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24 「初めまして、伊吹まどかと申します」
しおりを挟む東京の地下鉄は蜘蛛の巣状に地中を張り巡らせており、鉄道網が整備されているため、車などを使わずとも、電車で東京の至る場所に行く事ができる。
ただ、その分様々な路線が存在し、駅の数も沢山あるため、地方民は何処が何処へと解らなくなってしまうものだ。
ましてや、東京駅、新宿駅、渋谷駅は迷宮(ダンジョン)である。案の定、迷ってしまったが、世界一親切だと讃えられる日本の駅員によって、目的地の場所……伊吹まどかが所属している事務所に辿り着けたのだった。
打ち合わせをする場として簡易的に設けられた個室に案内されて暫く待っていると、二人の女性が幸一の下へと近づいてくる。
「あの、高野幸一さんでしょうか?」
眼鏡をかけた女性が先に声をかけてきた。
「そうですが。あっ、もしかして……」
「はい。アイス・フォーティーフォーで伊吹まどかのマネージャーをやっております高瀬真帆と申します。そしてこちらがウチのタレントの伊吹まどかです」
高瀬の背後にいた女性……伊吹まどかが前に出る。
「初めまして、伊吹まどかと申します。本日はよろしくお願いいたします」
その声を聴いた瞬間、女性(伊吹)の姿が妹の美幸に見えてしまった。
「あ……」
思わずマジマジと伊吹まどかの姿を改めて確認する。そこには明朗な美幸とは違い清楚な雰囲気を漂わせた女性が立っていた。
「あの……どうしましたか?」
「あっ、いえ! すみません。写真よりも、とてもお綺麗でしたので……」
その幸一の突然の発言に伊吹は照れるよりも「えっ!?」と驚いてしまう。
仕事上、色んな人に多く会い、似たようなことは言われたりするが、まさか硬派なイメージがある公務員から言われるとは思ってもいなかったからだ。
「あ、いや、その……」
その幸一も美幸の幻影を見てしまった所為か戸惑いと混乱して、先ほどの歯が浮く言葉を口走ってしまったと気付き、内心取り乱してしまうも――軽く息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
「すみません、変なことを言ってしまって……」
「あ、いえ」
お互い苦笑いを浮かべてしまう。幸一は取り直して挨拶をする。
「では改めましてね伊河市役所観光課に勤めております、高野幸一です。本日は、よろしくお願いいたします」
三人とも頭を下げて、幸一とマネージャの高瀬は名刺の交換をした後、着席した。
まずは企画概要を説明し、先ほど野原風花から頂いたマスコットキャラクターのラフ画も見せて話した。
「まだラフ絵なんですが、その絵のキャラクターのイメージに合った声でお願いします」
「あら? どのキャラクターですか?」
デフォルメや擬人といった様々いるキャラクターに、マネージャーの高瀬が疑問を投げ掛ける。
「まだ選定中でして……。近い内には決定します」
伊吹は、それらイラストを手に取ると少し明るい表情を浮かべていた。
マネージャの高瀬が訊ねる。
「それで、どういった台詞を入れる予定ですか?」
「予定では伊河市の観光名所にまつわる事々を言って貰います」
「ナレーターみたいな感じですか?」
「えー……と、そうですかね……」
こういった事は志郎に決めて貰う方向でいたので言葉に自信が無かった。なので自分が疑問点は全部メモして、後で志郎に判断を仰ぐことになるだろう。
あぐねている幸一の心情を露知らず、高瀬はマネージャーの仕事を淡々とこなしてくる。
「ワードはどのくらいあるんでしょうか?」
「え、ワード?」
「はい。台詞の数のことです」
「ああ、そうですか……。すみません、その辺りはまだ具体的に詰めていないので、詳細の数は、まだ不明でして……」
「そうなんですか。あ、そういえば。声の収録はどこでするのでしょうか? そちらの伊河市で行うんですか?」
「声の収録……ですか?」
「はい。レコーディングスダジオのことです。もし、伊河市で収録するのでしたら、そちらへの交通費は出して頂けられるんですよね?」
「ええ。伊河市で行うのでしたら、ご足労して頂くと思いますので、その場合は勿論お支払いしますが……」
そう答える中、幸一は「そうか、声を収録するスタジオを借りる費用もいるのか……。まいったな、その辺りの予算を考慮していなかった……」と新たに判明した課題に額に汗を浮かべていた。
無知過ぎる幸一に対して、高瀬や伊吹が訝しげな雰囲気を漂わせているのを感じ取り、ここは素直に語った方が良いだろうと判断した。
「すみません。本当は、その辺の話しが解る者が同席の予定だったのですが、急遽、別の用事が入ってしまい不在でして……」
「ああ、そうですか」
納得したような声をあげる高瀬。
「いえいえ、気にしないでください。今回の打ち合わせ、そういった疑問点を洗い出すのもありますから。こちらとしては最低限必要なことは、いつ、何処で、どの位の時間を要する、というスケジュールさえ把握出来れば良いので」
話しの途中で高瀬の携帯電話のバイブレーションが作動する。パッと確認すると、
「失礼……。あっ、青木くんからだ……。すみません、電話に出てもよろしいでしょうか?」
「ええ、別に構いませんよ」
「すみません」と高瀬は頭を下げつつ、席を外し離れていく。
立ち去っていく時に「え、明日のオーディションの……」という話し声が漏れてくるのが聞こえた。
場に残った幸一と伊吹。何を話したら良いかと沈黙に包まれてしまう。
幸一は、折角妹の声にソックリの伊吹と話したかったが、いざ直接会って見ると、何を話せば良いかと何も浮かばなかったのであった。
自信無くまごまごしている幸一に、伊吹が話しかけてきた。
「あの……少し訊いても良いですか?」
「は、はい、何でも!」
「どうして私なんですか?」
唐突で率直な質問だった。なので、思わず「えっ?」と幸一は声を漏らす。
なぜか負い目を感じているかのように伊吹は話しを続ける。
「すみません。こういうのもアレなんですけど……。私、そんなに人気ではないし、そんなにアニメとかに出ていなくて……。なのに、こういったお役所の貴重なお仕事を私なんかに……」
「いや、そんなことは。自分もそんなにアニメとかは詳しくないので」
「……そうなんですか? だったら、なおさら私を?」
丁寧口調で語られる妹(美幸)にそっくりの声。
生前の美幸から、ここまで丁寧にモノを言われた記憶は無い。だから美幸の姿が伊吹と重なっては、幸一を当惑させた。
伊吹が選ばれた……というより、伊吹に決めたのは個人的な気持ちがあった。それを語るのは憚(はばか)られるが、意を決して真相を話しだした。
「伊吹さんに、こう言うのもアレなんですが、実は……伊吹さんの声は、自分の妹にそっくりなんです」
伊吹は「え?」と目が点になる。
そりゃそうだろう。ナンパのような切り出す常套句を云われたら冗談だと受け取ってもおかしない。
「妹の名前は美幸と言うのですが……。伊吹さんのようにおとしやかじゃなくて、元気が有り過ぎて少々騒がしいやつでした。その妹は声優を目指していたんです」
「目指して……いた?」
「四年ほど前に、不慮の事故で他界してしまったんです」
衝撃的な内容に思わず手で開いた口を覆い隠す伊吹。
「ですから、伊吹さんの声を初めて聞いた時、ふと妹のことを思い出したんです。それが切っ掛けですかね。伊吹さんを知って、こうしてお仕事をお願いしたと思いました」
幸一はコーヒーを一口飲む。
「そして、私的なことかも知れませんが、伊吹さんとお会いしたかったのも有ると思います」
語られる重い内容に場の雰囲気は重くなってしまったのを幸一は感じ取る。
「す、すみません。変な事を言ってしまいまして……」
「いえ、別に……。そうなんですか……。妹さんの声と……」
暫しの沈黙。幸一は重くなった空気に、早くマネージャー(高瀬)が戻ってこないかと願ってしまう。だが、再び伊吹が話しかけてくる。
「あ、あの。伊河市は、どんな所なんですか?」
素朴な質問だったが、それは観光課に勤める幸一にとっては難無く答えられるものである。
「そうですね。温泉が有名な観光地で、のどかな所です。地方ではありますが、田舎という程ではありません。それなりに都市開発がされていて、交通の便が良いですから、観光の際は非常に便利ですよ。料理も海の幸、山の幸が豊富で味の方も評判が良いです。ご当地料理の鳥天定食なんかは一度食べて貰いたいですね」
打ち合わせとは違って活き活きとペラペラと語る幸一。やはり、こちらの方が本業なのだろうと伊吹は心の中で納得した。
「へー、そうなんですか」
「どうですか、一度伊河市にご旅行なんて……あっ! すみません、つい営業をしてしまいまして……」
伊吹は顔がほころび、思わず笑いが出てしまう。
「ふふ、気にしないでください。そうですね、機会がありましたら……」
若干空気が軽くなった気がした。少し余裕が出来たのか、幸一は机に置かれていたラフ画に視界が入ると、大切な事を思い出す。
「そうだ、伊吹さん。一つお尋ねしたいことがあるんですが」
「はい、なんですか?」
「もし、演じるのなら、どっちのキャラクターの声を演じたいですか?」
そう言うと幸一はデフォルメのイラストと擬人化のイラストを手に取り、伊吹の方に見せた。
「あ、ただ意見が欲しいだけなんで。声を演じる人の意見も参考にしておきたいので」
「そうですね……。」
伊吹は交互にイラストを見比べる。どちらも可愛らしいイラスト、それが素直な感想だった。
「欲張りかも知れないのですが、私としては、どちらも演じてみたいです」
「どっちともですか?」
「は、はい。イラストを見て、どっちのキャラクターの声を出したいと思いました。それに声優は、出来るだけ多くのキャラクターを演じたいですから……」
伊吹の意見――どちらも演じたいという灯台下暗しな考えに、幸一の心は大きく鼓動を打った。
あえて一つに選ばなくても良いという選択肢が生まれた。
そうこうしていると、マネージャーの高瀬が電話から戻ってきた。
「すみません。ついつい長電話になってしまいまして」
幸一たちは本題に戻り、一通り今後のスケジュール確認を終えた。
スケジュールとしては、十一月末までにキャラクターデザインを仕上げて貰い、十二月中に台詞原稿を完成させる予定なので、一月中にはレコーディング(収録)を行うと決めた。
後は、こちらも契約内容や支払い方法についても確認を取り、正式に承諾する運びとなった。
「それでは、よろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。キャラクターのデザインや、台本……台詞の方が上がりましたら、私の方に連絡をお願いいたします」
「解りました」
幸一は高瀬と挨拶をかわすと、伊吹も同様に挨拶をかわした。
「伊吹さん。今日は、お会いできて嬉しかったです」
「いえ、こちらこそ。高野さんに会えて良かったです」
「そうだ、何かあれば名刺に書かれている観光課の電話番号にかけてください。それと自分の携帯電話の番号も書いてありますので」
「あ、はい。解かりました」
「それでは、本日はありがとうございました。失礼いたします」
幸一は伊吹まどかと会えて、本来の目的もそこそこに満足しており、名残惜しくも、その場を後にした。
去っていく幸一の背中を見送る伊吹と高瀬。
「役所勤めというから、もう少しお固いと思っていたけど、普通の人だったわね」
「そうですね」
「それに、この手のお仕事は不慣れ感じみたいだし、もしかしたら大変なことになるかもね。まあ、何はともあれ連絡を待ちましょうか。あ、そうだ。さっき青木くんの電話の後に、別件の仕事の連絡が有ったんだけど」
「何の仕事ですか?」
「MAKAの方のお・仕・事よ!」
高瀬は大人っぽく魅惑的に言い放つと、伊吹の顔が思わず曇ってしまった。
■□■
「ここは、何処だ?」
幸一は地下鉄への入り口が解らず、さ迷っていた。
近くに建てられていた地図掲示板を確認しつつ、予約したホテルがある場所の駅の路線を探す中、ある“判断”に関しては迷わずに決めていたのであった。
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