キヨノさん

Kyrie

文字の大きさ
10 / 68

第10話

しおりを挟む
お二人のうち、ひょろりとして黒い服を着て銀縁の眼鏡をかけている人は黒須様といって、宰相様のご子息だった。
もう一人の白い服を着て体格のいい人は白洲様といって、近衛少将様だった。
伯爵様を含めお三人はご学友だそうだ。

居間にご案内すると「秘蔵のあれを飲ませろ」とわやわやと大騒ぎし、藤代さんが運んできた厚い硝子のぐらすに深い茶色の洋酒を注いで飲み始めた。
シノさんが奇妙な臭いのするものを薄く切ったぱんと一緒に持ってきた。
それはちーずというのだと黒須様が教えてくださり、食べないかと勧められたが恐ろしくて首を振ってお断りした。
黒須様は気を悪くしたふうでもなかったので、よかった。
いや、お怒りになって、藤代さんには申し訳ないがさっさとここからお暇をいただいたほうがよかったのか。

「キヨノさん、素敵な名前だ。
先週の父が開いたパーティで会えると思っていたのに早々と帰っていたから会えなくて残念だったよ」

「だからこうやってやってきたんだ。
遅くにすまないな。
三条院、かわいらしい方じゃないか」

「どうですか、ここでの生活には慣れましたかね」

「気苦労が絶えないのではないのか。
三条院は優しくしてくれるか」

俺はそふぁのいつものところに座っていると、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
どうしよう、どうやって答えよう、と考えていると答えないうちに次の質問がやってきて、結局なにも言えないままだった。



「あの三条院のハートを射止めたのはどんな方なのか、気になっていたんだ」

「聞いていますか。
恋愛にはとんと疎くて誰にも見向きもしなかった三条院が妻を娶ったというのは、大きな衝撃だったんだよ」

「三条院はいい夫として努めているか。
どうも気が利かないところがあってな。
黒須も俺もそこを心配しているんだ」

「そうだよ。
今なら僕たちが三条院に言うから、キヨノさん、いい機会だと思ってなんでも言ってごらん。
困ったことはないのかい」

「手始めに馴れ初めを聞きたいな。
一体どういう出会いをしたんだ、君たちは」


お客様のこういう会話にもそつなく答えられるのが「妻」というものなのだろうか。
俺は普段の困っている状態に困ったが上乗せされたような気がした。
どうすればいいんだろうか。


「ちょっと待ってくれ!」

「なんだよ、三条院。
出し惜しみしなくてもいいだろう」

「そうだそうだ。
独り身の寂しい俺たちにおまえの幸せを分けてくれてもいいだろう」

「ああ、本当にいい加減にしてくれ!
これ以上、俺がキヨノさんに嫌われるようなことがあったらどうしてくれるんだ!」

俺?
伯爵様が「俺」っと言った?
伯爵様がそんな乱暴な言葉遣いをされるなんて。
それもあんな叫ぶような大声で。

「嫌われる?
穏やかじゃないな」

「説明するから黙って聞いてくれ。
そのあと笑いたければ、この屋敷を出てからにしてくれよ」


怒ったかと思うような声を出した伯爵様は、今度はふてくされたような情けないような顔をしながら、ぽつぽつとこれまでのことを話し始めた。
それまでにやにやしながら囃し立てていたお二人も、次第に静かになり、そして終わる頃にはお三人ともしかめっ面になった。

「はあああああっ?!
滑川様がおっしゃっていた『神隠しのごとく』というのはあながち間違いではなかったのか!」

「いや、もっとひどいぞ。
これではまるで人さらいではないか!」

「キヨノさん、恐かっただろう。
こんな危ない人物のそばにいたらいけない。
今からうちに来なさい」

「待て待て、白洲のところより僕のところのほうが快適ですよ。
丁度、僕の手伝いをしてくれる書生を探していたところだ。
うちにいらっしゃい、キヨノさん」

いやいや、大丈夫です。

「御心配には及びません。
わたしはあと一週間でお暇をいただきますので」

「一週間?」

「どういうことなのだ」

お二人に詰め寄られ、伯爵様は大きな大きな溜息をつき、今がお試しの期間中であることも説明した。

「え、そこまで?」

「冗談だろ」

「本当ですよ。
それにしてもあと一週間でお暇、とは。
本気でしょうか。
もしキヨノさんがここから出ていったら、おまえたちのせいでもあるからな」

伯爵様は頭を抱えた。

あ、伯爵様でも困ることがあるんだ。

「話をしようにもうまくいかないし、どうしていいのかわからないし、ほとほと困っているよ」

俺だけじゃなかったんだ。
そうか。

俺が知っている伯爵様は、いつもご立派だった。
身だしなみもきちんとして、乱暴な物言いや行動はしない。
お屋敷の使用人の人たちにも偉そうにしない。
俺に対してもお優しい。
俺が赤ん坊だと勘違いしているのかと疑うくらい、お優しい。
話をするときもじっと黒い目で俺の目を見るので、俺は気恥ずかしくなって視線を逸らすくらいだ。
田村様のお屋敷では俺は旦那様と話をすることはなかったが、旦那様が使用人と話をするときは、なにかしながらのこともあって目を見ながら話をしているのは見たことがなかった。

俺はずっと伯爵様は完璧な方だと思っていた。
わからないことはおっしゃるけど。


しおれている伯爵様にはとても申し訳なかった。
でもこんなに不機嫌になったり、困ったり、情けないお顔になったりするのだ、俺と同じなんだ、と思うとすごく安心して、どうしようもなくにやけてしまった。

「……っぷ」

一度漏れると止まらなかった。

「ふは……ふ……ふ……ふはははははは」

気が抜けた。
そうしたら笑いが出てきた。

「どうした」

「は、伯爵様も……お困りになっていらしたんだ。
ふはははは。
俺……わたしだけかと、お、お、思って……ふふふふふ。
気……が抜けた……
ふははははははは」

「わははははははは、こんなところで笑えるとはいい度胸をしているぞ、キヨノさん!
気に入った。
うちに来なさい。
俺がきっちりと面倒見よう」

「ずるいぞ、黒須!
ふふふふふふ、本当にいい根性をしている。
僕のところで書生になりなよ、キヨノさん。
そうか、キヨノさんは困っていたんだね」

俺が必死で笑いを堪えているのに、お二人も笑い出したので余計に止まらなくなり、俺は笑いながら「はい」と答えた。

「ふはははは。
とっても困っていました。
くふふふふふ。
俺だけかと、思ってた。
ふふふふふふ。
伯爵様もそんなにお困りだなんて、知らなかった」

「はははははは、困らせておけ。
おまえさんも困って当然なんだから」

「やはりおぼこいとこういうことになってしまいますか。
これが婦女子の憧れの的の三条院伯爵とは。
友人として情けない。
奥方と話ができないとは。
三条院はなにを話していましたか」

「あいとかすきとか雷とかうんめいとか。
あとは赤さんでもないのに抱っこしたり」

「おやまあ。
それは難しいことを」



ちらりと横を向くと、伯爵様はそふぁにもたれかかって半分倒れていた。

「なぁ、キヨノさん」

一番大笑いをしていた白洲様が言った。

「困った奴だが、三条院は気持ちのいい奴だ。
三条院も小難しいことを話さず、もっと楽しいことを話せばいいのにな。
もしキヨノさんがこの屋敷を出るなら、本気で黒須と俺でそのあとのことは世話をしてあげよう。
あと一週間では三条院の良さを知るには短すぎる」

「そうだねぇ」

「もし嫌じゃなかったら、そのお試し期間をあと一か月延長してみないか」

「え」

「それだけの価値はある男だよ」

「多くの人は三条院の見た目と身分だけに惹かれる。
しかし中身も魅力的な男なのはこの二人が太鼓判を押す。
黒須の言う通り、あとのことは心配しなくてもいい。
そして君もとても魅力的な人だ。
君は三条院のなにを知っている?」

え…っと……

「ほら、なにも知らないだろう。
もっと一緒にいて、もっと話をしたほうがいいと思うよ。
それには一週間では足りないと僕も思う。
できれば一か月延長してもらえれば友としては嬉しいが、嫌になれば打ち切ってもいい。
中川と僕たちは仲良しだんだ。
そこのところも頼んでおいてあげよう」

えっと。

俺は黒須様を見ていたが、思わずまた伯爵様のほうを見た。
伯爵様は元気のない様子だったが、首を横に振った。

「無理はしないで、キヨノさん」

「なりあきさまも困っていましたか」

「ああ、とてもね。
どうやっても貴方が心を閉ざしてしまうから」

「そんなつもりはなかったんだけど。
ごめんなさい」

「そうさせたのは私のせいでもあるんだろうね」

そう言うと伯爵様は微笑んだ。

「でも私は今、とても嬉しいんだ」

「?」

「貴方が笑ったからだよ、キヨノさん!」

「?!」

「ここに来てあんなに笑ったのを初めて見ました」

ああそうか。
俺はここでも笑っていたけど、伯爵様のお留守のときだけだったかな。

「欲が出てきそうだ。
もっと貴方の笑顔が見たい、と思ってしまう。
だけど、私からは延長のお願いはしない。
もうこれ以上、負担はかけたくない。
約束通りきちんと最後の日曜日にキヨノさんの考えをお聞きします。
ご安心ください」

そう言った伯爵様はいつもより綺麗に見えた。
目の下のほくろは泣きそうなのに、綺麗な綺麗なお顔をされていた。

「なりあきさま」

お名前を呼んだけど、そのあとは続かなかった。





それから程なくして黒須様と白洲様はお帰りになられた。
見送ると、伯爵様は「今夜は和室で寝なさい。私のことは大丈夫。風邪なんてひかないくらい温かくしておきますよ」と言い、俺のことを藤代さんに任せるとお部屋に戻られた。
お疲れだからだろうと思い、俺は和室で眠ることにした。

土曜日はいつもなら半ドンだが、急な仕事が入ったと俺が目を覚ましたときには伯爵様はもうお出かけになっていた。
夕方お戻りになると、青い顔をしていて、休息を取られた。
日曜日も同じだった。
俺は夕餉の短い時間だけを伯爵様と過ごした。

また月曜日が来て、伯爵様のお仕事がいつものように始まった。









しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される

秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました! 最終17位でした!応援ありがとうございます! あらすじ 魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。 ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。 死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――? 傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。

処理中です...