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第52話【視線の先に】
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幸の視線に気づいた匠が、ゆっくりと彼女に目を向けた。
その瞳は、不機嫌そうでもなく、普段と変わらない穏やかなものだった。
どちらかと言えば、「どうした?」と問いかけるような、静かな眼差し。
匠は、幸が今置かれている状況をあまり気にしていない様子だった。
そのことに、幸は小さく安堵の息をつく。
そうこうしているうちに、司会者の声が会場に響き渡った。
「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」
オープニングセレモニーが、静かに始まった。
社長挨拶のある匠と共に、幸はステージ近くへと移動する。
隣に並ぶと、匠が静かに尋ねた。
「さっきは、どうかしたのか?」
あの状況のことを話そうとすると、まるで自分が“男にモテる”と思い上がっているようで、口にするのをためらってしまう。
「いや、別に……大丈夫です……」
匠がなにも言わないのだから、あえて自分から問題にする必要はないかと、幸は考えた。
幸が言葉を濁すと、匠は視線を落とし、さきほどの光景を思い返した。
あのとき、目を輝かせた男たちが幸を取り囲んでいた。
嫌がらせの空気はまったくなく、どの顔にも好意がにじんでいた。
幸自身も最初は笑顔で応じていたが、人数が増えていくにつれ、少しずつ戸惑いの色を帯びていき――最後には、匠へと視線を向けてきた。
――俺が気を悪くしているとでも思ったのか?
そんなふうに伺うような、慎重な瞳だった。
匠は、女性が男性にモテることを嫉妬するようなタイプではない。
むしろ――
人から羨まれるほどの女性が隣にいるという事実は、自分の評価すら高める。
彼は、そう考える男だ。
だからこそ、穏やかな声で言った。
「君は人気があるんだね。人として、それはとても素晴らしいことだよ」
静かな肯定の言葉。
そこには嫌味も皮肉もまったくなかった。
むしろ、幸という人間を真正面から認めてくれている。
――ああ、この人は器が違う。
――匠さんと圭吾じゃ、人としての器が違いすぎる。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……ありがとうございます」
褒めてくれたことへの感謝を伝えた。
*****
少し遅れて、圭吾と片桐秘書は【水沢イノベーションズ】の設立記念パーティー会場に到着した。
――【NexSeed黒田】に対抗して、IT・テクノロジー系の会社を立ち上げるとは、なかなかの度胸だ。
――しかも、黒田ホールディングスが牛耳るこの界隈で。
圭吾は、自分の会社に挑戦してくる奴がどんな人物なのか、確かめに来たのだ。
もちろん、【水沢イノベーションズ】から送られた招待状は手元にある。
会場に入ると、ちょうど水沢匠が挨拶をしている最中だった。
低く威厳のある声が、会場全体に静かに響いている。
肩幅は広く、無駄のない体つき。
整った顔立ちは、柔らかさよりも冷ややかさが勝り、どこか近寄りがたいオーラを放っていた。
――仕事ができる男。
その印象が瞬時に圭吾の胸に刻まれる。
そして同時に、抑えきれない嫉妬の炎が、心の奥底でじわりと燃え上がった。
匠が挨拶を終え、壇上から降りていく。
その姿を、圭吾は目で追う。
そして、ある人物を見つけて動きを止めた。
――幸!?
降りてきた匠を、笑みを浮かべた幸が、迎えている。
――なぜここにいるんだ!?
――それになんだ。あの親しげな感じは!
――俺以外の男に、色目を使いやがって。
――幸の奴。
怒りがふつふつと湧いてくる。
やっと見つけた幸が、ほかの男に微笑んでいる。
それだけでも許せないのに、その相手がライバル会社の社長だという事実に、圭吾の怒りは爆発寸前だった。
圭吾は、早足で幸に向かって歩きだす。
突然動いた圭吾の後を、片桐が慌てて追いかけた。
圭吾が迫ってきていることなど知らない幸と匠は、壇上付近からホール中央へと移動しようとしていた。
どんどん縮まる距離。
五メートルほどになったとき、幸は圭吾の視線に気づいた。
目が合った瞬間、幸の体がびくりと強ばる。
足を止めて硬直する幸に、
「どうした?」
と、匠が穏やかに声をかける。
だが幸は、迫りくる圭吾に完全に動揺し、頭が回らない。
状況を匠に説明する余裕などなく、ただ無意識に匠のスーツの裾をぎゅっと掴んだ。
異変を察した匠は、幸の視線の先を辿る。
そこにいたのは――怒りを隠そうともしない男の姿だった。
その瞳は、不機嫌そうでもなく、普段と変わらない穏やかなものだった。
どちらかと言えば、「どうした?」と問いかけるような、静かな眼差し。
匠は、幸が今置かれている状況をあまり気にしていない様子だった。
そのことに、幸は小さく安堵の息をつく。
そうこうしているうちに、司会者の声が会場に響き渡った。
「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」
オープニングセレモニーが、静かに始まった。
社長挨拶のある匠と共に、幸はステージ近くへと移動する。
隣に並ぶと、匠が静かに尋ねた。
「さっきは、どうかしたのか?」
あの状況のことを話そうとすると、まるで自分が“男にモテる”と思い上がっているようで、口にするのをためらってしまう。
「いや、別に……大丈夫です……」
匠がなにも言わないのだから、あえて自分から問題にする必要はないかと、幸は考えた。
幸が言葉を濁すと、匠は視線を落とし、さきほどの光景を思い返した。
あのとき、目を輝かせた男たちが幸を取り囲んでいた。
嫌がらせの空気はまったくなく、どの顔にも好意がにじんでいた。
幸自身も最初は笑顔で応じていたが、人数が増えていくにつれ、少しずつ戸惑いの色を帯びていき――最後には、匠へと視線を向けてきた。
――俺が気を悪くしているとでも思ったのか?
そんなふうに伺うような、慎重な瞳だった。
匠は、女性が男性にモテることを嫉妬するようなタイプではない。
むしろ――
人から羨まれるほどの女性が隣にいるという事実は、自分の評価すら高める。
彼は、そう考える男だ。
だからこそ、穏やかな声で言った。
「君は人気があるんだね。人として、それはとても素晴らしいことだよ」
静かな肯定の言葉。
そこには嫌味も皮肉もまったくなかった。
むしろ、幸という人間を真正面から認めてくれている。
――ああ、この人は器が違う。
――匠さんと圭吾じゃ、人としての器が違いすぎる。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……ありがとうございます」
褒めてくれたことへの感謝を伝えた。
*****
少し遅れて、圭吾と片桐秘書は【水沢イノベーションズ】の設立記念パーティー会場に到着した。
――【NexSeed黒田】に対抗して、IT・テクノロジー系の会社を立ち上げるとは、なかなかの度胸だ。
――しかも、黒田ホールディングスが牛耳るこの界隈で。
圭吾は、自分の会社に挑戦してくる奴がどんな人物なのか、確かめに来たのだ。
もちろん、【水沢イノベーションズ】から送られた招待状は手元にある。
会場に入ると、ちょうど水沢匠が挨拶をしている最中だった。
低く威厳のある声が、会場全体に静かに響いている。
肩幅は広く、無駄のない体つき。
整った顔立ちは、柔らかさよりも冷ややかさが勝り、どこか近寄りがたいオーラを放っていた。
――仕事ができる男。
その印象が瞬時に圭吾の胸に刻まれる。
そして同時に、抑えきれない嫉妬の炎が、心の奥底でじわりと燃え上がった。
匠が挨拶を終え、壇上から降りていく。
その姿を、圭吾は目で追う。
そして、ある人物を見つけて動きを止めた。
――幸!?
降りてきた匠を、笑みを浮かべた幸が、迎えている。
――なぜここにいるんだ!?
――それになんだ。あの親しげな感じは!
――俺以外の男に、色目を使いやがって。
――幸の奴。
怒りがふつふつと湧いてくる。
やっと見つけた幸が、ほかの男に微笑んでいる。
それだけでも許せないのに、その相手がライバル会社の社長だという事実に、圭吾の怒りは爆発寸前だった。
圭吾は、早足で幸に向かって歩きだす。
突然動いた圭吾の後を、片桐が慌てて追いかけた。
圭吾が迫ってきていることなど知らない幸と匠は、壇上付近からホール中央へと移動しようとしていた。
どんどん縮まる距離。
五メートルほどになったとき、幸は圭吾の視線に気づいた。
目が合った瞬間、幸の体がびくりと強ばる。
足を止めて硬直する幸に、
「どうした?」
と、匠が穏やかに声をかける。
だが幸は、迫りくる圭吾に完全に動揺し、頭が回らない。
状況を匠に説明する余裕などなく、ただ無意識に匠のスーツの裾をぎゅっと掴んだ。
異変を察した匠は、幸の視線の先を辿る。
そこにいたのは――怒りを隠そうともしない男の姿だった。
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