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16:走馬灯も動かないことがある。

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 『わたし』は剣を持ち上げた。デニスの剣は両手持ちの大剣だ。両方に刃がついている、重たそうなやつ。
 普通に考えて、わたしでは持ち上がらないと思う。

 でも、『わたし』には関係ないらしい。
 迫ってくる魔物の先頭まではまだ距離がある。目測五百メートルくらい。
 そこを見据えた『わたし』は、大剣をバットみたいに左側に振りかぶって、右に振り抜いた。

 ぶぅん

 って。
 風を切る音。なんか、ものすごい音がした。

 威力もえぐかった。
 大剣から生み出されたとしか思えない白い輝きが無数の刃になって魔物の先頭集団に向かって飛んで行ったんだよ。
 差し渡し五キロ以上の塊の先頭だよ?

 光の刃は魔物たちの上に着弾して、弾けた。
 ズバババババババ。
 まるでマイクロミサイルポッドの命中演出。マンガなら絶対、そういうオノマトペが画面いっぱいになったはず。
 無数の光が散って、黒い塊が白い光に塗りつぶされた。

 真空波? はどうだん?
 わからないけど、そういうやつじゃないのかな。とりあえず、なんかすごい。

 魔物の群れが止まった。先頭集団が倒れるなり、怯むなりして、立ち止まったんだろう。

『……やはり、そういうことか』

 何が?
 『わたし』の独り言に即座に返したら、応えは、

『休まないのか?』

だった。
 『わたし』の声はとても優しい。少なくとも敵意はゼロ。むしろ労りを感じる。
 ただし、体は大剣を構えていて、しっかり魔物の群れを見据えて揺らがない。自分の表情は見えないけど、甘い顔をしているとは思えないんだけど。
 そこで、ふと気がついた。

 わたし、光ってるわ。

 燐光っていうのかな。淡いピンクを帯びた白い光が全身を皮膜みたいに覆っている。全身。つま先から髪の毛にいたるまで、全部だ。

 夜、瘴気の嵐の中で光ってるって、目立つよね。
 魔物から見てもそうだと思う。さっきの真空波で動きを止めていた群れが蠢いて、こちらを『見た』。

 もちろん魔物は単体じゃない。けど、全体的な意識みたいなものが『わたし』を見つけたのを感じた。
 それはもう、はっきり。

 勘違いじゃないのはすぐにわかった。
 本当に目がこちらを見たからだ。真っ赤な、無数の赤い光。赤く光った魔物の目だ。黒い塊に無数の赤。赤。赤。
 さながらウルトラサイズの百目鬼か。

 魔物たちは塊全部でひとつになったみたいに、いや、ひとつになろうとするみたいに動き出した。地鳴りと雷鳴が空間全部を揺さぶっている。

 ゴゴゴゾゾゾ

 広がり切っていた黒い塊が、錐状になってこちらに向きを変えた。極太の錐は新幹線の車両より絶対に太くて大きい。それが進んでくる。ズンズンドンドン来る。
 魔物まっしぐらってこのことか。

 これ、轢き潰されるんじゃないかな。
 どうするんだ、『わたし』。

 ほとんど呆然としていると、『わたし』が笑った。

『シンカンセンというのも妖怪とやらか?』

 新幹線は妖怪じゃないよ。乗り物だよ。どっから妖怪が出てきたんだよ。
 と思ったけど、わたしの中にいる『わたし』だから、わたしの考えていることがわかったのかもしれない。さっき、たしかに百目鬼のことを考えた。

『ママは実に興味深い』

 また、ママだ。
 どう考えても、わたしは『わたし』のママじゃない。だってわたしでしょうが。

 あー、混乱する。頭の中がグルングルンする。
 目の前の黒い塊が怖すぎて、思考が空転しているんだわ。走馬灯も回れないくらい、頭の中がぐっしゃぐっしゃ。わたしの経験をどれだけ掘っても、この状況に対応できる方法はないと断言できる。
 走馬灯も動かないことがある。省エネだね。

 いっそ笑い出したいけど、体が動かせないからできない。
 ははははは。
 なので、気持ちだけで。

『ならば、見ているといい』

 『わたし』はそう言って、左手を挙げた。つまり、両手剣を右手ひとつで持っている。
 待って。剣、見た目も変わってない?
 大剣は大剣でも、モンスター狩るヤツになってない? レイア狩ったりする、振り回すのにタメがいるアレ。わたしはチャアク派だった気がするけど。
 ちがう、そうじゃなくて!

 デニスの剣は二メートル弱ってとこだったはずだ。それでも十分長くて大きいけど、『わたし』の手にあるやつはその比じゃない。
 ざっと見て、長さは四、五メートル。柄も伸びたかもしれないけど、刃がとんでもなく長くなっている。
 しかも、刃が光っている。正しくは、光の刃が何重にもなっていて、分厚く、太く、長くなっている。

 光の大剣? まさか、これが聖剣?

『聖剣ではない』

 ちがうのか。

 『わたし』が挙げた左手のひらに光の玉が出た。たま。球体。最初はケウケゲンくらいの大きさだったのが浮かび上がりながら、どんどん大きくなっていく。
 元気玉かな。

 達観しつつあるわたしが感想を持ったところで、『わたし』がその光の玉を打ち上げた。
 軽い衝撃に反して、光の玉は超速で上がり、放物線を描いて魔物の塊に向かって落下していった。
 そういう動きの飛翔体を、わたしの元の世界では、弾道ミサイルって呼ぶんだぜ。
 
 ……マジか。
 『わたし』、元気玉を弾道ミサイルにしちゃえるのか。左手だけでしちゃうのか。

 わーすごーい(棒)
……と眺めていたのはたそう長い時間ではなかったと思う。元気玉は魔物の塊の奥の方へ着弾した。

 ものすごい地響きと、光の柱が立った。光に触れた黒いものがあっという間に消える。溶けるというか、蒸発だ。ジュワワって。

 あまりの驚きに悲鳴をあげることもできない。
 いや、そもそも体がコントロール外だから、声が出せないんだけどね。

 わたしの困惑は無視して、『わたし』が二発目、三発目を同じように打ち上げた。狙いをずらしているようで、少し離れて光の柱が次々に立ち昇る。
 光柱が立つたびに、黒い塊が欠けていく。
 全部で十二回。
 魔物の塊は半分くらいの大きさになった。
 それでも小山だ。赤い目はまだたくさんあるし、こちらを狙って動くのもやめていない。

 『わたし』は再び剣を両手で握った。
 光の大剣はギラギラ眩しいくらいに光っている。それを構えた『わたし』は飛んだ。跳んだっていうべきかな。フライハーイ。

 元気玉とほとんど同じ軌道で真上、かーらーのー、塊の真ん中へ落下。

 ただし、今度は光の柱は立たない。代わりに、無数の光の刃が『わたし』を中心に湧き上がり、魔物の塊に降り注いだ。
 光に触れた黒は蒸発。
 浄化されているのかもしれない。

 着地した『わたし』が光の剣を薙ぎ払うと、ソニックブームが生まれた。
 いや、ほんとに。
 大剣の動きにあわせて大きな光の刃ができて、それが黒く蠢いている塊めがけて飛んで、ぱっくり裂いたのだ。

『わたし』めちゃくちゃ強い。
 そう思ったんだけど、まだ序の口だったんだよ。

 切り崩された黒い塊が、だんだん、それぞれの魔物の形に見えてきたのにわたしは気がついた。

 ドラゴン型がいくつか、蛇かミミズみたいなのがいくつか、あとは触手系植物っぽいやつら。どれもこれも、最低でも三メートル以上はある大型の魔物たちだ。

 それぞれ単体で中ボス級の敵モンスターなんじゃないのかな。
 RPGで言えば、こんなのが群れで出てくるのはラストダンジョン前の経験値稼ぎエリアくらいなものでしょうよ。

 ……やめてよ。
 ここは禁断の地エウレカじゃないし、言うて、わたしは転生十日の若輩者の駆け出しだ。
 無茶振り過ぎない? 新人イジメか? 開発者にクレーム出すか?

 精神的に追い詰まったわたしは、もうすっかり逃避モードだ。

 でも、『わたし』は違った。
 なんの躊躇もなく、単体確認できるようになった魔物に向かって突っ込んで行ったのだ。
 それがまた、速い。地面が削れるくらいの勢いで、グングン駆けていく。

 そして、剣を振るう。

 瘴気と一緒に魔物が消える。
 吠えようとした魔獣が、口からブレスを吐こうとしたドラゴンが、一撃で真っ二つだ。物凄い切れ味。
 剣の技量も相当高いんだと思う。
 爆砕点穴というか、断裁線分というか。急所を確実に狙っていかないと、どんなに斬れる刀でも一撃必殺はできないはずだから。

 右に左に。時々下がって、また踏み込んで。
 まるでダンスステップみたいに軽やかに、『わたし』が剣で魔物を斬り伏せていく。

 魔物がどんどん減っていく。
 減っていくほど、瘴気の嵐が弱くなっていく。
 まさしく圧巻。
 圧倒されているうちに、ついに、『わたし』が最後の一体を斬り捨てた。

 見渡す限りの荒野には乾涸びた道が伸びている。
 遠くに見える黒い影は山脈だろうか。そこに月がかかっている。星空がとてもきれい。
 魔物の影はすっかり消え失せ、瘴気も嵐も、稲妻もなくなった。

『……お疲れ様、ママ』

 『わたし』がそう言って、わたしはその場に両方の膝をついた。
 急に重力が帰ってきたみたいな重さは、『わたし』からわたしに、体の主導権が移ったってことなんだとは理解した。
 でも、ちょっと、これ。
 むり。
 体に力が入らない。立っているなんて絶対に無理。無理無理のムリ。

 持っていた剣に縋ろうとしたが、失敗。
 わたしはその場に倒れた。

 遠くから「セイジョサマー!」と呼ぶマイケルの声が聞こえてくる。
 でも、もうだめ。
 気が遠くなる。音も、匂いも、感触も、全部ぜんぶ沈んでいく。
 体が冷たい。寒い。

 あ、これ、死んじゃうやつ?





 わたしはそこで、気を失った……っぽい。





 目を開けて、最初に見えたのは真っ黒だった。その次にピンク。感じたのはフワフワ。ものすごくフカフカでフワフワの毛が頬にあたっている。あと鼻とおでこ。毛密度が高いせいか、とても息苦しい。

 これ、何だ?
 知ってる気がするけど。

 わたしは腕を持ち上げようとして、挫折した。
「い、た……っ!」

 肩というか、腕といか、胸というか、なんかそのあたり全部に激痛が走った。三拍くらい息が止まった。めちゃくちゃ痛い。痛い、痛い。

「……セイジョサマ! オキタ! おはよー!」
「お、おはよ、ま、マイケル?」

 元気いっぱいの声は間違いなくマイケルだけど、目の前のフワフワをどかさないことには何も見えない。でも、身動ぎするだけでめちゃくちゃ痛いのだ。もう、腕を動かそうという気持ちにはなれない。

「マイケル、あの、これ」
 助けを求めようとしたところで、急に視界が開けた。
「ママ、まま、ママー」

 わたしの顔の上空十センチあたりのところをポインポインと跳ねる黒い毛玉はまちがいなくケウケゲンだった。
 
 完全に浮かんで、自在に跳ねている。まさか、空中浮遊生物に進化した、ってコト……?
 しかも。

「しゃべってるよね?」

 「けふ」しか言わなかったケウケゲンが、「ママ」と言って胸に落ちてきて平たくなった。重くもないし、衝撃もない。けど、落ちてくるって身構えたせいで、わたしの全身に激痛が走った。

「い、痛いっ……!」

 思わずケウケゲンを抱きしめて横向きに転がり、体を丸めた。めちゃくちゃ痛い。とにかく痛い。痛みで体がバラバラになりそうだ。
 けど、そこで、自分がベッドに寝ていることにも気がついた。
 
 寝心地は良いとはいえないけど、地面より五百万倍マシだ。たぶん、布の中に藁が詰め込まれているタイプのマットレスなんじゃないかな。博物館で見たことがある。

 それに室内は明るい。窓が開いていて、風が入ってきて気持ちがいい。

「気がついたのかい?」
 女の人の声がして、わたしは視線を上げた。動くと痛いから体を丸めて、ケウケゲンを抱っこしたままだ。
 
「良かったよ」
 エプロンドレスっていうのかな。ファンタジーアニメで農家の女性が着ている襟のあるシャツとワンピースを組み合わせた格好をしている。
 年齢は、たぶん、三十代後半から四十代ってとこじゃないかな。わたしよりは年上だと思う。髪も瞳も焦茶色で、真面目そうなひとだと思った。

「あんた、聖女様なんだってね。助けてくれてありがとう」
 笑う彼女を見て、この部屋のことを思い出した。村に入って最初の家、女のひとがひとりで寝ていた寝室だ。窓辺のベッドは整えられている。

「みんなに伝えてくるよ。もうしばらく待ってな」
「あ……はい、ありがとうございます……」

 状況がいまいち飲み込めないけど、とりあえず、魔物が溢れたやつはなんとかなったってことだよね?
 それに、寝ついていた女のひとが動き回れるようになってる。
 これは確実にいいことだ。

 なんにせよ、今のわたしは全身の痛みに耐えるしかできない。
 わたしはケウケゲンを抱きしめて丸くなり、待つことにした。




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