家の当主として、近衛騎士団長を継ぐものとして、このとき資格を失った。それでもなお手に入れたいものがある。

「私は殿下になら、くびねられても悔いはございません」

「よかろう、その忠誠を受けよう。俺も誓う。俺が主として不適格だと判断したら、ケヴィン、貴様が俺のくびねよ」

 このときのやりとりは、のちに『刎頸の交わり』として知られるようになる。だが私には、忠誠心だなんて神聖なものはありはしないのだ。ただディーを手に入れたくて、欲望のままに行動しただけだった。

 そしていま━━私はなお不安げに私を見つめるディーの顔にそっと手を添える。


しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました

もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~

紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。 「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。 だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。 誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。 愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。

「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)

透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。 有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。 「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」 そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて―― しかも、彼との“政略結婚”が目前!? 婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。 “報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

処理中です...