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yumekix

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第二章 プロジェクト

工数見積もり

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 その日も僕は遅くまで残業していた。
 ラインガウ氏との打ち合わせの議事録作成が、思ったより時間がかかったためだ。
「おい、もうすぐ九時半だぞ」
 僕が作業に集中しすぎて町へ帰れる時間を過ぎそうになると、ヤン先輩が警告してくれるのが習慣になっていた。
「もうそんな時間ですか。では今日はここまでにして帰ります。ただ――」
「なんだ?」
「ラインガウさんとの打ち合わせのたびに細かい仕様が追加されていってますよね。実装しなければいけないものが増えれば当然開発にかかる工数は増えるわけで、その調子で仕様が追加されたら納期に間に合わなくなるんじゃ……」
 僕がかねてから感じていた不安を吐露すると、やはり残業をしていた山猫が口をはさむ。
「ラウラにゃんはお客様の要望を、はいはいと何でも承諾しすぎる傾向があるみたいだにゃあ」
 ヤン先輩が、すかさずラウラさんを弁護する。
「そりゃお客さんの要望をうまく聞き出して、お客さんにとって使いやすいシステムにするための打ち合わせなんですから、ラウラさんの姿勢は間違ってないですよ。本来俺らが、仕様が変わるたびに細かく工数見積もりをやり直して、この仕様にすると工数がこれだけ増えますというのをラインガウさんに提示しなきゃならないんです。それを俺らが忙しさにかまけておろそかにしたから、ラウラさんもラインガウさんも、仕様の追加によってスケジュールに問題は生じないものと認識してしまってるんです」
 その言葉を聞くと、山猫はにっこりと笑った。
「わかってるならさっさと工数を見積れにゃ。うかうかしてるとまた仕様が膨らんでいくから、今から取り掛かった方がいいにゃ」
 どうやら山猫も、仕様が増えていってしまう原因が、それによる工数の増大をラウラさん達が認識していないからであることも、それを防ぐために工数見積もりが必要なことも理解していたようだ。それなのにあえてラウラさんを責めるようなことを言ったのは、『我々が工数を見積もるべき』という言葉をヤン先輩の口から引き出すためだろう。自分で『すべき』と言った手前、ヤン先輩はやらざるを得ない。
「わかりましたよ。年齢的に徹夜は無理ですが、日付が変わるくらいまでやっていきます。山猫も手伝ってくださいよ」
 しぶしぶという感じで、彼は工数見積もりの書かれた文書を取り出し、修正作業に入る。先輩が遅くまで仕事をしようとしているとなると、僕はちょっと帰りづらい。
「……あの、何か僕に手伝えることはありませんか?」
 おそるおそる声をかけると、ヤン先輩は僕を一瞥して、ひらひらと手を振った。
「工数見積もりなんて長年の経験から『この作業はこれくらい』って出すもんだ。経験一年未満の新人さんに手伝えることなんてねえよ。帰れ帰れ」
 おそらくそれは僕を家に帰すための方便という意味合いもあったろうけど、ある面で事実でもあるのだろう。お言葉に甘えて、僕は帰宅することにした。

「ただいまー」
 そう言いながら玄関をくぐり居間のソファに身を横たえると、アカネが自室からこちらへやってきた。
「遅かったねお兄。お疲れー。パパとママはもう寝てるよ」
「そうか。晩ご飯は台所にある鍋を温めればいいの?」
「うん。あたしがやるよ」
 アカネはぱたぱたと台所へ駆けていき、鍋を火にかける。
「いわゆる死の行軍デスマーチってやつになってるの? お兄の仕事」
 火の加減を見ながら、アカネが話しかけてくる。
「門が開いている時間に帰れるうちはデスマーチとは呼べないよ。でも先輩達はまだ会社に残ってせっせと工数見積もりしてるはずだから、デスマーチと言えばデスマーチなのかも」
 デスマーチに明確な定義なんてないけど、夜九時半に退社できるのなら、まだデスマーチではないと思っていた。でも帰れるのは先輩達が僕を守ってくれているからで、十分デスマーチと言えるのかもしれない。
「工数見積もりって、やっぱり三点見積もりで出すの?」
 アカネから急に意外な用語を言われて、僕は面食らった。
 三点見積もりと言うのは、ある仕事にかかる工数を見積もるのに、トラブルなく行けばどれくらいかかるか(楽観値)、さまざまなトラブルがあった場合にどれだけかかるか(悲観値)、そして通常どれだけかかるか(標準値)の三つの数字を出し、その三つから(楽観値+4×標準値+悲観値)÷6などの公式を使って工数を算出する方法だ。単に標準値をそのまま見積もり工数とするよりも、正確に工数を出せる。
「先輩達をみる限り、そこまでしてないな。標準値を出してそれを使ってるっぽい。それより、なんでアカネがそんな言葉知ってるんだよ」
 僕が問うとアカネは「それはね」と何か説明しかけて、一旦口をつぐんでから意味ありげに言った。
「あたしだっていつまでもかけっこだけが取り柄の、何も知らない子供じゃないの。お兄の知らないところでいろいろ、経験したり学んだりしてるんですよーだ」
 あっかんべー。とアカネが舌を出す。
「そうか。確かに、もう社会人になる訳だからなぁ」
 足が速いのだけが取り柄で、男勝りなはす向かいのお姉さんに付き従って野猿のように近所を走り回っていたあのアカネが、社会人として会社づとめをするようになるとは、感慨深いものがある。
「お兄の知らないところで成長して、お兄の知らないところで恋をして、お兄の知らないうちにお嫁に行くんですよ。キリシマさんちのアカネちゃんは」
 アカネは少し寂しそうに、そんなことを呟いた。
「いや、さすがにお嫁には知らないうちに行くなよ。反対はしないから事前に相手を紹介しろ。誰かそういう相手がいるのか?」
「今はいないかな。でもね。お兄は去年まで王都にあるシステム魔法学校の寮に入っていて、帰ってきたと思ったら就職して夜遅くまで会社にいて、完全に自分の都合であっちこっち飛び回っているでしょう? その間、家族は何も変わることなく、未来永劫ずっとお兄にとって居心地のいい居場所であり続けると思ってるでしょう?
 そんな風にお兄が好き勝手してる間に、あたしも変わっていくし、パパやママだって変わっていくってこと」
 要するに、もう少し家族を大切にしろ、ということだろうか。
 確かにこの間、アカネの就職が決まったと聞いた時に、疲れているからと言って詳しい話を聞かなかったのは少し冷淡だったかもしれない。妹がどんな仕事につくかくらい、把握しておくべきだったかもしれない。
「なあアカネ。今度の週末、王都に行かないか? お前が正社員として働き始めたら、もうそんな時間はとれないかもしれない。
 就職祝いにチョコレートを買ってやろう。もちろんパパとママにもお土産に買っていく」
 僕自身の就職が決まった時に一番感じたのは、自分がこれから社会人としてやっていけるかどうかという不安だった。もしもアカネが今、同じような不安を感じているのなら、楽しいところへ連れて行って美味しいものを食べさせてやるのが一番いいと思った。王都までの道中は長時間馬車に揺られることになるから、その間にアカネがどんな会社でどんな仕事をするのか聞いて、お前ならできると言ってやれば、少しは不安も薄らぐだろう。
 だが予想に反して、アカネは渋い顔をした。
「王都に行くってなると泊りがけでしょ? お兄と二人で泊りがけは嫌だなあ」
「二部屋取ればいいだけだろう。そのくらいの金はある」
 僕だって十八歳の妹と同じ部屋に泊まるつもりはない。王都のホテル二部屋にチョコレートに往復の馬車代、合計するとかなりの出費になるが、妹の就職祝いなんだから奮発したって良いだろう。
 アカネは「うーん」としばらく考えた結果、ゆっくりと首を横に振った。
「やっぱりチョコレートは自分の初任給が出た後で、一人で買いに行くよ。毎日遅くまで仕事してるお兄を休日まで疲れさせちゃ悪いし。就職祝いなら『夕焼け亭』のアップルパイでも買ってくれれば十分だからさ、うちでみんなで食べようよ」
 夕焼け亭はヴァッサーハイムの商業地区にあるお菓子屋さんだ。アカネは小さい頃からここのアップルパイが大好物だった。
「わかった。じゃあ、今度の土曜日な」
 週末の予定が決まったところで、ちょうど鍋の煮物が温まったらしく、アカネがお椀に盛り付けて運んできてくれた。
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