ミリしら令嬢 ~乙女ゲームを1ミリも知らない俺が悪役令嬢に転生しました

yumekix

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第一章 幼年期

幼年期の終わり

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「エチェバルリア公爵閣下の息女、リディア閣下!」

 白髭の老人に名前を呼ばれて、リディアは立ち上がった。
 しずしずと祭壇に歩み寄り、女神像と聖女様に一礼する。

(あれ? 王子の場合は礼だったけど、リディアの場合はカーテシー?)

 一瞬迷ったが、数時間前に家族でお祈りに来たとき、司祭様から聖餅を受け取る際はオリビアやマルガリータもカーテシーではなく普通に礼していたのを思い出し、スカートを摘まずお辞儀する。
 そして、祭壇上の水晶玉に手をかざす。
 エルネスト王子の時は手をかざしてからあまり間をおかず宝石が現出していたように感じたが、いざ自分の番となるとずいぶん長く感じる。
 ここで万一、宝石が現出しないようなことがあると、かなり肩身の狭い思いをすることになる。貴族はほぼ全員が魔力を持っており、魔力を持っていれば必ず宝石が現出するのだから。名門エチェバルリア家の当主の娘が魔力を持っていないとなれば、それ自体がかなりの醜聞となる。
 一方で、あまり大きすぎる宝石が出てくるのも厄介なことになる。取りかえ児チェンジリングは尋常でないほどの魔力を持っていることがままあるそうで、異常なほど魔力が強いと取りかえ児だと疑われてしまうのだ。実際、先ほどイグナチオが話していた春の堅信礼では、メリノ公爵息女がとんでもない魔力を保有していると分かって、最初は取りかえ児ではないかと疑われたという。
 祭壇の卓布を固唾を飲んで睨みつけていると、やがて青白い光の魔法陣が浮かび上がってきて、小さな塊がころん、と転がり出てきた。
 聖女ファティマ様がそれをつまみ上げて、参列者たちに向けて掲げる。
 光を受けてキラリと光るそれは、小指の爪ほどの大きさの、ファセットカットされたサファイアだった。

(とりあえず、大きすぎるってことはなさそうだな)

 それを見てリディアは少し安心した。王子の宝石と比べると随分小さいが、かえってそのほうが都合がいい。王子の宝石よりも大きかったりしたら取りかえ児だと疑われるし、それでなくても王子の面目を潰したと思われかねない。
 逆に、一般的な貴族令嬢として小さすぎないかどうかは、他の子女たちの結果を待たないとなんとも言えないが、少なくとも宝石が現出しないという最悪の事態はまぬかれることができた。
 現出したサファイアを指輪職人が指輪の台座に嵌め、リディアに手渡す。それを受け取ったリディアは、聖女様に一礼して席へと戻る。
 あとは他の子女たちが次々に祭壇に進み出て宝石を現出させるのを見守るだけだ。
 幸いなことに、他の子女たちの現出させる宝石は、種類こそトパーズやらアメジストやらと多彩だったが大きさはどれもリディアと大差ないものだった。リディアの魔力量は、貴族階級としてはごく平均的なものらしい。

「グアハルド侯爵閣下の子息、フェルナンド閣下!」

 白ひげの老人がその名を呼んだとき、リディアはなぜか胸が高鳴るのを感じた。
 フェルナンドは前から三列目の一番右に着座していたようで、右側からリディアのすぐ近くを通って祭壇へと歩いていく。
 その、歩調に合わせてさらりと揺れる銀髪を、定規を当てたような綺麗な姿勢を崩さず歩く美しい所作を、方向を変える時にふわりとひるがえる天使の羽めいた燕尾を、リディアはぼんやりと眺めた。
 彼が現出させたのは、リディアのものと大差ない大きさのルビーだった。透き通るような美しい、彼の瞳と同じ色のルビー。
 それを受け取って下がるとき、自然のなりゆきとして彼は後ろを、つまりはリディアのいる方を向く。

 

 フェルナンドと目が合った時、再び心臓が早鐘を打ちはじめた。
 どっどっどっどっどっどっ。理由のわからない動悸にリディアは戸惑う。
 リディアの目の前を通り過ぎる時、彼の歩行が起こした僅かな風がリディアの前髪をそよがせた。その風すら、神の祝福の息吹のように感じる。
 エレナの話だと、『チェンジ☆リングス』のゲーム内では、リディアはフェルナンドを巡ってヒロインと恋のライバル同士なのだそうだ。将来的にそうなるように何らかの力が働いて、フェルナンドにかれはじめているのかもしれない。
 普通に考えたら馬鹿げた話だと思う。リディア本人の自覚としては、自分は今でも脇谷玲司わきやれいじであり、男であるという認識なのだから。脇谷玲司としての一六年の人生の中で一度も男性に対して恋心を抱いたことなどなかったのに、フェルナンドを好きになるなどありえない。
 でも、とリディアは思う。どちらにしても、おそらくは長いであろうこれからの人生を、公爵令嬢リディア・エチェバルリアとして生きていかなければならないことだけは確かだ。自分はこの先、男としての意識を持ったまま女性を好きになるのだろうか。それとも、段々と女の意識になっていって、男性を好きになるのだろうか。
 どちらになるにせよ、きっと深く悩むことになるだろうとリディアは思う。男のままならば身体と心の性別が一致しないことについて、女に変わっていくならば変わっていくこと自体について。
 今までは考えて来なかったけれど、いつまでも目をそらしていられる問題ではない。堅信礼というのはある程度分別のつく年齢になった子どもが、自分の意志で女神への信仰を宣言する儀式だとエレナに聞いた。そうであるならば、これは幼年期の終わりの儀式なのだ。現在のことだけを考えていればいい幼年期は終わりを告げ、今後のこと、恋をしたり、結婚したり、様々な人々と様々な形で交わって生きていかねばならない人生のことを考えなければならない時がやってきたのだ。
 比較的何も考えずに、小さい頃からやってきた野球だけに邁進していた脇谷玲司としての人生でさえ、中学に上がるころにはクラスの女の子に淡い恋心を抱いたり、野球部の友達に彼女ができたと聞いて何だかすごくモヤモヤしたり、色々と悩むことが多くなった。野球のことでさえ、ただ楽しいからやっていたはずなのに、次第にうまくなりたいとか、レギュラーになりたいとか、試合で勝ちたいとか考えるようになり、そういった目標ができるたびに、なかなか上手くいかない現実にイライラした。
 これからの人生、自分はどう生きていくべきなんだろう? そんなことをぼんやり考えているうちに、堅信礼の儀式は幕を閉じた。
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