辻本美怜の失恋標本

藤也いらいち

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警戒を解いて

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「えっと」

 どうやって切り抜けようかと思案している表情の智輝の様子に気がつかないふりをした美怜は、そのまま話を続ける。

「恵美、今日映画見に行くって言ってたけど、あなたといったのね。とても楽しみにしていたから、よほど仲のいいお友達なんだと思って」
「そう、なんですか」

 智輝の顔があからさまに曇る。これ以上傷口に塩を塗るのはいくら美怜でも心苦しく感じた。美怜は良心の呵責に耐え兼ねて賭けに出る。

「恵美と何かあったみたいね」
「え、いや……」
「そうだ、これから友人とご飯行くの。あなたも一緒にどう?」

 智輝の顔に動揺の色が広がる。動揺か、元々の性格か、コロコロ変わる表情で、美怜には手に取るようにわかる智輝の感情がわかった。
 美怜は今のうちに畳みかけるのがベストだと判断して智輝の手を取る。

「もちろん、ご馳走するわ。時間があるなら行きましょ」
「は、はい……」

 智輝がしどろもどろになりながら頷いたのをみて、美怜は極力綺麗な笑顔を作る。こういうときの美怜の笑顔は恐怖を感じるといつも龍太は言ってた。少し気にしている美怜は毎日鏡で練習しているが、今回も例に漏れず威圧感のある笑顔だった。

「おい。美怜。なにナンパしてんだよ」

 美怜は声のした方を向く。芝居がからず自然にあきれたような顔をしている龍太と目があった。

「龍太、遅かったね。こちら、恵美の友達の……あれ? 名前聞いたっけ?」
「あ、吉村智輝です」
「そう、智輝くんです。さっき偶然あって、ご飯一緒に行こうって、いいでしょ?」
「あぁ、そうか、いいんじゃないか。俺は結城龍太。いこうか」

 美怜と龍太は白々しい会話を繰り広げながら歩き出す。なにも知らない智輝は黙って頷いてついてきただけで不審に思っている様子はなかった。美怜たちは自分たちが怪しい自覚があるだけに、不安はないのかと心配になり顔を見合わせた。

 美怜が智輝を連れてきたのはカジュアルな雰囲気で半個室のイタリアン居酒屋だ。酒が飲めない龍太と今日はあまり飲む気がない美怜は食べるメインになる予定なので、メニューの品数が多くておいしい店を選んでいた。

「智輝くんはお酒飲める?」

 席に着いてすぐ、ドリンクメニューを智輝に手渡しながら美怜は聞いた。

「え、あー、いえ、今日はお酒は……烏龍茶で」
「そう? 飲みたくなったら遠慮しないでね。じゃあ私は梅酒サワー」
「お前、飲まないっていってなかったか?」
「え、一杯目くらいはよくない? 龍太はオレンジジュースでしょ?」
「まぁ、いいならいいが。なんでオレンジジュースなんだよ、好きだけども」
「じゃあ、飲み物はこれでー。龍太、料理適当に選んどいて。智輝くん苦手なものある?」
「特にはないです」
「了解ー」

 龍太がテーブルに設置されていた店員呼びだしのワイヤレスチャイムを押す。すぐに店員がやってきて、飲み物と料理を数点注文した。龍太はやはりオレンジジュースだった。

 飲み物はすぐに運ばれてきて、簡単に乾杯して一口飲んだ。

「智輝くん、今日何の映画見たの?」
「キミノトナリニって言うホラー映画です」
「あのめちゃくちゃ怖いやつね」
「観たんですか?」
「予告よ、予告。それだけでダメだったわ」

 ――本当は後ろで見ていたけど。

 美怜はそう心の中でつぶやく。
 予告の時点でダメだったのは事実だったので、嘘ではなかった。

「恵美さんはホラー好きですよね」
「そうみたい、ホラー好きな友達ができるとすごく嬉しそうに教えてくれるわ」
「そうなんですか」
「あなたのこともよく話してくれるわよ、すごく真面目でいつも研究室のアトリエにいるって」
「暇なだけですよ、それを言ったら恵美さんは俺よりもアトリエにいますよ。講義がなければいるんじゃないかって」

 恵美の通う美術大学は、研究室に共同利用のアトリエがある。畳よりも大きい木製パネルを作り、紙を水貼りし、絵を描く。これを繰り返すのが恵美たちの学生生活だ。これが自宅でできる学生はそれほど多くない。特に恵美の住む美怜の実家はマンションで、そんなことできなかった。結果として恵美は朝から晩までアトリエにこもっているようだった。

「休憩時間に話ができるがとても楽しいみたいよ、恵美話好きだから」
「それならよかったです……」

 ――傷は深そうね。
 
 明らかに曇っていく智輝の表情を見てすこし話題をずらそうと、美怜は龍太に目配せする。
 龍太は眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をすると、すぐ外面前回の笑顔で智輝くんに美大にいる男の人数について尋ねはじめた。

「そうか、やっぱり男は少ないんだな」
「えぇ、俺の学年は60人中8人いて前代未聞だって」
「それは少なくて?」
「いや、多くてです」
「まじか」

 龍太が俺の大学と逆だなと笑う。龍太は工学系の大学院生で女子がほとんどいない環境だ。
 大学の話や高校時代の部活の話でひとしきり盛り上がって、智輝の緊張がとけてきたなと感じたところで智輝が美怜と龍太を交互にみて口を開いた。

「お二人は、お友達なんですか?」
「そうよ。中学生からだから、10年くらい?」
「俺、邪魔してません?」

 よく聞かれる話だと笑っている美怜の横で、龍太が口を開く。

「付き合ってないから、邪魔するとか考えなくていいぞ。なぁ?」
「そうだねー、龍太は恵美が好きなんだもんね」
「いつの話だ。フラれて何年もたってる」

 とっくに諦めた。龍太はそう言って、残り半分近く残っていたオレンジジュースを一気に飲み干す。
 智輝の目が変わったのが向かいに座る美怜にはよく見えた。

「龍太さんは恵美さんともお知り合いなんですか?」
「あぁ、高校は恵美と一緒だった。部活の先輩後輩だよ」
「そうなんですか……」

 智輝の心が揺れ動いているのを美怜は感じた。
 
 ――龍太に任せるタイミングね。
 
 そう思った美怜はスマートフォンを確認するふりをして、顔をあげる。

「ちょっと私外すわね。二人で話してて」
「おう」

 美怜はポーチとスマートフォンをもって席を立った。
 智輝が不思議そうな顔をしているのを見て、美怜は小さく笑う。

「ちょっとかかるかもしれないけど」

 スマートフォンを軽く振りながら言う美怜を見て、智輝は小さく頷いた。
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