Yの遺伝子 本編

阿彦

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1章

12話 告発

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「花城、仕事だ。お前にやってもらいたいことがある」
 
  金川社長は、怒りに任せて、机に書類を投げつけた。

 目を通すと、見たことがない文書だった。

 そこには『告発状』と書かれていた。


 『我々、会社の明るい未来を考える有志一同は、雨池専務取締役を糾弾する。

 もし、会社の対応を見誤ることがあれば、マスコミに全てを公開し、恥部を晒すことになるだろう。

 経営陣が道を踏み外さず、真っ当な道を歩むこと、悪の権化である雨池を浄化することを期待する』

①  特定の企業から、キックバック(金銭の私的不正受給)を受けている。

②  私利私欲を肥やした経費支出を繰り返し、会社から横領をしている。

③ 日常的に行い、過度なセクハラ、パワハラを繰り返し、社員を精神的に苦しめている。
 
 そのような文章を始まりとして、告発者の私情も絡みながら、赤裸々に述べられていた。

 一瞬、目を疑った。

「こ、これって。信じられません。さすがに、この文章が外に漏れると、我が社の信用が一気に失墜してしまいます」

 事の重大性に、渡された書類を持つ手が震えた。

「そうだ。どうなるだろうな。商売にも響くだろうし、株価も下がるだろうな。幸いにも、まだ世の中には公表されてないようだが………それも時間の問題だろう」

「では、どのように処理されるおつもりですか? たしかに、対応を間違えると、本当にまずいことになります!」

 金川社長は、腕を組みながら、悩んでいる。その時間の長さと重さがつらい。

「あいつは切る。それには、この書かれている文章の裏付けが必要だ。再来月の取締役会までに、これらの完全な証拠を持って、お前が解任動議の議案をだせ!!」

「しかし、雨池専務は、社長の縁戚にあたる方。そのような方を本当にきれるのでしょうか? 創業メンバーとして、対外的な信用面、営業力にも非常に貢献がある方だと思います。社内でも動揺がおこるのではないですか? 」

 金川社長が芝居がかった笑みを浮かべた。

「いや、なにもかわらんよ。本当はお前も気づいているんだろう。あいつの本性を。お前が開発した次世代水処理システムだっけか。いま、地公体から注文がたくさん来てるらしいなぁ………。あいつは、全ては自分が一から企画し、自分の力によるものだと報告してきよった。昔からそうだ。他人がコツコツ積み上げてきたものを、そして手柄を、横取りするのがうまいんだ」

 私を本社に呼び戻してやったというのは、嘘だと分かっていた。専務になっても人の手柄を横取りするなんて、見苦しいやつだ。

 金川社長は、冷静な素振りを見せているが、たまに苦悩の表情が見え隠れする。雨池のことで、永年、悩んでいたのかもしれない。

「この文章に書かれていることはすべて正しい。そんなことは前から知っていたさ。だが、今の時代では、このような形で会社の恥を曝け出すにはいかない」

「社長、しかし………」

「本当にお前は甘い男だなぁ。だからダメなんだ。去年、俺が出向を命じて、お前を切ろうとした理由がわかるか? 」

「…………」

「お前が責任を取ったとして飛ばされた案件。あれも、あいつが絡んでいたことはすべて知っていたさ。だが、その時お前はどうした?  すべて、自分の責任ですとか格好をつけて、あいつと戦わずに逃げただろう。その時に、お前はいらないと判断したのだ。あの時、お前はどんなに醜くても、かっこ悪くても、戦いを挑むべきだったんだ。だが、もう一度、チャンスをお前に与える。今度は、決して逃げるな!! 花城、戦え!! 」

 社長から押し寄せてくる圧倒的な迫力に、体の奥からやってくる身震いが隠せないようになってきた。

「社長、一つ質問があります。何故、一旦いらないと切った私を連れ戻し、チャンスを与えようとしたのですか? 」

「どうしてだろうな。ただの気まぐれだろうな。時間はないぞ。もう失敗は許されないからな!」

「社長のお考えはよくわかりました。こんどは、決して逃げません。この仕事は、完璧にやり遂げます!! 」

 私の覚悟は決まった。やるからにはやりきる。

「あと、これも切ることにするから、清算案を同時に上げてくれ。話は以上だ」

 書類を確認すると、この前まで出向していた会社だった。

 社長はこの会社を潰せと言っているのだ。

 餞別でもらったネクタイが、ジワリジワリと私の首を絞めつけてきた。



 不退転の決意を決めて、本格的に「雨池専務への告発状』の調査に入った。

 これは、雨池を糾弾する仕事ではあると同時に、今までの自分と決別する意味もある。

 案の定、雨池がやったと思われるセクハラ、パワハラについては、多数の噂があった。

 今回の件については、専務の力に怯えた人事部が隠蔽した懸念もある。我が社にはコンプラ委員会もあるが、組織全体として機能しなかったと考えられる。

 総務担当役員である私が、秘密裏に人事部に調査を依頼したら、変な噂がすぐに広がってしまう。

 金川社長は、この件は私にしか知らせてないという。誰にも相談できない孤独な戦いが始まった。

 思いつくことを手当たり次第、やってみる。総務部にある給与管理データと、産業医に協力を仰ぎ、鬱病が原因で出社できない社員を特定することができた。

 この数年で鬱病が発症して、出勤できなくなったものは思った以上に多かった。その大半は、会社を退職している。

 運よく自分の部下にはいなかったため、そのような認識はなかったが、これがうちの会社の闇なのであろう。

 このリストの中の人物から、雨池からのパワハラとの因果関係を証明しなければならない。


 リストを眺めてみると、信じられない名前があった。

 彼は3ヶ月前から出社していない。

 営業第一部  秋谷  (欠勤  3ヶ月  鬱病)

 なぜ? 秋谷が……。たしか、うちと同じくらいの子供がいたはずだ。

 秋谷は、私が出向してからまもなく、うちのエース級が集まる営業第一部へ異動となっていた。

 営業第一部は、雨池専務の直轄部署である。そこで、なにかが起きてもおかしくはない。彼に話を聞かなくていけないと思った。


「主人は、会社の誰とも会いたくない、話したくないと申しております……どうかそっとしていただけませんか? なんとかお願いします……」

 秋谷の妻が、申し訳なさそうに電話を切ろうとした。彼女も、精神的に参っているような気がする。

「奥様、わかりました。秋谷くんには、無理はさせたくはありません。ご主人にこれだけお伝え頂けないでしょうか? 私はご主人の上司だった花城です。その花城が、本社に戻ってきた。そして、もう逃げない。戦うことに決めたと」

  この想いが、秋谷にどれだけ届くか分からない。半分は賭けだった。秋谷から話も聞けないと、最初からつまづいてしまう。

 客観的な状況証拠はすでに何個も揃っている。

 雨池のデスクの前で、秋谷が何時間も立たされいる。書類を思いっきり投げつけられ、罵倒されている様子が監視カメラで何度も見られた。

 営業成績が悪かったのだろうか……涙ながらに土下座している場面もあり、心が痛んだ。

 もっと、仕事の進め方を教えてやれば良かった。

 ただ、雨池を追い詰めるには、実際にパワハラを受けた被害者の証言はどうしても必要だった。

 頼む、秋谷。なんとか、俺にチャンスをくれ!
 

 数日後、秋谷の妻から電話がかかってきた。花城部長だけなら会うと言っているらしいのだ。


「久しぶりだな。秋谷」

 目の前に座っている秋谷は、私が知ってる秋谷とは別人だった。

 一緒に働いている時の彼は、最近の若者らしく、どちらかと言えば、軽くて何を考えているのかわからなかったやつだった。ところが、その面影もなく、痩せ細って顔色が悪く、目線が合わない。

「部長が本社に戻ってこれて、本当に良かったです……」

「俺のことはいい。秋谷、いったい何があった? 少しだけでも、話してくれないか? 」

「も、申し訳ありません。部長にはお世話になったので、お話したいんです。で、でもその当時のことを思い出すと………あ、頭が、ガンガン痛くな、なるんです………」

 秋谷の目はあっという間に涙でいっぱいになった。体が身震いしはじめ、心が枯れ細っているのがよくわかる。

 人は壊れるとこんなにもなってしまうのか……。

「秋谷、すまん。無理はしなくて良い。俺が飛ばされたあの件、今となってはすごく後悔してるんだ。あのとき、俺が責任を取ることが潔いとか、自分に嘘をついていたんだ。結局は逃げたんだよ。あの時、しっかり戦っていれば、お前にもこんな辛い想いをさせなくてもよかったんだよな。これは、私の責任です。すまなかった」

   私は深く頭を下げた。秋谷の姿をみると、雨池の責任だけでなく、自分の責任も多分にあったのだと痛感したからだ。

「部長………なにか、変わったような気がします」

「そうかな。会社に飛ばされて、向こうにいってからも色々あったしな。全てを失ったからかな……。いまは、雨池なんて、ただのクソ親父だ。怖くも何ともない!!」

 秋谷の口元が、僅かだが緩んだような気がした。

「クソ親父だなんて……。私の知っている部長はそのようなことは言わなかったはずですが………。分かりました。少しずつお話します」

「ありがとう。ほんと、無理しなくていいからな」

「部長が出向してから、私の地獄の生活が始まりました。専務は、自分のミスを完全に隠蔽するために、自分の配下である営業第一部に私を異動させたのです。それから、事あるごとに執拗に苛めを繰り返してきたのです……」

  それからは、監視カメラの様子がそのまま語られた。

 営業成績が悪いといって、毎日罵られ、人格を否定された。

 酒の飲めない秋谷を毎晩連れ回した。

 会社の中では、雨池の力は絶大であった。周りの同僚には、秋谷に助けを差し伸べるものは一人もいなかった。

 私の想像以上だった……

   雨池は、肉体的にも精神的にも、ジワジワと会社内で秋谷を絞め殺すつもりだったんだ。

「秋谷、もういい。それ以上言わなくてもいい。そこまで、ひどいものとは知らなかった。やはり、あの時、俺がしっかりとお前を守るべきだった。本当に申し訳なかった」

   あまりの秋谷の深い闇に飲み込まれそうな気がした。

「部長、あの会社ではしょうがないです。私は部長を責める気持ちは全くありません。ただ、か、家族にも相談できなくて、つ、つらくて……つらくて。何度も電車に飛び込んで、死のうと思いました。でも、死に切れなかったんです……」

「わかった。もうなにも言わなくてもいい。俺がお前の仇をとってやる!! 」

「よろしくお願いします。これ以上の犠牲者を出さないためにも……」

 後日、雨池のパワハラに対する事実確認書を取り付けることになった。

「部長、本当に変わりましたね。昔はもっと頼りなかったというか……冗談ですよ。また、一緒に働いて、いろいろ教えて欲しいです」

「いや、自分でもそう思うよ。また、一緒に働こう。今度は手加減しないからな」

「あっ、こら。お父さんが会社の人と、お話しているから、ダメでしょ! 」

 秋谷の妻が叫んだ。旦那のことが気がかりで、襖の向こうで聞いたのかもしれない。

「パパーー」

  秋谷の息子が、勢いよく出てきた。秋谷に甘えるように、まとわりついた。

 たしか、うちの息子と同じくらいだ。

 生まれた月も近くて、こんな若い部下と同じ運動会で走りたくないとぼやいたことがあった。

 この子が、秋谷の命をつなぎとめたのだ。

  久しく会ってはいないが、光輝もこの子ぐらいに大きくなっているのだろうか………

 血は繋がっていなくても、会いたい気持ちはあることに驚いた。
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