4 / 17
第4話 灼熱
しおりを挟む
それから5日後アオイと村長の孫を含めた10人の10代後半の少女達が、村の一角に集められた。
子供っぽさの抜けきらぬあどけない娘達ばかりだ。誰が行くかを決めたのは村長である。フブキの決定は、この村では絶対だ。
少女達のそばには彼女達の両親や兄弟姉妹、親戚縁者や友達が集まっていた。
そこには村長とヤマスソ、アオイの許婚だったセセラギの姿もある。
友人達との別れを惜しんで涙ぐむアオイを、セセラギはちょっと離れた場所から見ていた。
彼は子供の頃からガキ大将で、ガタイのいい偉丈夫だが、今日ばかりは迷子のように、なすすべもなく突っ立っている。
やがてひづめの音がした。大神殿からの使いだ。11名の使者は全員、馬に乗ってやってきた。
10人の娘達は、1人ずつ使者の後ろの馬の背に乗せられた。先頭は隊長で、彼だけが、後ろに誰も乗せないのだ。
無理やり馬に座らせられたアオイが何度も泣きながら振り返るのを歯を食いしばって、セセラギはただ、見守るしかなかった。
やがて馬達が視界から去り、彼は重い足取りで、家路につく。後から後から滝のように涙が流れた。
その翌日は、それまで日照り続きだったのに、突然泣きだした赤子のように雨が降りだす。これも導師様に貢ぎ物をしたからだと、村の多くの者達は、手放しで喜んだが、巫女として神殿に仕える事が決まった少女達とゆかりの深い者達は、単純には喜べなかった。
セセラギも、その一人である。彼はどうしてもアオイを諦められず、村を出る前に一緒に逃げようと提案したのだ。
「嬉しいけど、できねえ」
泣きながら、アオイが話した。
「あたしが逃げれば、いつまでたっても雨が降らねえ。村長さんは他のおなごを、導師様にさしだすじゃろう? あたしは代わりのおなごにも、その家族にも恨まれる。おっとうやおっかあは村八分になる」
彼女の言い分は全くその通りだったので、セセラギは反論できなかった。
(アオイ、待ってろ。おれは、お前を必ず助ける)
セセラギは、両の拳を強く握りながら、臥薪嘗胆の思いで、自分に誓う。何としても、彼女を救いだしてみせる。そして二人で誰も知らない、よその土地へ逃げるのだ。導師もクソもあるものか。
*
市に集まった庶民を相手に説法中宗教警察に捕まったミズウミは鞭で叩かれ、先の尖った靴で蹴られ、なぐられて、半殺しの目にあった。全身が痛い。まるで炎で焼かれるような感覚だ。
そして縄で縛られると、警察署まで歩かされた。なぐられたまぶたが腫れて景色は見づらいが、周囲の者が好奇の視線を向けてくるのはわかった。
「導師様を侮辱する異端者め」
そうどなりながら石を投げたり、つばを飛ばしてくるものがいた。石が当たると激しい痛みのために、心が折れそうになる。それでも何度も気力をふるいおこそうとしたが無駄だった。今度はさすがに殺されるかもしれない。
警察署でどんな拷問が待っているかと考えると、身の毛がよだつ思いがした。信念を貫く勇気が己にあるか自信がない。途中ミズウミは何度も前のめりに倒れたが、己を縛る縄を強く引っぱられ、立ちあがるまで鞭で叩かれ、足で蹴られる。
警官の履く革靴の先は尖っており、わき腹を蹴られると刃物のようにめりこんだ。茨の道を歩くかのような、永遠にも等しい時間が過ぎ、ようやく眼前に警察署が現れた。石造りの堅牢な建物で、一旦入ったら、簡単に出られる気がしない。
警察署の門が、地獄へ通じる入口に見えた。その裏口から、警察官に引きずられるようにして中に入ったミズウミは、独房の中に突きとばされた。痛みのあまり、うつぶせに倒れたまま動けぬ彼を、向かい側にある檻にいる凶悪そうな囚人達が、冷笑を浮かべて見ている。
「こいつが、ミズウミとかいう大工かよ」
囚人の一人が、口を開く。
「大工風情が、導師様のおっしゃる言葉が間違ってるって抜かすんだから、しゃらくせえ」
囚人が嘲笑混じりにそう話すと、周囲の男達がどっと笑った。全員がそうだとまでは考えぬが、かれらの中には、その日の食い扶持にも事欠き、本心とは別に盗みを働いて、そのままずるずる悪の道に引きずりこまれた者達もいるだろう。
そう思うと、単純にこの男達を頭から軽蔑する気にはならない。とはいえ、額に汗して働く庶民の方が、尊いのには間違いない。そしてミズウミだけ独房なのは、危険な思想を他の囚人に広めかねないという警察側の判断なのは、彼も知っていた。
それから長い時間が過ぎ、夜になり、また朝が来る。ミズウミは、鉄格子のはまった小さな四角い窓で切り取られた戸外の景色で、昼夜を判断するしかなかった。朝になると、最初にミズウミを連れてきた警官が二人現れる。
その頃にはようやく傷だらけの大工も体を起こし、壁にもたれて座るぐらいまで体調は回復していたが、それでも全身が無数の錐で穿たれたように激しく痛んだ。警官の一人が、一緒に連れてきた看守に、檻の鍵を開けさせた。
「ミズウミ、喜べ。導師様が、貴様に会いたいとおっしゃっておられる」
一瞬、警官の言葉が理解できなかった。あまりにも、予想外の内容だ。もしもこれが警官の戯言ではなく、正真正銘の事実なら、驚くべき話だ。ヤマトを統べる絶対的な支配者が、己のような一介の大工と会おうというのだから。
「早く、出ろ」
そう、命じたのは看守である。ミズウミは、よちよち歩きで檻を出た。片方の警官が、自分についてくるよう、あごで示した。大股に歩く警官の後をミズウミが進み、その後からもう一人の警官と看守がついてくる。
途中でミズウミは再び縄で後ろ手に縛られ、歩かされた。歩くたびに両脚の傷が激しく痛んだ。恐らく自分はセイタカ山の麓にある、大神殿に連れて行かされるだろうと予想した。
二人の警官は後ろから馬に乗ってついてくる。片方の警官が、縄を握りしめていた。やがて一行は大神殿に到着する。初めて来たが、昔話で語りつがれる巨大な城のようだった。
見張りからの連絡があったのか、大神殿の門が内側から開かれた。屈強な体格をした門番が、三人を案内した。二人の警官は馬から降りる。待ちかねたように馬番の男が二人現れた。かれらはそれぞれ手綱を持つと、水飲み場まで馬を連れてゆく。
ミズウミは門番の後を歩いていった。全身が痛いのもあって、ひたすら長く感じられる。いくつもの扉が開いてはまた閉まり、ようやく最後に、桜の花びらをかたどった彫刻の施された、巨大な鉄製の扉の前に到達した。
扉の脇の、門番の顔ぐらいの位置に長さ一尺の細長い鉄製の箱が縦に設置されていた。その箱に向かって、巨漢の門番が呼びかける。
「導師様。不逞の輩を連れてきました」
返事の代わりに鉄の扉が左右に開いたが、内側から誰かが開けたわけではなく、そばに人がいなかったので驚いた。天候を左右するだけでなく、こんな魔法も使えるとは。
巨漢の門番と二人の警官は、三人共片膝をついてお辞儀をした。一方ミズウミは、土下座をする。体の節々が痛むため、ぎこちない土下座になった。
「苦しゅうない。面をあげい」
甲高い老人の声がした。目をあげると、そこに導師のイシクレの姿がある。
(これが、このヤマトを司る者の姿か)
老人は白い衣をまとい、一段高くなった椅子に腰かけている。左右に若い娘をはべらせていた。導師の目は、馬鹿にしたような笑みを浮かべている。驚く事に毒物を撒きちらし空気を汚すため禁じられている煙管を堂々と吸っていた。
やくざ者が吸っているのは知っていたが、当然ながら宗教警察に見つかると処罰される。
「昨今神聖なるこの国を舌先で惑わす大工がいるとは聞いておったが、そちがそうなのだな。どうせ貴様もキリサメに騙されているのだろう」
「とんでもございません」
ミズウミは、強く否定した。一本筋の通ったあの公爵が、人を騙すはずがない。「キリサメ公爵閣下は、慈悲深い智者でございます。偉大な貴族で宗教学者です」
「確かに奴は宗教学者だ。わし同様高貴な生まれで、尊い血筋を引いた男だ」
導師の顔が、唐辛子でもかじったような表情になる。
「じゃがキリサメは、悪魔に魅入られてしまった。異端の説を悪魔から吹きこまれ、変わりはててしまったのじゃ」
「私にはそう思えません。ただただ、貧しい民の気持ちを思うお方と感じています。今もご自分で建てた救貧院で飢える者に食事を配ったり、医師に命じて貧しい者でも無料で病を治療したりする素晴らしいお方です」
「それは、きゃつの偽りの姿じゃ」
それまで冷笑を浮かべ、気味の悪い粘液質の口調で話していた導師が、急に不機嫌な顔になって、断言した。
「人心を惑わす真の姿を見せないための、仮の姿に過ぎん」
イシクレは、語気を強めた。「まあ、所詮大工のお前には、難しい理屈は、わからんじゃろう」
導師は馬鹿にした口調で続ける。
「では、こうしよう。本来貴様は人心を惑わした罪で火あぶりにされてもしかたないところじゃが、今回はわしの一存で、解放してやろう。果たして天地を司る神々が、貴様やキリサメにどう裁きを下すか、神妙に受けとるように」
すぐには信じられなかったが、それでもその言葉を聴いて、それまで背中にセイタカ山でものっけたような束縛感があったのが、一挙に解放されたように感じた。てっきり不敬罪で殺されるとばかり考えていたのだ。帰りは再び来た時と同じように門まで歩かされた。
「導師様の広い心で、貴様は命を助けられたのだ」
自分の馬にとびのった警官の一人が話した。
「今後は人心を惑わすような言動はやめ、大工に専念するように」
二人の警官はミズウミを置き去りにして、先にセイタカ山の斜面を軽やかに下ってゆく。ひづめの音が、次第に遠ざかっていった。すっかり疲れはてた大工は、近くにあった大木のそばに身を横たえる。
相変わらず全身が痛んだが、それでも捕囚の身から解放されて、心は少し軽かった。やがて猛烈な睡魔が彼を襲ってきた。いつしかミズウミは、深い眠りの沼の底へと落ちてゆく。
気がつくと、激しい雨音で目が覚めた。
大神殿から解放された時は、雲ひとつないすがすがしいまでの晴天だったのに、おかしな天気だ。滝のように、空から大量の雨が降っていた。
そのうち稲光が空にきらめき、後を追うように大音量の雷鳴が轟く。
やがて稲光と雷鳴が、徐々に接近してくるのがわかった。そして突然、ミズウミの全身を、灼熱の光が包んだ。
子供っぽさの抜けきらぬあどけない娘達ばかりだ。誰が行くかを決めたのは村長である。フブキの決定は、この村では絶対だ。
少女達のそばには彼女達の両親や兄弟姉妹、親戚縁者や友達が集まっていた。
そこには村長とヤマスソ、アオイの許婚だったセセラギの姿もある。
友人達との別れを惜しんで涙ぐむアオイを、セセラギはちょっと離れた場所から見ていた。
彼は子供の頃からガキ大将で、ガタイのいい偉丈夫だが、今日ばかりは迷子のように、なすすべもなく突っ立っている。
やがてひづめの音がした。大神殿からの使いだ。11名の使者は全員、馬に乗ってやってきた。
10人の娘達は、1人ずつ使者の後ろの馬の背に乗せられた。先頭は隊長で、彼だけが、後ろに誰も乗せないのだ。
無理やり馬に座らせられたアオイが何度も泣きながら振り返るのを歯を食いしばって、セセラギはただ、見守るしかなかった。
やがて馬達が視界から去り、彼は重い足取りで、家路につく。後から後から滝のように涙が流れた。
その翌日は、それまで日照り続きだったのに、突然泣きだした赤子のように雨が降りだす。これも導師様に貢ぎ物をしたからだと、村の多くの者達は、手放しで喜んだが、巫女として神殿に仕える事が決まった少女達とゆかりの深い者達は、単純には喜べなかった。
セセラギも、その一人である。彼はどうしてもアオイを諦められず、村を出る前に一緒に逃げようと提案したのだ。
「嬉しいけど、できねえ」
泣きながら、アオイが話した。
「あたしが逃げれば、いつまでたっても雨が降らねえ。村長さんは他のおなごを、導師様にさしだすじゃろう? あたしは代わりのおなごにも、その家族にも恨まれる。おっとうやおっかあは村八分になる」
彼女の言い分は全くその通りだったので、セセラギは反論できなかった。
(アオイ、待ってろ。おれは、お前を必ず助ける)
セセラギは、両の拳を強く握りながら、臥薪嘗胆の思いで、自分に誓う。何としても、彼女を救いだしてみせる。そして二人で誰も知らない、よその土地へ逃げるのだ。導師もクソもあるものか。
*
市に集まった庶民を相手に説法中宗教警察に捕まったミズウミは鞭で叩かれ、先の尖った靴で蹴られ、なぐられて、半殺しの目にあった。全身が痛い。まるで炎で焼かれるような感覚だ。
そして縄で縛られると、警察署まで歩かされた。なぐられたまぶたが腫れて景色は見づらいが、周囲の者が好奇の視線を向けてくるのはわかった。
「導師様を侮辱する異端者め」
そうどなりながら石を投げたり、つばを飛ばしてくるものがいた。石が当たると激しい痛みのために、心が折れそうになる。それでも何度も気力をふるいおこそうとしたが無駄だった。今度はさすがに殺されるかもしれない。
警察署でどんな拷問が待っているかと考えると、身の毛がよだつ思いがした。信念を貫く勇気が己にあるか自信がない。途中ミズウミは何度も前のめりに倒れたが、己を縛る縄を強く引っぱられ、立ちあがるまで鞭で叩かれ、足で蹴られる。
警官の履く革靴の先は尖っており、わき腹を蹴られると刃物のようにめりこんだ。茨の道を歩くかのような、永遠にも等しい時間が過ぎ、ようやく眼前に警察署が現れた。石造りの堅牢な建物で、一旦入ったら、簡単に出られる気がしない。
警察署の門が、地獄へ通じる入口に見えた。その裏口から、警察官に引きずられるようにして中に入ったミズウミは、独房の中に突きとばされた。痛みのあまり、うつぶせに倒れたまま動けぬ彼を、向かい側にある檻にいる凶悪そうな囚人達が、冷笑を浮かべて見ている。
「こいつが、ミズウミとかいう大工かよ」
囚人の一人が、口を開く。
「大工風情が、導師様のおっしゃる言葉が間違ってるって抜かすんだから、しゃらくせえ」
囚人が嘲笑混じりにそう話すと、周囲の男達がどっと笑った。全員がそうだとまでは考えぬが、かれらの中には、その日の食い扶持にも事欠き、本心とは別に盗みを働いて、そのままずるずる悪の道に引きずりこまれた者達もいるだろう。
そう思うと、単純にこの男達を頭から軽蔑する気にはならない。とはいえ、額に汗して働く庶民の方が、尊いのには間違いない。そしてミズウミだけ独房なのは、危険な思想を他の囚人に広めかねないという警察側の判断なのは、彼も知っていた。
それから長い時間が過ぎ、夜になり、また朝が来る。ミズウミは、鉄格子のはまった小さな四角い窓で切り取られた戸外の景色で、昼夜を判断するしかなかった。朝になると、最初にミズウミを連れてきた警官が二人現れる。
その頃にはようやく傷だらけの大工も体を起こし、壁にもたれて座るぐらいまで体調は回復していたが、それでも全身が無数の錐で穿たれたように激しく痛んだ。警官の一人が、一緒に連れてきた看守に、檻の鍵を開けさせた。
「ミズウミ、喜べ。導師様が、貴様に会いたいとおっしゃっておられる」
一瞬、警官の言葉が理解できなかった。あまりにも、予想外の内容だ。もしもこれが警官の戯言ではなく、正真正銘の事実なら、驚くべき話だ。ヤマトを統べる絶対的な支配者が、己のような一介の大工と会おうというのだから。
「早く、出ろ」
そう、命じたのは看守である。ミズウミは、よちよち歩きで檻を出た。片方の警官が、自分についてくるよう、あごで示した。大股に歩く警官の後をミズウミが進み、その後からもう一人の警官と看守がついてくる。
途中でミズウミは再び縄で後ろ手に縛られ、歩かされた。歩くたびに両脚の傷が激しく痛んだ。恐らく自分はセイタカ山の麓にある、大神殿に連れて行かされるだろうと予想した。
二人の警官は後ろから馬に乗ってついてくる。片方の警官が、縄を握りしめていた。やがて一行は大神殿に到着する。初めて来たが、昔話で語りつがれる巨大な城のようだった。
見張りからの連絡があったのか、大神殿の門が内側から開かれた。屈強な体格をした門番が、三人を案内した。二人の警官は馬から降りる。待ちかねたように馬番の男が二人現れた。かれらはそれぞれ手綱を持つと、水飲み場まで馬を連れてゆく。
ミズウミは門番の後を歩いていった。全身が痛いのもあって、ひたすら長く感じられる。いくつもの扉が開いてはまた閉まり、ようやく最後に、桜の花びらをかたどった彫刻の施された、巨大な鉄製の扉の前に到達した。
扉の脇の、門番の顔ぐらいの位置に長さ一尺の細長い鉄製の箱が縦に設置されていた。その箱に向かって、巨漢の門番が呼びかける。
「導師様。不逞の輩を連れてきました」
返事の代わりに鉄の扉が左右に開いたが、内側から誰かが開けたわけではなく、そばに人がいなかったので驚いた。天候を左右するだけでなく、こんな魔法も使えるとは。
巨漢の門番と二人の警官は、三人共片膝をついてお辞儀をした。一方ミズウミは、土下座をする。体の節々が痛むため、ぎこちない土下座になった。
「苦しゅうない。面をあげい」
甲高い老人の声がした。目をあげると、そこに導師のイシクレの姿がある。
(これが、このヤマトを司る者の姿か)
老人は白い衣をまとい、一段高くなった椅子に腰かけている。左右に若い娘をはべらせていた。導師の目は、馬鹿にしたような笑みを浮かべている。驚く事に毒物を撒きちらし空気を汚すため禁じられている煙管を堂々と吸っていた。
やくざ者が吸っているのは知っていたが、当然ながら宗教警察に見つかると処罰される。
「昨今神聖なるこの国を舌先で惑わす大工がいるとは聞いておったが、そちがそうなのだな。どうせ貴様もキリサメに騙されているのだろう」
「とんでもございません」
ミズウミは、強く否定した。一本筋の通ったあの公爵が、人を騙すはずがない。「キリサメ公爵閣下は、慈悲深い智者でございます。偉大な貴族で宗教学者です」
「確かに奴は宗教学者だ。わし同様高貴な生まれで、尊い血筋を引いた男だ」
導師の顔が、唐辛子でもかじったような表情になる。
「じゃがキリサメは、悪魔に魅入られてしまった。異端の説を悪魔から吹きこまれ、変わりはててしまったのじゃ」
「私にはそう思えません。ただただ、貧しい民の気持ちを思うお方と感じています。今もご自分で建てた救貧院で飢える者に食事を配ったり、医師に命じて貧しい者でも無料で病を治療したりする素晴らしいお方です」
「それは、きゃつの偽りの姿じゃ」
それまで冷笑を浮かべ、気味の悪い粘液質の口調で話していた導師が、急に不機嫌な顔になって、断言した。
「人心を惑わす真の姿を見せないための、仮の姿に過ぎん」
イシクレは、語気を強めた。「まあ、所詮大工のお前には、難しい理屈は、わからんじゃろう」
導師は馬鹿にした口調で続ける。
「では、こうしよう。本来貴様は人心を惑わした罪で火あぶりにされてもしかたないところじゃが、今回はわしの一存で、解放してやろう。果たして天地を司る神々が、貴様やキリサメにどう裁きを下すか、神妙に受けとるように」
すぐには信じられなかったが、それでもその言葉を聴いて、それまで背中にセイタカ山でものっけたような束縛感があったのが、一挙に解放されたように感じた。てっきり不敬罪で殺されるとばかり考えていたのだ。帰りは再び来た時と同じように門まで歩かされた。
「導師様の広い心で、貴様は命を助けられたのだ」
自分の馬にとびのった警官の一人が話した。
「今後は人心を惑わすような言動はやめ、大工に専念するように」
二人の警官はミズウミを置き去りにして、先にセイタカ山の斜面を軽やかに下ってゆく。ひづめの音が、次第に遠ざかっていった。すっかり疲れはてた大工は、近くにあった大木のそばに身を横たえる。
相変わらず全身が痛んだが、それでも捕囚の身から解放されて、心は少し軽かった。やがて猛烈な睡魔が彼を襲ってきた。いつしかミズウミは、深い眠りの沼の底へと落ちてゆく。
気がつくと、激しい雨音で目が覚めた。
大神殿から解放された時は、雲ひとつないすがすがしいまでの晴天だったのに、おかしな天気だ。滝のように、空から大量の雨が降っていた。
そのうち稲光が空にきらめき、後を追うように大音量の雷鳴が轟く。
やがて稲光と雷鳴が、徐々に接近してくるのがわかった。そして突然、ミズウミの全身を、灼熱の光が包んだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました
グミ食べたい
ファンタジー
現実に疲れた俺が辿り着いたのは、自由度抜群のVRMMORPG『アナザーワールド・オンライン』。
選んだ職業は“料理人”。
だがそれは、戦闘とは無縁の完全な負け組職業だった。
地味な日々の中、レベル上げ中にネームドモンスター「猛き猪」が出現。
勝てないと判断したアタッカーはログアウトし、残されたのは三人だけ。
熊型獣人のタンク、ヒーラー、そして非戦闘職の俺。
絶体絶命の状況で包丁を構えた瞬間――料理スキルが覚醒し、常識外のダメージを叩き出す!
そこから始まる、料理人の大逆転。
ギルド設立、仲間との出会い、意外な秘密、そしてVチューバーとしての活動。
リアルでは無職、ゲームでは負け組。
そんな男が奇跡を起こしていくVRMMO物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる