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37 救助(エリーゼ視点)

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 私には奇妙な確信があった。自分がハンナに愛されているという確信だ。だから別離を味わったあとも、失恋の不安を感じることはなかった。どういう理由があるにせよ、ハンナは私への執着を捨てられない。

 だから私が、他の誰とも結ばれることなくいる限り、ハンナは私の人生への介入をやめないだろう。ハンナ自身が業を煮やして出てくるまで、私は何年でも何十年でも独り身でいるつもりだった。

 そしては唐突に現れた。

 学園からアードルング家のお屋敷に帰宅し、自室に引き取った直後のことだった。

「エリーゼさま」

 突然の男の声に、私は飛びあがって驚いた。すると私の目の前で、黒い影がふくらんだ。それは黒い装束をまとった獣人の男だった。

「失礼をいたします。私は━━」

「フリッツどの、でしたかしら」

「名を覚えていただき、恐悦至極」

 ハンナのことだったら、私はなんでも覚えているし、なんでも知りたい。もし私が彼女のように、独自の諜報機関を私有していたら、24時間ハンナを監視して、その生活を報告させていただろう。

「それで━━ハンナが私になにか?」

 あえて泰然とした態度をつくる。恋は駆け引きだ。私がハンナと対等であろうとするなら、彼女に都合のいい女であってはいけない。私を簡単に手放したことを、ハンナには後悔してもらわなくちゃ。

 …そう考えていられたのも、フリッツの次のセリフを聞くまでだった。

「ここに参ったのは私めの独断でございます。もはやエリーゼさまにおすがりするよりほか、ないのです。エリーゼさま、どうか御前さまをお救いくださいますよう」

「は、ハンナの身になにか…!」

 私は演技も忘れてフリッツに問うた。フリッツはかすかに首をふる。

「わからないのです。正確なことはなにも。ただ、御前さまのお命が危ないということだけしか」

「…わからないとはどういうことです。フリッツ、あなたはハンナを護衛する役目ではなかったのですか」

「私を含め、裏影はすでに、御前さまから遠ざけられております」

「なぜ…」

「裏影だけではなく、御前さまは、御身の回りから親しきものをすべて遠ざけておられる。兄君のコンラートさまでさえ、御前さまに会うことがままならぬありさまなのです。私は強引に御前さまに近づこうとしましたが━━に阻まれました。御前さまはおそらく、帝国諜報部を使って裏影の干渉を排除しておられる」

 さすがといおうか…。帝国の諜報機関まで手なづけているだなんて。これでは帝国政府は丸裸も同然だ。やはりハンナは帝国の真の支配者なのだ。

 だけど感心している場合じゃない。

「それでどうして、ハンナの危機を察知できたというのです」

「帝国諜報部にも知己はおります。買収して情報を得ましたところ、御前さまは近ごろ、食事を召されず、眠られることもないのだとか」

「そんな、それでは死んでしまうわ!」

「そのとおりでございます。しかし説得しようにも、コンラートさまにも会われないのでは…」

 聞けばハンナは、兄君のグレッツナー伯をずいぶん慕っているのだという。その肉親すら遠ざけるというのは、尋常なことじゃない。

「それで、私になにをせよと?」

 私が訊くと、案の定、フリッツは答えた。

「御前さまに会っていただきたい」

「それは、もちろん、できるならそうしたいけれど…。グレッツナー伯にさえ会わないハンナが、私と会ってくれますかしら」

「さて━━私が考えるに、御前さまのご様子がおかしくなったのは、エリーゼさまといち夜をともにしてから。あなたさまは、なにかご存知なのではありませんか?」

 そう言われても、私はハンナのことを何も知らない。彼女はそういうミステリアスなひとだった。思い当たることといえば、あの夜のことだけだ。

「私は…。あの夜、ハンナは悪夢を見てうなされていました。それも尋常な様子ではなく」

「それは…!なるほど、エリーゼさまもご覧になったのですね」

「ハンナはいつもなのですか?」

「いえ、ここしばらくは落ち着いていたのですが。以前は頻繁に夢にうなされ、眠ることを怖がっているようなところがおありでした」

 だからだというの。悪夢を見たくないから、眠らずにいるだなんて━━このままハンナを放っておくことなんてできない。事態は私が考えるよりもはるかに深刻だった。

 ハンナはふくよかな体つきじゃない。彼女が幾日も食事をとらないのだとしたら、すでに時間の余裕はないかもしれない。

 フリッツは言う。

「もし御前さまを翻意ほんいさせられる方があるとしたら、それはコンラートさまか、エリーゼさまでしょう。しかしコンラートさまには、カーマクゥラでの活動は秘しておりますれば、やはりエリーゼさまにカーマクゥラの屋敷へ訪ねていただくのがなによりのこと。かくなるうえは、裏影の実力で抵抗を排除し、御前さまとの対面を実現いたします」

 私は制服姿のまま、馬車に乗り込みカーマクゥラを目指した。揺れる車中で焦燥感にかられながら、ハンナのことを強く想う。

 私はハンナに助けられた。だから今度は、私がハンナを救うのだ。
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