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4 永遠の命
しおりを挟むレジーナの心はとても幼い。
彼女の世界は常に独自の規則によって支配されている。
レジナルドは未だにレジーナ独自の規則を理解することはできないが、そこそこ法則を覚えてきたような気がした。
朝食べるもの、着替える順番、進む通路の順番、選ぶ本。レジーナの中ですべてが細かく決まっている。それに時間も。
レジーナは自分の規則から外れるとひどく落ち着かない様子を見せた。しかし、今日はそれをしない理由をゆっくりと教えれば納得を示す。彼女には納得が必要なのだ。
強い拘り。その場のみ言いくるめることは難しい。完全に納得させる必要がある。しかし、理解さえさせれば素直で従順だ。
彼女が理解しがたい場合は言葉を、手順を工夫し、表現を変えて説明する。納得さえさせればとても従順だ。
そして、彼女と過ごすうちにはっきりとわかったことがある。
レジーナという女性は、嘘を吐かない。
これは彼女の言葉がすべて真実ということではなく、彼女が害意を持って他人を騙そうとすることはないということだ。つまり、彼女の言葉は彼女自身が信じていることを語る。
鏡の間の鏡については未だに理解し難い部分があるが、それでも、レジーナは鏡の中の魔術師の言葉はすべて真実であると考えているようだ。
ならば、レジーナにどんなに問いかけたところで、なにもわからないだろう。
レジナルドは庭の大きな林檎の木からひとつ、実を捥ぐ。
赤よりも暗い色に染まった実は強い魔力を帯びている。しかし、毒はないようだ。
この林檎はレジーナが世話をして、料理人が毎日レジーナの食事の材料にしている。意外にも忠誠心があった料理人が主に毒を盛ることは考えにくいし、何より毎日大量の林檎を口にしているレジーナに害はない様子だ。つまり、捥がれた時点では本当にただの林檎なのだろう。
木の下で本を広げるレジーナの頭を軽く撫で、彼女を残して鏡の間へ向かう。
レジーナ曰く、賄賂が必要。
賄賂は林檎だ。林檎がなければ鏡の中の魔術師の態度は悪くなるらしい。
レジーナはレジナルドが林檎を捥いでも特に気に留める様子も見せなかった。林檎を乱暴に扱いさえしなければ、その果実を振る舞うこと自体はむしろ喜んでいるようにさえ思える。
既に通い慣れた道を進む。
「鏡の魔術師、訊きたいことがある」
部屋の中心で声を出せば、囲う全ての鏡に長髪の男の姿が映る。
「おや、本日は白の王お一人ですか。我が王には内密の用事ですかな」
鏡の魔術師は何かを楽しんでいるのか、厭らしい笑みを浮かべている。
「賄賂が必要だそうだな。林檎を持ってきた」
正面に見える鏡に林檎を投げると林檎は鏡をすり抜け、魔術師の手に収まった。
「おやおや、賄賂とは人聞きの悪い。これは私の報酬ですよ。我が王の林檎以外、食べられぬ体質になってしまいましてね。それで? 訊きたいことは?」
魔術師はうっとりと林檎を眺め、レジナルドに全く視線を向けないまま愛でるように撫でたり袖で拭ったりしながら訊ねる。
「俺がレジーナを殺すと、彼女に告げたようだが、どういう意味だ?」
山ほど訊きたいことはある。しかし、この魔術師の言葉を信じられるかは別の話だ。
「ふむ、そうですね。あなたには我が王とは違った説明の仕方の方がわかりやすいでしょう。我が王は魔法により永遠の命を得ました。とても古く強力な悪い魔法です。我が王はその永遠を望んでいません。しかし、我が王にはその魔法を解くことができないのです」
魔術師は鏡の中でぷかぷかと浮きながら、林檎を撫でている。どうやら鏡の中では魔術師の体は地に足が着かなくても問題がないらしい。
「私の見立てでは、我が王にかけられた永遠の命を与える魔法を解くことができるのは白の王、あなたであると」
「どういう意味だ?」
永遠の命などと言う魔術師の言葉はとても信じられない。しかし、レジーナは首を矢で貫かれてもすぐに再生してしまった。
「我が王にかけられた魔法を解くことができるのはたった一人。我が王が心から愛し、我が王を心から愛する相手だけです」
まるで御伽話だ。レジーナもずっと同じようなことを口にしている。
「それはつまり、レジーナの愛する相手が俺だと?」
そう訪ねれば、魔術師は黙り込む。僅かばかりの拒絶を示しているように思えた。
「不本意ながら、レジーナ様はあなたが必要なようです」
魔術師は愛おしそうに林檎に口づける。
「我が王は永遠を必要とはしません。ただ、物語の結末を知りたいだけなのです」
魔術師の言葉の真意はわからない。しかし、彼もまた、嘘を吐いてはいないのだろう。
「レジーナはお前が何でも知っていると言うが?」
「偽ることのできない呪いを掛けられ、ここに封じられました。私は真実しか語ることができません」
その言葉が真実か、レジナルドには判断できない。
目の前の魔術師を信用することはできない。けれども彼が嘘を吐いているとは思えない。
「なぜ封じられた?」
レジーナの母を怒らせたと言っていたはずだ。
「……私が、レジーナ様がご病気であると告げたからです。彼女が生まれた日に」
魔術師は目を伏せ、愛おしそうに触れていた林檎を、鏡の中の机に置く。
「あの方は、レジーナ様の病状を理解しようともせず、治療法を知ろうともせず、ただ生まれたばかりのレジーナ様がご病気だと告げられたことに怒り狂い、私の部下を四人殺め、その命で私に強力な呪いを掛けました。そして、鏡の中に封じたのです」
また、レジーナの母だ。
「レジーナの母親は魔術師なのか?」
「とても古く強力な術を使います。彼女はとても危険です。レジーナ様を利用しようとしている」
そう、口にした瞬間、魔術師は苦しそうに喉元を押さえた。
「どうした?」
驚いて訊ねた頃には、魔術師は呼吸を乱し苦しそうな様子で蹲っている。
「レ、レジーナ様……」
鏡に触れた魔術師の手は、窓の硝子に触れるようにこちら側には届かない。
なにが起きているのかわからないまま、ただ様子を見ていると、鏡の扉が開く。
「なにか、おかしいわ」
入ってきたのはレジーナだった。
この時間はまだ鏡の間に来る時間ではない。
「レジーナ、今は庭で過ごす時間だろう?」
「なんだかへんな感じがするの」
レジーナの手には先程捥いで来た林檎よりも更に黒に近い林檎が握られている。
「鏡さん、なにが起きているの?」
レジーナが鏡の中に林檎を押し込むと、魔術師はとても飢えた獣のように林檎を貪る。果汁で髪も肌もべとべとになっているが、そんなことも考えられないほど、夢中で貪っている。
「なにが起きてる?」
レジーナに訊ねても彼女も現状を理解できていない。
再び鏡を見れば、魔術師は呼吸を整えている様子だ。
「大丈夫?」
レジーナが案ずるように訊ねる。
「はい……レジーナ様のおかげで命拾いしました」
最早肉体がないと言っていた彼にも命はあるのだろうか。
そんな疑問を抱いたが、口にすることはない。
「なにがあったの?」
レジーナが訊ねる。
「……話す事を禁じられた内容を口にしてしまい、罰を受けました」
魔術師はまだ少し苦しそうだ。
「罰?」
「レジーナ様の魔力で中和されましたが、とても強力な魔力の持ち主が私を縛っています」
それはつまり、レジーナの母親のことだろう。
「レジーナの母親の話をすると罰を受けるのか?」
訊ねても、魔術師は答えない。
沈黙は肯定ということだろう。答えればまた罰を受けてしまう。
「鏡さんは急にいなくなったりしない?」
レジーナは不安そうに訊ねる。
「はい。私がお仕えするのはレジーナ様ただお一人です」
なぜ、そこまでレジーナに。
いや、魔術師の目的はレジーナのあの林檎だ。
レジーナは少しだけ嬉しそうに、そして、頭を撫でて欲しそうに魔術師を見ているが、魔術師の手は鏡からこちらに現れることはない。
それでも。レジーナは魔術師を慕っているように見える。
「レジーナはいつからここに来るようになったのだ?」
「ご自分で歩くことができるようになった頃には私の魔力を感じ取ってくださいました」
魔術師が答える。
「鏡さんはなんでも教えてくれるの」
レジーナにとって、鏡は教師かなにかなのだろう。だとしても、彼女が鏡の魔術師にばかり懐くのは気に入らない。
「レジーナ、来なさい」
呼べば大人しく従う。
「あまり一人でここに来てはいけない」
「どうして?」
純粋な疑問を向けられると後ろめたさを感じる。
「君は命を狙われているのだから用心しなくてはいけない」
「どうせ死なないわ」
レジーナは興味がなさそうに言うと、鏡のひとつを指で突く。
「鏡さんは中に居るのに、私はいつまでたっても入れないのね。どういう仕組みなの?」
首を傾げながら、今度は鏡の表面をこんこんと叩いてみせる。
「魂を縛る呪いです。レジーナ様、器をお持ちのあなたは入ることが出来ません」
器とはつまり肉体のことだろう。
「魂が器を捨てた時……もしくは強制的に引き剥がされたとき、鏡に縛られることがあるのです」
魔術師は、レジーナの母親によって強制的に魂を引き剥がされ鏡に縛られたということだろう。
「レジナルド様が私を殺してくれたら、私も鏡の中に行けるかしら?」
それはなんでもない思いつきだっただろう。
レジーナには一切の悪気はない。
けれども、それはレジーナがレジナルドよりも魔術師を優先したがっているように思え、レジナルドは思わず手を握る。
手のひらに爪が食い込むのを感じる。
「そんなに、鏡の中に行きたいのか?」
「だって、鏡さんは私を置いて消えたりしないでしょう?」
だってずっとここに居てくれるもの。
鏡がその場所にあるから魔術師が移動出来ないだけだと理解していないレジーナの言葉は、レジナルドには残酷に響いた。
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