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盛夏を少し過ぎた頃、祖父が外出している時間帯。
表からは擦りガラスで見えにくいこの林泉古書店。
店内は子供が喜びそうな漫画の単行本などは並んではいない。
その代わりに、昔から子供向けの絵本や事典や図鑑は
数多く揃えられている。
堅苦しいかもしれないが、祖父なりの苦慮の結果だと思う。
古物商の資格も祖父は取得してあるけれど、持ち込みでの
買取は滅多に無い。
本棚の掃除や陳列を手直ししたり、仕入れた古書の手入れを
していると穏やかに時間が流れていく。
時折、ネットで販売している本が売れれば出荷の準備をしたり
やる事はそれなりに細々とある。
唯一、インターネット環境としてPCを駆使するのは
祖父では無くて自分だった。
スマホを持つタイミングは、きっと大学に入学する時が
良かったののではないかと思う。
この先、就活する時にも必ず必要となるだろうに。
きっと、向井先輩も今時固定電話に掛ける事を
不思議に思っているだろう。
祖父は、所かまわず電話がかかって来るのが嫌だ。と
昔から言ってた。
もちろん、これについてはどうとでもなる話だけれど
言いたい事は、何となく理解できる。
自分の時間を縛られたくない感覚に近いと思う。
エアコンの効きが良いせいか、外の陽射しを知っていても
店内ではカーディガンを着て作業をする。
涼みに入店するお客さんも居るのは理解している。
今日はこの後、眼下に行かなくてはいけない。
うっかりと、コンタクトを切らしてしまっていた事を
朝になって思い出した。
あの、炎天下の中を…と思うと気が滅入るが
自転車で15分ほどの距離なら幾分はマシだ。
そろそろ、天文サークルとして市の天文台と合同で観測会が行われる。
打ち合わせにも参加し、大まかな流れや当日の進行などを頭に入れた。
気がかりなのは、彼がこの打ち合わせには現れなかった事。
多忙な事も関係しているのだろうが、正直…不安だと
向井先輩も言っていた。
でも、約束を反故する様な人では無いと言っていたので
俺も複雑な気持ちだった。
『あ、千代くん…。』
静かに店の木戸が開けられて、顔をのぞかせたのは向井先輩だ。
「…先輩、…来てくれたんですね。~何か、恥ずかしいですケド。いらっしゃいませ。」
『涼し~…。なんか、落ち着くお店だなぁ。』
向井先輩はカウンター横まで歩いて来て、いつもより声を抑えめに話す。
こういう細かな気遣いが出来る所が、尊敬できる。
「どうしたんですか?店まで来るなんて…」
『それが~…結構なコトになってて、ちょっと観測会の解説に彼、出れないかもしれないって。』
「は!?もう明後日ですよ…。何言ってるんですか?」
『俺も思ったよ~…。でも、その…家の方にご不幸があったらしくて…』
俺は、口を噤んだ。事情が事情なだけに
軽々しく、言葉を発せられないと瞬時に思い。
ただ、彼の心の内を考えるとまた頭の中がもやもやしてくる。
「では、代わりはだれが?」
『気を使って貰って、結局は天文台の勤務の人と変わってもらう事になって。』
「そうですか…。」
『その日が、お通夜らしいんだ。』
「無理ですね。俺でも、断ります。」
『しかも、喪主を務めるみたいだから…余計に。』
聞けば聞く程、様々な事情を感じる。
「何も、しないんですか?こちらは」
『さすがに、難しいと思う。彼の家は…』
また、木戸の開く音がして視線をやるとその先には
「…海月さん、」
『ぇ…!?遠江さん…』
向井先輩と俺が、彼と呼ぶ人物が居た。
3人で会するのが、初めてだった。
「…すみません。」
『どうして、きみが謝るの?』
「あ、連絡手段無くて…来て貰ってるので。」
『遠江さん、千代くんには伝えました。明後日は他の2人も来てくれるらしいので。』
汗1つかいてない涼し気な面持ちは、今までのイメージと変わらない。
何を言うのだろうかと、変な期待と不安が同時に心に押し寄せて来る。
『大変な時期に、本当に…申し訳ない。』
向井先輩と俺に向かって頭を下げる姿に、不意に心が痛んだ。
「……」
『少し身の回りが落ち着いたら、また連絡するから…待って居て欲しい。』
『遠江さんも、あまり無理し過ぎないでください。こっちの事は何とでもなりますから。』
『…ありがとう。千代くん、も…こんな形になってごめんね。』
初めて、誰かの声で感情が大きく揺れた気がした。
こんなにも哀しみを帯びた声、聞きたくは無かった。
俺は頭を振り立てて、俯く。
向井先輩が店内である事を気にして、遠江さんと店を出て行った。
それから、10分もしない内に汗を拭いながら向井先輩が1人で戻って来た。
『ごめん、千代くん。さすがに暑い…。遠江さんは帰ったよ。コレ、渡すように頼まれた。』
俺は向井先輩から、名刺を受け取った。
裏面には細く華奢な文字でメッセージが書かれていた。
「帰られたんですね、遠江さん。」
『打ち合わせとか、色々あるみたいで。しばらくは忙しいだろね。』
「汗すら、かいてなかったですね。遠江さん。」
『と言うよりも、血の気が引いてた…。』
向井先輩も、言伝を終えて店を後にした。
正午過ぎに、祖父が帰宅して店番を交替してもらった。
2階の台所に戻って、昼食を準備して食べる。
まさか、名刺を持っているとは思わなくて驚いた。
正式に彼の方から連絡先として手渡されたのだ。
決して良いキッカケとは言えない。
遠江 海月。
ずっと、何となく知りたいようで知らない方が良いのかもしれないと
思っていた彼の本名だった。
掴み処が無くて、正体不明で、少し冷たい人だと思っていた。
慌てずに、ゆっくりと書かれたであろう文字の走りを視線でたどる。
【きみからの電話を待っている】
充分過ぎる、言葉の文字の威力。
表からは擦りガラスで見えにくいこの林泉古書店。
店内は子供が喜びそうな漫画の単行本などは並んではいない。
その代わりに、昔から子供向けの絵本や事典や図鑑は
数多く揃えられている。
堅苦しいかもしれないが、祖父なりの苦慮の結果だと思う。
古物商の資格も祖父は取得してあるけれど、持ち込みでの
買取は滅多に無い。
本棚の掃除や陳列を手直ししたり、仕入れた古書の手入れを
していると穏やかに時間が流れていく。
時折、ネットで販売している本が売れれば出荷の準備をしたり
やる事はそれなりに細々とある。
唯一、インターネット環境としてPCを駆使するのは
祖父では無くて自分だった。
スマホを持つタイミングは、きっと大学に入学する時が
良かったののではないかと思う。
この先、就活する時にも必ず必要となるだろうに。
きっと、向井先輩も今時固定電話に掛ける事を
不思議に思っているだろう。
祖父は、所かまわず電話がかかって来るのが嫌だ。と
昔から言ってた。
もちろん、これについてはどうとでもなる話だけれど
言いたい事は、何となく理解できる。
自分の時間を縛られたくない感覚に近いと思う。
エアコンの効きが良いせいか、外の陽射しを知っていても
店内ではカーディガンを着て作業をする。
涼みに入店するお客さんも居るのは理解している。
今日はこの後、眼下に行かなくてはいけない。
うっかりと、コンタクトを切らしてしまっていた事を
朝になって思い出した。
あの、炎天下の中を…と思うと気が滅入るが
自転車で15分ほどの距離なら幾分はマシだ。
そろそろ、天文サークルとして市の天文台と合同で観測会が行われる。
打ち合わせにも参加し、大まかな流れや当日の進行などを頭に入れた。
気がかりなのは、彼がこの打ち合わせには現れなかった事。
多忙な事も関係しているのだろうが、正直…不安だと
向井先輩も言っていた。
でも、約束を反故する様な人では無いと言っていたので
俺も複雑な気持ちだった。
『あ、千代くん…。』
静かに店の木戸が開けられて、顔をのぞかせたのは向井先輩だ。
「…先輩、…来てくれたんですね。~何か、恥ずかしいですケド。いらっしゃいませ。」
『涼し~…。なんか、落ち着くお店だなぁ。』
向井先輩はカウンター横まで歩いて来て、いつもより声を抑えめに話す。
こういう細かな気遣いが出来る所が、尊敬できる。
「どうしたんですか?店まで来るなんて…」
『それが~…結構なコトになってて、ちょっと観測会の解説に彼、出れないかもしれないって。』
「は!?もう明後日ですよ…。何言ってるんですか?」
『俺も思ったよ~…。でも、その…家の方にご不幸があったらしくて…』
俺は、口を噤んだ。事情が事情なだけに
軽々しく、言葉を発せられないと瞬時に思い。
ただ、彼の心の内を考えるとまた頭の中がもやもやしてくる。
「では、代わりはだれが?」
『気を使って貰って、結局は天文台の勤務の人と変わってもらう事になって。』
「そうですか…。」
『その日が、お通夜らしいんだ。』
「無理ですね。俺でも、断ります。」
『しかも、喪主を務めるみたいだから…余計に。』
聞けば聞く程、様々な事情を感じる。
「何も、しないんですか?こちらは」
『さすがに、難しいと思う。彼の家は…』
また、木戸の開く音がして視線をやるとその先には
「…海月さん、」
『ぇ…!?遠江さん…』
向井先輩と俺が、彼と呼ぶ人物が居た。
3人で会するのが、初めてだった。
「…すみません。」
『どうして、きみが謝るの?』
「あ、連絡手段無くて…来て貰ってるので。」
『遠江さん、千代くんには伝えました。明後日は他の2人も来てくれるらしいので。』
汗1つかいてない涼し気な面持ちは、今までのイメージと変わらない。
何を言うのだろうかと、変な期待と不安が同時に心に押し寄せて来る。
『大変な時期に、本当に…申し訳ない。』
向井先輩と俺に向かって頭を下げる姿に、不意に心が痛んだ。
「……」
『少し身の回りが落ち着いたら、また連絡するから…待って居て欲しい。』
『遠江さんも、あまり無理し過ぎないでください。こっちの事は何とでもなりますから。』
『…ありがとう。千代くん、も…こんな形になってごめんね。』
初めて、誰かの声で感情が大きく揺れた気がした。
こんなにも哀しみを帯びた声、聞きたくは無かった。
俺は頭を振り立てて、俯く。
向井先輩が店内である事を気にして、遠江さんと店を出て行った。
それから、10分もしない内に汗を拭いながら向井先輩が1人で戻って来た。
『ごめん、千代くん。さすがに暑い…。遠江さんは帰ったよ。コレ、渡すように頼まれた。』
俺は向井先輩から、名刺を受け取った。
裏面には細く華奢な文字でメッセージが書かれていた。
「帰られたんですね、遠江さん。」
『打ち合わせとか、色々あるみたいで。しばらくは忙しいだろね。』
「汗すら、かいてなかったですね。遠江さん。」
『と言うよりも、血の気が引いてた…。』
向井先輩も、言伝を終えて店を後にした。
正午過ぎに、祖父が帰宅して店番を交替してもらった。
2階の台所に戻って、昼食を準備して食べる。
まさか、名刺を持っているとは思わなくて驚いた。
正式に彼の方から連絡先として手渡されたのだ。
決して良いキッカケとは言えない。
遠江 海月。
ずっと、何となく知りたいようで知らない方が良いのかもしれないと
思っていた彼の本名だった。
掴み処が無くて、正体不明で、少し冷たい人だと思っていた。
慌てずに、ゆっくりと書かれたであろう文字の走りを視線でたどる。
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充分過ぎる、言葉の文字の威力。
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