この世界を、統べる者

空川億里

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第3話 導師

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 ミズウミの行方が気になるが、いつまでも、ここにてもしかたない。彼には村を救う義務があるのだから。
 サイハテ村からの旅人は大地をわらじで踏みしめながら、セイタカ山に向かって再び歩きはじめた。
 やがて彼は大神殿の、そびえる門の前まで来る。
「どなたかおりませんか」
 ヤマスソは大声をはりあげた。いらえはない。もう1度大声で同じ台詞を繰りかえしたが、やはり返事は戻らなかった。
 さらにまた大声を出そうとした時、石の門が重く軋るような音をあげて、開きはじめる。
 隙間が開いて、ヤマスソよりも頭1つ分背が高い、屈強な体格の男が現れた。
 そいつは不機嫌そうな顔で、訪問者を見おろしている。野良犬でも見るかのようなまなざしだ。
 大神殿に仕える尊い人物というよりは、やくざ者のような人相だった。
 ぶあつい唇はふてくされたように、硬く結ばれている。ヤマスソは地べたに土下座する。
「おれはサイハテ村から来たヤマスソというごらんの通りの百姓です。おれ達の村が日照り続きで、作物が上手く育たねえ。それで導師様に、雨ごいをお願いしに来たんです」
 顔を上げると、懐から取りだした銅貨をいくつか門番の手に握らせた。門番はそれを一瞥すると、すぐに自分の懐にしまった。そして、太いあごだけで、中に入るようさししめす。
 そして自分の方が先に、背中を向けて堂々とした足どりで、神殿内に戻りはじめた。あわててヤマスソはその後を追う。彼が門の中に入ると、屈強な男は門をがちりと閉じて、重そうなかんぬきをかけた。まるで監禁されたような気分がする。
 その大男は無言のまま、敷地内を大股で歩きはじめた。初めて見る大神殿の中はとても広く、広大な敷地の中に、大きな建物がいくつもあった。堅牢そうな石造りの物もあれば、木造の建築物もある。
 屋根には彫刻を施された瓦がびっしり積まれていた。やがて門番が敷地内の建物の一つに向かっているのが察しられ、ヤマスソはその背後を、小走りに歩いていく。綺麗に磨かれた長い廊下をどこまでも歩き、今まで観た事もないだだっ広い大広間を通りぬけ、二人はやがて一枚の、鉄製の扉の前にたどりつく。扉には桜の花をかたどった彫刻が施されている。ヤマトの国を象徴する植物だ。
「導師様。陳情に来た男を連れて参りました」
 巨漢は扉の脇にある縦長の、金属製の一尺位の長さの箱に向かって声を出した。やがて音もなく鉄の扉は、門番が手を出さなくても左右に開きはじめた。中から人が手で開けたのかと思ったら、どうやらそうではないらしい。
 誰も扉に手をかけてない。ヤマスソはあっけにとられたが巨漢は動じず当然のように受けとめ、サイハテ村の百姓に対し、初めて笑みをみせた。歯をむきだしにして、馬鹿にした笑顔である。
「これが、偉大なる導師様の操る魔法よ。貴様のような百姓風情が驚くのも無理はない」
 扉が完全に開いたが、やはりどこを見渡しても、近くに人影はなかった。扉からかなり離れた部屋の奥の中央に大粒の宝石でふんだんに飾られた椅子があり、そこに一人の老人がいる。齢七〇位だろうか。
 恰幅が良く、腹はでっぷりと太っていた。サイハテ村には太った者は一人もいない。飢饉の前からそうだった。それだけでも、驚くべき話である。両手の指に、大粒の宝石が光る指輪をはめていた。
 彼の左右には、はたち前後の若い娘が一人ずつおり、老人の体にしなだれかかっている。二人共おそらくは絹で織られたであろう薄物を身にまとっている。そもそも絹等見た試しがないから、本当にそうかもわからない。
 体を覆う部分は少なく、両腕と両脚の、かなりの領域がむきだしだ。唇には紅をさし、顔に白粉を塗り、指にはやはり宝石のついた指輪をいくつもはめている。ヤマスソから見て右の女は、こちらを見ようともしなかったが、左の女はからかうような笑みを浮かべて、ヤマスソを眺めていた。珍獣でも観察するような表情だ。
 門番は、部屋の奥の老人に向かって片方のひざだけ折って、深々と一礼した。その後ろでヤマスソは床に這いつくばって、土下座をする。
「面をあげい」
 老人が、よく通る声を発した。サイハテ村からの使者は命じられるままに恐る恐る顔をあげ、第十五代導師のイシクレが鎮座する方を見る。獲物を見る鷹のような目つきで、こちらを凝視していた。
「その腹のうち、遠慮なくわしに申してみよ」
「お願いがございます。おれはサイハテ村の百姓で、ヤマスソと言う者です。日照り続きで村は凶作で、食うにも困るありさまです。導師様のお力で、どうか雨を降らせてくだせえ」
 しばらくの間、返答がなかった。そのために、不安がつのる。実際には一、二分だったろうが、永遠にも思える長い時間が過ぎて、ようやく導師が口を開いた。
「良かろう。わしが、雨乞いをしてやろう。ただし、雨を司る神様は貢物を要求するからの。代わりに若いおなごと酒、食い物、カネを用意するように。追って、何がどのぐらい必要なのか連絡する」
「ありがたき幸せでごぜえます」
 平伏しながらいくら相手が導師でも、なぜここまで貢物をしなければならないのか、疑問に思った。それに導師は一人の妻以外の女とのまぐわいは禁じられているはずだ。なのに、何で若い女が二人もそばにいるのか。ただいるだけならともかく、二人とも娼婦のような格好で、導師にべたべたくっついている。
「顔をあげろ」
 やがて上から野太い声が降ってきた。先程の巨漢の声だ。あわててヤマスソは、上体を起こす。
「今からお前を、最初に会った門の前まで連れていく。そこで導師様から村長に渡す手紙を待つんだ」
 ヤマスソは再び巨漢の後に続いて、神殿の門前まで戻った。やがてヤマスソ一人を残し大男は屋敷の中へ戻っていき、門は荒々しく閉じられた。一時間程たっただろうか。再び巨漢が現れる。男は手にした巻物を投げた。ヤマスソは、あわててそれを拾いあげる。
「そいつを読んどけ。必要な物がしたためてある。用意すれば導師様が、雨をお降らしになってくれる」
 男は地面につばを吐き、再び門を閉じてしまった。読んどけと言われても、ヤマスソは文字が読めない。もっとも村に持ち帰れば、村長が読んでくれる。どの村でも字の読み書きができるのは、村長ぐらいのものだった。
 言い伝えでは、かつてヤマトの人々はほとんどの者が子供のうちから手習いをして、文字の読み書きができたそうだ。ところがご先祖様達は学問が普及するにつれ偉大なる神々の教えを忘れ、戒律をないがしろにするようになった。
 やがて驕ったヤマトの民は互いに互いを殺しあう戦に明け暮れ、それは長い、大きな争いに発展し、神殿も家々も、田畑も人も、焼かれたのである。それが四十二日大戦と呼ばれる戦いだった。お怒りになった神々は、民から文字を取りあげたのだ。
 選ばれた者だけが、字の読み書きをできるようにした。多くの民が昔ながらの百姓や狩人や漁師になり、平和なヤマトを取り戻したのである。ヤマスソは、故郷の村へ向かって歩いた。
 疲れはてたその足どりは、とてもじゃないが、軽やかなものとは言えぬ。まるで奴隷になり、足に分銅を鎖で縛られたような感じだ。来た時と同じ宿場町の宿に泊まり、同じ道を通って村に帰った。
 故郷に戻ったヤマスソは真っ先に、村長の家に向かう。そして、巻き物を村長のフブキに渡した。フブキはしわ深い手でひったくるように手紙を受けとった。そしてその、巻き物を開いたのである。
 読みおえた村長の顔は手紙を受けとる前よりも、影が濃くなっている。顔を覆った無数の皺のその数が、一挙に増えたかに見えた。
「雨を降らす代わりに貢物を献じるよう、この手紙には、したためておる」
 まるで壊れた臼を引くような歯切れの悪い口調で、フブキがそう話した。
「嫁入り前の若いおなごを十人、米や銅貨も献じるよう書いておるが、米や銅貨の方は雨が降り、作物が実ってからで良いとなっておる。おぬしには申し訳ないが、娘のアオイを献じてもらう。わしも、孫娘を献じよう」
 やはり、そういう話になったか。赤ん坊の頃から手塩にかけて育ててきたアオイを導師様の下へやるなど、辛抱しがたい話だった。全身が一瞬にして、凍るような気持ちがする。
「ヤマスソよ。おぬしの気持ちは、よくわかる」
 震えながら、村長が発言した。
「わしも可愛い孫娘を手放すなんぞ、本当ならしたくはない。が、これも全ては村のためじゃ。こらえてくれ」
 嗚咽混じりにフブキがそう頼みながら、頭を下げた。
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