冬の帝国と精霊対話師

アウグスト葉月

文字の大きさ
22 / 69
二章

触れない本

しおりを挟む
 弟子としてのマリポーザの仕事は、主に研究の手伝いと、アルトゥーロの身の回りの世話をすることだった。常にアルトゥーロの側にいて、書籍や道具を運んだり、精霊術に関する資料をまとめたりする。直接アルトゥーロが精霊術に関する授業をすることはあまりなかったが、手伝いを通して少しずつ精霊術に関する知識が身に付いていった。

 ある日、アルトゥーロの研究所の一室で、マリポーザはいつものように、散らかった資料を整頓していた。正午を過ぎていたが、アルトゥーロはまだ寝ている。
 昨日も明け方近くまで研究をしていたのだろう。部屋の至る所に散らばっている、よくわからない複雑な記号が並んだ紙を魔方陣用の文字のほうに分類し、棚にまとめる。

 精霊術で使う言語は二種類ある。一つはアルトゥーロが「精霊語」と呼ぶ言語。これは精霊と会話をする時に使う言葉だ。インヴィエルノ帝国が使う言語とは、文法も単語も異なる。そして精霊語には文字がない。書き留めるために便宜上、精霊語の発音をインヴィエルノ帝国の文字にあてて書いていた。そのため、書いてある精霊語は、意味がわからなくても読んで発音することはできた。

 しかしもう一つの、魔法陣に使っている文字は、発音も意味も不明だった。アルトゥーロが旅の途中で見つけた古い石碑や遺跡などから集めたもので、ひとつひとつの文字の意味はわかっていない。ただ、それらを組み合わせた魔法陣がどのように作用するかだけが、わかっていた。それも数は少なく、ほんの一部の魔法陣のみではあったが。
「あれ?」
 マリポーザは、手に何かが触れたような気がして、机の上に目を凝らす。冬の陽光を反射して、キラキラと微かに光るものがあった。
 よく見ると輪郭からして、手のひらにすっぽりと収まるサイズの分厚い本のようであった。しかし全体的に透明で、よくよく見ないと気がつかない。触ってみようと手を伸ばすが、手が本をすり抜ける。
「お前にそれは触れんぞ」
 背後から声がして、マリポーザは思わず小さな悲鳴をあげる。そして後ろを振り向いて胸を撫で下ろした。

「マエストロ、驚かさないでくださいよ」
 アルトゥーロは意に介さず、机のそばに寄って来て無造作に本を手に取った。
「これは俺以外には触れない」
「それ、なんですか?」
「辞書だ。精霊語の単語や文章が、わかる範囲で書き留めてある。それに対応した翻訳もな。いままで研究してわかった精霊語のすべてがここに書いてある」
「ええ!? そんな大事な物、その辺に無造作に置いておかないでくださいよ!」
 盗まれたりしたらどうするんですか、と抗議するマリポーザに、アルトゥーロは涼しい顔で受け流す。
「俺以外は触れないからな、誰も盗めない」
「でも書類に埋もれて、大事な辞書が失くなるかもしれませんよね?」
 アルトゥーロはしばらく沈黙した後、何事もなかったかのように一言「朝食を用意してくれ」と言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

【コミカライズ決定】愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
【コミカライズ決定の情報が解禁されました】 ※レーベル名、漫画家様はのちほどお知らせいたします。 ※配信後は引き下げとなりますので、ご注意くださいませ。 愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

処理中です...