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40 夜の追憶2
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街娼の元締めってのは、卑しい商売さ。身体を売る女たちから、上前をハネる商売だからね。いっそ娼婦より卑しい。本当なら存在自体、許されるべきじゃないんだろうけど、アタシがやんなくたって、いずれ誰かがその地位を得ていたはずさ。
闇市のヤクザとおんなじでね、みかじめ料をとる代わりに、商売の安全を保障するわけさ。いったんその立場を手に入れてしまえば、アタシ自身は身体を売らなくたって銭が入ってくるようになる。気づけばアタシの縄張りは、どんどん広がっていたし、アタシは新しくてきれいな家に住むようになっていた。
進駐軍が引きあげたあと、世間がだんだん落ち着いてくると、アタシは自分の縄張りで、高利の金を貸す闇金になった。1日1割の利息をとる日銭貸しでね、まあマトモなやつはウチにはこなかったさ。そもそもアタシの目的は、利息で儲けることじゃなかったからね。
典型的なパターンはこうさ。
その日の飯にさえありつけない貧乏人が、アタシのところに金を借りに来る。こういう手合いは、家財道具すら質屋に入れていて、およそ資産と呼べるものは持っていないのさ。それがわかっていて、アタシはロクな審査もせずに、男に金を貸す。男がありがたそうに、わずかな金を懐にいれて帰っていくと、翌朝からアタシは取り立てをはじめる。
夜逃げなんかさせないよ。朝から晩まで見張りをつける。男が日雇の現場で働いているあいだは、男の家族が人質になってるのさ。男が汗水垂らして稼いだ金は、そっくりそのままウチがふんだくる。
「これでは生きていかれない」
案の定さ、男が泣きつく。すると男の耳元で、チンピラがささやく。
「夫婦共稼ぎにすりゃあ、いいじゃねえか。おまえの女房には、うまい仕事を紹介してやるからよ」
男の妻はその日の夜から、身体を売って稼ぐようになる。最初はキャバレー、そのうちトルコ風呂に沈める。だけど妻の稼ぎもほとんどは、利息を払うために奪われる。男の子どもたちは、まともに食べることもできなくなって、店屋の残飯をあさるようになる。
アタシはあえて想像しようとしなかったけれど━━男の生活は、金を借りたその日から地獄にかわっただろう。それまで倹しくも肩を寄せ合って暮らしていた家族が崩壊していくのさ。骨がきしむような辛い肉体労働を終えて、男が家に帰ると、妻が厚化粧をして夜の街に出かけてゆく。子どもはハエのたかった握り飯を奪いあって喧嘩している。チンピラに利息を払ってわずかに残った小銭で、男はメチルアルコールを購い、酩酊して暴れる。先の見えない暗闇の中をもがくように…。
そしてふたたび、アタシは男の耳元でささやくのさ。
「元金を返さなきゃ、あんたは一生この地獄から抜け出せないよ。どうだい、生命保険にはいるというのは」
ここまでくれば、あとは煮るなり焼くなり思いのままさ。男に首をくくらせたこともあるけど、あんまり派手にやるとお上がうるさいからねえ。つぶれかけた町工場に男を連れて行って、機械に腕をつぶさせるのさ。腕1本で当時20万円にはなったかね。男の半年分の稼ぎさ。アタシには金が入り、男は妻子に捨てられて、傷痍軍人の真似事をやって余生を暮らす。
そうやっていくつの家庭をつぶしただろう。男たちは妻を売り、娘を売り、身体を欠損させてアタシに金を貢いだ。みるみるうちに、アタシは肥え太った。進駐軍に身体を売っていたのが馬鹿みたいだったねえ。奪う側になれば、いくらでも豊かになれるのさ。
いつしかアタシは夜の世界で、汚らわしいしらみと呼ばれるようになっていた。
ふたりの子どもたちがアタシを捨てて出ていったのは、その頃のことさ。当たり前のことだったんだろう。しらみの子どもと差別されて生きてきたあの子たちには、謝っても済まないようなことをした。自分の母親が鬼婆だってのは、どういう心持ちだったろう。優しい子たちだったからね、とうてい耐えられない環境だったに違いないのさ。どんな豪邸に住んだって、ごちそうを食べたって、心が耐えられないさ。
子どもたちはアタシの身代わりに、幼いころから痛みにたえていたんだ。アタシがそのことを思い知ったのは、子どもたちが去ったあとだった。
━━その男は保険をかけるまえに首をくくってしまった。自分の妻に身体を売らせてしまったことに、耐えられなかったんだろう。鴨居にぶら下がる男の足元で、男の子どもが泣いていた。自分の父親に呼びかけ続けていた。けれどもう二度と、父親が返事をすることはない。
「父ちゃんを返せ!」
子どもはわめいた。これまでのアタシだったら、子どもを蹴飛ばして男の死体につばを吐きかけただろう。なんせ、生命保険に入る前に自殺しちまったんだから。こんなにつまんない死に方はないよ。儲けにならないんだよ。
だけど、そのときアタシは━━夏の日の午後、蒸し暑い安アパートの畳の上で、身体の芯まで凍りつくような感覚だった。肌が泡立ち、自分の奥歯がカチカチと鳴る音が聞こえていた。強いめまいに身体がグラグラする。こみあげる吐き気を必死にこらえる。
ああ━━売春婦の子守唄を思い出す。
泣き出したいような気持ちさ、手遅れの後悔が押し寄せる。アタシはずっと怖かったんだ。最初に売春婦を殺したあの時から。とんでもないことをやったんじゃないかって。取り返しのつかないことに手を染めたんじゃないかって。人様の命を、己の欲のために奪った。そのことが恐ろしくて、恐ろしくて。
それでも耐えてこられたのは、子どもたちがいたからだ。子どもの腹を満たしてやりたくて。みじめな思いをさせたくなくて━━そうやって自分を納得させて。アタシは他人の人生を破壊して、幾人もの命を奪ってきた。
だけどもう、アタシの良心を麻痺させるための身代わりはいない。アタシの子どもはアタシを捨てて家を出ていってしまった。アタシの代わりに、ずっとあの子たちが胸を痛めていてくれたから。
ぶらさがる男は、恨みのこもった形相でアタシを見つめていた。アタシは男の棺桶と変わった安アパートを飛び出して、清潔な自宅に戻り、ガタガタと震えた。どうしてこれまで平気でいられたのか、不思議なくらいだった。だけど、こっちのほうがマトモだろう。自分のせいで首をくくった男の死体と対面して、平静でいられるだなんで、鬼の所業さ。
だからアタシは、もう自分の行いにたえられそうもない。これまで通りの商売を続けるなんて、もう不可能だった。アタシは当たり障りのない金貸しになった。激しい取り立てもやめた。だけどその金貸し業も、法律の改正で終わった。貸金業法も暴対法も出来て、世間は夜の世界からようやく抜け出した。バブル崩壊と前後して、アタシはみじめに転落した。
そしてアタシは━━この世界に転生して、コンラートと出会う。あの底なしのお人好しに。
コンラートは、アタシの犠牲になった債務者たちと同種の人間だった。馬鹿でお人好しで、底抜けの楽天家なのさ。心のどこかで「なんとかなるだろう」なんて思ってしまう愚か者さね。狡猾なやつらから喰い物にされるために生きてるようなやつさ。
その愚か者に、アタシは救われた。そしてようやく理解した。アタシがいままで奪ってきたのは、こういう善い人間だった。
善人から奪った。
善人を騙した。
善人を殺した。
世間を夜の世界に変えてしまったのは、アタシのような悪鬼だ。アタシは償いようがない罪を犯した。アタシは転生すべきじゃなかった。あのときトラックにハネられて死んでいるべき人間だった。
この世界でのアタシの生は、神様の手違いさ。神様がアタシを裁かないのなら、自分で自分を裁くしかない。だからアタシは━━。
闇市のヤクザとおんなじでね、みかじめ料をとる代わりに、商売の安全を保障するわけさ。いったんその立場を手に入れてしまえば、アタシ自身は身体を売らなくたって銭が入ってくるようになる。気づけばアタシの縄張りは、どんどん広がっていたし、アタシは新しくてきれいな家に住むようになっていた。
進駐軍が引きあげたあと、世間がだんだん落ち着いてくると、アタシは自分の縄張りで、高利の金を貸す闇金になった。1日1割の利息をとる日銭貸しでね、まあマトモなやつはウチにはこなかったさ。そもそもアタシの目的は、利息で儲けることじゃなかったからね。
典型的なパターンはこうさ。
その日の飯にさえありつけない貧乏人が、アタシのところに金を借りに来る。こういう手合いは、家財道具すら質屋に入れていて、およそ資産と呼べるものは持っていないのさ。それがわかっていて、アタシはロクな審査もせずに、男に金を貸す。男がありがたそうに、わずかな金を懐にいれて帰っていくと、翌朝からアタシは取り立てをはじめる。
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「これでは生きていかれない」
案の定さ、男が泣きつく。すると男の耳元で、チンピラがささやく。
「夫婦共稼ぎにすりゃあ、いいじゃねえか。おまえの女房には、うまい仕事を紹介してやるからよ」
男の妻はその日の夜から、身体を売って稼ぐようになる。最初はキャバレー、そのうちトルコ風呂に沈める。だけど妻の稼ぎもほとんどは、利息を払うために奪われる。男の子どもたちは、まともに食べることもできなくなって、店屋の残飯をあさるようになる。
アタシはあえて想像しようとしなかったけれど━━男の生活は、金を借りたその日から地獄にかわっただろう。それまで倹しくも肩を寄せ合って暮らしていた家族が崩壊していくのさ。骨がきしむような辛い肉体労働を終えて、男が家に帰ると、妻が厚化粧をして夜の街に出かけてゆく。子どもはハエのたかった握り飯を奪いあって喧嘩している。チンピラに利息を払ってわずかに残った小銭で、男はメチルアルコールを購い、酩酊して暴れる。先の見えない暗闇の中をもがくように…。
そしてふたたび、アタシは男の耳元でささやくのさ。
「元金を返さなきゃ、あんたは一生この地獄から抜け出せないよ。どうだい、生命保険にはいるというのは」
ここまでくれば、あとは煮るなり焼くなり思いのままさ。男に首をくくらせたこともあるけど、あんまり派手にやるとお上がうるさいからねえ。つぶれかけた町工場に男を連れて行って、機械に腕をつぶさせるのさ。腕1本で当時20万円にはなったかね。男の半年分の稼ぎさ。アタシには金が入り、男は妻子に捨てられて、傷痍軍人の真似事をやって余生を暮らす。
そうやっていくつの家庭をつぶしただろう。男たちは妻を売り、娘を売り、身体を欠損させてアタシに金を貢いだ。みるみるうちに、アタシは肥え太った。進駐軍に身体を売っていたのが馬鹿みたいだったねえ。奪う側になれば、いくらでも豊かになれるのさ。
いつしかアタシは夜の世界で、汚らわしいしらみと呼ばれるようになっていた。
ふたりの子どもたちがアタシを捨てて出ていったのは、その頃のことさ。当たり前のことだったんだろう。しらみの子どもと差別されて生きてきたあの子たちには、謝っても済まないようなことをした。自分の母親が鬼婆だってのは、どういう心持ちだったろう。優しい子たちだったからね、とうてい耐えられない環境だったに違いないのさ。どんな豪邸に住んだって、ごちそうを食べたって、心が耐えられないさ。
子どもたちはアタシの身代わりに、幼いころから痛みにたえていたんだ。アタシがそのことを思い知ったのは、子どもたちが去ったあとだった。
━━その男は保険をかけるまえに首をくくってしまった。自分の妻に身体を売らせてしまったことに、耐えられなかったんだろう。鴨居にぶら下がる男の足元で、男の子どもが泣いていた。自分の父親に呼びかけ続けていた。けれどもう二度と、父親が返事をすることはない。
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子どもはわめいた。これまでのアタシだったら、子どもを蹴飛ばして男の死体につばを吐きかけただろう。なんせ、生命保険に入る前に自殺しちまったんだから。こんなにつまんない死に方はないよ。儲けにならないんだよ。
だけど、そのときアタシは━━夏の日の午後、蒸し暑い安アパートの畳の上で、身体の芯まで凍りつくような感覚だった。肌が泡立ち、自分の奥歯がカチカチと鳴る音が聞こえていた。強いめまいに身体がグラグラする。こみあげる吐き気を必死にこらえる。
ああ━━売春婦の子守唄を思い出す。
泣き出したいような気持ちさ、手遅れの後悔が押し寄せる。アタシはずっと怖かったんだ。最初に売春婦を殺したあの時から。とんでもないことをやったんじゃないかって。取り返しのつかないことに手を染めたんじゃないかって。人様の命を、己の欲のために奪った。そのことが恐ろしくて、恐ろしくて。
それでも耐えてこられたのは、子どもたちがいたからだ。子どもの腹を満たしてやりたくて。みじめな思いをさせたくなくて━━そうやって自分を納得させて。アタシは他人の人生を破壊して、幾人もの命を奪ってきた。
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ぶらさがる男は、恨みのこもった形相でアタシを見つめていた。アタシは男の棺桶と変わった安アパートを飛び出して、清潔な自宅に戻り、ガタガタと震えた。どうしてこれまで平気でいられたのか、不思議なくらいだった。だけど、こっちのほうがマトモだろう。自分のせいで首をくくった男の死体と対面して、平静でいられるだなんで、鬼の所業さ。
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その愚か者に、アタシは救われた。そしてようやく理解した。アタシがいままで奪ってきたのは、こういう善い人間だった。
善人から奪った。
善人を騙した。
善人を殺した。
世間を夜の世界に変えてしまったのは、アタシのような悪鬼だ。アタシは償いようがない罪を犯した。アタシは転生すべきじゃなかった。あのときトラックにハネられて死んでいるべき人間だった。
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