ミリしら令嬢 ~乙女ゲームを1ミリも知らない俺が悪役令嬢に転生しました

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第二章 聖女の秘密

取りかえ児

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 六年前の、黒鴉智亜くろあちあのエウラリアとしての人生が始まった、あの堅信礼の日。
 大聖堂内の一室で目覚めた彼女が、どうやら自分が異世界に転生したらしいと気づくまでに、しばらくの時間を要した。

(まさかこれって、異世界転生? いやいやそんなネット小説みたいなこと、現実に起こるわけない)

 自分の両親だと名乗る異国風の男女と、イマイチ噛み合わない会話をしながらそんな考えが頭をよぎったけれど、ふとあることに気づいて、智亜は戦慄した。

(ちょっと待って、私、なんかちっちゃくなってない!?)

 智亜はベッドから上体を起こしている自分の身体を眺め、それから見比べるように両親や侍女たちの方を見つめた。この体格差。明らかに自分は、十歳前後かもっと幼い子くらいの大きさに縮んでいる。
 まったく見知らぬ場所で、知らない男女から娘だと思われていて、その上自分の身体まで変わってしまっているとなると、明らかに普通の事態ではない。
 信じがたいことだがやはり異世界転生か、もしくはそれに類する何か不思議な出来事が起こっているとしか考えられない。

「どうしたんだいエウラリア。どこか痛むのかい?」

 娘が自分たちを見ていることに気づいて、父親を名乗る男性は心配そうに智亜に声をかける。

「い、いえ。どこも痛くないです」

 異世界転生なら、騒ぎ立てるのは得策ではない。適当に話を合わせて、何事もなかったように取り繕う方がいい。

「少し……記憶が混乱していました。もう大丈夫です。その……、お父様、お母様」

 両親をなんと呼ぶべきか少し迷って、たしか彼らは公爵夫妻だと言っていたことを思い出して、貴族令嬢らしい呼び方をしてみる。どうやらそれが正解だったようで、二人は安堵したような表情を見せた。

「思い出したなら良かった。立てるかい?」
「――ええ。……たぶん」

 不調がないか身体のあちこちに注意を向けてみて、おおむね健康だと確かめて、エウラリアはそう答えた。
 ベッドから降りようとすると、侍女が急いで駆け寄ってきて手を貸してくれる。

「ああ何事もなくて本当に良かった。さあ、礼拝堂へ行こう。もうすぐ堅信礼が始まるから」

 先程から父が何度か口にしているケンシンレイというのが何なのかわからないが、今日は『お前のケンシンレイだから』大聖堂に来たと言っていたから、子どもが受ける七五三みたいな通過儀礼なんだろう。侍女たちに髪を結ってもらったり上着やアクセサリをつけてもらったりしてから、父母の後をついて歩く。エウラリアの体調を心配してか、侍女が手を握ってくれている。
 廊下を少し歩いてドアを開けると大きな礼拝堂があり、たくさんの人々が集まっていた。みんな、きらびやかな礼装をしている。

「おお、メリノ公爵家のご令嬢だ。急に昏倒なされたと聞いたが、無事に元気になられたか」
「お目を醒まされた直後、何やら意味のわからないうわ言を口になさったとか」
「まさか、取りかえ児チェンジリング?」
「しっ! 声が大きい!」

 礼拝堂の面々が、ざわざわとそんな噂話をしはじめた。声をひそめてこそこそとささやき合っていることから察するに、あまり良いことを言われていないということはわかるのだが、具体的に何を言われているのか理解できない。

(取りかえ児ってなんだろ。なんか聞いたことある気がするけど)

 かすかに何かを思い出しそうになったものの、それ以上考える時間を与えられないまま、礼拝堂の中央部へ進むよう促される。

「エウラリア・メリノ様は、中央部最前列の右から三番目のお席にご着席下さい」

 祭服を着た神父の言うとおりの席まで歩いて行き、着座する。周囲の席は、同じ年ごろの少年少女で埋まっていた。やはりケンシンレイというのは、この年代の子どもが受ける通過儀礼のようだ。
 向かって正面には祭壇があり、その奥には、礼拝堂の大きさと比して相対的に小さく見える扉があった。エウラリアが席について間もなく、その扉が開かれる。
 扉の向こうから現れたのは、ラッパを持った女の子が二人と、長い白髭を生やした老司祭、それに、修道女のような服装の老婆だった。
 その中の、最後に出てきた女性に、智亜は見覚えがあった。

(あれって、『チェンジ☆リングス』に出てきた聖女ファティマ様!? そういえば私エウラリアって呼ばれてるし、もしかして私、あのエウラリアに転生したの?)

 『チェンジ・リングス』は智亜が大好きだった乙女ゲームで、四人のイケメンキャラのどれかを攻略する恋愛ゲームだ。エウラリアは攻略対象の一人ジルベルトの攻略ルートで登場するライバルキャラで、次期聖女様でもある。
 乙女ゲームのライバルキャラに転生するネット小説は多いものの、大抵はもっと意地悪な悪役令嬢に転生するのが普通じゃないだろうか。聖女となるべく異世界に召喚されたり転生するネット小説も多いけれど、その場合の舞台は乙女ゲームの世界とかではなく、純粋に異世界であるケースが多い。乙女ゲームに出てくる次期聖女に転生するのは、ちょっと欲張りすぎというか、属性盛りすぎな気がする。異世界転生だけでも信じられないのに、どうしてそんなことが自分の身に起こっているのか。
 そこまで考えたところで、智亜は先ほど言われた『取りかえ児』という言葉の意味を思い出した。
 『チェンジ☆リングス』の世界で、取りかえ児というのは忌むべき存在だ。攻略キャラの一人フェルナンドのグッドエンドでは、ライバルキャラのリディアが取りかえ児であることが判明し、火あぶりの刑に処される。
 ゲーム内では、取りかえ児とは何なのかについての具体的な説明はないけれど、智亜は取りかえ児とかチェンジリングという言葉について、ネットで調べたことがある。それによるとチェンジリングというのは、幼い赤ん坊が醜い妖精の子どもと取りかえられてしまうという、ちょっと怖い西洋のお伽話だ。
 それを思い出したとき、智亜はあることに気づいてゾワッとした。エウラリアの人格は、さっきまさに黒鴉智亜という別の人格に取りかえられた。つまり取りかえ児とは、自分のような存在のことなのではないだろうか。
 そんなことを考えている間に、ケンシンレイというらしい儀式は始まっていた。最前列の右から順に子どもの名が呼ばれ、その子が祭壇へと進み出て儀式を受ける。
 三番目に位置するエウラリアの順番はすぐにやって来た。エウラリアは前の二人にならって、見よう見真似で祭壇まで歩いて行き、一礼してから水晶玉に手をかざす。
 前の二人の場合だとこの後、小指の爪ほどの大きさの宝石が現出した。
 だがエウラリアが手をかざした後で現出したものは、直径が五センチほどもある、途轍もなく大きな黒真珠だった。白髭の司祭がそれを皆に見えるよう高く掲げたとき、後ろに居並ぶ父兄たちからどよめきが上がった。

「あれほどの巨大な宝石、常人では考えられない魔力の持ち主だぞ」
「そういえば、取りかえ児は往々にして、膨大な魔力を持っていることがあると聞いた」
「先ほどの意味不明なうわ言の噂といい、やはり……」

 はいそうです。と智亜は叫びたかった。エウラリア・メリノは次期聖女となるべき尊いお方でしたが、黒鴉智亜という異なる世界の異分子によって取りかえ児にされてしまいました。そう正直に告白したかった。自分を娘だと信じていたメリノ公爵夫妻は、さぞ悲しむことだろう。

「静粛に」

 聖女ファティマの凛とした声が、堂内を黙らせた。ファティマはさらに言葉を続ける。

「たった今、神託が下りました。この者こそ我が後継者。次代の聖女となるべき存在です。取りかえ児ではありません」

 嘘だ。聖女様は嘘をついている。智亜はそう思った。私がエウラリアでないことくらい、聖女様にはわかるはずだ。私が取りかえ児として火あぶりにされないようにかばってくれているのだ。
 言うまでもなく、嘘は女神教の教えに反する。教主たる聖女様が嘘をつくなどあってはならない。まして、取りかえ児である私を次期聖女だなどと言うのは、この国と女神教を信じる世界中の人々を混乱に導く重大な罪だ。
 自分なんかを庇ってそんな罪を犯してしまったファティマと、自分と取りかえられてしまったエウラリア本人、それに、本当の娘を失ったメリノ公爵夫妻らに、本当に申し訳ない気持ちで、智亜は押しつぶされそうになった。
 その負い目は、この六年間というもの、一時たりとも忘れたことがなかった。
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