眠れない夜は檸檬の香り

あきすと

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⑮甘く柔い

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白島は手桶に氷を砕いて、氷嚢に詰めていく。
「どうせ氷なら氷水が美味しいだろうに。」
『そうですね、体調がよくなったら食べても良いですね…』
「西瓜でも用意しておけばよかった。この家には何にも無いだろう?」

忙殺されて、これを言い訳にして本当に生活を
ないがしろにして来た。

『薬は要らないですね。熱がもう少し上がるでしょうから。後は汗をかいたら
身体を拭いて、着替えましょう。』
甲斐甲斐しい姿を見ていると、目頭が熱くなる。

「白島、自分の時間を大切にしてくれ。」
『していますよ。ちょうど、今。』
「…お前は…。」
『少なくとも俺のほぼ無限の時間を費やしたい様な人物です、貴方は。』

「熱が下がらなければ、きっと白島のせいにしそうだ。」
『美味しいものが食べたいので、サッサと元気になって下さい。』

氷嚢の台を合わせるべく、白島はすぐ傍に来ていた。
「ありがとう。」
『殊勝ですね。すっかり気が落ち込んでしまってます?』
「あぁ、少なくともな。それに、あられもない姿でまた白島に救われてしまった。」

白島は。ベッドのふちに腰掛けて、あぁ、と声を上げ
『さすがに、タオルを掛けられてましたよ。』
「記憶がない…。でも、良かった。」
『まさか、とは思いましたけど。』

「良かった、もう会えないのかと…少し思っていた。」
『アンタがソレを言いますか?』
「だって、会えば私はきっとまた自分を無くしていく。」

生温い手のひらが、顎から頬へ這わされて心臓がドキドキする。
『口、開けられますか?』
口内が熱い。何をするのだろうかと思いながら
ゆっくりと口を開く。

「…ぁ…」
口の中に何か柔らかいものが押し込まれて、驚きながらも
無意識に咀嚼する。
『ちょっとぬるいですけどね、白桃です。』
口中に広がる甘みと果肉の食感に圧倒されている。
「…あまい…」
いつの間に、用意していたのか。

よく見てみると白島は皿に小刀と白桃をサイドテーブルの上に
置いていた。
『なんだか、すみません。びっくりしました?』
「うん。食べ物だとは思ってなくて…はぁ、でも…みずみずしくて美味しい。」
『桃の缶詰も、近所では売ってるんですが…せっかくですからね。美味しいものが良いかと思って。』
「むせそうな程、水分がすごかった。」
『時々、子供の頃に戻った様になりますね。』
「…私が、か?」

濡れた布巾で白島に口元を拭かれて、何となく言いたい事を察した。

「甘えているか?お前に」
『良いと思いますよ。子供の頃の印象的な事件、自分を助けたとされる大人が俺なんですから。』
「自分で言うのか?」
くすくすと笑っていると、ジッと白島からの視線を感じて
急に何だと、押し黙る。

『俺の背中を追って、来たんでしょう?』
「……」
無意識に、こうなる様に仕向けられていた。
とでも言うのか?

『強すぎる過去の出来事を、アンタはまだ昨日の事の様に思い…乗り越えられない。』
「白島、」
『自分でまだ自分を救えてないってのが、よく分かる。』
「否定はしない。」
『良いんですよ。まだ、俺が居る内は。』

目蓋が少し重くなってくる。白島の声はいつも落ち着き払っていて
私の好きな声色だから心地が良すぎる。

うつらうつらしていると、白島に顔を覗き込まれる。
昏い瞳だと思っていたのに。
近くで見ると、漆黒の中で微細な光がいくつも輝いている事を知る。

唇に、触れる感触はわずかに温かみを感じた。
視界がゆっくりと歪められていく。
白島が見えなくなっていくのに、存在だけはしっかりと触れ合う熱で
伝わって来る。

ぎゅっと布団を握りしめて、口内に差し込まれた舌を
柔く絡めてみた。

本当は、ずっとこんな事がしたくて
煩悩や欲望から逃れたくて必死だったのに。

白島に逢うと、だから駄目なんだ。

私が侵食されていく。



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