5人の勇者を「500人」と報告したら、魔王様が和平の準備を始めました

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大陸侵略が泥沼すぎて現実逃避する中間管理職魔王「昔は村の希望の星だったのに、どうしてこうなった!?」

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 魔王城の最上階に位置する、広大で豪奢な自室兼執務室。

 分厚い絨毯が敷き詰められ、壁には歴代魔王の肖像画が威圧的に見下ろしている。本来ならば、魔界の頂点に立つ者にふさわしい荘厳な空気が漂っているはずのその空間で、現魔王ゼノンは最高級の黒檀で作られた執務机に突っ伏したまま、地の底から響くような呻き声を上げていた。

「ううぅ……胃が、胃が痛い……」

 出撃していった第一軍団長ゴルドーと第二軍団長ヴァルカスからの連絡が、パタリと途絶えてから幾日も経っている。

「やっぱり、無理だったか。止めるべきだったかなあ」

 ゼノンは机に頬を押し付けたまま、恨めしげに虚空を見つめた。脳裏にフラッシュバックするのは、出撃許可を求めてきた時の二人の姿だ。筋肉ダルマのミノタウロスと、顔色の悪いインテリ吸血鬼が、なぜか充血した上目遣いで、体をくねらせながら「魔王様ぁん」と迫ってきたあの地獄の光景。

「でも、あの時のあいつら、すごい勢いで迫って来たんだもんなあ。止められんよな、あれは……。貞操の危機を感じたら、誰だってサインしてしまうだろう」

 ゼノンは独り言をこぼしながら、遠い目をした。あのねっとりとした甘え声が耳にこびりついて離れない。

「まあ、人間たちの現状が一体どうなっているのか、あいつらでちょっとつついてみるのも意味があるかもしれないと思ったが……。下手に刺激して、あっちの団結を深めるなんてことになったら目も当てられん。もう、何が正解か分からんよ」

 深い、底なし沼のような溜息が漏れる。

 ふと、彼は執務机の片隅に飾られた、家族の肖像画に目をやった。そこには、若き日の自分と、絶世の美女である妻ルクレツィア、そしてまだ幼かった三人の愛娘たちが笑っている。彼は自分のこれまでの歩みを、ぼんやりと振り返り始めた。

「そもそも、私の人生自体、正解だったのかどうか。若い頃に高嶺の花だった妻に猛アタックして、奇跡的に射止めた。三人の美しく優秀な娘も授かった。それは、もちろん幸福だ。人生の大正解と言っていい。しかしだ……」

 ゼノンはゆっくりと体を起こし、窓の外に広がる、どんよりと曇った魔界の空を見上げた。

「中年になってなお、こんな田舎の大陸を侵略しているんだもんなあ。しかも、お世辞にもうまくいっているとは言い難い。娘たちは勝手なことばかりしているし、優秀な部下は謀反を企み、残った幹部は乙女化して迫ってくる。笑える。笑うしかないな」

 ハハハ、と乾いた自嘲気味な笑みが、がらんとした執務室に空しく響く。

「昔はこんな私にも夢があった。『全世界をこの手に……』なんて、今思えば恥ずかしいことを本気で考えていた。学校の成績もよかったし、人望もあった。『お前はおれたちの希望の星だ』なんて村のヤツらに担がれてな。地方の神童だったんだよ、わたしは……」

 ゼノンの心は、血で血を洗う戦場や複雑怪奇な権力闘争から遠く離れ、のどかで平和だった魔界の片田舎――自分の故郷の村へと飛んでいた。黄金色に輝く魔麦の穂、夕暮れ時に漂うシチューの匂い、そして……。

「……そういえば、もう長いこと村に帰っていないな。あの子は元気かなあ。もう、おばさんになっただろうな――」

 村で一番可愛かった、そばかすの似合うパン屋の娘。彼女はいつも、ゼノンが学校から帰るのを待っていてくれて、「ゼノン君ならきっとすごい魔王になれるわ!」と無邪気に笑ってくれたのだ。あの甘酸っぱい青春の日々。

 かつての「村のマドンナ」の面影を脳裏に浮かべ、現実逃避のまどろみに沈みかけていたその時、控えめだが切羽詰まったようなノックの音が響いた。

「魔王様、伝令にございます」

 ビクッと肩を跳ねさせ、ゼノンは慌てて姿勢を正した。乱れた襟元を直し、咳払いをして威厳のある顔を作る。

「……入れ」
「はっ。失礼いたします」

 バタンと重い扉が開き、泥と汗にまみれた伝令の兵士が転がり込むように入ってきた。その顔には、隠しきれない困惑と疲労が張り付いている。

「第一・第二軍団長より伝令が参りました」
「やっと来たか! で、どうした。あいつらは無事なのか? まさか七〇〇人の勇者に囲まれて全滅したわけではあるまいな?」

 身を乗り出すゼノンに対し、部下は言い淀んだ。視線を泳がせ、手に持った羊皮紙を握りしめている。

「それが……その……」
「はっきりと申せ。ただでさえテンションが下がっている時にグズグズされると、イライラしてくるんだ」

 ゼノンが苛立たしげに机を叩くと、部下は覚悟を決めたように、目を固くつむって一気に告げた。

「『第一・第二軍団はこれより人間に味方する。これまでお世話になりました』――とのことであります!」

 シン、と。

 執務室の空気が凍りついた。

「はあっ!? 何言ってんの!?」

 椅子がひっくり返らんばかりの勢いでゼノンは立ち上がり、素っ頓狂な裏返った声を叫んだ。あまりの衝撃に、胃の痛みすら一瞬吹き飛んでしまった。

「わ、わたくしも、全く同じ気持ちにございますが……しかし、この書簡には間違いなく両軍団長の署名と血判が……」

 部下が震える手で羊皮紙を差し出す。ゼノンはそれを引ったくるように受け取り、目を見開いて文字を追った。そこには確かに、やけに達筆な字で人間側への帰順と、長年の感謝を告げる別れの挨拶が記されていた。

「えっ、じゃあ何? 本当に人間側に寝返ったってこと!? あいつら、魔族としてのプライドとか、そういうのは無いのか!?」
「……そのように拝察いたします」
「何で!? 理由は何だ! 給料か!? 休みか!? 私に一体何の不満があるんだ!?」
「わたくしには、分かりかねます……」

 ゼノンは羊皮紙を握りつぶし、ワナワナと震えた。だが、すぐに自分に都合のいい解釈を絞り出そうと必死に頭を回転させる。

「あ、あれだろ。あの七百人超の勇者たちに捕まって、無理やり捕虜にされた……そして想像を絶する拷問でもされて、仕方なくそういう文面を送らされたんだろう? そうだ、きっとそうに違いない。いくらなんでも、あいつらが自発的に『お世話になりました』なんて退職届みたいなものを出してくるはずがない。そういうことだな?」

 すがるような目でゼノンが見つめるが、部下は無情にも首を振った。

「わ、わたくしには何とも……」

 ゼノンはこめかみを押さえた。ズキズキと、ハンマーで殴られているような脈打つ痛みが走る。もうダメだ。この組織は完全に終わっている。

「……なんか、猛烈に頭が痛くなってきた。おい、お前」

 ゼノンは、疲れ切った濁った目で部下を見つめた。

「……は? なんでございましょうか」
「出世に興味はあるか?」
「……は?」

 ゼノンは、自分が今まで座っていた、黒曜石と魔獣の革で作られた魔王の玉座をポンポンと叩いた。

「この椅子だがな、椅子自体はそこそこ座り心地いいぞ。クッションも最高級だ。今なら空きが出るかもしれない。……ちょっと座ってみるか? なんなら、そのまま譲ってもいい」

 部下は顔面を蒼白に引き攣らせ、全力で後ずさりした。こんな泥船の船長など、死んでもご免だという強い意志が全身から放たれている。

「お、お戯れを……! わたくしには妻も子供もおりますゆえ! ……失礼いたします!」
「あっ、おい、待て!」

 逃げるように部下が部屋から飛び出していく。バタン、と無情な音を立てて扉が閉まると、ゼノンは再び、糸が切れた操り人形のように机に突っ伏した。

「……私が一体何をしたっていうんだ。何が『希望の星』だ。ただの『厄病神』じゃないか……」

 魔王としての威厳など微塵もない姿で、彼は机の木目を虚ろに見つめた。娘は恋に狂い、軍団長は乙女化した果てに敵国へ転職し、有能な部下は皆逃げていく。もはや、このおじさんに残された安息の地は、自らの脳内しかなかった。

「……ああ、マリー。君の焼いてくれたクルミパンが食べたいよ……」

 彼は再び、故郷のかつてのマドンナ――今の自分を一番誇りに思ってくれていたであろう、そばかすの少女の無邪気な笑顔に、現実逃避するように深く深く思いを馳せるのだった。
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