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18 好悪(ディートハルト視点)

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 頬に添えられたケヴィンの手のひらに熱っぽさを感じた。俺の心が、この男のたくましい身体に、を求めるようになったのはいつからだろう。

 どれほど食べても背丈の高さを追い越せなくなった。剣を振っても腕の太さでかなわなくなった。剣技の高さではるか高みをゆかれた。言葉や態度が俺と違って大人びていた。そして━━いつしか俺は、ケヴィンに挑戦することをやめてしまった。同い年のはずなのに、10ほども歳が違うような気がする。俺とケヴィンは親友で、主従だ。それなのに、どこか憧憬のような━━幼子が父の背中に憧れるような思いを抱きはじめていた。

 ケヴィンはいつも俺の隣にいてくれる。

 俺の世話を焼いてくれる。

 俺をたすけてくれる。

 俺を護ってくれる。

 喜びも悲しみも、共にわかちあってくれる。

 それで充分だ。親友で主従なのだとしたら、それ以上はなにも望みようがない。だとしたら、俺はいったいなにをケヴィンに求めているのだろう。

「ケヴィン、その手をどけろ」

 いつまでも頬に添えられた手から、伝わるぬくもりが、俺を落ち着かなくさせる。腹のあたりがふわふわする。ケヴィンは命令どおりに手をどけた。

「さっきの━━ハンナの言っていることは世迷言だ。俺に特別な感情などない…はずだ」

 思わずケヴィンから目をそらした。しまった、と思ったがもう遅い。俺は嘘をつくのもつかれるのも苦手で、だからエリーゼの吐く愛の言葉にひそんだ偽りをすぐに見抜けたのだが、こうして自分で自分を偽ろうとすると、なにもかも態度に出てしまう。

「おまえ、私のことが好きなのか?」

「ちが━━わない、こともない」

「どっちだ」

 彫りの深い顔立ちの奥、額の影にあるブラウンの瞳で見つめられると、俺の感情はめちゃくちゃになってしまった。

「わ、わからん。俺にはなにもわからんのだ!」

「…わからんって、そんな、子どもじゃあるまいし━━ああ、そういえばそうか」

「納得するなっ、貴様、俺が子どもだと言いたいのか!」

「違うのか?」

「ち、がわない、かもしれない」

 自分でも思う。いつまでたっても子どもっぽいこの性格をどうにかしたいと。だがそれについてはケヴィンが悪いのだ。俺が大人になるチャンスをことごとく奪ってきたのはケヴィンだ。こいつは俺がつまづきかけるたび、いつも涼しい顔をしてたすけてくれる。

 いまもこうして━━。

「だったら子どものおまえにも、わかりやすくしてやる」

 そう言ってケヴィンは俺の腕をとった。牛1頭をたやすく抱えあげるというケヴィンの膂力りょりょくだ。俺の身体がふわりと宙に浮いた。そしてすっぽりとケヴィンの腕の中に収まった。俺とケヴィンの背丈は頭ひとつ以上違う。そしてケヴィンは俺の耳元にささやきかけた。

「いまから私のやることが、嫌だったらそう言え。好悪の判断だ、0歳児でもできる」

「貴様、俺を乳児あつかいするのか」

「…こうして私に抱かれるのは嫌か?」

「いや、ではない、が…」

「が?」

「や、優しい声でささやくなっ。さっきから腹のあたりがムズムズするのだ!」

「嫌なのか?」

「…誰もそんなこと、言っていないであろう!」

 するとケヴィンめ、調子に乗って俺の耳に唇を這わせた。背筋がぞくぞくし、腰砕けになりそうな俺を、ケヴィンのたくましい腕が支える。

「可愛いやつだ」

「なにを━━」

「自分ではわからないだろう、おまえ、いま顔が真っ赤になっているぞ」

 言いながら、俺の胸もとから喉までを指でなぞり、ケヴィンは最後にあごに手を添えた。そして不遜にも俺の唇を奪ったのだ。

 ケヴィンの腕の中で、自分の身体が溶けていくような気がした。多幸感でどうにかなってしまいそうだった。そのままどれくらいの間、口づけを続けただろう。ケヴィンはしまいに俺の唇を舐めて、ようやく口づけを終わらせた。

「とろけた顔をして━━もう聞くまでもないな?」

「なに、が…?」

「もう、わからないとは言わせない。私は我慢できそうにない」

 ケヴィンが俺を抱きかかえた。そして教室にある机の上に横たえさせると、俺のシャツのボタンをひとつずつ外しはじめた。

「け、ケヴィン、貴様、なにをするつもりだ!」

「ここまでくれば、わかるだろうに。この、非童貞が」

「おろかもの!あれは侍女の気まぐれで…」

「気まぐれだろうとなんだろうと、私よりも先にこの肌の感触を味わったことが許せない。私がどれだけ我慢したと思ってるんだ。だけじゃないぞ。ディー、おまえは子どもみたいに、どこでも簡単に肌をさらす。帝城の訓練場で、おまえが上着を脱いで汗をぬぐいだしたときは、思わず押し倒しそうになったものだ」

 そんなこと、知るか!言いかけた俺に、ケヴィンは覆いかぶさってふたたび唇を奪う。そして情熱をたたえた瞳で見つめながら、こう訊くのだ。

「嫌か?」

 俺はもう、答える必要を認めなかった。
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