女装スナック『マーブル』へようこそ!

ふじゆう

文字の大きさ
29 / 46

二十九、濃い一日が過ぎて

しおりを挟む
「・・・納得いかない」
 昨夜の出来事を説明した。仕事後にマーブルに直行し、一番奥のテーブル席を陣取り、僕はソファに座っている。テーブルを挟んだ椅子には、浅岡君と常連客の辻本さんが座っていた。二人は、腕組みをして、眉間に皺を寄せている。浅岡君には、同じ説明を仕事の休憩中にもしたのだが、まだ根に持っているようだ。ママ達や他のお客さん達も、話を聞きに集まっていたが、もう散り散りに各席についている。
「あの、辻本さん。あの日・・・僕がヒメカに殴られた時、辻本さんがヒメカに激怒していたのには、驚きましたよ。今にも殴りかかりそうな勢いで。知らない一面を見ました」
「いや、お恥ずかしい」
 後頭部を掻きながら、辻本さんはハイボールを飲んだ。辻本さんの薄くなった頭頂部は、汗ばんでいるようで、いつにも増して輝いて見えた。ミラーボールの光が、反射している。辻本さんも僕と同じ、マーブルの常連客だ。いつも皺の寄ったスーツを着用し、髪の毛の薄い小太りのおじさんだ。常にハンカチで汗を拭いている印象がある。辻本さんは、女装家ではない。それでも、連日マーブルに訪れている。
「あの、前から気になっていたんですけど、聞いても良いですか?」
「え? うん、何?」
「辻本さんは、女装家ではないのに、どうしてマーブルに来ているんですか?」
「それは、君だって同じだろ? ここが好きなんだよ」
 確かにその通りなのだけれど、僕の場合は身内が経営しているからだ。勿論、今ではそれだけの理由ではない。辻本さんの言うように、マーブルが好きだからだ。マーブルに集まる人々が好きだからだ。
「僕にはね、夢や希望なんか、なかったんだよ」
 辻本さんは、ハイボールを一気に飲み干し、お代わりを注文した。届いたハイボールを半分飲み、グラスを置く。
「それだけじゃない。趣味もなくて、友達もほとんどいない。毎日毎日、会社と家の往復の人生だった。楽しい事も張りもない人生を送っていた。そんな時、偶然ネットでミッチャンの事を知った。最初はね、同年代のおじさんが夢を語って、恥ずかしい奴だと笑っていたんだよ。でもね、いつの間にか、ミッチャンの事が気になって仕方なくなったんだよ」
 辻本さんは、はにかみながら、おしぼりで広い額を拭いた。グラスについた水滴を拭い、おしぼりをテーブルに戻す。
「ミッチャンが語る夢に興味が湧いた。ミッチャン自身に興味を持つまでに、そうは時間がかからなかったよ。夢を持たない僕が、夢を語る人を笑っている事が、酷く情けなくなった。それで、ミッチャンは夢を実現して、こんなにも素敵なお店を作ってみせた。僕に夢を見せてくれた」
 僕と浅岡君は、小さく頷きながら、グラスを口につける。
「このマーブルは、僕の人生になくてはならないものになった。勝手な話だけど、僕もミッチャン達と一緒に走っているような気持ちになったんだ。退屈な日々が、突然楽しくなったんだよね。だからこそ、あの女が許せなかった。どうしても、許せなかった・・・はあ、もう少しで、取り返しのつかない事をしてしまう所だった。だから、翔太君。あの時は、止めてくれて、本当にありがとう」
 僕は恐縮し、体の前で小さく手を振った。辻本さんにそんな事情があったのか。辻本さんは、鬼の形相でヒメカに掴みかかっていた。辻本さんの言う通り、事情はどうあれ、男性が若い女性に殴りかかるのは問題になるだろう。それこそ、警察沙汰だ。そうなれば、マーブルに迷惑をかけてしまう。下手をすれば、営業停止もあり得るだろう。それは、辻本さんにとっても、望むところではないはずだ。何はともあれ、辻本さんを止められて良かった。結果、僕が派手に殴られる羽目になってしまったが、それは名誉の負傷という事で飲み込もう。
「その気持ち、凄く分かります!」
 突然の大声に、僕と辻本さんは、目を丸くした。浅岡君が、隣に座る辻本さんに体を向けた。
「僕も、マーブルのお陰で、世界を覆う闇が払拭されました! 毎日が、楽しいです! これからも、マーブルを盛り上げていきましょう!」
「あ、ああ、そうだね」
 浅岡君の熱量に、辻本さんは気圧されているようだ。辻本さんの笑顔も、どことなくぎこちない。それでも、二人の想いは同じだ。勿論、僕もだ。
 僕達三人は、その後まるで自分の自慢話をするように、マーブルの事を語り合った。会話をしながら、内臓の内側を撫でられているようなむず痒さを感じた。目の前にいる浅岡君と辻本さんが、満面の笑みを浮かべて楽しそうにしている。きっと、これがミッチャンの・・・父さんの夢の形なのだろう。店舗を経営するという外殻ではなく、本質はこちらに違いない。
 僕がニヤニヤしながら、心地良い時間を噛み締めていると、乾いた音が聞こえた。新しいお客さんが来店したのだろう。視線を扉に向けると、『ゲッ』という声が、無意識に漏れてしまった。
 帽子を深く被り、マスクを装着したお客さんが、怯えた様子で店内を見回している。新規のお客さんと目が合った。たぶん、僕にしか分からないだろう。
 今回の騒動の元凶であるヒメカが、僕達の座っているテーブルに歩み寄ってきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

秘書と社長の秘密

廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。 突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。 ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

処理中です...