Yの遺伝子 本編

阿彦

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1章

11話 権力

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 今年最後の取締役会で、私の執行役員就任が正式に決まった。

 年末間際の急な辞令であったこと、私の後釜も本社から補充されないことが決定したため、会社内はばたついた。ただでさえ、本社からの経費削減要求が厳しく、人手不足が深刻であるためだ。

 忘年会が終わったにもかかわらず、社員たちが「花ちゃん部長」の送別会を開いてくれた。

 慌てて作ってくれたのだろうか……

 女性社員が、花束と全員の想いがこもった寄せ書きをくれた。

 また、戻ってきてほしい、仕事ができて楽しかった、一緒に酒飲みましょうと。

 ともに働いた仲間達とは、年末の挨拶が、別れの挨拶となった。
  
 短い出向期間ではあったが、東京の本社からきた余所者の私をよく受け入れてくれた。今となっては、感謝の気持ちしかない。

 この土地とこの仲間達が腐っていた私に優しさと生きる勇気をくれた。そう思うと、自然と涙が出てきた。


 そのまま、正月休みに入った。仕事が忙しいことを理由につけて、東京の自宅には戻らないことにした。

 いや、正確にいうと、帰る勇気がなくて戻ることができなかったというのが正しい。

「なんで、正月なのに、戻ってこれないの?  」

「仕事が忙しいと言ってるだろう!」

「出向なのに、なぜそんなに忙しいの? おかしいじゃない!! 光輝も、パパに会いたいと待ってるのよ。なんとかならないの? 」

「だから、本社と違って、こっちは年末年始に忙しいんだよ。落ち着いたら帰るし。電話切るぞ!」

 こんなやり取りを何度も繰り返した。

 妻は不審がって、光輝を連れてそっちに行くとまで言ったが、なんとか乗り切った。

 我ながら、嘘をついて家族バラバラで正月を過ごすなんてありえないとは思う。

 仕事については、心の整理がついた。だが、妻とは向き合う勇気がなく、家族からは逃げまわらざるをえなかった。

 結局、東京のマンションにて、退屈な正月番組を流しながら、一人で荷物を片付けた。



 年が明けて、晴れて本社へ戻った。

 さすがに初出勤に作業着でくるような愚行はしなかったが、出向先のみんなからもらったネクタイを締めてきた。遠くへ離れたが、向こうから応援されているような気がした。

 私の新しい仕事は、社長から聞かされていない。そもそも、私自身もなにをやればいいのかがよく分かっていない。

 辞令では、総務担当役員という肩書きらしい。総務部は、これまで部長職がトップを務めてきたが、これからも実務は彼が指揮する。

 つまり、私は会社の中で、ふわふわ浮いているわけである。

 そんな感じで時間が過ぎていったが、役員になると徐々にみえてくる景色が変わることに気づく。

 役員へ昇進したことにより、退職金が支給された。

 給料が格段に上がった。

 運転手付きの公用車と美人な秘書が与えられた。

 そういう物理的なものではなく、決定的に違うことがある。「最年少役員という権力」と「周りからの目」だ。

 約1年前、私が会社を出て行くとき、部下を含めて周りの人間は、腫れ物に触るかのような対応だった。

 事業を失敗して、会社に大きな損失を与えて責任を取る。いわゆる片道切符の出向。

 新人が「ご栄転おめでとうございます!!」と乾杯をして、形だけの送別会の空気を凍らせた。

 ところがどうだ。

 皆、満面の笑みで昇進のお祝いを言ってくる。特に、次のステップを狙う年上の部長、課長クラスの気持ち悪さには虫唾が走る。保身のために、ここまでやるとは、驚きを通り越して呆れた。

 なんで、こんなやつが、役員になったんだ。

 この歳で、役員になったんだ。この人に媚びをうっておけば、将来は安泰だ。

 周りのくだらない野望や妬みが見え隠れする。

 ほんと、馬鹿馬鹿しくて笑える。あんた達は、小さい世界で何を守ろうとしてるんだろうか。
 

 元の部署である新規開発事業部にも、顔を出した。

 あの案件の担当をしていた秋谷は、私が出向となった直後に他の部署に異動となったらしい。彼にだけは、本社に復帰したことを、報告してやりたかったのだが、残念だ。


  実務は引き続き、部長に任せて、これまで世話になった取引先への挨拶回りなどをして、数日間は時間を潰した。

 あぁ、なんと役員とは楽で暇な仕事だ。何のために、本社に戻ってきたのだろう。



 その日は、溜まっている決裁書類を処理するため、役員室にこもっていた。

 内線が鳴り響いた。

「今日の夜、空いてるか? 付き合え!」

 自分から名乗りもしない相手は、雨池専務だった。

「えっ、どのような御用件ですか? 」

「来ればわかる。お前を役員にしてくれた人と引き合わせてやる。時間に遅れずに来い。絶対だぞ!」

 そういうと、すぐに電話をきった。

 お前の部下でもあるまいしとも思った。

 でも、私を役員にしてくれた人?  自分がお世話になっている人に失礼があっても困るので行くことにした。

 秘書経由で指定された場所は、会社から遠くない高級クラブだった。

 午後10時に来いということは、先方と会食をして、出来上がったころの二次会から合流しろということか。

 いずれにしても、めんどくさそうだ。

 適当に時間を潰し、とりあえず指定された店の前まで来た。いかにも、時代遅れのバブル風な店構えにウンザリした。

 ちゃんと、経費で落ちるのだろうか。覚悟を決めて、時間通りに店に入った。


 店に入ると、真っ赤なタコ入道のような顔した雨池専務が、私を大声で呼び、遠くの方から手招きをする。

「お前、遅いじゃないか? はやく、こっちへ来い。先生がお待ちだ。はやく、挨拶をしろ」

 雨池専務様は、思ったよりも出来上がっている感じで、機嫌は良さそうだ。

 ん、先生? どの人だ? 

 どうやら、女性の横でべったりしている男が、私を執行役員にした男らしい。

 あの雨池が、へいこらしてるのが薄暗い店内でもわかる。誰だか分からないが、偉い人なんだろう。とりあえず、私の名刺を差し出した。

「はじめまして。話はきいてる。よろしく!」
 
 えっ、初めましてどころではない………

 な、なぜ、この男がここにいるのか………

 今日の接待の相手は、あの畦地議員だった。

 畦地が、ギロリと私の顔を覗き込んだ。私の表情を確認してから、微笑んだ。

 あまりの驚きで、次の言葉がなかなか出なかった。その様子をみて、雨池が割り込んだ。

「先生の前で、なに緊張しとるんだ。それでも、うちの役員か。しっかりしろ」

 思っ切り、背中を叩かれて、席に押し込まれた。

「いいか。よく聞け。先生はお前の大恩人なんだ。お前さんが、以前に開発した次世代水処理システムを高く評価してくださってな。仰山、あちこちの地公体へ声をかけて下さったんだ。それで、今、わしの方には、いくつもの注文が届いている……」

 雨池専務が、身振り手振りを使い、大袈裟に説明する。

「それを俺が社長に上手いこと言って、お前を本社に戻してやったんだ。ただ、能力から言って、お前を執行役員にしたのはやりすぎだと思うがな。ビックリしただろ? ほら、先生に感謝しろ」

 ワッハッハ、ワッハッハ。

 雨池の下品な笑いが、店内に響き渡る。

 畦地の登場でまだ頭が混乱している。とりあえず、周りの空気が、先生にお礼をするように催促してくる。

「それは、ありがとうございます……」

「花城もこう言っておりますので。先生、これからも行政との橋渡しをなんとか頼みます。金には糸目をつけません。全面的に協力をさせていただきますので。なにとぞ、なにとぞ…」

「いえいえ、彼が開発したものが、今の時代には必要です。商品が素晴らしいのですから、みなさんが評価をして買ってくださるだけですよ。私はそのお手伝いをしているだけです。ま、仕事は置いておいて、今日は楽しみましょう!」

 幹部会の傲慢な対応が嘘かのように、今日の畦地は紳士的に言った。

  雨池が下手くそな歌を上機嫌で歌っている。それをぼんやり見ながら、頭の中を整理してみる。差し出されたオシボリを額にあてる。

 なぜ、頓挫した次世代水処理システムが今頃でてくるのか?

 なぜ、私が本社に戻ることができたのか?

 なぜ、ここであの畦地議員が出てくるのか?

………あ、わかった。赤海理事長だ。

 BB弾のような霰を全身いっぱいに浴びている赤海理事長が、一瞬、頭の中を横切った。

 この畦地が、次世代水処理システムを知っているわけがない。

 畦地の持っている議員の力を利用し、赤海が行政に押し込んだんだ。それならば、全てが一つの線で繋がる。

 つまり、財団が豊富な資金力と人脈を使い、私を本社に戻すように働きかけをしたということか…………。


 「ただ、何のために?」

 新たな疑問の登場に、向かいの畦地を見た。

 その様子に気づいた畦地は、隣の女をぞんざいにどかして、私の隣に座った。畦地の重い体重で、ソファーが沈み込む。
  
「大将、本社に戻れてよかったじゃないか。それも、執行役員という箔もついたことだし。おめでとうございます!」

 畦地は、私の耳元で囁いた。

「どういうことでしょうか……?  あなた方が、私を本社に復帰させたのように働きかけたのですか? あなた達は、なにが目的ですか? 」

「さぁな。でも、よかったじゃないか。ちゃんと、出世したことだし。まぁ、これからは、持ちつ持たれつ、お互い仲良くやっていこうじゃないか……」

 畦地は、自分の水割りを一気に飲み干した。兄弟の盃を交わそうと言わんばかりに、私のグラスにぶつけてきた。

 私らの目線が、昭和の演歌歌手のようにサビを熱唱している雨池を捉えた。

「あそこで馬鹿面で歌ってる専務とやらが、お前を出向へ貶めた張本人だろ。あいつはいいね。傲慢で強欲だ。ああいうバカが一番使いやすい。あいつのことで、困ったら俺に相談しろ。捻り潰してやるよ」

 タコ入道の顔をしたピエロが、茶番劇という舞台から降りてきた。

「先生、私をおいて、なにをこそこそ話してるんですか。ちゃんと、私の歌を聞いてくれましたか? お前も先生が喜ぶような歌をなんか歌え!!」

 そういうとピエロが、マイクを私に向けてくる。

「いえ、私は下手くそなんで……」

「いえいえ、さすが、専務。芸達者ですな。もう一曲聴きたいですわ」

 畦地が、嘲笑うかのように言った。心から思っているわけがない。

「先生、こいつ、糞真面目で本当につまらんのです。申し訳ない。もう一曲、私がいきますわ」

 ピエロがアンコールの舞台へ駆け上がった。今度は、年末の紅白歌合戦に出ていたアイドルを歌うらしい。

「ほんと、頭がすっからかんだな。覚えとけよ。ああいうのを、うまく使わないとな……」

 畦地が、壇上の男を憐れみながら、酒を流し込んだ。

 確かに。なぜこんなつまらない男に怯えて、人生を棒に振ろうとしたのだろう。まぁ、元のレールに戻ることができたから、どうでもいいが……。


 そういう私も、種類の異なるピエロの仮面を深く被り、登壇し始めたのを、その時は気づくことができなかった。
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