空と傷

Kyrie

文字の大きさ
44 / 50

番外編 第44話 シトラス

しおりを挟む
早朝から騒がしい。
軽く身支度をして部屋を出、階段を下りていると兄もまた、同じように起き出していて、2人で下を目指した。

正面のドアが開きっぱなしで、アルベルトの声がしている。
誰かをぎゅうぎゅうと抱きしめている後ろ姿が見え、その向こうには美貌で名高い騎士のヴェルミオンが立っていた。

ちらりとアルベルト越しに干し草色の外套の端が見えた。

まさか。

喜びがこみ上げる。

「ちょっとー、あたしもお腹空いてるんだけどー」

ヴェルミオンのからかいを含んだ、しかし嬉しそうな声に自分の声もやや高くなる。

「それは申し訳ありませんでした、騎士様。うちで朝食を召し上がっていってください」

私の声に外套の主がひょっこりとアルベルトの腕の端から目を見せる。
手を振ってやると嬉しそうに眼を細めた。
そして私の横にいる兄の姿を見つけると、アルベルトの腕から飛び出してきた。

「ルーポ」

「カヤ様ーーーー!!」

兄が呼ぶ声に引き寄せられるように走ってきて、飛びかかるように抱き着いていた。
兄はルーポをがっしりと抱き留め、愛おしそうに包み込む。


2年ぶりに、行方不明になっていた我らの薬師殿が帰還された。


緘口令が引かれるくらいだから、あまり詳しいことは話せないだろうと思い、アルベルトを通じて使用人には不要なことをルーポに尋ねないように指示した。
皆、心得ている様子だった、とアルベルトから報告を受けた。



腹ぺこの薬師殿と騎士様と朝食を共にすると、ルーポは屋敷の者に挨拶をしに回った。
兄もアルベルトもそれについて回るのが面白くて、私もついていく。
仕事が滞るが、夜や明日の早朝やってしまえばいい。

私だってルーポの帰還は嬉しい。

しかし、午後からは仕事に戻ることにした。
アルベルトにも手伝わせることにする。
少しは2人きりにするという気遣いを見せればいいのに、アルベルトは兄のことになると冷静さを欠く。





夕方、ルーポは風呂を1人で使うようだ。
やっと1人になった兄を自分の部屋に招き入れる。
にやついて顔が緩んでしまう兄をからかうと面白そうだったが、それは止めることにした。

「ルーポが帰ってきたの、知っていたんだね」

「ああ。
挨拶もそこそこに俺の治療を始めて、やりすぎてぶっ倒れてしまったから、今日やっとまともに会話した」

「おやおや」

「俺もその治療がきつかったせいか、ここでまた厄介になってるし」

「そんな言い方したらアルベルトが悲しむよ、カヤ」


突然、動けない兄が運び込まれて屋敷は強い緊張に包まれた。
これまでこうやって運び込まれたときには必ず、ひどい傷を負っていたからだ。
しかし、今回は顔色もよくどこにも負傷した様子がない。
とにかく安静にしておけばいい、と付き添ってきた医者は言い、それから二日は朝晩に往診に来た。



「それはそうと、兄さん」

俺は飾り棚の奥の隠し戸棚から茶色の硝子の小瓶を取り出した。

「これ、準備してあるの?」

独特の形なので、一目でカヤもそれがなにかわかったようだ。
それを承知できゅぽんと音を立て、小瓶の蓋を開けてみる。
ふわりとシトラスの香りが漂った。

「ない」

そりゃそうだろうね。
屋敷に戻ってから一歩の外に出ていないんだから。


俺は貴族で、次期当主としても期待され、今は財務大臣の父の手伝いをしている。
その気になれば、夜の相手には困らない。
真剣につき合う人ができたときのために、この小瓶は常備されている。

残念なことに、今は恋愛にも結婚にも関心がないので本気で使うことはない。
どこのどいつが始めたのか知らないが、家特有の香りつきを準備するのもなかなか苦労する。
劣化するため長期保存ができず、定期的に新しいものと入れ替える。

一度、破棄されるのなら、と小瓶を一つ持ち出し、花街で女と過ごした。
小柄で華奢な女で、背中がとても綺麗だった。
うつ伏せに寝かせ、小瓶の中の油を垂らす。
ねっとりとした水たまりが背中のくぼみにでき、そこから溢れたものは脇腹を伝い敷布に落ちた。
「いい香り」と女は言い、シトラスの匂いを大きく吸った。
油を伸ばすように背中に広げてやるとするすると滑る。
「気持ちいい」と小さく呟いたのが可愛らしくて、俺はそのまま背中をなでていた。
やがて女は軽い寝息を立て始めた。
化粧で派手に見え年上だと思っていたが、寝顔はあどけなく起こす気になれなかった。
そのまま寝かせておいてやると、明け方目が覚めた女は慌てふためいた。
仕事をしなかったのが雇い主にわかると折檻されると怯えた。
その前に客である俺になにかされると怖がった。
俺はなにもしないしなにも言わない、と言った。
ただ朝なので窮屈になった前をなんとかしてほしい。それからたくさん口づけをしてほしい、と言った。
女は小さな舌を使い、キスをたくさんし、俺の股間に顔を埋め口と舌と手で俺を鎮め、吐き出したものを飲んでくれた。

帰ってから、俺はアルベルトに怒られた。
あの潤滑油は遊びで使うものではない、とても大切な人に対して使うものだ、と。



「今夜、必要だろ。
持ってく?」

「………」

くくく。
言葉を失うカヤを見るのは楽しかった。
あまり兄弟でこういう話題はしてこなかったからな。
俺が思春期を迎える頃には、兄さんは屋敷を出て騎士養成学校に勝手に入っていたし、そのあとは傭兵として長期間メリニャにいなかったし、戻ってきたかと思えば騎士として戦っていたから屋敷に戻ってくるはずもなかった。

居心地悪そうにし不機嫌な顔のカヤは、見ごたえがあった。

「ああ、そこまで気が回っていなかった。
ありがたくもらっていく」



俺は驚いた。
自分の想像では兄は恥ずかしがってちょっと怒り出すはずだった。
なのに。

「ルーポを傷つけるわけにはいかないからな。
それに、この匂いは好きだと言っていた」

「……そう。
それならなおさらよかった。
何本いる?」

「5本」

………
だめだ。
からかうつもりだったが、こっちが照れてしまった。
5本!
5本だと?!
どれだけするつもりなんだ……!!!



ふと思い出す。
2年前、カヤがルーポを抱いた夜のこと。
俺たちの部屋の壁は厚く音が漏れにくくなっているとはいえ、カヤの部屋に一番近い俺の部屋では静かにしていれば、ルーポの艶やかな甘い声が微かに聞こえてきていた。

かっと身体が熱くなる。

兄の夜のことなんて、そんなに知りたいはずはないだろう。

恥ずかしくなって、小瓶を5本、カヤに押しつけた。

「早く持っていけ」

「ああ、ありがとう、ロダ」

カヤはしれっとそれを受け取ると、俺の部屋から出ていった。



俺はそばの椅子に座り込んだ。

今夜はワインを用意させよう。
気を紛らわせないとやりきれないかもしれない。

あんなにデレデレなカヤを初めて見たぞ!
口元を手で覆い、呆然としてしまう。

顔から熱が引くのに、時間がかかってしまった。






***
「空と傷」の舞台裏公開
随時質問も受け付け中
ブログ ETOCORIA https://etocoria.blogspot.com/2018/11/soratokizu-butaiura.html
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

ハルとアキ

花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』 双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。 しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!? 「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。 だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。 〝俺〟を愛してーー どうか気づいて。お願い、気づかないで」 ---------------------------------------- 【目次】 ・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉 ・各キャラクターの今後について ・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉 ・リクエスト編 ・番外編 ・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉 ・番外編 ---------------------------------------- *表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) * ※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。 ※心理描写を大切に書いてます。 ※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

手切れ金

のらねことすていぬ
BL
貧乏貴族の息子、ジゼルはある日恋人であるアルバートに振られてしまう。手切れ金を渡されて完全に捨てられたと思っていたが、なぜかアルバートは彼のもとを再び訪れてきて……。 貴族×貧乏貴族

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

人生はままならない

野埜乃のの
BL
「おまえとは番にならない」 結婚して迎えた初夜。彼はそう僕にそう告げた。 異世界オメガバース ツイノベです

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

処理中です...