眠れない夜は檸檬の香り

あきすと

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アッサムティー

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下船病に悩まされることもなく、私は思ったよりもすこぶる元気で
何故か、私の部屋の掃除を手伝いに来た白島の背中を、黙って見つめていた。

余りにも、近くにいる白島が嘘みたいで。
大家さんの家に来たのではなく、私がそろそろ帰宅する頃合いだと
思い、やって来たと話してくれたのだ。

この男の、不思議な勘の良さには目を見張るものがある。
嗅覚が優れてる、とだけでは説明がつかない。
人間離れしているのは、当初からの印象通りだ。

暑さも、かなり和らぎ始めたとは言え、まだまだ残暑が厳しい。
家じゅうの窓という窓を開けながら、蒸せた部屋に風を通してやる。
比較的、埃っぽさも無くて大家さんのおかげと言える。

『俺に、留守を預けても良かったのに…。』
まさか、それは余りにも
「厚かましいだろう。」
シャツを袖まくりして、白島は私のトランクなどを運んでくれた。

汗も、あまりかいていない白島の背中は
相変わらず広く大きな背中が自分の目の前にある事に安堵する。
やっと、帰って来れた。

2年ほどの航海は、私からすればあっという間だった。
大げさかもしれないが、白島の存在が大きくて、私の心の支えに
なって居た事に変わりはなかった。
『どうですかね?でも、何もしないよりかは、よかった気もしますけどね。』
全くもって、本心の見えぬ男だ。
「2年は、長かっただろうか?」
なんと、答えるだろう?

白髪混じりだった髪は、黒髪に染まっていた。
『俺は、あまり時間の中には生きてないんでね。』
「染めたのか?髪が黒に戻ってる…」
居間に荷物を少しだけ運び入れて、台所に行くと水道の蛇口をひねった。
蛇口からは、赤茶色の錆が少しの時間出続けていた。

長い留守の後は、家がまた私との時間を取り戻すまでに少し時間を要する。
『あぁ、これは…自然と黒に戻ったんですよ。若々しくて、良いでしょう?』
珍しく、笑みを浮かべている白島は私の目にとても眩しく映る。
何故だろう、心の端がくすぐったい。
細められた瞳が、まっすぐに私を見つめていることに意識した。
「なんだか、白島…学生みたいになったなぁ。」

理由も思い浮かばない。
良い笑顔の白島は、きっとあの黄色い月にも似た檸檬の香りがするに違いない。
私は、お湯をガス台で沸かしながら腕から先に白島を求めた。
馬鹿だった。
もっと早くに、こうしたかった癖に。
何、意地を張っていたのだろう?

日向の匂いのシャツが、私の視界を優しく包んだ。
思い出の匂いは、首筋から柔らかに私の鼻腔をくすぐる。
嗚呼、困った…。
愛おしくてたまらない。
私のすべてを…見つけて欲しくて、腕だけでは足りない。
爪先立って、かき抱く。

『アンタが…、なかなか来ないから。あんまり辛抱させないでくれ。』
耳朶に白島の肌が触れる。これだけでも、飛び上がってしまいそうな程の刺激だ。
吐息を感じながら、私は、爪先立った足を震わせて
今にもくず折れそうだった。
カクン、と膝の力が抜けると白島がすかさず、私の体を抱き留めて
ゆっくりと、体勢を直すのを待ってくれた。

「まだ、体が思い出せずにいた。刺激が…強すぎる。」
これくらいで?とでも言いたそうに、白島は私の頬を軽く撫でた。
『あ、お湯が沸きましたよ。』
「…せっかくだから、お茶でも淹れよう、甘い菓子も買ってある」
どことなく、距離を取ってトランクの中から紅茶の缶を取り出し
ティーポットを準備した。

『元気そうでよかった…。』
「…船での生活は慣れていた。寄港しながらだと、様々な国を見る事が出来て楽しかったよ。」
『今回は、何しに行ったのか…上も偉いさんも教えてくれなくて。』
私も、守秘義務があるため、いくら白島相手といえども
郊外出来ないことがあった。
紅茶の茶葉が、時間をかけて開いていく。
テーブルの上には、缶に入った洋菓子を置いて
ティーカップを並べた。

「言えない。でも、白島だったら…おおよその検討はつくだろうに。」
あえて、自分からは切り出さないだろう。
『ま、俺の範囲ってこの県だけですからね。実際は、他の国まで細かく絡みだすと
お手上げですよ。』

「白島、その缶…開けてもいいぞ。むしろ、開けてくれ。」
『腐ってませんよね?』
「腐らないさ、砂糖ばかり入っている。」
『溶けてもないですか?』
「あぁ、大丈夫。クッキーやビスケットだから。」
『紅茶には、お似合いですね。…わぁ、懐かしいな。』
白島は缶の蓋を開けて、感嘆を漏らした。
「最後の港で買ったものだから、そう珍しくもないが…」

ティーカップに注がれるアッサムの紅茶を見て
「ミルクも買っておくべきだった。」
『買って来ますか?』
「いや、初めて飲むものだから。まずはそのままで」
『それもそうだ…。家から檸檬も持って来れたのに』

椅子に座って、向かい合いながらティータイムを楽しんだ。
豊かな濃い茶葉の香りが、口の中に広がって
鼻を抜けていく。

成程、ほんのりと甘みが感じられる。
『…紅茶って、普段飲まないすけど意外と、味があるんですね。』
「ふふっ、酷い感想だな。でも、白島らしい。」
塩味が少し効いたクッキーを食べながら、
私は、どことなく嬉しい気持ちでいっぱいになりながら
子供の様に机の下で脚を振っていた。

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