この世界を、統べる者

空川億里

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第1話 飢饉

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 見渡す大地はどこまでも乾ききり、からからにひびわれていた。かつて小川だった場所は、からっぽの溝になりはてている。
 天から容赦なく降り注ぐ灼熱の光が、無慈悲に地面に照りつけていた。
 サイハテ村の者達は皆真っ黒に日焼けしてやせ細り、誰もが動く気力もないのだ。
 木を組んで作られた家の中の日陰にいても、炎であぶられるかのような、激しい暑さを逃れるすべはない。
 最近では、赤ん坊達も泣かなくなった。
 母親達の乳が出ず、泣く元気も、なくなりつつあるのだろう。すでに亡くなった赤子もたくさんいた。
 絶望の果てに、心中した一家もある。このまま雨が降らなければ、秋に作物は実らない……そう思うと、村人の一人であるヤマスソの胸は激しく痛んだ。
 稲穂が秋に実らねば彼の一家も、同じ村の農民達も飢え死にする。彼の心の底の方から、導師様におすがりするしかないという気持ちが徐々にあふれていた。もう限界だ。
 村の者達を集めた会議でヤマスソは、自分の意見を皆に述べる。
「そうは言うけど、導師様におすがりするには、それなりの物を用意しなくちゃならねえぞ」
 発言したのは、アマダレという村の男だ。年齢は数えでちょうど50歳。ヤマスソと同じ百姓だ。数えで40歳のヤマスソより10歳上になる。50まで生きるのは、村では長生きな方だった。
 すでにアマダレは腰が曲がり、髪の毛は大部分が抜けおちて、残った髪も真っ白だった。顔には深い皺が無数に刻まれている。
「普段の年貢意外にも、獲れた米を追加で導師様にご献上せねばなんねえし、それだけじゃねえ。娘っ子も巫女様として、ご献上せねばならねえんだぞ」
 アマダレは鬼畜生でも見るような目で、こっちをにらんだ。
「そうは言うけど、背に腹は変えられねえ」
 まるで石にでもなったかのような、しばしの重い沈黙の後で、ようやくヤマスソが反論する。
「このまま村の衆総出で飢え死にするのか。それに娘を巫女様としてさしだすのは、大変ありがたい話じゃねえか」
 ヤマスソの言葉に対し、アマダレは顔をそむけたままだった。20年前の飢饉の時アマダレは当時16の娘シラクモを、大神殿にいる導師様に献上したのだ。
   それからその子は1度も村に帰らなかった。先祖代々、そういうしきたりなのである。
 無論アマダレの方が大神殿に出向き、シラクモに会う等もってのほかだ。今や、彼の娘は巫女様であり、生涯を処女のまま、導師様に尽くすのだ。
「村長様」
 ヤマスソは、上座にいる威厳を備えた老体に呼びかけた。
「他に方法がねえのなら、おれが神殿に参ります。導師様におすがりしましょう」
 ヤマスソは子供の時分から足が速く、村で彼に勝てる者はいなかった。自分が赴くのが当然だろう。
   言い出しっぺという経緯もある。老人はしばらくの間返事をせず、永遠にも思えた時間が過ぎる。
   大抵の意見には即答する彼には珍しい。やがてその目に涙が光る。村長の涙を見るのは初めてなので、驚いた。
   いつも大きく、落ちついて見えた村長が、今日は何だか小さく感じる。
「行ってくれるか……おぬしの言う通り、わしらには他にすべがない」
 腹の底から振りしぼるような、悲痛極まりない声だ。60年の生涯が、深く顔に刻まれた無数の皺に現れている。
「わかりました。すぐにでも旅支度をして、神殿に向かいます」
「頼んだぞ」
 村長は深々と頭を下げた。
「そんなもったいねえ。ちょっとひとっ走りセイタカ山まで行くだけなのに」
 村の大事な用で遠出するというので、村民から集めた米や銅貨を渡された。それをふろしきに包み、ヤマスソは一旦自分の家に戻った。家とは言っても藁ぶき屋根の、粗末な作りだ。
「あんた、お帰り」
 藁を編んだむしろに横になっていた女房のミナモが、起きあがりながらこっちを見た。げっそりとやつれ、顔色は悪い。今さらながら、病に伏せる前とは別人のようなありさまだ。
「寝たままでいい。体の具合がよくねえんだから」
「そんな事言ったって……」
 ミナモに限った話ではないが、ろくろく食べていないため、骨と皮ばかりのやつれた姿であった。
   ヤマスソ自身も川面に映せば、そんな姿をしてるのだろう。もっとも今はあまりにも雨が降らぬため、川は干上がってしまったが。
 夫婦の五人の子供達も皆やせ細り、腹を空かせてるのは一緒だった。ヤマスソは長女のアオイを見る。彼女は数えで十六歳で、そろそろ嫁に行く年頃だ。
   セセラギという、許婚もいる。自分の娘だから可愛く感じるのもあるが、若い頃のミナモに似て村でも評判の美人だった。
 今の生活がこれ以上困窮すれば、アオイを人買いに売らねば家族はやっていけなくなるのは、火を見るよりも明らかだ。
 そう考えると、胸が潰れる思いがした。その長女に、ヤマスソは銅貨を何枚か握らせる。
「父ちゃんな。明日の朝早くにここを出て、セイタカ山にある、導師様がいらっしゃる大神殿に雨乞いをお願いに行ってくる。この金は、そのお手当てとして、村から出たもんだ。これで何か美味い物買って、母ちゃんと弟や妹に食わせてやれ。母ちゃんには、薬もな。これだけあれば、普段は買えない、よく効く薬も買えるから。いいか。大事に使うんだぞ」
 アオイは不安そうな涙目で、ヤマスソの顔を見あげた。
「心配ねえさ。すぐ帰ってくる。導師様が雨乞いをしてくだされば、飢饉も終わる。秋にはたくさん米が実って、たらふく食わせてやれるようになるから」
 彼は娘の小さな肩をポンと叩いた。その晩は久々に普段よりもましな飯にありつけるというので、食卓はにぎわった。
 器に大きく盛った白飯。焼き魚。沢庵に味噌汁。そんな夕餉を食べたのだ。アワやヒエばかり食っていたので、久しぶりの銀シャリだった。
 だがこんなご馳走も、次いつ食えるかわからない。翌朝彼はいつものようにニワトリの声と共に起き、朝のまぶしい光の中、目的の山へ向かって歩く。
 遠くに見えるセイタカ山を目標に、ヤマスソはひたすら歩いた。
 空を見あげると『神々の橋』と呼ばれる長く大きな橋が、サイハテ村からセイタカ山に向かって延びている。
 セイタカ山に向かう道は、どこまでもまっすぐで、左右はなだらかにせりあがっていた。
 気温が次第に上がり、全身から汗が噴きだす。
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