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1巻
1-3
しおりを挟む「なるほど」
私の言葉に、暮林さんが顎に手を当て、何かを考えるような仕草をする。その、顎にかかる彼の手は、指がすらりと長くて美しい。
――あ、指が綺麗……
思わず彼の手に見入っていたら、指だけでなく綺麗な顔がこちらを向いた。
「じゃあ、知ってください」
――ええええっ!?
本当に、この人は私の知っている暮林さんだろうか……笑顔だけど、有無を言わせない圧力を感じる。
そんな暮林さんに、もう一度お断りの言葉を言える勇気もなく、私はただ頷くことしかできなかった。
「わ、分かりました……」
暮林さんはいつの間にか注文していた二杯目のウーロン茶が入ったグラスを、綺麗な手で持ち上げ私の前に掲げた。それを見て、私もグラスを持ち上げる。
軽くグラスを合わせた後、ウーロン茶を飲む彼はとても楽しそうに笑った。
まだ困惑の気持ちが抜けないまま、私はあと僅かになったレモンサワーを一気に呷った。
二
土曜日の今日。今か今かと待ち焦がれていた物が、ついに配達された。
「ありがとうございましたー」
「こちらこそありがとうございます!」
爽やかに去る配達員さんを見送って、玄関のドアを閉めた私は、待ちに待った物の入った段ボールをひしと抱き締める。この日を、どれだけ心待ちにしていたことか。
「きたよ――!! 待ってたよ、テレビさんと電子レンジさん!!」
元カレがこの部屋を出て行ってから、一週間ちょっと。
その日のうちに注文しておけば、もっと早く届いていただろう。でも、どうせ新しく買うなら、スペックとかちゃんと調べてから買いたい。そう思ったせいもあって注文を確定するまでに、少し時間がかかってしまったのだ。
電子レンジとテレビを元々あった場所に設置する。テレビの配線を難なくこなし、無事に以前と同じ環境に戻った。ついでに模様替えもして、雰囲気の変わった部屋に大満足。
設置したばかりのテレビのリモコンを手にぼんやりとザッピングしながら、私は昨夜のことを思い出す。
『俺と恋愛してみない?』
まさかあの人にあんなことを言われるなんて。
今でも、あれは本当のことだったのかと首を傾げたくなる。
暮林さん行きつけの焼き鳥屋で、彼から告白された後、何故か話は仕事のことに切り替わり、普通にお仕事相談をして店を出た。
『あの! これ私の分です』
店の前で自分が食べた分の代金を渡そうとしたら、その手を掌で押し返された。
『誘ったのはこっちだから、お金はいいよ』
『でも……』
『悩みを取り除くはずが、君を困らせてしまったからね。せめてものお詫びだよ』
そう言われてしまうと反論もできず。私は手を引っ込めて、彼に一礼した。
『ごちそうさまでした』
『うん。タクシー呼んだから、それに乗って帰りな』
『え、タクシー!? いいですよ、私、歩いて帰れます』
二杯ほどレモンサワーを飲んだけど、私はそんなにアルコールに弱くない。まだ電車も動いているし、問題なく帰れる。だけど暮林さんは、一歩も引いてくれなかった。
『だめ。こんな遅い時間に一人で夜道を歩かせるわけにはいかない』
――ええ……遅いって、まだ夜の十時くらいですけど!?
でも、私を見る彼の口元は笑ってるけど、目が笑っていない。これは大人しく言うことを聞いた方がよさそうだ。
『分かりました……タクシーで帰ります』
『それでいい』
ここで会話が途切れ、暮林さんが呼んでくれたタクシーを待ちながら、私は必死で何か話題を考える。だけど隣に立つ暮林さんとの距離がかなり近いことに気づき、緊張で体が強張る。
――どうしよう、こんなに距離が近いと、どうしていいか分からない……
『べつに取って食いやしないから、そんなに緊張しないで』
ガチガチの私に気がついた暮林さんが苦笑する。
『だ、誰のせいですか!』
『俺だね。でも、その調子でどんどん俺を意識してくれると嬉しい』
そう言って魅惑の流し目を送ってくるから、私はさらに戸惑うばかり。
『ええええ……!!』
ちょっと、この人本当に私の知る暮林さんなの!? いちいち会話や行動が色っぽいんだけど!!
胸の鼓動が、ドクンドクンと騒ぎ始めた時、私達の前にタクシーが到着した。
その車に近づき素早くドアを開けた暮林さんは、運転手に何か声をかけた後、私に車に乗るよう促す。
『じゃ。今夜は付き合ってくれてありがとう』
『い、いえ、こちらこそ、ありがとうございました』
慌てて頭を下げる私に微笑み、ドアを閉めてくれた。
なんと暮林さんは、先に運転手さんにタクシー代を渡していたのだ。しかも、わざわざ女性のタクシードライバーさんを指名して呼んでいたと、精算の時に知って驚いたのなんの。
何から何まで、やることがそつない。
ザッピングをやめた私は、座っていたソファーの上に倒れ込んだ。
暮林さんの女性関係の噂とか全然聞かないけど、あれは絶対女慣れしてる。私が思うにかなりの上級者だ。それがなんで、彼氏に逃げられたばかりの私に!? 絶対、無理でしょ……あんな……
昨夜の色気増し増し暮林さんを思い出し、顔から火が出そうになる。
――わーーっ、無理、やっぱり無理だよ!! 考えられない!!
結局私は、暮林さんのことばかり考える週末を過ごす羽目になったのだった。
そうして迎えた月曜日。
出勤した私は部署に到着するなり早速暮林さんに遭遇してしまう。彼は私の顔を見ると、眉一つ動かさずに「おはよう」と声をかけてきた。その表情はいつもの暮林さん。
「おっ、はようございます……」
これまでと同じように挨拶をしようとするけれど、どうしても声がうわずってしまう。そんな私の反応に、彼の口元がほんの少しだけ緩んだ。そのまま近づいてきた暮林さんは、私の耳元に顔を寄せ、こそっと囁く。
「テレビと電子レンジは届いたの?」
耳から侵入した低い声が、電流のようにビリビリと私の右半身を走り抜けていく。
――うっ! 何これ、やっば……
咄嗟に右耳を手で押さえ、暮林さんを見上げると、にっこりと微笑まれた。
少し熱を帯びた耳を見られたくなくて手で隠しながら、こくこく頷く。
「は……はい。土曜日に届きました」
「そう。よかったね」
そう言って私から離れた暮林さんが自分の席へ戻っていく。もっと何か言われるのかな、と身構えていた私の予想に反し、いつも通りの雰囲気に思える。
いきなり微笑みかけられて、思わずドキッとしてしまったけれど、もしかしたら私が気づいてなかっただけで、暮林さんは普段からこうなのかも?
そうだよ、他の社員にもこんな風に接しているかもしれないじゃん? と考え直す。
朝礼を終えた社員がみんな席に着き、それぞれの仕事を開始する。
私は新しい企画書を作成しながら、つい、暮林さんの席の辺りを気にしてしまう。すると、自然と他の女性社員に対する彼の態度が視界に入ってきた。
「暮林さん、常田工業さんのイベントの進行表できました」
「うん、そこ置いといて」
彼は、書類を届けに来た女性社員の顔を見ることもせず、実に素っ気ない対応をする。その女性社員も慣れているのか、特に気にした様子もなくそのまま彼のもとを去っていった。
暮林さんの態度は気持ちいいくらいこれまで通り。
そう、無口であまり表情が変わらない――これまでの暮林さんのままだ。
私はパソコンのキーボードを叩きながら、必死に内心の動揺を周囲に悟られないようにした。
――いつもと違う暮林さんの対応、もしかしなくても、私にだけ……!?
どうやら私、本当に暮林さんにロックオンされているらしい。
仕事を頑張ろうと決めたばかりなのに、なんでこんなことになった!?
自分のふがいなさを反省し、今は仕事を頑張ろうと思った矢先の、暮林さんからの告白。
なんで次から次へといろんなことが起こるのだろう。さすがにこの急展開に頭がついていかない。
それでも私にはやることがたくさんあるので、とにかく心を無にして仕事に集中する。
週末に暮林さんと食事をした際、仕事のアドバイスをもらったので、それを参考にしつつ婚活イベントの進行表を仕上げた。
ミーティングルームの椅子に腰掛けた入江課長が、進行表のチェックをしながら、私の顔を覗き込んでくる。
「概ねいいだろう。それにしても……小菅、大分顔色が良くなったな。もしかして、あの後暮林と何か話したか?」
ここでいきなり暮林さんの名前が出たのでドキッとした。
「……課長、暮林さんに何言ったんです?」
すると課長がニヤリと笑う。
「大したことは言っていない。時間がある時にでも、話を聞いてやってくれと頼んだだけだ。あいつ、意外といいヤツだったろ?」
課長のお節介のお陰で、現在進行形でいっぱいいっぱいです、とは言えない。
戻された進行表を胸に抱き、作り笑いを浮かべる。
「私は昔からそう思ってますよ。新入社員の時に、暮林さんの下で働いたことがありますし」
「そうだったな。暮林もなあ……関西から帰ってきてから、どうもこっちの若い社員との関係が薄くていかん。若い女性社員の中には、暮林のことを怖がる者までいるらしいからな。まったく、どーしたもんだか……」
課長は困ったように腕を組んで天を仰ぐ。
「まだこっちに戻ってきたばかりですし、じきに慣れるんじゃないですか」
「だったらいいんだが。あいつ没頭すると黙り込むし、人見知りだから飲み会にもほとんど参加しないしなぁ。俺は、暮林にみんなを引っ張っていって欲しいんだが」
人見知りって誰のことですか……あの人めちゃくちゃぐいぐい迫ってきてましたよ。喉まで出かかった言葉を、グッと呑み込んだ。
私この前暮林さんに告白されてしまいました……なんて言えるわけがない。
課長に挨拶をして、私は自分の席に戻った。
どう考えても、私にあの人の相手は荷が重すぎる。
――ああもう……本当にどうしたらいいんだろう……
私はまた、心の中で頭を抱える。でも、考えたところでどうにもならないことは、一旦考えるのをやめよう。勤務時間は、とにかく仕事に集中した。企画案と共に日常の雑務をこなし、気づくと定時を一時間ほど過ぎている。見たら周囲にいる社員もまばらだ。私もそろそろ帰ろうと荷物を纏めだしたところで、肩を叩かれた。
「お疲れさま」
耳に優しい低音ボイスに、素早く振り返る。
――暮林さん!
「お、お疲れ様、です」
「小菅さん、帰るところ悪いけど、ちょっといい? 荷物は持ったままでいいよ」
そう言う暮林さんも手には鞄を持っている。
「あ、はい」
仕事モードの暮林さんに、仕事の連絡か何かだろうと思った。だから、特に意識もせず荷物を手に彼と廊下に出た私。先を行く暮林さんは、廊下を少し進んだところでこちらを振り返る。
「メシ行かない?」
「えっ」
目を丸くして立ち止まった私に、暮林さんはにっこりと微笑む。
「この前、俺が言ったこと忘れた?」
――確信犯だ!
完全に意表を突かれた私の体に、さっと緊張が走った。
「こうでもしないと君と二人きりになれないからね」
いつの間にか、暮林さんの雰囲気がさっきまでの仕事モードから、この前みたいな男の色気全開な感じに変化している。艶っぽい表情で見つめられて、耳を掻きむしりたいくらいこそばゆい。
「だからって、こんな嘘をつくようなこと……」
「嘘はついていない。言わなかっただけ」
満面の笑みでそんなことを言われて、思わず唖然とする。
「……っ、言わなかっただけって、そんな……」
納得がいかない私をそのままに、暮林さんがすたすたと歩を進めた。
――ねえちょっと、聞いてます!?
「ちょっと待ってください、どこへ……」
「とりあえず行こう。話はそこで」
――あああ、また暮林さんのペース。そんでまた二人で食事……!
緊張してろくに喋ることもできないまま、二人で街を歩くこと数分。彼はラーメン屋の前で止まった。
――え!? まさかのラーメン。
「ラーメン好き?」
「はい、好きです」
迷いなく返事をすると、じゃあここで、と言って少し年季の入ったお店の引き戸を開けた。
男前オーラ全開の人が選んだお店がラーメン……
それだけで緊張が薄れてしまう自分を、我ながらチョロいと思う。でもこういうお店は一人じゃなかなか入らないし、新しい発見がありそうでちょっと楽しみだったりする。
店内に入り、入口脇にある券売機の前で立ち止まった暮林さんを見上げる。
「私、このお店に来るの初めてなんですけど、おすすめってありますか」
「魚介系豚骨醤油ラーメンか、鶏白湯ラーメンかな」
「鶏白湯、美味しそうですね。じゃあ私はそれにします」
暮林さんも同じものを選び、購入した券を店員さんに渡してからカウンターに座る。厨房をL字で囲うカウンターには、他に一組のカップルがいるだけだった。
「このお店よく来るんですか?」
「たまに。帰り道にあるから」
カウンターに置かれているセルフサービスの水をコップに注ぎ、彼の前に置く。「ありがとう」と言った後、何が可笑しいのか暮林さんがクスクス笑い出した。
「……どうしたんです、急に」
「いや、小菅さんの好みが分からないから、手当たり次第に通りのお店をあたっていこうと思っていたんだけど……まさか一軒目でOKがもらえるとは思わなかったな、と」
何それ……こっちこそ、女性の好みなんて熟知してそうな百戦錬磨風の暮林さんが、こんなこと言うなんて思わなかった。
「私、食にこだわりはないですし、美味しいものはなんでも好きです。この前の焼き鳥屋さんもとても美味しかったですよ」
「それはよかった」
言い終えると、口元を少し緩めた暮林さんは正面に視線を戻した。私も同じように前を向き、厨房の中の店主のてきぱきとした動作をぼんやりと眺める。
――会話……途切れた……
何を話そう、と会話の糸口を探る。こういう時、カウンター席ってありがたい。視線を厨房に向けていたら会話がなくてもなんとかなるから。
そんなことを考えていたら、暮林さんが会話を切り出してくれた。
「何か、聞きたいことある?」
「え?」
「俺のことよく知らないって言ってたでしょ。知らないと付き合ってもらえないなら、知ってもらわなきゃ、ね」
「く、暮林さんについて知りたいことですか……」
確かに、暮林さんのことをよく知らないとは言ったけど、そういうつもりで言ったんじゃない。
――言ったところで、たぶん無駄だろうけど……
とはいえ、一体何を聞いたらいいのだろう。いろいろ考えてみるけど、思い浮かぶのは本当にベタなやつばかり。
「じゃ、じゃあ……ご兄弟はいらっしゃいますか?」
迷った末に、当たり障りのない質問をした。
「上に姉がいて、下に弟がいる。君は?」
へー、暮林さんは中間子なのか。初めて聞いた。
「私は姉が一人います。暮林さんは、一人暮らしですか?」
「うん。実家はちょっと遠いんでね。就職を機に家を出て、それからはずっと一人」
「そうなんですね……私も一人暮らしです……ってこの前話しましたよね……私の実家も遠いです。新幹線で二時間はかかります」
「君が新入社員の頃に言ってたこと覚えてるよ。冬は雪深くて、正月に帰省するといつも雪掻きしてるって言ってた」
「よく覚えてますね」
そんな遙か昔の、しかも誰に話したか分からないようなちょっとした内容を、未だに覚えてるなんて。正直驚いた。
目を丸くしている私に、暮林さんはフッと可笑しそうに笑った。
「だから、結構前から君のこといいって思ってたって言ったろ」
すっかり気を抜いたところに不意を突かれて胸がドキン、と大きく跳ねる。
ここでできあがったラーメンが私達の前に置かれた。
「食べようか」
暮林さんに言われ、ハッとラーメンに視線を落とす。
立ち上る湯気から香る、鶏白湯の食欲をそそる匂い。程よく脂がのったチャーシューと、色鮮やかな緑色のネギ。
家でインスタントラーメンを食べることはあるけど、こうしてお店でできたてのラーメンを食べるのはすごく久しぶりで、一気に食欲が湧いてきた。
「いただきます」
「どうぞ」
暮林さんが食べ始めたのを横目で確認してから、私も同じようにラーメンを啜る。
――あ、美味しい。
スープにはしっかりコクがあるのに、思ったよりあっさりしてる。それに、麺も好みの硬さと細さ。
はっきり言って想像以上の美味しさだ。こんな美味しいお店をこれまで知らずにいたなんて、もったいないことをした。
「すごく美味しいです。めちゃくちゃ私好みの味と麺です」
「そう、よかった」
そう言ったきり、また黙々と麺を啜る私達。
食べている途中、私はあることに気づく。
「あ、よく見たらこのチャーシュー鶏肉なんですね。すごく美味しいです」
豚肉より脂が少ないけど、しっとりしてるしちゃんと味が染みている。それがとても美味しい。
「うん、鶏白湯には鶏チャーシューなんだよね。豚骨に載ってるのは豚肉のチャーシューだけど、それも旨いよ。この店、チャーシュー丼も人気があるから」
「チャーシュー丼かあ。それも美味しそうですね……」
今度、京子を誘ってチャーシュー丼を食べに来ようかなー、なんて思っているうちに、暮林さんがラーメンを食べ終え、少し遅れて私もラーメンを平らげた。
「美味しかったです! ごちそうさまでした」
美味しいラーメンでお腹がすっかり満たされ、満面の笑みで暮林さんを見る。そんな私を満足そうに見ていた暮林さんが、うん、と言って柔らかく微笑んだ。
「やっぱり君、いいね。好きだな」
「えっ……!!」
どうしてこの人はこういうことをサラッと言うかな。言われた方が困惑するって分かっているのだろうか……
私が面食らっている間も、暮林さんはニコニコしながらこっちを見ている。そんな彼に、私は開き直って、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「あの、暮林さん」
私は居住まいを正し、暮林さんの方へ体を向ける。
「うん?」
「私の、どこらへんが、その……お気に召されたんでしょうか……」
「お気に召すって」
私の聞き方が可笑しかったのか、暮林さんが肩を震わせる。
そんなに笑われると、言ったこっちも恥ずかしくなってしまう。
「だ、だって! 私からは言いにくいじゃないですか、その……好き、とかいう単語は」
「まあそうか。うーん、そうだな……」
コップの水を一口飲み、暮林さんが私の顔をじっと見つめる。
「最初に魅かれたのは目かな。大きくて、キラキラしてて。最初見た時ドキッとした。えらく可愛い子が入ってきたなって」
魅惑的な流し目を送りながら、暮林さんが私の第一印象を語りだす。自分で尋ねておきながら、あまりに恥ずかしすぎる言葉の威力に、私は聞いたことを後悔した。
「でも、顔が可愛いだけなら、恋愛対象としては見ない。俺はね、小菅さんの仕事に対する姿勢とか、謙虚で裏表が無い人との接し方がいいと思ったんだ。こんな子と一緒にいられたら楽しいだろうなって」
微笑む暮林さんを見たまま、私は何を言っていいか分からなくて固まった。
「意識したらどんどん好きになった。でも、君には彼氏がいると聞いていたし、女性社員から怖がられるような俺では、そもそも対象外だろうと思っていた」
「私、暮林さんを怖いと思ったことは一度もありませんよ」
彼と恋愛するかどうかはともかく、それだけはきっぱりと言えた。だって本当のことだから。
周囲から『あの人はすごい』と言われる暮林さんと、一緒に仕事をさせてもらえることが嬉しかった。私からすれば、周囲から尊敬される暮林さんが七つも年下の私に普通に接してくれることの方が驚きだったし、すごく感動して嬉しかった。その気持ちを今も忘れていないからこそ、突然好意を向けられて動揺しているのだ。
しかもこんな色気たっぷりの男前に告白されるなんて、人生で初めてのこと。だから余計に、この状況でどんな顔をしたらいいのか分からない。
返答に悩み、言葉が出てこない私を見ていた暮林さんが苦笑する。
「そういう真面目なところも好きだけどね」
「え?」
「自分でも君の状況につけ込んだ自覚はあるんだ。彼氏と別れて、心が弱っている君に強引に迫った俺は、幻滅されても自業自得だよな」
自嘲ぎみに呟き、暮林さんは腕を組んで目を伏せた。
――幻滅なんてとんでもない!
「い、いや……そんなことはないです。私、暮林さんのことはずっと尊敬する先輩社員だと思っていたので」
「ありがとう。でも、俺が欲しい言葉はそれじゃない」
きっぱり断言されて、思わず息を呑む。
「先輩社員から、ただの男として見てもらうことはできない?」
真面目に、真っ直ぐ思いをぶつけてくる彼に、心臓がドキドキと音を立てる。ラーメン屋のカウンターに座っているのを忘れそうだ。
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