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第三章 奇跡の先のそのまた向こう
45 初恋の行き先
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大概のことは努力すれば叶ったりするけれど、人の気持ちだけは、努力しても何をしても自由にはできない。
だから、自分が好きになった人が自分のことを好きになってくれるなんて、奇跡に近い。
好きになれるような人に出逢えることも、奇跡なのに。
でも私は、そんな宝石みたいに大切な奇跡を手放してしまったのだ。
私の髪を伸ばす為に“記憶の持つ力”が必要で、“大事な記憶”を抜かれたリドは、何と三日三晩深い眠りについてしまった。
私の髪は……というと、お陰様でまるで何事も無かったかの様に元の通りの髪に戻った。
これで人前に出ても恥ずかしくない姿に戻れたのだけれど……。
でもその代償に、私はリドの大切な記憶を奪ってしまった。
マトが私に呪術をかける時に使用した言語は、驚くことに日本語だった。私の前世の記憶に残っている日本語の響きそのもの。
単純に『伸びろ…伸びろ…』とマトが囁くと、それに呼応したように少しずつ髪が伸びていった。
すると突然、フッとリドが意識を失い、その場に膝から崩れ落ちた。
危うく倒れてしまいそうだったリドを私が慌てて抱きとめ、更によろけた私たちをジャンヌが支えてくれて、大事には至らなかったが。
私たちは初日はマトのティピーに泊まらせて貰い、眠っているリドを傍で見守った。
このままずっとリドが目を覚まさなかったらどうしよう……。
私の不安は皆に伝染して、ヴィヴィやクラリスちゃん、ジャンヌも不安気な顔で、交代でリドの目覚めるのを見守ってくれた。
二日目は、早朝に馬車でシャーリン邸に戻った。お父様が宰相の仕事の為に殆どを王都で過ごしているとは言っても、王都からいつ帰ってくるか不安だったので。
リドの部屋で、ベッドに横たわる美しい彼の寝顔を見つめながら、私は祈った。
「早く目を開けて……お願いリド……私のこと忘れちゃいやよ?」
掌でそっとリドの頬を撫でると、頬は温かで……その温もりは私をほんの少し安心させた。
マトが「大丈夫じゃよ。なぁに、三日もすれば目が覚めるて」と言った通り、リドは三日目に目を覚ました。
私は不安でいっぱいだった。
私のこと、忘れてしまってたらどうしよう。
私のこと、好きだって言ってくれたことも忘れていたらどうしよう……と。
そう思う反面。
私のことが本当に大事なら、私のことを忘れている筈だ。
私のことが本当に好きなのかどうか、大切なのかどうかがこれでわかるんじゃないか……。
不謹慎にも、そんな考えが頭を擡げた。
でもそれは、ほんの一瞬だけ。
そんな不謹慎な想いに囚われたのは。
だからだ。
ほんの一瞬だけでも、そんなこと考えたから。
罰が当たったのだ。
幸運を簡単に手放した私に。
馬鹿なことを考えた私に。
リドの気持ちを疑って、リドの気持ちを試した私に……。
罰が当たってしまった。
目覚めたリドは、私の顔を見て驚いたように目を見開いた後、憎々しげに目を細め開口一番こう言った。
「……クソ女……生きてやがったか……」
「……え?」
リドが目覚めたことへの安堵と、リドから向けられた敵意を込めた眼差しと言葉で、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……クソが…………殺る気で大理石の棚に後頭部が当たるように蹴り飛ばしてやったのに……さすが悪運が強ぇな」
口の端を片方だけ上げただけの、皮肉たっぷりの笑い顔。
……出逢ったばかりの頃のリドだわ……ッ!!
リドは横たえていた体を上半身だけ起こして私から距離を取った。
ベッドサイドの椅子に座って看病をしていた為に間近に迫ってしまった私を、警戒したのだろう。
そして、出逢ったばかりの頃の警戒心剥き出しの鋭い眼差しを手元に移したリドは、自分の体を見回した。
「……? クソ野郎に拷問された傷が……治ってる……?」
出逢った頃まで記憶が逆行してる……?
もしかしてリド……私との記憶を丸ごと忘れてしまった!?
リドが、この数週間の宝物みたいな出来事をポッカリと忘れ去ってしまっている事に気付いたと同時に、私は新たな事実を突きつけられてしまった。
その事実に、私は愕然とする。
リドは……私を殺したの?
アリスは、死んでしまったのだろうか? 身体はアリスの記憶を覚えているけれど、中身は完全に前世に支配されている……。
そのことは置いておいたとしても、リドが愛の告白をしたことなどすっかり忘れて、私を殺したいほど憎んでいるということを思い知る。
こんな、マイナスからのスタートなら、いっそ私のことなど全て忘れて真っさらな状態から『はじめまして』で始めたかったわ……。
「……っ兄様! 何をおっしゃるの!?」
リドが目覚めて安堵したのも束の間だったであろう部屋のドア近くに立っていたヴィヴィが、青褪めた顔でこちらの方に駆け寄ってきた。
「……ッ!? ヴィヴィ!? お前、なんでここに……!?」
「兄様……本当に忘れてしまったのですか? アリス姉様がわたくしを助けてくださったことも?」
「…………は?」
「ヴィヴィ! ダメよ!」
私は慌ててヴィヴィを制止する。
マトにくれぐれも……と教えられたことの一つに、失くした記憶を無理に教えてはならないというものがあるのだ。リドが自分で記憶を取り戻すまで待てと。
他人から見た姿と、リドがその時感じた想いとが食い違うと、混乱を生じてしまい記憶が戻るのに障害が残るかもしれないからということだった。
リドは目を剥いてヴィヴィと私を見比べた後、何かを考えるように俯いて額に手を当てて眉根を寄せた。
まずいわ。混乱してしまったのかしら?
「リド……? 大丈夫?」
私が心配げに顔を覗き込むと、リドは驚いたようにまた目を剥いて私を見た。
「リド?」
「…………てん……し……」
「……え?」
「……天使……」
リドは私を凝視したまま、『天使』と呟いた。
その表情から、感情は読み取れない。視線は私を通り抜け、まるでここには居ない誰かを見つめているようだった。
「…………そうだ……俺は…………天使みてぇな女に……恋を……してた……」
「……天使のような女に……恋?」
「……顔も……名前も…………思い出せねぇ…………クソッ……」
そう言って舌打ちすると、リドは頭を抱えてしまった。
そんなリドを見て、隣に居たヴィヴィからハッと息を飲む気配を感じた。
「に、兄様……天使って……もしかして……」
「ヴィヴィ、“天使のような女”を知ってるの?」
私の問いに、ヴィヴィは一瞬青褪めてから躊躇うようにコクリと頷いた。
じっと答えを待つ私の視線に耐えかねたのか、ヴィヴィは私の耳元に口を寄せてコソリと呟いた。
「……実は……兄様には父王が決めた婚約者が居たんです……その者が……“天使のような娘”と呼ばれていたのですけど……」
「……………………は?」
こ、こ、こ、こんやく……婚約者ぁーー!?
だから、自分が好きになった人が自分のことを好きになってくれるなんて、奇跡に近い。
好きになれるような人に出逢えることも、奇跡なのに。
でも私は、そんな宝石みたいに大切な奇跡を手放してしまったのだ。
私の髪を伸ばす為に“記憶の持つ力”が必要で、“大事な記憶”を抜かれたリドは、何と三日三晩深い眠りについてしまった。
私の髪は……というと、お陰様でまるで何事も無かったかの様に元の通りの髪に戻った。
これで人前に出ても恥ずかしくない姿に戻れたのだけれど……。
でもその代償に、私はリドの大切な記憶を奪ってしまった。
マトが私に呪術をかける時に使用した言語は、驚くことに日本語だった。私の前世の記憶に残っている日本語の響きそのもの。
単純に『伸びろ…伸びろ…』とマトが囁くと、それに呼応したように少しずつ髪が伸びていった。
すると突然、フッとリドが意識を失い、その場に膝から崩れ落ちた。
危うく倒れてしまいそうだったリドを私が慌てて抱きとめ、更によろけた私たちをジャンヌが支えてくれて、大事には至らなかったが。
私たちは初日はマトのティピーに泊まらせて貰い、眠っているリドを傍で見守った。
このままずっとリドが目を覚まさなかったらどうしよう……。
私の不安は皆に伝染して、ヴィヴィやクラリスちゃん、ジャンヌも不安気な顔で、交代でリドの目覚めるのを見守ってくれた。
二日目は、早朝に馬車でシャーリン邸に戻った。お父様が宰相の仕事の為に殆どを王都で過ごしているとは言っても、王都からいつ帰ってくるか不安だったので。
リドの部屋で、ベッドに横たわる美しい彼の寝顔を見つめながら、私は祈った。
「早く目を開けて……お願いリド……私のこと忘れちゃいやよ?」
掌でそっとリドの頬を撫でると、頬は温かで……その温もりは私をほんの少し安心させた。
マトが「大丈夫じゃよ。なぁに、三日もすれば目が覚めるて」と言った通り、リドは三日目に目を覚ました。
私は不安でいっぱいだった。
私のこと、忘れてしまってたらどうしよう。
私のこと、好きだって言ってくれたことも忘れていたらどうしよう……と。
そう思う反面。
私のことが本当に大事なら、私のことを忘れている筈だ。
私のことが本当に好きなのかどうか、大切なのかどうかがこれでわかるんじゃないか……。
不謹慎にも、そんな考えが頭を擡げた。
でもそれは、ほんの一瞬だけ。
そんな不謹慎な想いに囚われたのは。
だからだ。
ほんの一瞬だけでも、そんなこと考えたから。
罰が当たったのだ。
幸運を簡単に手放した私に。
馬鹿なことを考えた私に。
リドの気持ちを疑って、リドの気持ちを試した私に……。
罰が当たってしまった。
目覚めたリドは、私の顔を見て驚いたように目を見開いた後、憎々しげに目を細め開口一番こう言った。
「……クソ女……生きてやがったか……」
「……え?」
リドが目覚めたことへの安堵と、リドから向けられた敵意を込めた眼差しと言葉で、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……クソが…………殺る気で大理石の棚に後頭部が当たるように蹴り飛ばしてやったのに……さすが悪運が強ぇな」
口の端を片方だけ上げただけの、皮肉たっぷりの笑い顔。
……出逢ったばかりの頃のリドだわ……ッ!!
リドは横たえていた体を上半身だけ起こして私から距離を取った。
ベッドサイドの椅子に座って看病をしていた為に間近に迫ってしまった私を、警戒したのだろう。
そして、出逢ったばかりの頃の警戒心剥き出しの鋭い眼差しを手元に移したリドは、自分の体を見回した。
「……? クソ野郎に拷問された傷が……治ってる……?」
出逢った頃まで記憶が逆行してる……?
もしかしてリド……私との記憶を丸ごと忘れてしまった!?
リドが、この数週間の宝物みたいな出来事をポッカリと忘れ去ってしまっている事に気付いたと同時に、私は新たな事実を突きつけられてしまった。
その事実に、私は愕然とする。
リドは……私を殺したの?
アリスは、死んでしまったのだろうか? 身体はアリスの記憶を覚えているけれど、中身は完全に前世に支配されている……。
そのことは置いておいたとしても、リドが愛の告白をしたことなどすっかり忘れて、私を殺したいほど憎んでいるということを思い知る。
こんな、マイナスからのスタートなら、いっそ私のことなど全て忘れて真っさらな状態から『はじめまして』で始めたかったわ……。
「……っ兄様! 何をおっしゃるの!?」
リドが目覚めて安堵したのも束の間だったであろう部屋のドア近くに立っていたヴィヴィが、青褪めた顔でこちらの方に駆け寄ってきた。
「……ッ!? ヴィヴィ!? お前、なんでここに……!?」
「兄様……本当に忘れてしまったのですか? アリス姉様がわたくしを助けてくださったことも?」
「…………は?」
「ヴィヴィ! ダメよ!」
私は慌ててヴィヴィを制止する。
マトにくれぐれも……と教えられたことの一つに、失くした記憶を無理に教えてはならないというものがあるのだ。リドが自分で記憶を取り戻すまで待てと。
他人から見た姿と、リドがその時感じた想いとが食い違うと、混乱を生じてしまい記憶が戻るのに障害が残るかもしれないからということだった。
リドは目を剥いてヴィヴィと私を見比べた後、何かを考えるように俯いて額に手を当てて眉根を寄せた。
まずいわ。混乱してしまったのかしら?
「リド……? 大丈夫?」
私が心配げに顔を覗き込むと、リドは驚いたようにまた目を剥いて私を見た。
「リド?」
「…………てん……し……」
「……え?」
「……天使……」
リドは私を凝視したまま、『天使』と呟いた。
その表情から、感情は読み取れない。視線は私を通り抜け、まるでここには居ない誰かを見つめているようだった。
「…………そうだ……俺は…………天使みてぇな女に……恋を……してた……」
「……天使のような女に……恋?」
「……顔も……名前も…………思い出せねぇ…………クソッ……」
そう言って舌打ちすると、リドは頭を抱えてしまった。
そんなリドを見て、隣に居たヴィヴィからハッと息を飲む気配を感じた。
「に、兄様……天使って……もしかして……」
「ヴィヴィ、“天使のような女”を知ってるの?」
私の問いに、ヴィヴィは一瞬青褪めてから躊躇うようにコクリと頷いた。
じっと答えを待つ私の視線に耐えかねたのか、ヴィヴィは私の耳元に口を寄せてコソリと呟いた。
「……実は……兄様には父王が決めた婚約者が居たんです……その者が……“天使のような娘”と呼ばれていたのですけど……」
「……………………は?」
こ、こ、こ、こんやく……婚約者ぁーー!?
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