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緋色のカミ( Ⅰ ) /救世主(セイバー)
絡みつく残像 I /〜望郷〜
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……そうだ、そうだよな、今の俺は、明らかに、間違いなく———、
「ああ、今は……幸せだ。自由に生きれて、頼れる仲間がいて、いつでも泣きつける義父がいる。それは———」
言葉が詰まる。喉元まで込み上げてきた痰が急に静止し、まるで窒息するかのように。
……そうだ、俺は幸せだ。
(他人の幸せを奪ったから)
頼れる仲間がいて、
(たくさんの人を斬り殺して)
いつでも泣きつける義父がいる。
(誰かにとって大切な家族も何もかも斬り殺して、本来誰かが味わう筈だった幸せをも斬り殺したから)
俺には、今の自分が幸せだ、などと胸を張って言える権利なんてない筈なのに。
他人の幸せを奪っておいて、自分だけが幸せを享受する。
そんなものが許されていいのだろうか。
絡みつく残像。過去のしがらみ。未だに俺は、それらを断ち切れずにいた。
「白、どうした? 何処か具合でも悪いのか?」
「ちょっと、顔色悪いけど……大丈夫?」
目を向けたくなかった。
自分のした事に。誰かを殺したという事実に。
「ごめん、ちょっと考え事をしてたんだ、もう少しこのままにしておいてくれ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
数年前。
俺の人生が、変わった日だ。
神殿国———俺の祖国を出た後。レメルもなく自分を養ってくれる人もいなかった為、もちろん極度の空腹状態に陥った。
いっつも家で、俺を迎えてくれるあの豪華な食事も。あんなに大勢いた使用人も、その夜には誰1人としていなかった。自分から、その誰もいないところに出て行ったんだから。
そんな時だった、俺の前を美味しそうなニンゲンが通り過ぎたのは。
もう我慢ならなかった。ここで何かを食べておかないと頭がおかしくなりそうだった。
———もう既に……おかしくなっていたけれど。
目の前を通り過ぎたニンゲンは2人いた。
金色の髪をした親子。
その親の方を見た瞬間。
もう1人の自分が、生まれた。
もう1人の自分が頭の中に語りかけてきたのだ。
『殺セ、殺セ、切リ刻メ。ソシテ食ベロ』と。
空腹、渇望。
混じりに混ざった結果、俺の心には食欲のみしか残されてはいなかった。
『そうだ、あの時出された肉は、人の肉だったんだ』と。
そんな自己洗脳に近いことを思案し続けて一刻。
1度タガが外れた人間は、それこそ決壊したら止まらなくなるダムのように歯止めが効かなくなる。
自分の欲求が解消されるまで。
……まさに、その時の俺だった。
悪い事、などとはちっとも思っちゃいなかった。だから衝動を自我で抑えきれなくなったんだ。
ヒトを殺すのは初めてだった。でも何の躊躇も俺にはなかった。
子供の方は恐怖心からか顔は引きつり、笑いながらもその様子を眺めていた。
しかしそんなものは関係ない。
まず逃げられないように足を切り落とす。
靴と靴下の間。骨と骨の間。人体の部位における右足首部分。関節部分にして骨が軟く、刀を入れれば肉だけスッと切れる部分を切り落とした。
あまりにも緩やかに、流れる水のようにさりげなく、その刃は紅をまとう。
「……あれ……なんで私、倒れて……?」
女は自分に何が起こったか気付いてなさげだった。
むしろ、好都合だった。
「……え……なんで足……血が……っえっ?! か……刀?! ま、待って……何であなた……刀を持ってぇっ!」
刀を振り下ろし、もう片方の足首も斬り落とす。
「痛い……っ! なんで……何で私なのっ?! せ……雪子! 見てないで、見てないで助けてっ! あっ……!!」
この時から、女の悲鳴が自分にとって快楽であると気付いた。
女は自分の子供に向かって助けを乞う。自分が子供を守るべき立場にいるのに、その子供に向かって助けを乞う様はとても惨めだなぁ、などと考えつつ、女の腑を斬り裂いた。
もはや女は叫ぶ事すらままならない。
子供の方は立ち尽くして涙を流しながらも顔を引きつらせ笑っていたが、途中からは完全に姿を消していた。
「ああ、もう既に俺は狂っていたんだ」
灰色だった砂利道が赤く染まる。
月明かりの照らす夜。
暗く、暗く、どこまでも深い深海のような空の下。
俺は初めて人を———、
……食べた。
初めての味は……美味しかった。
鉄のような味が染み渡る。
肉と皮のなんとも言えぬ粘着力と感触が、口と頭の奥を支配する。
だからこそ色々と誤解をしたんだ。
そうか、こうやって生きるべきなのか、と。
だからまた殺した。
だからまた斬り裂いた。
だからまたヒトを食べた。
何人も、何人も。
それが正しい事だ、それが普通なんだと思っていたから。
戦う術しか教わらなかったから。
生きていく術なんて、誰かに聞いた事もなかったから。
その後は、街行く誰かを人知れず斬り殺し、その肉を食べて生計を立てていた。
腹が空いたら人を斬り、ただ斬って、食べて、隠れ家で寝るだけの生活。実に空虚なものだった。
……それは、そのような生活を続けて1年。
街行く人を斬り殺す辻斬り、自身の髪が白髪だったからか、『人斬り白郎』なんて通り名で呼ばれるようになった頃だった。
『餌付け』が始まった。
毎日、寝て起きたら隠れ家の前に肉が置いてあって、その肉を食べて生活する日が何日か続いた。
でもある日、その肉は置いてなかった。
代わりにあったのは、「お前を殺す」とだけ書かれた紙と、場所が記されていた地図だった。
実際にその場所に行ってみると、待ち構えていたのは2000人もの雑兵。
そして……集まった雑兵の憎悪は全て俺に向けられたものだった。
なんでその場に赴いたか———エサの匂いがしたからに決まってるだろう。
後に聞いたが、『人斬り白郎』に親や家族、兄弟が殺された者達のみが、その場に集まっていたという。
2000人もの雑兵たちは俺を見つけるやいなや、血眼になって俺を殺さんと一目散に向かってくる。
———ばかだなあ、殺すのなら、俺が寝ている間に不意打ちで殺せばよかったのに、と何度思ったことか。
我先にと俺の首を狙いにくる様は、さながら餌をチラつかせた瞬間こちらに餌をせびる馬のようであった事は、とてもよく印象に残っている。
2000人もの剣士。憎悪を纏った刀が自身に襲い掛かる。
だが———、
殺した。
全て。
1人たりとも残さず。
たった1人の少年が、たった1つの刀で、全てを斬り殺した。
全身に紅を被り、それでもなお欲望は止まらない。
今考えると、現場は地獄だった。
胴体を斬られ倒れ込んだ者。
顔に味方の刀が突き刺さり、俯いて絶命した者。
脾腹を貫かれ、うずくまったまま動かなくなった者。
首を切断され、大量の血を流しながら息の根が止まった者。
その地獄の中に、俺は1人立っていた。
……これらの地獄を、当時6歳だった俺は1人で作り上げてみせた。
……終わった後は———何も感じやしなかった。
動かなくなった死体を見ようと、未だに娘を返せなどとほざく男を見ようと、助けを乞い呻き声を上げる女を見ようと。
ソラが落陽を迎える。
血と肉で染まった地獄は暗く深き闇の中に沈んでいく。
その真ん中で、戦いが終わった後数時間、ただ1人で立ち尽くしていた。
多分、もう分かっていたんだ、俺は人間じゃないって。
もう分かっていたんだ、これが悪い事なんだろうって。
もう狂ってしまっていたから、「正しい事」がどんな感覚かも分からないけど。
それでも、俺は取り返しのつかない事をしてしまったんだ、と、動かなくなった死体を見つめ続けようやく分かったんだ。
戦う術しか教わらなかった。
生きる術など知らなかった。
だが、この戦争は「知らなかった」で済ませてはいけないと、足りない脳で必死に自分の頭に分からせた。
それで、自分の生きる意味について自問した。
答えはなし。自分には生きる意味も理由も目的もない。
ただ機械のように、必要があれば戦い、必要があれば殺し、必要があれば食べる。
そこに相違点を見出すとさらば、それは感情の有無のみ。
……父からも、戦うことしか教わらなかったのだから、やはりこうなった。
そんな人生に意味は無いと。ようやく俺はその結論に辿り着いた。
だからそこで終わらせようとした。
このくだらない時間を。この空虚な人生を。
あまりにも綺麗で、思わず永遠に見惚れてしまいそうな、そして自分には全くもって縁も関係もなかった、夜空に浮かぶ巨大な天涯を仰ぎながら、刃を腹の前に構える。
その時だった。俺の人生が変わったのは。
「ああ、今は……幸せだ。自由に生きれて、頼れる仲間がいて、いつでも泣きつける義父がいる。それは———」
言葉が詰まる。喉元まで込み上げてきた痰が急に静止し、まるで窒息するかのように。
……そうだ、俺は幸せだ。
(他人の幸せを奪ったから)
頼れる仲間がいて、
(たくさんの人を斬り殺して)
いつでも泣きつける義父がいる。
(誰かにとって大切な家族も何もかも斬り殺して、本来誰かが味わう筈だった幸せをも斬り殺したから)
俺には、今の自分が幸せだ、などと胸を張って言える権利なんてない筈なのに。
他人の幸せを奪っておいて、自分だけが幸せを享受する。
そんなものが許されていいのだろうか。
絡みつく残像。過去のしがらみ。未だに俺は、それらを断ち切れずにいた。
「白、どうした? 何処か具合でも悪いのか?」
「ちょっと、顔色悪いけど……大丈夫?」
目を向けたくなかった。
自分のした事に。誰かを殺したという事実に。
「ごめん、ちょっと考え事をしてたんだ、もう少しこのままにしておいてくれ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
数年前。
俺の人生が、変わった日だ。
神殿国———俺の祖国を出た後。レメルもなく自分を養ってくれる人もいなかった為、もちろん極度の空腹状態に陥った。
いっつも家で、俺を迎えてくれるあの豪華な食事も。あんなに大勢いた使用人も、その夜には誰1人としていなかった。自分から、その誰もいないところに出て行ったんだから。
そんな時だった、俺の前を美味しそうなニンゲンが通り過ぎたのは。
もう我慢ならなかった。ここで何かを食べておかないと頭がおかしくなりそうだった。
———もう既に……おかしくなっていたけれど。
目の前を通り過ぎたニンゲンは2人いた。
金色の髪をした親子。
その親の方を見た瞬間。
もう1人の自分が、生まれた。
もう1人の自分が頭の中に語りかけてきたのだ。
『殺セ、殺セ、切リ刻メ。ソシテ食ベロ』と。
空腹、渇望。
混じりに混ざった結果、俺の心には食欲のみしか残されてはいなかった。
『そうだ、あの時出された肉は、人の肉だったんだ』と。
そんな自己洗脳に近いことを思案し続けて一刻。
1度タガが外れた人間は、それこそ決壊したら止まらなくなるダムのように歯止めが効かなくなる。
自分の欲求が解消されるまで。
……まさに、その時の俺だった。
悪い事、などとはちっとも思っちゃいなかった。だから衝動を自我で抑えきれなくなったんだ。
ヒトを殺すのは初めてだった。でも何の躊躇も俺にはなかった。
子供の方は恐怖心からか顔は引きつり、笑いながらもその様子を眺めていた。
しかしそんなものは関係ない。
まず逃げられないように足を切り落とす。
靴と靴下の間。骨と骨の間。人体の部位における右足首部分。関節部分にして骨が軟く、刀を入れれば肉だけスッと切れる部分を切り落とした。
あまりにも緩やかに、流れる水のようにさりげなく、その刃は紅をまとう。
「……あれ……なんで私、倒れて……?」
女は自分に何が起こったか気付いてなさげだった。
むしろ、好都合だった。
「……え……なんで足……血が……っえっ?! か……刀?! ま、待って……何であなた……刀を持ってぇっ!」
刀を振り下ろし、もう片方の足首も斬り落とす。
「痛い……っ! なんで……何で私なのっ?! せ……雪子! 見てないで、見てないで助けてっ! あっ……!!」
この時から、女の悲鳴が自分にとって快楽であると気付いた。
女は自分の子供に向かって助けを乞う。自分が子供を守るべき立場にいるのに、その子供に向かって助けを乞う様はとても惨めだなぁ、などと考えつつ、女の腑を斬り裂いた。
もはや女は叫ぶ事すらままならない。
子供の方は立ち尽くして涙を流しながらも顔を引きつらせ笑っていたが、途中からは完全に姿を消していた。
「ああ、もう既に俺は狂っていたんだ」
灰色だった砂利道が赤く染まる。
月明かりの照らす夜。
暗く、暗く、どこまでも深い深海のような空の下。
俺は初めて人を———、
……食べた。
初めての味は……美味しかった。
鉄のような味が染み渡る。
肉と皮のなんとも言えぬ粘着力と感触が、口と頭の奥を支配する。
だからこそ色々と誤解をしたんだ。
そうか、こうやって生きるべきなのか、と。
だからまた殺した。
だからまた斬り裂いた。
だからまたヒトを食べた。
何人も、何人も。
それが正しい事だ、それが普通なんだと思っていたから。
戦う術しか教わらなかったから。
生きていく術なんて、誰かに聞いた事もなかったから。
その後は、街行く誰かを人知れず斬り殺し、その肉を食べて生計を立てていた。
腹が空いたら人を斬り、ただ斬って、食べて、隠れ家で寝るだけの生活。実に空虚なものだった。
……それは、そのような生活を続けて1年。
街行く人を斬り殺す辻斬り、自身の髪が白髪だったからか、『人斬り白郎』なんて通り名で呼ばれるようになった頃だった。
『餌付け』が始まった。
毎日、寝て起きたら隠れ家の前に肉が置いてあって、その肉を食べて生活する日が何日か続いた。
でもある日、その肉は置いてなかった。
代わりにあったのは、「お前を殺す」とだけ書かれた紙と、場所が記されていた地図だった。
実際にその場所に行ってみると、待ち構えていたのは2000人もの雑兵。
そして……集まった雑兵の憎悪は全て俺に向けられたものだった。
なんでその場に赴いたか———エサの匂いがしたからに決まってるだろう。
後に聞いたが、『人斬り白郎』に親や家族、兄弟が殺された者達のみが、その場に集まっていたという。
2000人もの雑兵たちは俺を見つけるやいなや、血眼になって俺を殺さんと一目散に向かってくる。
———ばかだなあ、殺すのなら、俺が寝ている間に不意打ちで殺せばよかったのに、と何度思ったことか。
我先にと俺の首を狙いにくる様は、さながら餌をチラつかせた瞬間こちらに餌をせびる馬のようであった事は、とてもよく印象に残っている。
2000人もの剣士。憎悪を纏った刀が自身に襲い掛かる。
だが———、
殺した。
全て。
1人たりとも残さず。
たった1人の少年が、たった1つの刀で、全てを斬り殺した。
全身に紅を被り、それでもなお欲望は止まらない。
今考えると、現場は地獄だった。
胴体を斬られ倒れ込んだ者。
顔に味方の刀が突き刺さり、俯いて絶命した者。
脾腹を貫かれ、うずくまったまま動かなくなった者。
首を切断され、大量の血を流しながら息の根が止まった者。
その地獄の中に、俺は1人立っていた。
……これらの地獄を、当時6歳だった俺は1人で作り上げてみせた。
……終わった後は———何も感じやしなかった。
動かなくなった死体を見ようと、未だに娘を返せなどとほざく男を見ようと、助けを乞い呻き声を上げる女を見ようと。
ソラが落陽を迎える。
血と肉で染まった地獄は暗く深き闇の中に沈んでいく。
その真ん中で、戦いが終わった後数時間、ただ1人で立ち尽くしていた。
多分、もう分かっていたんだ、俺は人間じゃないって。
もう分かっていたんだ、これが悪い事なんだろうって。
もう狂ってしまっていたから、「正しい事」がどんな感覚かも分からないけど。
それでも、俺は取り返しのつかない事をしてしまったんだ、と、動かなくなった死体を見つめ続けようやく分かったんだ。
戦う術しか教わらなかった。
生きる術など知らなかった。
だが、この戦争は「知らなかった」で済ませてはいけないと、足りない脳で必死に自分の頭に分からせた。
それで、自分の生きる意味について自問した。
答えはなし。自分には生きる意味も理由も目的もない。
ただ機械のように、必要があれば戦い、必要があれば殺し、必要があれば食べる。
そこに相違点を見出すとさらば、それは感情の有無のみ。
……父からも、戦うことしか教わらなかったのだから、やはりこうなった。
そんな人生に意味は無いと。ようやく俺はその結論に辿り着いた。
だからそこで終わらせようとした。
このくだらない時間を。この空虚な人生を。
あまりにも綺麗で、思わず永遠に見惚れてしまいそうな、そして自分には全くもって縁も関係もなかった、夜空に浮かぶ巨大な天涯を仰ぎながら、刃を腹の前に構える。
その時だった。俺の人生が変わったのは。
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