悪役令嬢より悪役な〜乙女ゲームの主人公は世界を牛耳る闇の黒幕〜

河内まもる

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38 告白

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 脇息に身体をあずけて、ぼんやりと虚空を見つめる。身体がひどく重い。まるで老婆に戻ったみたいだ。

 鈍くなった頭で、どこか遠くの喧騒を聞いた。屋敷の中で男たちが争う声。剣を打ち合う音。アタシは重いまぶたを閉じて、ほんの少しだけ眠る。実際には眠っているというより、気絶してるみたいなモンさ。だけどすぐに目覚めるんだ。どうやらアタシは、どうしても夢を見たくないらしい。

 あと何度、アタシは眠ることができるんだろう。すでに1週間ほど食事を絶っているから、そう長くはないはずだ。こうやって眠るように死んでいけたら、それがいちばん良い。

 唯一、エリーゼのことだけが気がかりだ。けれどそれも、遺言してあるから大丈夫さ。カーマクゥラが存続するかぎり、エリーゼとコンラートは護られるだろう。

 だけど━━もう一度だけ、エリーゼに抱かれて眠りたかった。あのしなやかな腕がアタシの身体を包む。その感触を想像すると、暖かい気持ちになれた。たったいち夜のことだったけど、アタシの人生にあの瞬間があったという事実だけでも、充分すぎる贅沢だろう。

「ハンナ、ハンナっ」

 エリーゼの声がする。あの凛とした声がアタシの名を呼んでいる。幻聴だろうか。妄想だろうか。それでも一向にかまわない。アタシは重いまぶたをゆっくりとあげる。

 そこには、眉をひそめたエリーゼの顔があった。

「ハンナ、ああ、よかった」

「エリーゼ、あんた、本物かい…?」

「本物に決まっていますわ。そんなことより、これはいったい、どういうこと?こんなに痩せて━━どうしてこんなことに」

 エリーゼが涙をこぼした。アタシは鈍い頭で考える。なるほど、フリッツのやつか。あいつめ、余計なことをする。

「エリーゼ、アードルング家に帰りな」

「いいえ、帰りませんわ。なんと言われようと、ハンナがちゃんとご飯を食べて眠るまで、私はここを動きません」

「聞き分けのないことを言う」

 だめだ。アタシはいま、とても幸せだ。エリーゼがアタシを案じてそばにいてくれるだけで、これほど嬉しくなれるとは。だからアタシは、エリーゼを遠ざけなくちゃならない。

「エリーゼ、アタシはね、あんたが想ってくれるような、立派な人間じゃないんだよ」

「存じておりますわ。あなたがいまの地位につくために、手を汚したということくらい。私、それほど世間知らずではありませんことよ」

「そうじゃない、そうじゃないのさ」

 ああ、エリーゼみたいな立派なお嬢さんが、想像なんかできるはずがない。世の中には、下水の汚物みたいな、腐った人間が存在するのさ。己の利益のために他人を蹴落とす人間が。

「本当のアタシを知ったら、きっとエリーゼはアタシのことを嫌いになる」

 コンラートじゃあるまいし、世の中に聖人みたいなやつが、そうそういてたまるもんか。それじゃ、もがき続けたアタシの人生が馬鹿みたいだ。きっとエリーゼも━━。

「馬鹿にしないでちょうだい!」

 エリーゼが怒気をはらんだ声で一喝した。怒った顔でさえも途方もなく美しい。

「あなたは私の想いを侮っていますわ。それがどれほどの侮辱かわかっていますの。あなたに罪があるなら、私がそれを許します。文句をつける人がいるなら、私が請け合いますわ!」

「馬鹿を言うなっ、あんなものをエリーゼが背負う必要は━━」

「必要ありますわっ。それがハンナを手に入れるための条件なら」

 何も知らないくせに━━アタシゃだんだん腹がたちはじめた。そこまで言うなら、いいだろう。聞かせてやるよ。アタシがどれほど汚れた人間か。知ればエリーゼも、きっとアタシへの想いを捨てるだろう。

「そもそもあんたは、ひとつ勘違いしているよ。アタシゃ、15歳の娘っこなんかじゃない。100歳以上の婆さんなんだよ」

 エリーゼがポカンと表情を弛緩させた。アタシは重い舌を必死に動かす。

「アタシには前世の記憶がある。アタシの前世は『金貸しのしらみ』と呼ばれた極道で、若い頃は街娼すらしていた。わかるかい、金で男に股ぁ開いていたんだよ」

 ヤケになって言うと、エリーゼがきゅっと表情をひきしめた。

「お待ちになって。ハンナ、あなたは露悪的になっていますわ。そんなの卑怯じゃありませんなこと?」

「…なんだって?」

「本当の自分を知れと言いながら、前後の事情を隠して悪いところばかり教えるのは、公平ではありませんわ。それで私はどうやって本当のハンナを知ることができるというの」

 エリーゼの言うことに、アタシゃ呆気にとられた。するとエリーゼは鼻で笑う。

「どうせあなたは、殺したとか騙したとか、暗い過去ばかりを私に吹きこもうとしているのでしょう。それは印象操作というものですわ。まずはあなたが、どうして身体を売ることになったのか、そこから話してもらいましょう」

 どうして━━それは祖国が戦争に負けたから。記憶の扉が重い音をたてて開く。エリーゼはアタシの過去をすべて包みこもうとしている。だとしたら、アタシは。

「アタシは━━日本という国で、職人の家に生まれた」

 口をついて出たのは、遠い日の追憶だった。エリーゼは真剣な面持ちでアタシを見守っている。だからアタシは、その想いに応えるために、古い記憶を呼び覚ます。そして気づいたんだ。

 本当の自分を知られて、そのうえで嫌われるのが、アタシは怖かったんだ。だから嫌われて当たり前の事実だけを語ろうとしていた。

 エリーゼの眼差しが怖い。だけど同時に、語らずにはいられなかった。十中八九、エリーゼはアタシの過去を受け入れられないだろうけど、それでも。

 絶望のなか光を求める。エリーゼはアタシの光だ。その真っ白い輝きで、アタシのすべてを焼き尽くしてほしかった。
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