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第一章 山猫
猫の目のような気まぐれ
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ギゼはヴァッサーハイムより少しだけ大きな町だった。乗合馬車の発着場は町の中央のメイン通り沿いにあり、付近は人が行き交っていた。
山猫の家は、ギゼの東地区、猫人族の居住区にある。東へ歩いて行くにつれ、町を歩く人たちの中に猫人族の姿が目立つようになってきた。
山猫の家の場所を聞こうと、僕らは白い髪の毛に黒いぶち模様がある猫人族のお姉さんに声をかけた。
「あの、この辺りで山猫……いや、イリア・ハーパーさんという人の家を知りませんか」
ぶち猫お姉さんはふさふさの毛で覆われた手を舌で少し湿らし、頬のひげを撫でつけながら答えた。
「イリアにゃん? イリアにゃんだったら、そこのマタタビ料理屋の角を右に曲がってすぐのアパートにいるにゃ。確か二〇三号室だったはずにゃ」
お姉さんに礼を言って教えられたアパートへ行くと、確かに二〇三号室のドアの前に、端切れのような木の看板が掲げられ、そこには猫の爪で引っ掻いたような字で「I・W・ハーパー」と書かれていた。ラウラさんがおもむろに、そのドアをノックする。
「はいにゃー」
そんな声が部屋の中から聞こえたものの、それ以降なんの音沙汰もない。ラウラさんがもう一度ノックしようとした時、ようやくドアがガチャリと開いた。
顔を出したのは、キジトラ模様の短い髪をした、やや小柄な女性だった。猫人族特有の虹彩が細長い目は、青と黄のオッドアイだ。髪と同じキジトラ模様の尻尾は、先が少し曲がっている。この女性が《山猫》なのだろう。
「あなたたちは……ああ、連絡をくれたシステム会社の人にゃね」
「はい、エルフシステムソリューションズの……」
自己紹介しかけたラウラさんをさえぎるように、山猫は両手を顔の前で合わせた。
「ごめんにゃ! せっかく来てもらったけど、よく考えたら前回のプロジェクト終わってまだ二ヶ月しか経ってないから、もう少しゴロゴロしてたいにゃ。貯金もまだしばらく持つし、あと三ヶ月くらいは仕事する気になれそうもないにゃ」
急にそんなことを言われて、ラウラさんは唖然とする。本日山猫の家を訪問するまでには、もちろん事前にアポイントメントを取り、条件次第では仕事を受けてくれるのか、詳細についての話し合いを行うために今日山猫の家を訪れるつもりだが予定は大丈夫か、などを確認してある。なのに開口一番仕事する気になれないと言われては、どう反応してよいか分からない。まさに猫人族らしい気まぐれさと言えるが、振り回されるこちらは大変だ。
「山猫さん相変わらずフリーダムですね。まあそう言わずに話だけでも聞いてくださいよ。お土産にヴァッサーハイムウィスキーの十二年ものを持ってきたんですから」
「詳しく話を聞かせてもらおうかにゃ」
ヤン先輩がウィスキーの瓶を山猫の目の前に掲げると、山猫の細長かった虹彩が瞬時に丸みを帯び、視線は瓶にくぎ付けになった。山猫は先輩から瓶を受け取ると、一転して僕たちを部屋へと迎え入れた。
山猫の家は、アリステ魔術やギャスパー魔術など様々な魔術体系の祭壇があちこちに設置され、何かの術式が組まれているらしい魔法陣が至る所に散らばっていた。うっかり魔法陣を踏んでしまうと何かの術式が発動しそうで、僕は足元に細心の注意を払いながら歩いた。
「さて、まずは自己紹介するにゃ。あたしは《山猫》。フリーの魔法技術者にゃ」
祭壇や何かに埋もれるようにしつらえられたソファに僕たちを座らせると、山猫はそう名乗った。
「久しぶりですね山猫さん。以前同じプロジェクトチームで仕事したことがあるヤン・ピルスナーというものですが、覚えていますか?」
ヤン先輩が問いかけると、山猫は斜め上の方を眺めて思案するそぶりを見せた。
「ヤン君? 今まで経験したプロジェクトのメンバーに、ヤン君というのは何人かいたような気がするけど、どのヤン君かにゃ? 六年前の水道局のプロジェクトの時の、酒に酔うとすぐ下半身を露出するヤン君かにゃ?」
「……水道局のプロジェクトには参加してないので、それは別のヤンですね。八年ほど前に、エール商会の会計システムで一緒だったヤンです」
山猫はしばらく考えて、やがて思い出したと見えて、はたと手を打った。
「あーあの、プロジェクト完了の打ち上げの後、あたしに告ってきたヤン君にゃ!」
「違います人違いですそのヤンじゃないです全然違います」
山猫が『告ってきた』という言葉を発した瞬間、ヤン先輩の表情から余裕が消えた。よほど触れてほしくない黒歴史なのだろう。
「間違えました。エール商会の時じゃないです。やっぱり俺、酔うと下半身露出する方のヤンでした。お久しぶりです山猫」
どうやら、過去の告白について触れられるくらいなら、露出癖があると思われた方がマシらしい。
「ふーん。ならそういうことにしてやるにゃ。で、そっちの金髪美女はヤン君の恋人かにゃ?」
山猫はラウラさんに視線を移す。
「違います。エルフシステムソリューションズ開発部のラウラ・ハイネケンです」
ラウラさんは山猫のいたずらっぽい視線に取り合おうともせず、真顔で名刺を渡した。
「いや、プロジェクトマネージャーのラウラにゃんなのは理解した上で、二人が付き合ってるか訊いたんにゃけど、違うのかにゃ。じゃあそっちの男の子とラウラにゃんが付き合ってるのかにゃ?」
突然水を向けられて、僕は戸惑うしかなかった。自分でも顔が熱を帯びていくのがわかる。
「山猫さんいい加減にしてくださいよ。彼らは山猫さんと違って真面目なんですから。彼の名前はクロト・キリシマ。若いのに優秀な期待の新人なんですから、いじめたら承知しませんよ」
「クロト・キリシマ? ふーむ……我が霊感の囁くところによれば、君は東国出身にゃね? 実はあたし、人の出自や来歴を見通す力を持ってるんにゃ」
山猫は急に厳かな口調になってそう言った。
「違います。両親は東国出身ですが、僕はヴァッサーハイムで生まれました」
東国風の名前と黒髪黒眼から東国出身と推論したのだろうが、両親は僕を身ごもる前にマザール王国に移民して来ている。
「ありゃ? まあ、さしもの山猫の神通力もたまには間違えることもあるにゃ」
「はいはい。それよりいい加減、仕事の話をしましょうよ」
いつまでもふざけている山猫を制止し、ヤン先輩が促す。それを合図に、ラウラさんがブリーフケースから資料を取り出し、山猫に示しながら説明を始めた。
ラウラさんの説明は、今回のプロジェクトで開発するシステムに関するもので、僕らは既に知っている内容だった。僕はその話を聞き流しながら、この目の前の、個性の強い猫人族のことを考えていた。
山猫の家は、ギゼの東地区、猫人族の居住区にある。東へ歩いて行くにつれ、町を歩く人たちの中に猫人族の姿が目立つようになってきた。
山猫の家の場所を聞こうと、僕らは白い髪の毛に黒いぶち模様がある猫人族のお姉さんに声をかけた。
「あの、この辺りで山猫……いや、イリア・ハーパーさんという人の家を知りませんか」
ぶち猫お姉さんはふさふさの毛で覆われた手を舌で少し湿らし、頬のひげを撫でつけながら答えた。
「イリアにゃん? イリアにゃんだったら、そこのマタタビ料理屋の角を右に曲がってすぐのアパートにいるにゃ。確か二〇三号室だったはずにゃ」
お姉さんに礼を言って教えられたアパートへ行くと、確かに二〇三号室のドアの前に、端切れのような木の看板が掲げられ、そこには猫の爪で引っ掻いたような字で「I・W・ハーパー」と書かれていた。ラウラさんがおもむろに、そのドアをノックする。
「はいにゃー」
そんな声が部屋の中から聞こえたものの、それ以降なんの音沙汰もない。ラウラさんがもう一度ノックしようとした時、ようやくドアがガチャリと開いた。
顔を出したのは、キジトラ模様の短い髪をした、やや小柄な女性だった。猫人族特有の虹彩が細長い目は、青と黄のオッドアイだ。髪と同じキジトラ模様の尻尾は、先が少し曲がっている。この女性が《山猫》なのだろう。
「あなたたちは……ああ、連絡をくれたシステム会社の人にゃね」
「はい、エルフシステムソリューションズの……」
自己紹介しかけたラウラさんをさえぎるように、山猫は両手を顔の前で合わせた。
「ごめんにゃ! せっかく来てもらったけど、よく考えたら前回のプロジェクト終わってまだ二ヶ月しか経ってないから、もう少しゴロゴロしてたいにゃ。貯金もまだしばらく持つし、あと三ヶ月くらいは仕事する気になれそうもないにゃ」
急にそんなことを言われて、ラウラさんは唖然とする。本日山猫の家を訪問するまでには、もちろん事前にアポイントメントを取り、条件次第では仕事を受けてくれるのか、詳細についての話し合いを行うために今日山猫の家を訪れるつもりだが予定は大丈夫か、などを確認してある。なのに開口一番仕事する気になれないと言われては、どう反応してよいか分からない。まさに猫人族らしい気まぐれさと言えるが、振り回されるこちらは大変だ。
「山猫さん相変わらずフリーダムですね。まあそう言わずに話だけでも聞いてくださいよ。お土産にヴァッサーハイムウィスキーの十二年ものを持ってきたんですから」
「詳しく話を聞かせてもらおうかにゃ」
ヤン先輩がウィスキーの瓶を山猫の目の前に掲げると、山猫の細長かった虹彩が瞬時に丸みを帯び、視線は瓶にくぎ付けになった。山猫は先輩から瓶を受け取ると、一転して僕たちを部屋へと迎え入れた。
山猫の家は、アリステ魔術やギャスパー魔術など様々な魔術体系の祭壇があちこちに設置され、何かの術式が組まれているらしい魔法陣が至る所に散らばっていた。うっかり魔法陣を踏んでしまうと何かの術式が発動しそうで、僕は足元に細心の注意を払いながら歩いた。
「さて、まずは自己紹介するにゃ。あたしは《山猫》。フリーの魔法技術者にゃ」
祭壇や何かに埋もれるようにしつらえられたソファに僕たちを座らせると、山猫はそう名乗った。
「久しぶりですね山猫さん。以前同じプロジェクトチームで仕事したことがあるヤン・ピルスナーというものですが、覚えていますか?」
ヤン先輩が問いかけると、山猫は斜め上の方を眺めて思案するそぶりを見せた。
「ヤン君? 今まで経験したプロジェクトのメンバーに、ヤン君というのは何人かいたような気がするけど、どのヤン君かにゃ? 六年前の水道局のプロジェクトの時の、酒に酔うとすぐ下半身を露出するヤン君かにゃ?」
「……水道局のプロジェクトには参加してないので、それは別のヤンですね。八年ほど前に、エール商会の会計システムで一緒だったヤンです」
山猫はしばらく考えて、やがて思い出したと見えて、はたと手を打った。
「あーあの、プロジェクト完了の打ち上げの後、あたしに告ってきたヤン君にゃ!」
「違います人違いですそのヤンじゃないです全然違います」
山猫が『告ってきた』という言葉を発した瞬間、ヤン先輩の表情から余裕が消えた。よほど触れてほしくない黒歴史なのだろう。
「間違えました。エール商会の時じゃないです。やっぱり俺、酔うと下半身露出する方のヤンでした。お久しぶりです山猫」
どうやら、過去の告白について触れられるくらいなら、露出癖があると思われた方がマシらしい。
「ふーん。ならそういうことにしてやるにゃ。で、そっちの金髪美女はヤン君の恋人かにゃ?」
山猫はラウラさんに視線を移す。
「違います。エルフシステムソリューションズ開発部のラウラ・ハイネケンです」
ラウラさんは山猫のいたずらっぽい視線に取り合おうともせず、真顔で名刺を渡した。
「いや、プロジェクトマネージャーのラウラにゃんなのは理解した上で、二人が付き合ってるか訊いたんにゃけど、違うのかにゃ。じゃあそっちの男の子とラウラにゃんが付き合ってるのかにゃ?」
突然水を向けられて、僕は戸惑うしかなかった。自分でも顔が熱を帯びていくのがわかる。
「山猫さんいい加減にしてくださいよ。彼らは山猫さんと違って真面目なんですから。彼の名前はクロト・キリシマ。若いのに優秀な期待の新人なんですから、いじめたら承知しませんよ」
「クロト・キリシマ? ふーむ……我が霊感の囁くところによれば、君は東国出身にゃね? 実はあたし、人の出自や来歴を見通す力を持ってるんにゃ」
山猫は急に厳かな口調になってそう言った。
「違います。両親は東国出身ですが、僕はヴァッサーハイムで生まれました」
東国風の名前と黒髪黒眼から東国出身と推論したのだろうが、両親は僕を身ごもる前にマザール王国に移民して来ている。
「ありゃ? まあ、さしもの山猫の神通力もたまには間違えることもあるにゃ」
「はいはい。それよりいい加減、仕事の話をしましょうよ」
いつまでもふざけている山猫を制止し、ヤン先輩が促す。それを合図に、ラウラさんがブリーフケースから資料を取り出し、山猫に示しながら説明を始めた。
ラウラさんの説明は、今回のプロジェクトで開発するシステムに関するもので、僕らは既に知っている内容だった。僕はその話を聞き流しながら、この目の前の、個性の強い猫人族のことを考えていた。
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