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第二章 プロジェクト
要件定義
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「おはよっす。ラウラさん、今日午後からお客様と打ち合わせに行くんだよね」
例によって十時半頃出社したヤン先輩は、席に鞄も置かずいきなりそう切り出した。
「確かにそうですが……その前に今から社内で別の打ち合わせがありますので、いまさらお客様に仕様について確認していただきたいことがあると言われても困りますよ?」
朝一番に言っていただければ対応できたのですが、と皮肉混じりにラウラさんは答えた。
「そういうのじゃないんだ。打ち合わせに、クロトを書記として連れてって欲しいんだ」
「書記、ですか」
ヤン先輩の言い分はこうである。顧客との打ち合わせ後に、話された内容に認識の齟齬がないかの確認のため議事録を作成して共有するのだが、その議事録作成のために、書記がいた方がいいというのだ。打ち合わせの当事者たちはどうしても、相手の質問に対する回答や、「この場で話すべきことで忘れていることはないか」などを考えたりで忙しく、会話の内容を記録することがおろそかになりがちである。記録に専念する人が打ち合わせに同席した方が、書き落としを防げるというのである。
「山猫が来るのは来月からだし、今月の残り数日間は開発チームは本格的な動きをとれない。書記に限らずラウラさんのプロジェクトマネージャーとしての仕事で手伝いが必要な時はクロトに手伝わせることで、こいつに管理者目線でものを考える力を身につけさせたい」
「それには賛成ですが……人のことをどうこう言う前にピルスナーさんにも管理者目線でものを考えられるようになってほしいのですが」
容赦ないラウラさんの言葉に、ヤン先輩は苦笑いで返した。
「あはは。クロトじゃなくて俺が書記しようか?」
「結構です。キリシマさんの方が信用できますので」
ラウラさんはそう言って会話を打ち切り、社内打ち合わせのために席を立った。
とまあ、そんなわけで急遽、僕も顧客との打ち合わせに同席することになった。
顧客であるシュヴァルツ氏の館は、ヴァッサーハイムの正門から中央通りをまっすぐに歩いた突き当り、小高い丘になっている区画の中心にあった。そこでこれからしばらくの間、週二回のペースでシステムについての打ち合わせが行われる。作るべきシステムの細かい仕様を確認したりするためだ。
「私はこの荘園の経営企画室長をしております。ジークフリート・ラインガウと申します」
三つ揃いの黒いスーツを一分の乱れもなく着込み、白髪の目立つ髪をきっちりと撫でつけた、片眼鏡の老紳士がラウラさんと僕に名刺を差し出した。僕らもすかさず名刺を取り出す。このラインガウ氏が、今回のシステムに関する、シュヴァルツ氏側の責任者であるようだった。
「それでは早速、打ち合わせを始めたいと思います。まず最初に私が、というよりシュヴァルツ様が最も重要視しているのは、ケルシュ公爵閣下の治める他の荘園との取引データの送信についてです」
ケルシュ公爵の保有する荘園は、シュヴァルツ氏が代官を務めるこの荘園以外にもたくさんある。そういった他のケルシュ公爵領との取引については、単に仕訳の送信だけでなくもっと細かいデータを送信する必要があるのだという。特に毎月一定の売買を行う契約などが結ばれているときは、契約がいつ結ばれて、いつから有効となり、支払いは何日締めの何日払いなのかなど多岐にわたる項目を既定の形式でデータ化して送信しなければならない。そうやって送信したデータが、取引先の荘園が送信したデータと齟齬があった場合、中央のシステムからエラー情報が送られてくる。エラー情報を受け取ったそれぞれの荘園は、どちらの情報が間違っているのかを確認し、間違っている方が訂正データを送信する。
「領内取引のデータの送信形式は、お手元にご用意いたしました資料のとおりです。見ればわかるように、期間契約の取引と単発の取引で形式が違います。そして同じ資料に中央から送られてくるエラー情報の形式も記載してあります。『送られてくる』と申しましたが、正確には送られてくるのではなく、こちらから取りに行かなければなりません。取りに行く時間は各荘園ごとに決められておりまして、当荘園は十時半からの五分間です」
そんな風に、ラインガウ氏は領内取引についての仕様をこと細かに説明していった。氏は僕の筆記など待ってくれないので、僕は話の要点を書き漏らすまいと必死にペンを動かさなければならなかった。
「こちらから質問したいのは、まず送信しなければならない仕訳および領内取引データの量です。一日あたりの平均件数と、それと想定しうる最大件数ですね。例えばおそらく決算の際は仕訳件数が通常より相当多いでしょうから、そういったピーク時の件数も知りたいです」
ラインガウ氏の説明が一段落すると、ラウラさんは質問した。ラインガウ氏もその質問は想定していたのだろう。そばに控えていた小間使いに目配せすると、小間使いは僕らに資料を配った。仕訳件数は平常時には何件で、決算時は何件であるとか、領内取引は月に何件程度で、うち何件が毎月支払いの発生するものであるかなど、ラウラさんの質問に対する十分な答えがそこには書かれていた。
続いてラウラさんは、用意してきたスケジュール表をラインガウ氏に配布し、予定しているスケジュールと、各工程を何人体制で行うつもりかなどを説明した。
ラインガウ氏は黙って説明を聞いていたが、ひととおりの説明が終わると、スケジュール表の中の「結合テスト」と書かれている部分を指さした。
「この『結合テスト』なんですがね、開始をもう少し前倒しできませんか?」
ラウラさんはしばらく言葉に詰まった。ただでさえ厳しいスケジュールなのに、この上さらに前倒せなんて、と思ったのだろう。そんなラウラさんの心中を察して、ラインガウ氏は「いや分かっております」と言葉を続けた。
「前倒すどころかこのスケジュールでもカツカツなのは分かっております。しかしね、今回のシステムに対して行わなければならない『結合テスト』には二種類あるんですよ。一つはこのシステム全体と、当荘園基幹システムを含めた結合テスト。そしてもう一つはそれらに加えて、さらに公爵閣下の中央システムをも含めた結合テスト。中央のシステム担当からは、前者のテストが終わってからでないと後者は行わせない、と言われています」
中央システムとの結合テストを行うためには、中央のシステム担当も協力しなければならない。中央の担当者にしてみれば、せっかく時間を割いて荘園側のテストに協力しているのに、中央と無関係な荘園内のシステム間の結合不具合でテストに不要な時間がかかったのではたまらない。中央との連絡部分以外にも未テストの箇所があるような、品質の低いシステムを中央に繋ぐな、ということなのだそうだ。結合テストを二種類やらなければならない分、期間を長く取りたいので開始を前倒ししたいということらしい。
「そういうことでしたら、工夫のしようはあると思います。例えば、まず荘園の基幹システムとの結合部分から開発を始め、中央との結合部分は後回しにする。中央に関係する部分以外が完成したら、その部分と基幹システムだけでできるテストは先に行ってしまって、中央システムとの結合部分が完成し次第、なるべく早く中央との結合テストを行えるようにするとか。そういったことができるかどうか、技術者と相談いたします」
そんなわけで、ラウラさんは結合テストのスケジュールを見直すことを約束して、今回の打ち合わせはお開きになった。
例によって十時半頃出社したヤン先輩は、席に鞄も置かずいきなりそう切り出した。
「確かにそうですが……その前に今から社内で別の打ち合わせがありますので、いまさらお客様に仕様について確認していただきたいことがあると言われても困りますよ?」
朝一番に言っていただければ対応できたのですが、と皮肉混じりにラウラさんは答えた。
「そういうのじゃないんだ。打ち合わせに、クロトを書記として連れてって欲しいんだ」
「書記、ですか」
ヤン先輩の言い分はこうである。顧客との打ち合わせ後に、話された内容に認識の齟齬がないかの確認のため議事録を作成して共有するのだが、その議事録作成のために、書記がいた方がいいというのだ。打ち合わせの当事者たちはどうしても、相手の質問に対する回答や、「この場で話すべきことで忘れていることはないか」などを考えたりで忙しく、会話の内容を記録することがおろそかになりがちである。記録に専念する人が打ち合わせに同席した方が、書き落としを防げるというのである。
「山猫が来るのは来月からだし、今月の残り数日間は開発チームは本格的な動きをとれない。書記に限らずラウラさんのプロジェクトマネージャーとしての仕事で手伝いが必要な時はクロトに手伝わせることで、こいつに管理者目線でものを考える力を身につけさせたい」
「それには賛成ですが……人のことをどうこう言う前にピルスナーさんにも管理者目線でものを考えられるようになってほしいのですが」
容赦ないラウラさんの言葉に、ヤン先輩は苦笑いで返した。
「あはは。クロトじゃなくて俺が書記しようか?」
「結構です。キリシマさんの方が信用できますので」
ラウラさんはそう言って会話を打ち切り、社内打ち合わせのために席を立った。
とまあ、そんなわけで急遽、僕も顧客との打ち合わせに同席することになった。
顧客であるシュヴァルツ氏の館は、ヴァッサーハイムの正門から中央通りをまっすぐに歩いた突き当り、小高い丘になっている区画の中心にあった。そこでこれからしばらくの間、週二回のペースでシステムについての打ち合わせが行われる。作るべきシステムの細かい仕様を確認したりするためだ。
「私はこの荘園の経営企画室長をしております。ジークフリート・ラインガウと申します」
三つ揃いの黒いスーツを一分の乱れもなく着込み、白髪の目立つ髪をきっちりと撫でつけた、片眼鏡の老紳士がラウラさんと僕に名刺を差し出した。僕らもすかさず名刺を取り出す。このラインガウ氏が、今回のシステムに関する、シュヴァルツ氏側の責任者であるようだった。
「それでは早速、打ち合わせを始めたいと思います。まず最初に私が、というよりシュヴァルツ様が最も重要視しているのは、ケルシュ公爵閣下の治める他の荘園との取引データの送信についてです」
ケルシュ公爵の保有する荘園は、シュヴァルツ氏が代官を務めるこの荘園以外にもたくさんある。そういった他のケルシュ公爵領との取引については、単に仕訳の送信だけでなくもっと細かいデータを送信する必要があるのだという。特に毎月一定の売買を行う契約などが結ばれているときは、契約がいつ結ばれて、いつから有効となり、支払いは何日締めの何日払いなのかなど多岐にわたる項目を既定の形式でデータ化して送信しなければならない。そうやって送信したデータが、取引先の荘園が送信したデータと齟齬があった場合、中央のシステムからエラー情報が送られてくる。エラー情報を受け取ったそれぞれの荘園は、どちらの情報が間違っているのかを確認し、間違っている方が訂正データを送信する。
「領内取引のデータの送信形式は、お手元にご用意いたしました資料のとおりです。見ればわかるように、期間契約の取引と単発の取引で形式が違います。そして同じ資料に中央から送られてくるエラー情報の形式も記載してあります。『送られてくる』と申しましたが、正確には送られてくるのではなく、こちらから取りに行かなければなりません。取りに行く時間は各荘園ごとに決められておりまして、当荘園は十時半からの五分間です」
そんな風に、ラインガウ氏は領内取引についての仕様をこと細かに説明していった。氏は僕の筆記など待ってくれないので、僕は話の要点を書き漏らすまいと必死にペンを動かさなければならなかった。
「こちらから質問したいのは、まず送信しなければならない仕訳および領内取引データの量です。一日あたりの平均件数と、それと想定しうる最大件数ですね。例えばおそらく決算の際は仕訳件数が通常より相当多いでしょうから、そういったピーク時の件数も知りたいです」
ラインガウ氏の説明が一段落すると、ラウラさんは質問した。ラインガウ氏もその質問は想定していたのだろう。そばに控えていた小間使いに目配せすると、小間使いは僕らに資料を配った。仕訳件数は平常時には何件で、決算時は何件であるとか、領内取引は月に何件程度で、うち何件が毎月支払いの発生するものであるかなど、ラウラさんの質問に対する十分な答えがそこには書かれていた。
続いてラウラさんは、用意してきたスケジュール表をラインガウ氏に配布し、予定しているスケジュールと、各工程を何人体制で行うつもりかなどを説明した。
ラインガウ氏は黙って説明を聞いていたが、ひととおりの説明が終わると、スケジュール表の中の「結合テスト」と書かれている部分を指さした。
「この『結合テスト』なんですがね、開始をもう少し前倒しできませんか?」
ラウラさんはしばらく言葉に詰まった。ただでさえ厳しいスケジュールなのに、この上さらに前倒せなんて、と思ったのだろう。そんなラウラさんの心中を察して、ラインガウ氏は「いや分かっております」と言葉を続けた。
「前倒すどころかこのスケジュールでもカツカツなのは分かっております。しかしね、今回のシステムに対して行わなければならない『結合テスト』には二種類あるんですよ。一つはこのシステム全体と、当荘園基幹システムを含めた結合テスト。そしてもう一つはそれらに加えて、さらに公爵閣下の中央システムをも含めた結合テスト。中央のシステム担当からは、前者のテストが終わってからでないと後者は行わせない、と言われています」
中央システムとの結合テストを行うためには、中央のシステム担当も協力しなければならない。中央の担当者にしてみれば、せっかく時間を割いて荘園側のテストに協力しているのに、中央と無関係な荘園内のシステム間の結合不具合でテストに不要な時間がかかったのではたまらない。中央との連絡部分以外にも未テストの箇所があるような、品質の低いシステムを中央に繋ぐな、ということなのだそうだ。結合テストを二種類やらなければならない分、期間を長く取りたいので開始を前倒ししたいということらしい。
「そういうことでしたら、工夫のしようはあると思います。例えば、まず荘園の基幹システムとの結合部分から開発を始め、中央との結合部分は後回しにする。中央に関係する部分以外が完成したら、その部分と基幹システムだけでできるテストは先に行ってしまって、中央システムとの結合部分が完成し次第、なるべく早く中央との結合テストを行えるようにするとか。そういったことができるかどうか、技術者と相談いたします」
そんなわけで、ラウラさんは結合テストのスケジュールを見直すことを約束して、今回の打ち合わせはお開きになった。
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