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第38話
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翌日には道を拓く時が満ちる。
しかし依然としてルーポは高熱にうなされていた。
閉じた目の端から時折涙を落とし、なにかを言いたそうだが熱い喉は声を発することはできなかった。
道を拓くためには膨大な魔法と魔力が必要なため、ルーポに割ける魔法はほとんどなかった。
このまま回復しなければ道を拓くのを止めることになる。
マーガスもアキトもどれほどルーポがメリニャに帰りたがっているのかを知っている。
それはダイロスにも伝わっており、ぎりぎりまで待つことにした。
最後の日も暮れ、夜がやってきた。
マーガスも道を拓くために魔法を使うため、魔法宮に詰めて最後の打ち合わせに参加していた。
アキトは少しでもルーポの苦しみを和らげようと、額を冷やす布を取り換えると手桶の水を替えに小屋の外に出た。
そして水瓶に溜めている冷たい水を汲んで、ルーポの部屋に入ろうとした。
だが、一歩も入ることができない。
アキトの全身の毛が逆立った。
まるで透明な壁でもあるように部屋はふさがれていた。
アキトが体当たりをし、妖狐の呪文を唱えてもなんの変化もなかった。
歯ぎしりをしながらアキトがルーポの様子をよく見ようと中を覗いた。
そこには。
黒い毛むくじゃらの、小さな魔物がルーポの胸の上に座り、にやにやと卑下た笑みをたたえながらルーポの顔を覗き込んでいた。
目は片方しかなく、濁ってどろりとしていた。
歯は数本しかなく、口からはキィーキィーと甲高い声か、ぜぃぜぃと苦し気な息が漏れていた。
やたらと細い指が蜘蛛の足のようにルーポをざわりざわりとなでていく。
指の先には鋭い針のように尖った爪がついていて、ルーポの白い肌は引っかかれ赤いみみず腫れが幾筋もつけられていく。
「やめろっ!」
アキトが怒りもがくが、透明な壁が崩れることはなかった。
魔物はアキトが何もできないのを見ると、ちろりちろりとアキトの視線を意識しながら、ルーポの身体をなで回していく。
それから淀んだ紫の長い舌を伸ばし、ルーポの首を舐め上げていった。
一舐めするごとに魔物はいかにもうまいものを口にしたように満足げに目を細め、にたにたと笑う。
そのたびにルーポの精力が吸われていくのをアキトは見た。
熱の原因はこれか。
この世界のものではない魔物には魔法が効くはずもなかった。
このままではルーポの精力は一滴残らず吸われてしまい、命が失われてしまう。
アキトは焦り、自分の力を全て使ってみるがなに一つ状況は変わることはなかった。
そうしている間にも魔物はこれ見よがしにルーポをなで、舐めまわしていた。
やがて精力も少なくなってきたのか、吸いにくくなってきた。
魔物はルーポの首に力を込めてひっかき傷をつけ始めた。
首を切り裂けば、まだまだ残っている精力が吸いやすくなる。
そうされれば、ルーポは死んでしまう。
「やめろっ!
ルーポっ!
ルーポっっっ!!!」
アキトは髪を振り乱し、透明な壁を握りこぶしで叩く。
虚しいほど魔物とルーポにはそれが届かない。
魔物が手を上げ、人差し指を出し、ルーポの喉を突き刺した。
「ルーーーーーポーーーーーーっっっっ!!!!」
パリン、と鋭い音がした。
それと同時に透明な壁は存在を消し、アキトの叫びがルーポの部屋中に響いた。
「ギャアアアーーーーーーーーーーァァァァっ!!!」
恐ろしく気味の悪い声が上がる。
血まみれになっているはずのルーポの首からは血は噴き出してはいなかった。
魔物の尖った爪がルーポの首に触れる瞬間、現れたのは空色の硝子玉だった。
硝子玉はルーポの代わりに魔物の爪に刺され、粉々に割れた。
その破片が魔物の唯一の目に食い込み、青黒い液体が飛び散った。
魔物は断末魔の叫びを上げる。
痛みのあまりベッドから転がり落ち、ごろごろとのたうち回った。
それらの出来事を心奪われたように見ていたアキトだが、はっと我に返りルーポに駆け寄る。
魔物の唾液は異臭を放ち、ひっかかれてできたみみず腫れは魔物の呪のためにぱんぱんに腫れ上がっていた。
アキトはルーポを抱き上げ、駆け出した。
一刻も早く洗い流さねばならない。
アキトはルーポを温泉に連れていき、抱えたまま湯の中に入った。
「ぐああああああああああっ」
傷口に温泉がしみるのかルーポが叫び、苦しさのあまり暴れ出した。
「しっかりしろ、ルーポっ」
アキトはしっかりとルーポを自分の胸に抱え、暴れないように抑え込む。
そして囁くように妖狐の呪文をぶつぶつと唱え続ける。
ルーポの動きはすぐに収まるはずもなく、苦しい声を上げる。
清らかなものは狙われやすいのだ、とアキトはルーポを抱えながら感じた。
どこの世界にも清らかさに圧倒されながらも、それを踏みにじり穢してやろうとする輩がいるものだ。
あの魔物がどこの世界から紛れ込んだのかわからないが、ルーポの懸命さと日に日に透明感を増していく様子に魅かれていくのは容易に理解できた。
自分もまたそうだったからだ。
ただ、アキトにはマーガスがいた。
アキトがルーポの襲い掛かる前に、マーガスは自分の関心を逸らせ精力を与え、アキトを鎮めた。
アキトの呪文が効いてきたのか、ルーポの動きがおとなしくなってきた。
アキトは器用に湯の中でルーポの着ているものをすべて取り去った。
そして自分は黒い服を着たまま、内側から首にかけてあった飾りを取り出した。
首飾りの中央には水晶をくり抜いた勾玉の形をした小さな容れ物がついていた。
そこには赤い液体が入って揺れている。
アキトは犬歯で首飾りの糸を切り、勾玉を外すとじっと見つめた。
意を決したようにそれを口に含み、奥歯で噛み砕いた。
生温かな血の味がした。
ルーポを抱え起こし、そっと唇を押し付ける。
口内の液体を飲み込まないように気をつけながら、尖った舌でルーポの唇をこじ開ける。
そして注意深く、液体をルーポの口に移していった。
ルーポが飲み込むように、舌先を口の奥まで押し込んでやる。
ようやくルーポがごくりとそれを飲み込んだ。
それを確認して、アキトはルーポを抱え直しまたぼそぼそと呪文を唱えながら、神仏に祈るしかできなかった。
「アキト、アキト。
しっかりしろ」
いつの間にかに自分もルーポを抱え、温泉の中でうとうとしていたことの気づいた。
自分を呼んでいたのは、マーガスだった。
「どうした」という問いにアキトは簡潔に説明する。
そして抱えていたルーポをマーガスに見せる。
マーガスがルーポの傷を見ると、アキトの頭をくしゅりとなでた。
「よくやった、毒素はほとんど消えている」
アキトは嬉しくて、ついうっかり涙をほろりと落としそうになった。
マーガスは一旦小屋に戻り、そのあと改めて2人を迎えにきた。
ルーポを大きな白い布で包み抱き上げ、よろけるアキトを支えた。
そのときに初めてマーガスは辺りにちらばっている翡翠の小さな玉に気がついた。
それは首飾りのものだった。
「おまえ……」
マーガスはアキトの首飾りのことを知っていた。
小さな翡翠の玉を通し、真ん中には赤い勾玉がついていた。
いつだったかアキトが赤い勾玉を大切そうにいじりながら話していた。
その勾玉には最初のマスターの血が入っているのだと。
『私は妖狐に守ってもらえるが、私は暁門を守る術がない。
私にはまじない師の血が流れていて、万能薬になるらしいよ。
いざというときに持っておくがいい』
そう言って最初のマスターは自分の血を数滴、勾玉に込めてアキトに渡した。
その血は不思議なもので、マスターが生まれ変わりどこかの世に誕生すると熱くなり、アキトにそれを教えたという。
「今使わずして、いつ使うと言うのです」
マスターの存在を知る術をなくしたアキトが言った。
マーガスはそれを聞くと、「ありがとうな」と短く言った。
夜明けまでは短かったが、3人は暖炉の前に分厚いラグを敷き、寄り添ってうたた寝をした。
マーガスの白魔法がそっと2人を包んでいた。
しかし依然としてルーポは高熱にうなされていた。
閉じた目の端から時折涙を落とし、なにかを言いたそうだが熱い喉は声を発することはできなかった。
道を拓くためには膨大な魔法と魔力が必要なため、ルーポに割ける魔法はほとんどなかった。
このまま回復しなければ道を拓くのを止めることになる。
マーガスもアキトもどれほどルーポがメリニャに帰りたがっているのかを知っている。
それはダイロスにも伝わっており、ぎりぎりまで待つことにした。
最後の日も暮れ、夜がやってきた。
マーガスも道を拓くために魔法を使うため、魔法宮に詰めて最後の打ち合わせに参加していた。
アキトは少しでもルーポの苦しみを和らげようと、額を冷やす布を取り換えると手桶の水を替えに小屋の外に出た。
そして水瓶に溜めている冷たい水を汲んで、ルーポの部屋に入ろうとした。
だが、一歩も入ることができない。
アキトの全身の毛が逆立った。
まるで透明な壁でもあるように部屋はふさがれていた。
アキトが体当たりをし、妖狐の呪文を唱えてもなんの変化もなかった。
歯ぎしりをしながらアキトがルーポの様子をよく見ようと中を覗いた。
そこには。
黒い毛むくじゃらの、小さな魔物がルーポの胸の上に座り、にやにやと卑下た笑みをたたえながらルーポの顔を覗き込んでいた。
目は片方しかなく、濁ってどろりとしていた。
歯は数本しかなく、口からはキィーキィーと甲高い声か、ぜぃぜぃと苦し気な息が漏れていた。
やたらと細い指が蜘蛛の足のようにルーポをざわりざわりとなでていく。
指の先には鋭い針のように尖った爪がついていて、ルーポの白い肌は引っかかれ赤いみみず腫れが幾筋もつけられていく。
「やめろっ!」
アキトが怒りもがくが、透明な壁が崩れることはなかった。
魔物はアキトが何もできないのを見ると、ちろりちろりとアキトの視線を意識しながら、ルーポの身体をなで回していく。
それから淀んだ紫の長い舌を伸ばし、ルーポの首を舐め上げていった。
一舐めするごとに魔物はいかにもうまいものを口にしたように満足げに目を細め、にたにたと笑う。
そのたびにルーポの精力が吸われていくのをアキトは見た。
熱の原因はこれか。
この世界のものではない魔物には魔法が効くはずもなかった。
このままではルーポの精力は一滴残らず吸われてしまい、命が失われてしまう。
アキトは焦り、自分の力を全て使ってみるがなに一つ状況は変わることはなかった。
そうしている間にも魔物はこれ見よがしにルーポをなで、舐めまわしていた。
やがて精力も少なくなってきたのか、吸いにくくなってきた。
魔物はルーポの首に力を込めてひっかき傷をつけ始めた。
首を切り裂けば、まだまだ残っている精力が吸いやすくなる。
そうされれば、ルーポは死んでしまう。
「やめろっ!
ルーポっ!
ルーポっっっ!!!」
アキトは髪を振り乱し、透明な壁を握りこぶしで叩く。
虚しいほど魔物とルーポにはそれが届かない。
魔物が手を上げ、人差し指を出し、ルーポの喉を突き刺した。
「ルーーーーーポーーーーーーっっっっ!!!!」
パリン、と鋭い音がした。
それと同時に透明な壁は存在を消し、アキトの叫びがルーポの部屋中に響いた。
「ギャアアアーーーーーーーーーーァァァァっ!!!」
恐ろしく気味の悪い声が上がる。
血まみれになっているはずのルーポの首からは血は噴き出してはいなかった。
魔物の尖った爪がルーポの首に触れる瞬間、現れたのは空色の硝子玉だった。
硝子玉はルーポの代わりに魔物の爪に刺され、粉々に割れた。
その破片が魔物の唯一の目に食い込み、青黒い液体が飛び散った。
魔物は断末魔の叫びを上げる。
痛みのあまりベッドから転がり落ち、ごろごろとのたうち回った。
それらの出来事を心奪われたように見ていたアキトだが、はっと我に返りルーポに駆け寄る。
魔物の唾液は異臭を放ち、ひっかかれてできたみみず腫れは魔物の呪のためにぱんぱんに腫れ上がっていた。
アキトはルーポを抱き上げ、駆け出した。
一刻も早く洗い流さねばならない。
アキトはルーポを温泉に連れていき、抱えたまま湯の中に入った。
「ぐああああああああああっ」
傷口に温泉がしみるのかルーポが叫び、苦しさのあまり暴れ出した。
「しっかりしろ、ルーポっ」
アキトはしっかりとルーポを自分の胸に抱え、暴れないように抑え込む。
そして囁くように妖狐の呪文をぶつぶつと唱え続ける。
ルーポの動きはすぐに収まるはずもなく、苦しい声を上げる。
清らかなものは狙われやすいのだ、とアキトはルーポを抱えながら感じた。
どこの世界にも清らかさに圧倒されながらも、それを踏みにじり穢してやろうとする輩がいるものだ。
あの魔物がどこの世界から紛れ込んだのかわからないが、ルーポの懸命さと日に日に透明感を増していく様子に魅かれていくのは容易に理解できた。
自分もまたそうだったからだ。
ただ、アキトにはマーガスがいた。
アキトがルーポの襲い掛かる前に、マーガスは自分の関心を逸らせ精力を与え、アキトを鎮めた。
アキトの呪文が効いてきたのか、ルーポの動きがおとなしくなってきた。
アキトは器用に湯の中でルーポの着ているものをすべて取り去った。
そして自分は黒い服を着たまま、内側から首にかけてあった飾りを取り出した。
首飾りの中央には水晶をくり抜いた勾玉の形をした小さな容れ物がついていた。
そこには赤い液体が入って揺れている。
アキトは犬歯で首飾りの糸を切り、勾玉を外すとじっと見つめた。
意を決したようにそれを口に含み、奥歯で噛み砕いた。
生温かな血の味がした。
ルーポを抱え起こし、そっと唇を押し付ける。
口内の液体を飲み込まないように気をつけながら、尖った舌でルーポの唇をこじ開ける。
そして注意深く、液体をルーポの口に移していった。
ルーポが飲み込むように、舌先を口の奥まで押し込んでやる。
ようやくルーポがごくりとそれを飲み込んだ。
それを確認して、アキトはルーポを抱え直しまたぼそぼそと呪文を唱えながら、神仏に祈るしかできなかった。
「アキト、アキト。
しっかりしろ」
いつの間にかに自分もルーポを抱え、温泉の中でうとうとしていたことの気づいた。
自分を呼んでいたのは、マーガスだった。
「どうした」という問いにアキトは簡潔に説明する。
そして抱えていたルーポをマーガスに見せる。
マーガスがルーポの傷を見ると、アキトの頭をくしゅりとなでた。
「よくやった、毒素はほとんど消えている」
アキトは嬉しくて、ついうっかり涙をほろりと落としそうになった。
マーガスは一旦小屋に戻り、そのあと改めて2人を迎えにきた。
ルーポを大きな白い布で包み抱き上げ、よろけるアキトを支えた。
そのときに初めてマーガスは辺りにちらばっている翡翠の小さな玉に気がついた。
それは首飾りのものだった。
「おまえ……」
マーガスはアキトの首飾りのことを知っていた。
小さな翡翠の玉を通し、真ん中には赤い勾玉がついていた。
いつだったかアキトが赤い勾玉を大切そうにいじりながら話していた。
その勾玉には最初のマスターの血が入っているのだと。
『私は妖狐に守ってもらえるが、私は暁門を守る術がない。
私にはまじない師の血が流れていて、万能薬になるらしいよ。
いざというときに持っておくがいい』
そう言って最初のマスターは自分の血を数滴、勾玉に込めてアキトに渡した。
その血は不思議なもので、マスターが生まれ変わりどこかの世に誕生すると熱くなり、アキトにそれを教えたという。
「今使わずして、いつ使うと言うのです」
マスターの存在を知る術をなくしたアキトが言った。
マーガスはそれを聞くと、「ありがとうな」と短く言った。
夜明けまでは短かったが、3人は暖炉の前に分厚いラグを敷き、寄り添ってうたた寝をした。
マーガスの白魔法がそっと2人を包んでいた。
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