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第五章 花にケダモノ
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サーシャは小さい頃から身体が弱かった。だから、幼い頃は毎日を病床で過ごすことを余儀なくされていた。
僕はアーネルリスト国宰相の息子として、サーシャの話相手に選ばれ、外に出ることの出来ない深窓のお姫様を慰める為にと、父と共に王城へ頻繁に連れて来られた。
小さなお姫様にとって、お城の一室が世界の全てで、僕との時間が唯一の娯楽だった。そのせいか、幼い頃の彼女は酷く僕に執着した。
その執着は不思議と、そんなに嫌ではなかった。むしろ、仄暗い歓びを感じていた気もする。
次はいつ会えるのかと期待に顔を綻ばせる彼女に、好意すら覚えていた。
今の彼女だって、十分に身体が弱い。
だけど、もう昔のように僕だけというわけではなくなった。
サーシャは身体が弱いくせに、よくお忍びで城下に出かけた。そこで面白いものを見つけては、僕に嬉しそうに報告する。
それは、珍しい果物だったり、南国の小さな猿だったり、東方の織物だったり……。
そして大抵、その後身体を壊して寝込むのだ。このお姫様は本物の馬鹿だ。
今日も、面白いモノを見つけたと言ってサーシャに呼び出された。
「夫が王都から帰らない!」……と、あの女にヒステリックに鞭で叩かれていたところの呼び出しだったので、正直助かった。
父は宰相だ。仕事で領地に何日も帰らないのは当然なのに。もうあの女は駄目だ。
「ちょっと! 綺麗な顔が蚯蚓脹れになっちゃってるじゃない!」
「きみの気にすることじゃない。いつものことだ」
「気にするわよ! オズの良い所なんて顔だけなのに!」
「……きみのそういうトコロ、嫌いじゃないけどね……」
いつものテラスではなく、今日は庭園にセッティングされたテーブルで、優雅なティータイムだ。
……それにしても……暫く見なかった間に、ずいぶんと見事な薔薇の庭園になったものだ。この薔薇のアーチなんか、素人目でも凄腕の庭師の仕事だとわかる。
シャーリン家には花といえば、花の咲く薬草か毒草ぐらいしか植えられていないので、たまにはこういうちゃんとした花も良いな。
ふと、少し離れた場所にこの辺りの派手な薔薇とは違う、可憐な白い薔薇の咲く生垣が見えた。
「姫。あそこの一角だけ少し趣きが違うのはなんで?」
僕が指をさした方を見て、サーシャはフゥ……と重い溜め息を吐いた。
「あそこの生垣の向こうには、ダンテ陛下の愛する側妃ジル様のお部屋があるの。あの白い薔薇はジル様の白金髪を表現したくて、ダンテ陛下自ら丹精込めて造られたのよ」
「へえ……」
あのダンテが、愛する女の為にそこまでするとは。
「女性はおおむね薔薇が好きだからね。私も薔薇が好き。……この辺りの毒々しい赤色の薔薇はあんまり好きになれないけど」
「……ふーん。つまり、この辺りの派手な赤い薔薇は、姫やダンテの趣味じゃないとしたら、例の正妃の趣味か……」
「ご名答。さすがオズね。ここは、イザベラ陛下がダンテ陛下とジル妃に対抗して造らせた庭なのよ」
うん。なんかちょっと嫌だな。ここに居るの。
「……居心地悪」
「ちょっとだけだから我慢して! 今日はオズに会わせたい人がいるんだけど、内緒だから宮殿内には入れられないのよ」
例の面白いモノというやつか。人だったのか……。
「市井で出会ったのよ。絶対オズもビックリするから!」
そう言って、薔薇のアーチの方へ走って行ったサーシャは、戸惑いがちにフラフラ歩く目隠しされた男と腕を組み、強引にその男を引っ張ってこちらに戻ってきた。
「サ、サーシャ。ここはどこ? もう目隠し取ってもいいかい?」
「いいわよ。でも、何を見ても驚かないで」
どうやらサーシャは城下からここまで、なんの事情も話さず目隠しをしてこの男を連れてきたらしい。『驚くな』という方が無理なんじゃ……。
だが、目隠しを取って驚いたのは彼ではなく、僕の方だった。
「……碧い……眼……」
明るい陽の光に照らされた彼の髪は、お日様みたいな金髪で、その瞳はサーシャと同じロイヤルブルー。
まだ幼さが残る中にも男らしさが混在する、とても整った顔立ち。
誰もが目を奪われるだけの華がある。
僕もひと目で……奪われたーーーー。
若いな……。何年か前のダンテがこんな感じだった。
王族……じゃないよな? 着ている物も、オドオドとした態度も、王族のものではない。
じゃあ彼はいったいーーーー?
「……どういうことだ? 姫。彼は誰だ?」
「彼はルイ。正真正銘、庶民よ。この明るい金髪にロイヤルブルーの瞳って、まるで王族みたいでしょ? どう? ビックリした? ビックリした?」
サーシャは悪戯が成功した子どものように無邪気に笑っている。
「え? ここって……お城? “姫”って? えッ!? サーシャ、きみのその目と髪の色!? も、もしかしてサーシャって“サーシャ姫”!?」
サーシャはふふふ……と笑って、青年の腕に腕を絡ませた。
「見た目だけじゃないのよ、オズ。彼は、庶民なのに“光の魔力”の持ち主なの!」
「……それはもう、ただの王族じゃないのか?」
僕の問いに、ルイは大きく頭を振った。
「と、とんでもないです! 俺は本当にただの庶民です! 代々鍛冶屋をやってます。俺の父も母も兄弟たちも、皆茶色の髪に茶色の瞳で、何故か俺だけこんな色なんです」
「…………それは、きみがもらわれっ子なんじゃ」
考えられなくもない。もしかしたら、前王の隠し子……とか? つまりサーシャの兄弟?
「ち、違います! 俺も小さい頃はそれで悩んだこともありましたが……どうやら、曾祖父さんが俺と同じ色だったみたいで、先祖返りじゃないかって」
「私も一瞬その考えは浮かんだのよ。でも、ルイのご家族に会ったらその考えも消えたわ」
僕が首を捻ると、ルイは小さく笑った。
「……そっくりなんです。俺、父親に。兄弟もみんなそっくりで。ただ俺だけ色が違うだけで」
「へえ……」
「私、思ったんだけど、ほら! “双子は禁忌”とかってあるじゃない。それでルイのご先祖さまが王族の双子で、生まれてすぐ秘密裏に里子に出されたんじゃないかしら?」
なんだそりゃ?
確か、大昔の文献にそんなような話が載ってたような……。
「“双子は禁忌”なんて大昔の因習だよね。姫、よく知ってるね」
サーシャはまた嬉しそうに笑った。そんな彼女を複雑そうな顔で見つめていたルイという男は、僕とサーシャを交互に見ながら申し訳なさそうに呟いた。
「あの……それで、サーシャ……いや、サーシャ姫? 彼は誰で……ここは……どこ?」
何も聞かされていなかったらしい彼は、相当に困惑していた。
どうやら、サーシャは自分の素性を隠してこの男に会っていたようだ。
サーシャの悪戯が成功したような笑顔が、やけに鼻についた。
可哀想に、哀れな仔羊よ。
この女に見つかったのが運の尽きだ。
…………お互いにな。
僕はアーネルリスト国宰相の息子として、サーシャの話相手に選ばれ、外に出ることの出来ない深窓のお姫様を慰める為にと、父と共に王城へ頻繁に連れて来られた。
小さなお姫様にとって、お城の一室が世界の全てで、僕との時間が唯一の娯楽だった。そのせいか、幼い頃の彼女は酷く僕に執着した。
その執着は不思議と、そんなに嫌ではなかった。むしろ、仄暗い歓びを感じていた気もする。
次はいつ会えるのかと期待に顔を綻ばせる彼女に、好意すら覚えていた。
今の彼女だって、十分に身体が弱い。
だけど、もう昔のように僕だけというわけではなくなった。
サーシャは身体が弱いくせに、よくお忍びで城下に出かけた。そこで面白いものを見つけては、僕に嬉しそうに報告する。
それは、珍しい果物だったり、南国の小さな猿だったり、東方の織物だったり……。
そして大抵、その後身体を壊して寝込むのだ。このお姫様は本物の馬鹿だ。
今日も、面白いモノを見つけたと言ってサーシャに呼び出された。
「夫が王都から帰らない!」……と、あの女にヒステリックに鞭で叩かれていたところの呼び出しだったので、正直助かった。
父は宰相だ。仕事で領地に何日も帰らないのは当然なのに。もうあの女は駄目だ。
「ちょっと! 綺麗な顔が蚯蚓脹れになっちゃってるじゃない!」
「きみの気にすることじゃない。いつものことだ」
「気にするわよ! オズの良い所なんて顔だけなのに!」
「……きみのそういうトコロ、嫌いじゃないけどね……」
いつものテラスではなく、今日は庭園にセッティングされたテーブルで、優雅なティータイムだ。
……それにしても……暫く見なかった間に、ずいぶんと見事な薔薇の庭園になったものだ。この薔薇のアーチなんか、素人目でも凄腕の庭師の仕事だとわかる。
シャーリン家には花といえば、花の咲く薬草か毒草ぐらいしか植えられていないので、たまにはこういうちゃんとした花も良いな。
ふと、少し離れた場所にこの辺りの派手な薔薇とは違う、可憐な白い薔薇の咲く生垣が見えた。
「姫。あそこの一角だけ少し趣きが違うのはなんで?」
僕が指をさした方を見て、サーシャはフゥ……と重い溜め息を吐いた。
「あそこの生垣の向こうには、ダンテ陛下の愛する側妃ジル様のお部屋があるの。あの白い薔薇はジル様の白金髪を表現したくて、ダンテ陛下自ら丹精込めて造られたのよ」
「へえ……」
あのダンテが、愛する女の為にそこまでするとは。
「女性はおおむね薔薇が好きだからね。私も薔薇が好き。……この辺りの毒々しい赤色の薔薇はあんまり好きになれないけど」
「……ふーん。つまり、この辺りの派手な赤い薔薇は、姫やダンテの趣味じゃないとしたら、例の正妃の趣味か……」
「ご名答。さすがオズね。ここは、イザベラ陛下がダンテ陛下とジル妃に対抗して造らせた庭なのよ」
うん。なんかちょっと嫌だな。ここに居るの。
「……居心地悪」
「ちょっとだけだから我慢して! 今日はオズに会わせたい人がいるんだけど、内緒だから宮殿内には入れられないのよ」
例の面白いモノというやつか。人だったのか……。
「市井で出会ったのよ。絶対オズもビックリするから!」
そう言って、薔薇のアーチの方へ走って行ったサーシャは、戸惑いがちにフラフラ歩く目隠しされた男と腕を組み、強引にその男を引っ張ってこちらに戻ってきた。
「サ、サーシャ。ここはどこ? もう目隠し取ってもいいかい?」
「いいわよ。でも、何を見ても驚かないで」
どうやらサーシャは城下からここまで、なんの事情も話さず目隠しをしてこの男を連れてきたらしい。『驚くな』という方が無理なんじゃ……。
だが、目隠しを取って驚いたのは彼ではなく、僕の方だった。
「……碧い……眼……」
明るい陽の光に照らされた彼の髪は、お日様みたいな金髪で、その瞳はサーシャと同じロイヤルブルー。
まだ幼さが残る中にも男らしさが混在する、とても整った顔立ち。
誰もが目を奪われるだけの華がある。
僕もひと目で……奪われたーーーー。
若いな……。何年か前のダンテがこんな感じだった。
王族……じゃないよな? 着ている物も、オドオドとした態度も、王族のものではない。
じゃあ彼はいったいーーーー?
「……どういうことだ? 姫。彼は誰だ?」
「彼はルイ。正真正銘、庶民よ。この明るい金髪にロイヤルブルーの瞳って、まるで王族みたいでしょ? どう? ビックリした? ビックリした?」
サーシャは悪戯が成功した子どものように無邪気に笑っている。
「え? ここって……お城? “姫”って? えッ!? サーシャ、きみのその目と髪の色!? も、もしかしてサーシャって“サーシャ姫”!?」
サーシャはふふふ……と笑って、青年の腕に腕を絡ませた。
「見た目だけじゃないのよ、オズ。彼は、庶民なのに“光の魔力”の持ち主なの!」
「……それはもう、ただの王族じゃないのか?」
僕の問いに、ルイは大きく頭を振った。
「と、とんでもないです! 俺は本当にただの庶民です! 代々鍛冶屋をやってます。俺の父も母も兄弟たちも、皆茶色の髪に茶色の瞳で、何故か俺だけこんな色なんです」
「…………それは、きみがもらわれっ子なんじゃ」
考えられなくもない。もしかしたら、前王の隠し子……とか? つまりサーシャの兄弟?
「ち、違います! 俺も小さい頃はそれで悩んだこともありましたが……どうやら、曾祖父さんが俺と同じ色だったみたいで、先祖返りじゃないかって」
「私も一瞬その考えは浮かんだのよ。でも、ルイのご家族に会ったらその考えも消えたわ」
僕が首を捻ると、ルイは小さく笑った。
「……そっくりなんです。俺、父親に。兄弟もみんなそっくりで。ただ俺だけ色が違うだけで」
「へえ……」
「私、思ったんだけど、ほら! “双子は禁忌”とかってあるじゃない。それでルイのご先祖さまが王族の双子で、生まれてすぐ秘密裏に里子に出されたんじゃないかしら?」
なんだそりゃ?
確か、大昔の文献にそんなような話が載ってたような……。
「“双子は禁忌”なんて大昔の因習だよね。姫、よく知ってるね」
サーシャはまた嬉しそうに笑った。そんな彼女を複雑そうな顔で見つめていたルイという男は、僕とサーシャを交互に見ながら申し訳なさそうに呟いた。
「あの……それで、サーシャ……いや、サーシャ姫? 彼は誰で……ここは……どこ?」
何も聞かされていなかったらしい彼は、相当に困惑していた。
どうやら、サーシャは自分の素性を隠してこの男に会っていたようだ。
サーシャの悪戯が成功したような笑顔が、やけに鼻についた。
可哀想に、哀れな仔羊よ。
この女に見つかったのが運の尽きだ。
…………お互いにな。
応援ありがとうございます!
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