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43 床離れ
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あなたは悪くない━━安っぽい口説き文句さ。都合のいい言葉を並べたてて、女の心を絆す。まるでエリーゼは女たらしの二枚目みたいだ。
ところがアタシもアタシさ。あんないい加減な説法で、アタシを呪う声は消え去った。ひょっとしたら、アタシは誰かに許してほしかっただけなのかもしれない。あれはしょうがないことだったと、免罪符を与えてほしかっただけなのかも。
それでも記憶は都合よくなくなってくれたりしない。いまでも思い出せる。アタシが踏みにじってきた人々の姿が━━ふりかえるたびに胸の痛みを感じるけれど、そのたびにエリーゼの身体のぬくもりが、アタシの心を蕩かすんだ。
閨睦言にエリーゼは言う。
「人類社会をより幸福に導いて。ハンナだったらそれができますわ」
ああ━━ひょっとしたら皇太子妃の座はエリーゼにふさわしいものだったかもしれない。為政者の心を癒し、より良い方向に導くことができる女性。だけどいまの帝国じゃ、実権力をにぎっているのはこのアタシだ。だからエリーゼはアタシのそばにこそふさわしい。
10日ばかりも病床に臥してしたアタシは、エリーゼの介抱でようやく床離れを済ませた。そして最初に面会したのがフリッツだ。
「御前さまにおかれましては、ご回復のこと、心よりお慶び申し上げます」
「堅苦しい挨拶はよしな。それよりもフリッツ━━すまなかった」
「なにをおっしゃいますやら。御前さまの元気な姿をみることが叶いましたいま、私には何の不満もございません」
良い部下をもった。アタシはジンときたもんさ。前世じゃ部下といえども信用できなかったからねえ。命がけで奉公してくれる存在をもっていながら、こいつらを遠ざけたアタシは罰当たりな人間さ。
「…ところで、その、エリーゼさまは━━そういうことでよろしいのですか」
フリッツに訊かれて、一瞬なんのことやらわからなかった。だけど、ああ、エリーゼを横に侍らせていることだと気づく。
「いや、エリーゼがね、離れたくないっていうモンだから…」
この10日間、ずっと一緒にいたモンだから、すっかり慣れてしまっていた。いまもまるでひっつき虫みたいに、アタシとエリーゼはくっついている。エリーゼはアタシの腰に手を回し、アタシはエリーゼの肩にもたれかかっている始末さ。
アタシはエリーゼをいったん引き離して、咳払いをする。
「…そういうことさ。エリーゼはアタシの、その、妻ということにする」
するとエリーゼが赤くなる。たぶんアタシも赤くなっているだろう。フリッツは大げさにかしこまった。
「おめでとうございます!いや、御前さまに釣り合う男などいないと考えておりましたところ、エリーゼさまを娶るとは。お似合いでございます」
似合うと言われて嫌な気はしない。アタシは上機嫌でフリッツから報告を受ける。10日間、実務を遠ざけていたから、知るべき情報が積み上がっているのさ。
その中で特に気になった報告が帝国諜報部のことだ。
「さきのカーマクゥラでの戦闘により、死者は出なかったものの、帝国諜報部は壊滅的な被害を受けております。これは深刻な事態といえましょう」
「ほう、なぜだい」
「カーマクゥラは支配域を急拡大させてきました。ゆえに裏影は慢性的な人手不足になっております。そこで帝都内の監視は、帝国諜報部に委託しておりました」
ようするに下請けに出してたってわけかい。なるほど、帝国諜報部はほとんど鎌倉の支配下にあったから、安心して使えたってわけだ。その諜報部が壊滅したとなると…。
「いま全国より裏影の構成員を呼び戻しておりますが、すでにこの10日間、帝都の監視がおろそかになっております。不穏な企みがあっても、察知できない状況にて━━」
人材のやりくりに四苦八苦するフリッツに、アタシは指示を与える。
「だったら、アタシの警護を薄くしな」
「それは━━」
「あくまで一時的な措置さ。それよりもことを事前に察知することが大事だろ。そもそもことが起こらなけりゃ、アタシに警護なんざ必要ないんだから」
防衛は先制的であるべきだ。攻め込まれてから護るのでは遅すぎる。そう説得して、アタシはフリッツをさがらせた。あとはエリーゼといちゃつきながら、報告書を読み、決済する。だけどどうやら、アタシがいない間の業務は、幹部たちが適切におこなっていたようだ。
元々アタシは死ぬつもりでいたんだから、鎌倉をアタシ抜きでも動くように整えていたのは当然さね。すでに鎌倉は組織として完成している。新しいプロジェクトをはじめないかぎり、現状維持には問題ないだろう。
「ハンナ、そろそろ学園に戻りませんこと?」
エリーゼが耳元でささやいた。
「だけどアタシには━━」
「ハンナ、女の人生は長いのです。10代のうちは10代にしかできない思い出を作りましょう━━私と一緒に」
エリーゼとふたりで過ごす学園生活か…。アタシゃなんだか、女学校時代の青春をリバイバルするような、むずがゆい気持ちになったモンさ。だけど恋人と学園生活を送るなんて、悪くないじゃないか。
思い直して、アタシは使用人に制服を用意させた。明日から学園に戻るとしよう。ふたりの青春に彩りをそえるために。
ところがアタシもアタシさ。あんないい加減な説法で、アタシを呪う声は消え去った。ひょっとしたら、アタシは誰かに許してほしかっただけなのかもしれない。あれはしょうがないことだったと、免罪符を与えてほしかっただけなのかも。
それでも記憶は都合よくなくなってくれたりしない。いまでも思い出せる。アタシが踏みにじってきた人々の姿が━━ふりかえるたびに胸の痛みを感じるけれど、そのたびにエリーゼの身体のぬくもりが、アタシの心を蕩かすんだ。
閨睦言にエリーゼは言う。
「人類社会をより幸福に導いて。ハンナだったらそれができますわ」
ああ━━ひょっとしたら皇太子妃の座はエリーゼにふさわしいものだったかもしれない。為政者の心を癒し、より良い方向に導くことができる女性。だけどいまの帝国じゃ、実権力をにぎっているのはこのアタシだ。だからエリーゼはアタシのそばにこそふさわしい。
10日ばかりも病床に臥してしたアタシは、エリーゼの介抱でようやく床離れを済ませた。そして最初に面会したのがフリッツだ。
「御前さまにおかれましては、ご回復のこと、心よりお慶び申し上げます」
「堅苦しい挨拶はよしな。それよりもフリッツ━━すまなかった」
「なにをおっしゃいますやら。御前さまの元気な姿をみることが叶いましたいま、私には何の不満もございません」
良い部下をもった。アタシはジンときたもんさ。前世じゃ部下といえども信用できなかったからねえ。命がけで奉公してくれる存在をもっていながら、こいつらを遠ざけたアタシは罰当たりな人間さ。
「…ところで、その、エリーゼさまは━━そういうことでよろしいのですか」
フリッツに訊かれて、一瞬なんのことやらわからなかった。だけど、ああ、エリーゼを横に侍らせていることだと気づく。
「いや、エリーゼがね、離れたくないっていうモンだから…」
この10日間、ずっと一緒にいたモンだから、すっかり慣れてしまっていた。いまもまるでひっつき虫みたいに、アタシとエリーゼはくっついている。エリーゼはアタシの腰に手を回し、アタシはエリーゼの肩にもたれかかっている始末さ。
アタシはエリーゼをいったん引き離して、咳払いをする。
「…そういうことさ。エリーゼはアタシの、その、妻ということにする」
するとエリーゼが赤くなる。たぶんアタシも赤くなっているだろう。フリッツは大げさにかしこまった。
「おめでとうございます!いや、御前さまに釣り合う男などいないと考えておりましたところ、エリーゼさまを娶るとは。お似合いでございます」
似合うと言われて嫌な気はしない。アタシは上機嫌でフリッツから報告を受ける。10日間、実務を遠ざけていたから、知るべき情報が積み上がっているのさ。
その中で特に気になった報告が帝国諜報部のことだ。
「さきのカーマクゥラでの戦闘により、死者は出なかったものの、帝国諜報部は壊滅的な被害を受けております。これは深刻な事態といえましょう」
「ほう、なぜだい」
「カーマクゥラは支配域を急拡大させてきました。ゆえに裏影は慢性的な人手不足になっております。そこで帝都内の監視は、帝国諜報部に委託しておりました」
ようするに下請けに出してたってわけかい。なるほど、帝国諜報部はほとんど鎌倉の支配下にあったから、安心して使えたってわけだ。その諜報部が壊滅したとなると…。
「いま全国より裏影の構成員を呼び戻しておりますが、すでにこの10日間、帝都の監視がおろそかになっております。不穏な企みがあっても、察知できない状況にて━━」
人材のやりくりに四苦八苦するフリッツに、アタシは指示を与える。
「だったら、アタシの警護を薄くしな」
「それは━━」
「あくまで一時的な措置さ。それよりもことを事前に察知することが大事だろ。そもそもことが起こらなけりゃ、アタシに警護なんざ必要ないんだから」
防衛は先制的であるべきだ。攻め込まれてから護るのでは遅すぎる。そう説得して、アタシはフリッツをさがらせた。あとはエリーゼといちゃつきながら、報告書を読み、決済する。だけどどうやら、アタシがいない間の業務は、幹部たちが適切におこなっていたようだ。
元々アタシは死ぬつもりでいたんだから、鎌倉をアタシ抜きでも動くように整えていたのは当然さね。すでに鎌倉は組織として完成している。新しいプロジェクトをはじめないかぎり、現状維持には問題ないだろう。
「ハンナ、そろそろ学園に戻りませんこと?」
エリーゼが耳元でささやいた。
「だけどアタシには━━」
「ハンナ、女の人生は長いのです。10代のうちは10代にしかできない思い出を作りましょう━━私と一緒に」
エリーゼとふたりで過ごす学園生活か…。アタシゃなんだか、女学校時代の青春をリバイバルするような、むずがゆい気持ちになったモンさ。だけど恋人と学園生活を送るなんて、悪くないじゃないか。
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