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第2話 出港
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シャワーを浴び終えた今国はさっぱりした雰囲気を醸し出していた。
半裸の筋肉質の逞しい体つきで、女性2人がうっとりと彼を眺めているのを若田部は見逃さなかった。
今国の顔にはアザがあったが、それ以外の上半身にはないように見える。
「念のため君にも渡しておこう」
兵頭が近づくと、黒光りするマカロフを1丁今国に握らせた。
「使い方がわからなければ、説明する」
「大丈夫です。ありがとうございます」
力強くそう答えると、人を惹きつける笑みを浮かべる。
「でも、この台風で本当に出港するんですか?」
不安そうな顔になって、今国が聞く。
「しかたないな。追手はいつ来るかわからんから」
確かに外は、とんでもない嵐である。それでもそこにいた全員が建物を出て、港に停泊した船に向かう。
みんな傘をさしてはいたが、強風で役に立たず、すぐにずぶ濡れになった。船長の水川が操舵室に行き、他のメンバーは客室に入った。
海は大荒れだ。波が高く、上下している。水中で、どでかい竜が大暴れでもしてるような想像をしてしまう。
「こんなんで、大丈夫かよ!」
愚痴ったのは瀬古である。
「吐いちまいそうだよ!」
一方稗田は真夏でクソ暑いのに、極地にいるかのように震えていた。相当怯えているようだ。
若田部も、人を笑えない。船はものすごい揺れで、前の座席にしがみつくだけで精一杯だ。
「大丈夫。大丈夫よ。信じましょう」
いつのまにか隣に智恵理がきてそう話す。メガネの奥の黒い瞳は、予想以上に落ち着いていた。
やがて船は出港する。目的地の韓国は、今のところ日本と違い民主主義が機能していた。
が、着いたら着いたで、色々な苦労が予想される。そもそも若田部は韓国に行ったためしがないし、韓国語もわからない。
アメリカやヨーロッパでも吹き荒れた民主主義→独裁体制の流れが、韓国に押し寄せない保障はないのだ。
「なんで、こうなったんだろうね」
まるで若田部の脳内を読んだかのように、智恵理がボソリとつぶやいた。
彼女の気持ちは、理解できる。太平洋戦争後荒廃した日本は、その後経済大国となった。
が、その後経済は衰退する。その理由は外国による陰謀であり、政治家が強い指導力を発揮すれば解決できると主張したのが復活党だ。
復活党は、既存の与野党は全て左右を問わず腐敗かつ硬直しているとの考えを広めたのである。
その時また、激しく船が揺れた。窓には風雨が叩きつけ、まるで海中にいるようだ。さっきまでいた鹿児島が、どんどん小さくなるのが見える。
日本には愛想をつかしたつもりでいたが、次第に離れてゆくのを見ると、心細さを感じてもいた。
一瞬隣に腰かけている智恵理に抱きつきたい衝動にかられたが『男のプライド』と呼ぶべき気持ちが紙一重で、それを食いとめる。
しかし、次の瞬間もう1度激しく揺れると、自分でも情けない悲鳴をあげた。
その後は何がどうなったのか、若田部にはわからなかった。前の座席にしがみつくので精一杯だったのだ。
世界中の神様に祈りたい心境だった。やがて船が明らかに、最初めざした方向とは、別の方角へ向かっているのに気づく。
転進したというよりは、激しい風雨のために、否が応でも方向を変えざるを得なかったという雰囲気だった。
隣の智恵理が悲鳴をあげて、抱きついてくる。窓の一部が割れて、大量の水が船室に流れこんできた。
やがてまた、大きな揺れが船を襲い、若田部は気を失う。気を失うなんて、彼にとっては初めての経験だ。
このまま死んでしまうのだろうか? 混濁した意識の中で、おそらく若田部はそんな事も考えていたように思う。
元々無理な話だったのだろう。日本全国に反政府分子を取り締まる警戒の目を網の目のように張り巡らせた軍事政権の魔の手から逃れるなど、絶望的な行動だった。
しかも運が悪かった。台風がこなければ、こんな目にあわずに、韓国へ行けたはずなのだ。このまま死んだら自分は天国に行けるだろうか?
そもそもあの世はあるのだろうか? 若田部は何かの宗教の熱心な信者ではなかったが、だからといって全ての信仰を完全に否定できるほど、確信的な無神論者でもなかったからだ。
現代の科学者による研究によれば、今から137億年前にビッグバンが起きて、それが宇宙のはじまりと言われてるそうだ。
仮にそれが事実なら一体誰が、その爆発を起こしたのだろう? 『神』と呼んでもよい超自然的な存在が、点火したとも考えらえるのではないか?
神の存在の有無はともかく、復活党が政権与党になってから、最初にイスラム教が禁止された。復活党の理屈では、イスラム教はテロをもたらす危険な宗教だからという理由だからだ。
テロリストになるイスラム教徒はごく一部の人間で、他の宗教の信者がそういった蛮行に走るという事実は無視された。
今となっては恥ずかしい話だが、若田部は18歳になって初めて選挙権を手にした時、復活党に投票したのだ。
この時の衆参同日選挙で復活党は大勝し、単独過半数を得て、連立を組まずに与党になる。そして、これが日本における最後の国政選挙となった。
新しい総理大臣は、外国の脅威が高まったという理由で選挙を停止したのである。その後彼は総理の代わりに総統を名乗るようになっていた。
この頃には若田部も、復活党に騙されたと気づいたが、全ては後の祭りであった。復活党以外の政党は全て解散させられて、野党議員は刑務所に送られたり、亡命を余儀なくされた。
宗教への弾圧も、イスラム教では終わらなかった。次に禁止されたのはキリスト教だ。
その次に仏教が、いずれも外来の信仰という理由で禁止になる。
コーランも聖書もお経も焼かれ、廃仏毀釈が始まった。
無論外来の宗教という理由で、ユダヤ教やヒンズー教など、全ての外来の信仰が禁止されたのだ。お寺も教会もモスクも焼かれた。
次に迫害されたのは、神道だった。『そもそも信仰は、人心を惑わす』という理由で迫害されたのだ。
全国の神社が焼かれ、その代わり国民は、総統を崇拝するよう強制される。
抵抗した人達は強制収容所に連行され、ガス室で殺された。皇室も、廃止された。
権威として残すのではと見られたが、総統にとっては、自分だけが絶対の存在なのだろう。
皇族の方達は、公の場に姿を見せなくなった。どこかに軟禁されてるという噂もあったが、わからなかった。
復活党が与党になってから、突然人が消えるなど、当たり前になってしまった。
やがて若田部は、光を感じた。泥酔したかのようなまとまらない意識の中で、自分はもしかしたら光あふれる極楽浄土についたのでは? と、考えたのだ。
が、それは、空に輝く太陽の光であった。彼は自分が全身ずぶぬれで、なおかつどこかの砂浜に寝そべっているのに気づく。
首をかたむけると、何かの巨大な残骸が、目に映る。それが若田部の乗ってきた船の、変わり果てた姿だと気づくまでに時間がかかった。
その時である。砂浜を踏みしめる足音がして、若田部はそっちに視線を映した。
そこには手に拳銃を持った見知らぬ男の姿がある。彼の手にしたピストルの筒先が、若田部の方を向いている。
半裸の筋肉質の逞しい体つきで、女性2人がうっとりと彼を眺めているのを若田部は見逃さなかった。
今国の顔にはアザがあったが、それ以外の上半身にはないように見える。
「念のため君にも渡しておこう」
兵頭が近づくと、黒光りするマカロフを1丁今国に握らせた。
「使い方がわからなければ、説明する」
「大丈夫です。ありがとうございます」
力強くそう答えると、人を惹きつける笑みを浮かべる。
「でも、この台風で本当に出港するんですか?」
不安そうな顔になって、今国が聞く。
「しかたないな。追手はいつ来るかわからんから」
確かに外は、とんでもない嵐である。それでもそこにいた全員が建物を出て、港に停泊した船に向かう。
みんな傘をさしてはいたが、強風で役に立たず、すぐにずぶ濡れになった。船長の水川が操舵室に行き、他のメンバーは客室に入った。
海は大荒れだ。波が高く、上下している。水中で、どでかい竜が大暴れでもしてるような想像をしてしまう。
「こんなんで、大丈夫かよ!」
愚痴ったのは瀬古である。
「吐いちまいそうだよ!」
一方稗田は真夏でクソ暑いのに、極地にいるかのように震えていた。相当怯えているようだ。
若田部も、人を笑えない。船はものすごい揺れで、前の座席にしがみつくだけで精一杯だ。
「大丈夫。大丈夫よ。信じましょう」
いつのまにか隣に智恵理がきてそう話す。メガネの奥の黒い瞳は、予想以上に落ち着いていた。
やがて船は出港する。目的地の韓国は、今のところ日本と違い民主主義が機能していた。
が、着いたら着いたで、色々な苦労が予想される。そもそも若田部は韓国に行ったためしがないし、韓国語もわからない。
アメリカやヨーロッパでも吹き荒れた民主主義→独裁体制の流れが、韓国に押し寄せない保障はないのだ。
「なんで、こうなったんだろうね」
まるで若田部の脳内を読んだかのように、智恵理がボソリとつぶやいた。
彼女の気持ちは、理解できる。太平洋戦争後荒廃した日本は、その後経済大国となった。
が、その後経済は衰退する。その理由は外国による陰謀であり、政治家が強い指導力を発揮すれば解決できると主張したのが復活党だ。
復活党は、既存の与野党は全て左右を問わず腐敗かつ硬直しているとの考えを広めたのである。
その時また、激しく船が揺れた。窓には風雨が叩きつけ、まるで海中にいるようだ。さっきまでいた鹿児島が、どんどん小さくなるのが見える。
日本には愛想をつかしたつもりでいたが、次第に離れてゆくのを見ると、心細さを感じてもいた。
一瞬隣に腰かけている智恵理に抱きつきたい衝動にかられたが『男のプライド』と呼ぶべき気持ちが紙一重で、それを食いとめる。
しかし、次の瞬間もう1度激しく揺れると、自分でも情けない悲鳴をあげた。
その後は何がどうなったのか、若田部にはわからなかった。前の座席にしがみつくので精一杯だったのだ。
世界中の神様に祈りたい心境だった。やがて船が明らかに、最初めざした方向とは、別の方角へ向かっているのに気づく。
転進したというよりは、激しい風雨のために、否が応でも方向を変えざるを得なかったという雰囲気だった。
隣の智恵理が悲鳴をあげて、抱きついてくる。窓の一部が割れて、大量の水が船室に流れこんできた。
やがてまた、大きな揺れが船を襲い、若田部は気を失う。気を失うなんて、彼にとっては初めての経験だ。
このまま死んでしまうのだろうか? 混濁した意識の中で、おそらく若田部はそんな事も考えていたように思う。
元々無理な話だったのだろう。日本全国に反政府分子を取り締まる警戒の目を網の目のように張り巡らせた軍事政権の魔の手から逃れるなど、絶望的な行動だった。
しかも運が悪かった。台風がこなければ、こんな目にあわずに、韓国へ行けたはずなのだ。このまま死んだら自分は天国に行けるだろうか?
そもそもあの世はあるのだろうか? 若田部は何かの宗教の熱心な信者ではなかったが、だからといって全ての信仰を完全に否定できるほど、確信的な無神論者でもなかったからだ。
現代の科学者による研究によれば、今から137億年前にビッグバンが起きて、それが宇宙のはじまりと言われてるそうだ。
仮にそれが事実なら一体誰が、その爆発を起こしたのだろう? 『神』と呼んでもよい超自然的な存在が、点火したとも考えらえるのではないか?
神の存在の有無はともかく、復活党が政権与党になってから、最初にイスラム教が禁止された。復活党の理屈では、イスラム教はテロをもたらす危険な宗教だからという理由だからだ。
テロリストになるイスラム教徒はごく一部の人間で、他の宗教の信者がそういった蛮行に走るという事実は無視された。
今となっては恥ずかしい話だが、若田部は18歳になって初めて選挙権を手にした時、復活党に投票したのだ。
この時の衆参同日選挙で復活党は大勝し、単独過半数を得て、連立を組まずに与党になる。そして、これが日本における最後の国政選挙となった。
新しい総理大臣は、外国の脅威が高まったという理由で選挙を停止したのである。その後彼は総理の代わりに総統を名乗るようになっていた。
この頃には若田部も、復活党に騙されたと気づいたが、全ては後の祭りであった。復活党以外の政党は全て解散させられて、野党議員は刑務所に送られたり、亡命を余儀なくされた。
宗教への弾圧も、イスラム教では終わらなかった。次に禁止されたのはキリスト教だ。
その次に仏教が、いずれも外来の信仰という理由で禁止になる。
コーランも聖書もお経も焼かれ、廃仏毀釈が始まった。
無論外来の宗教という理由で、ユダヤ教やヒンズー教など、全ての外来の信仰が禁止されたのだ。お寺も教会もモスクも焼かれた。
次に迫害されたのは、神道だった。『そもそも信仰は、人心を惑わす』という理由で迫害されたのだ。
全国の神社が焼かれ、その代わり国民は、総統を崇拝するよう強制される。
抵抗した人達は強制収容所に連行され、ガス室で殺された。皇室も、廃止された。
権威として残すのではと見られたが、総統にとっては、自分だけが絶対の存在なのだろう。
皇族の方達は、公の場に姿を見せなくなった。どこかに軟禁されてるという噂もあったが、わからなかった。
復活党が与党になってから、突然人が消えるなど、当たり前になってしまった。
やがて若田部は、光を感じた。泥酔したかのようなまとまらない意識の中で、自分はもしかしたら光あふれる極楽浄土についたのでは? と、考えたのだ。
が、それは、空に輝く太陽の光であった。彼は自分が全身ずぶぬれで、なおかつどこかの砂浜に寝そべっているのに気づく。
首をかたむけると、何かの巨大な残骸が、目に映る。それが若田部の乗ってきた船の、変わり果てた姿だと気づくまでに時間がかかった。
その時である。砂浜を踏みしめる足音がして、若田部はそっちに視線を映した。
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