魂は柱の様に

ROSE

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魂に触れる音

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 全身が痛い。
 特に左手は酷く痛んだ。これでは演奏家どころか弦楽器職人としての生命すら絶たれそうだと感じてしまう。
 それにとても怠かった。
 なんとか重い瞼を押し上げると、見覚えのない天井が目に入る。
 なんと煌びやかな装飾だろう。ヴァイオリンを奏でる天使の天井画と目が合った。
 一体ここはどこだろう。
 そう考えていると少し遠くから荒々しい演奏が聞こえる。
 殿下の音。でも、彼らしくない演奏。
 いつも前向きで真っ直ぐな彼らしくない。明るさや軽快さが消えて荒々しい。全身で怒りを表現する演奏は、軍神を讃える曲だっただろうか。
 起き上がるのがとても億劫だ。けれどもこの演奏の主を確認したい。
 もし、本当に殿下なのであれば一体なにに対して腹を立てているのだろう。拗ねているだとかちょっとした不満という次元ではない怒りだ。あの殿下がこんな感情を抱くこと自体有り得るのだろうか。
 重い体を無理に起こし、ふらつく足で扉に向かう。
 この扉の向こうから、音が聞こえる。
 殿下には華やかで軽快な演奏をして欲しい。そう思っているからこそ、相手を確認するのが少し怖かった。
 ゆっくり、扉に手を伸ばす。
 その瞬間、ひどくふらついた。
 扉を開けると同時に躓くと、大きく音を外した演奏が止まる。
「ヴィオラ! お前、なにやってるんだ!」
 大丈夫かと、楽器を放り投げそうな勢いでそれでもしっかり楽器を掴みながら近づいてくるのは殿下で、やっぱりあの演奏は殿下だったのかと思う。
 なんだろう。悲しいとは少し違う。けれどもなにか苦しくて。
 廊下に置かれた椅子に楽器を置くと、すぐに私を支えてくれる。いつもの殿下だ。
「起きて……大丈夫なのか? ちゃんと休んでいろ」
 怪我も治っていないだろうととても心配そうな様子を見せられ申し訳なく感じてしまう。
「大丈夫、です」
 ちっとも大丈夫なんかじゃない。
 けれどもつい、大丈夫と口にしてしまうのは前世から染み着いた習慣だろう。
「ちゃんと休んでろ。しっかり治さないと学校に行けなくなるぞ」
 強制的に部屋の中に戻されてしまう。
「あの、ここはどこでしょうか?」
 見覚えのない部屋だ。一体どこに連れてこられてしまったのだろう。
 アルモニー侯爵家の一番上等な客室よりも豪奢な内装だ。そう思うと緊張してしまう。
「どこって、僕の家に決まっているだろう」
「僕の家……って……王宮じゃ……」
 意識が遠のきそうになる。
 王宮のどこかで寝ていたらしい。
 強制的に椅子に座らされてしまう。
「私、自分の部屋に居たと思ったのですが……」
「僕が連れ出した。覚えていないのか?」
 殿下はまた心配そうな様子で私を覗き込む。
「えっと……」
 夢を見ていたと思う。
 王子二人に誘拐された……随分豪華な配役の夢だった気がする。
「お前は、正式に僕の妻になった」
「は?」
 まだ夢の続きなのだろうか。非現実的な言葉が聞こえたような気がする。
「ちゃんとお前が自力で署名したんだからな? 兄上達が証人になってくださった。今更なかったことになんてできないぞ」
 そう言う殿下の声はなぜか不安そうだ。
「あれは……夢ではなかったのですね」
 王族が貴族の娘を誘拐するなんて話は聞いたことがない。けれどもクレメント殿下であればなにをしたとしてもやってしまいそうだと納得してしまう。
「夢の方が……よかったか?」
 そんな拗ねたような目で見ないで欲しい。
「……驚いています。とても。まだ現状を受け入れられていないのかもしれません」
 目が覚めて、いきなり殿下と夫婦になったなんて言われたって納得しろという方が難しい。
「ほら、成績だ」
 不貞腐れた殿下が成績証明書を見せる。見事に満点の隣に+が二つ輝いていた。不正防止の特殊インクで。
「……本当に、よく頑張られたのですね」
 そんな感想しかでない。だってこれは偽造不可能だもの。
「……当然だ。お前と約束したんだから。僕は惚れた女との約束は死んでも守る。にしても……もう少しなにかないのか? もっと褒めてくれたっていいだろ」
 いつもの殿下だ。
「すごいです。これで無事に進級できますね」
「……もういい」
 拗ねさせてしまった。けれどもその様子がいつもの殿下だと感じられて安心する。
「……お前はそういうやつだって知ってる」
 頬を膨らませて拗ねる姿を可愛らしいと思う。
「……この僕を惚れさせたんだから大人しく責任取れ」
 潤んだ瞳に睨まれ、脳が上手く機能してくれない。
 私は今、一体なにを言われたのだろう。
「でん、か?」
「だから、僕から逃げることは諦めて僕で妥協しろとだな」
 どんどん自信がなくなるかのように声が小さくなっていく殿下に驚く。
「……前々から思っていたが……僕ばかりがヴィオラに惚れているではないか……それに、お前は鈍すぎる。どうしたら……ああ、音楽でしか語れない女だったな」
 殿下は一人で納得した様子を見せ、それから楽器を手に取る。
 待って。
 殿下が私に惚れている?
 一体どういう話だろう。
 まだ夢の続きなのだろうか。
「とりあえず、僕の演奏を聴け。話はそれからだ」
「は、はぁ……」
 強引なのはいつものこと。
 そして、私はそんな殿下が嫌いではない。
 一呼吸おいて最初の音が響く。
 最初の一音で、魂が揺さぶられるようだ。
 真っ直ぐな響きは温かく、どこまでも優しい音色を生み出す。
 この曲は有名な歌曲だ。振り向いてくれない女性に何度も愛を囁き、気を惹こうとする男性の歌。
 殿下の演奏は軽快で、情熱的。けれども身勝手ではなく、こちらの反応を待ってくれるような優しさがある。
 真っ直ぐ、魂に触れる音。
 こんな素晴らしい演奏家に演奏されるあの楽器を生み出したことが本当に誇らしい。
 なにより、彼が私の為だけに演奏してくれているという事実が私の胸を強く揺さぶった。
 最後の一音まで、全ての音が私の魂に触れる。
 彼の魂そのものの響きが、確かに私の心を揺さぶった。
「……お前の答えは……手が治ってからでいい」
 その言葉が意外だった。殿下のことだからすぐに答えをと急かしてくるのだろうと思ったのに、いつもより大人しい彼に戸惑ってしまう。
「あの、殿下?」
「休め。お前が休んでいる間に合奏の楽譜を探しておく」
 だから答えは演奏でとでも言われたような気がする。
「私は演奏家ではありません」
「僕は、お前の演奏が好きだぞ」
 真っ直ぐ、きらきらした瞳に見つめられると鼓動が速まる。
 演奏が、楽器の出来が。
 音楽のことを褒められるのは嬉しい。
 だけど、殿下の好きはそれだけではないと……伝わってしまった。
 まだ、夢を見ているような気分だ。
 だけれど、もし、夢でないのならば。
「……嬉しいです」
 あなたのその気持ちが本心なら。それはとても幸せなことだ。
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