ミリしら令嬢 ~乙女ゲームを1ミリも知らない俺が悪役令嬢に転生しました

yumekix

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第三章 王子の秘密

子守唄

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「殿下は、もう少し公女としての自覚を持っていただかないと困ります」
「汚れたら洗えばいい、そう教えてくれたのはルイーゼでしょう?」

 夕食後の自室で、ルイーゼのお小言に涼しい顔で答えるローゼ。ルイーゼはローゼの侍女、というか乳母だ。親代わりとして長年ローゼの面倒をみてきた彼女でも、ローゼが何を考えているのかよくわからないことがある。

「普通の貴婦人は靴を洗ったりしません。あまり突飛な行動をなさると、取り替え児チェンジリングだと思われますよ」

 今までもローゼは公女らしからぬ行動をすることが時々あったが、特に今日の行動は目に余る。取り替え児だと疑われてもおかしくない。

「まあ、取り替え児!? それは困ってしまいますわね。以後気をつけますわ」

 あまり困った感じではなく、落ち着いた感じで言うローゼに、ルイーゼはため息をつく。

「とにかく、ご自分のお立場というものをしっかりわきまえて……」
「わたくしの立場なんて、しっかりとわきまえられるほど確固としたものでないことは、ルイーゼが一番よくご存知なのではなくて?」

 ルイーゼが言い終わるのを待たずに、彼女をまっすぐに見つめてそう言い返すローゼ。その真剣な眼差しにルイーゼは鼻白んだが、ローゼの魅力的な金緑石色の瞳はどれだけ突拍子もないことをしでかすときでもいつも真剣なので、彼女の真意は推し量れない。
 ルイーゼが言葉を失っていると、ローゼはあっさりと話題を変えた。

「ところでその、靴を洗っております時に、エルネスト殿下に怒られてしまったのですけれど……」
「それは当然でございます」

 ルイーゼは触れにくい話題が終わった安堵と、ローゼの奇行を婚約者に見られたという憂慮が同時に襲ってきて複雑な表情になる。

「でも、怒り方に少し違和感があったんですの。実は――」

 ローゼは昼休みにエルネストに言われたことを詳しく話す。

「ね、変でしょう? わたくしの行為がはしたないからというより、手が汚れても洗えば良いという発言の方が我慢ならないみたいに」
「……。まあ、王子殿下にも色々と思うところがあるのでしょう」

 ルイーゼは曖昧に言葉を濁した。エルネストの気持ちは、ぼんやりとだが想像はつく。ルイーゼだってもちろん、彼の出生の秘密は知っている。その後ろ暗い疑惑を覆い隠すために国王が広めた嘘も、それがヴァンダリアの社交界でどのように受け取られているかも把握している。エルネストが母親の名誉を守るために貫き通している血を吐くような努力までは知らないのだが、彼女が知っている限りの情報からでも、エルネストの微妙な立場は十分に察することができる。

「思うところ、ですか? それはどんな?」
「……なんと申しますか、他人から見えるほど盤石な立場ではないのは、なにもローゼ殿下だけではないということです」

 ルイーゼが明言を避けてそう言うと、ローゼはやや不満そうだったが「まあいいですわ」と話を打ち切った。

「じきに消灯時間ですわ。もう寝ましょ」

 ローゼが言うと、ルイーゼは慣れた手付きでローゼの脱衣を手助けする。
 寝間着に着替え終わると、ローゼはすぐにベッドに寝転んだ。

「ねえルイーゼ。子守唄を歌ってくださる?」

 十五歳にもなって、ローゼは時々こうして子供のようにルイーゼに甘える。ローゼが四歳から九歳までの間に起こった出来事のせいで、彼女はルイーゼに依存するようになってしまった。何があっても絶対に味方と言える存在は世界でただ一人なのだから、無理もないことなのかも知れない。そして実の娘を生んですぐに亡くしているルイーゼの方もまた、ローゼのことをついつい甘やかしてしまうことが、事態に拍車をかけている。

「……学園に入ってまで子守唄をおねだりなされるのは、きっとローゼ殿下だけですよ」
「いいじゃない。歌ってくださいな。ほら、あの園丁と野薔薇の唄」

 『園丁と野薔薇』という言葉を聞いた途端、ルイーゼの表情がさっと曇る。

「その唄は、学園では歌いません」
「えーっ。けち」

 ローゼはごろんと寝返りを打って、いたずらっぽい笑顔でルイーゼを見る。ルイーゼは自分の娘が生きていればこんな風に甘えてくれる夜もあったろうか、と感傷的になる。やんごとなき公女ではない自分の子の頼みだったなら、それでなくてもせめて、ここが学園でさえなかったら、子守唄くらい歌ってあげたいのだけれど。

「仕方がありませんね。他の子守唄であれば歌ってさしあげましょう。殿下のお従姉妹いとこの乳母をしていた姉から教わった唄です」
「あの唄がいいですわ。だって、あれはわたくしの唄でしょう?」

 やはりローゼは勘違いをしているのだ。ルイーゼは少し陰鬱な気持ちになる。だがその勘違いを解いてやることもできない。ルイーゼはただ沈黙で答えるしかなかった。
 ルイーゼが何も言ってくれないので、ローゼは不満げに頬を膨らませて言った。

「もう結構です。ルイーゼが歌ってくださらないなら、わたくしが自分で歌いますわ」

 ローゼは低く小さな声で、あの唄を紡ぎ出す。

「君よ知るや その庭の奥
 ひそやかに咲く 野生の薔薇を
 姫様を守る 兵のように
 左右を固める 棘鋭き枝
 はさみ持つ園丁は 野薔薇の姫を摘み取ろうとする」

 おやめください。聞こえないくらいの小さな声でそう言って、ルイーゼは就寝の準備をはじめる。ローゼのベッドのすぐそばのランプ一つを残して、他の明かりを消していく。
 この唄を聴くと、否応なく思い出してしまう。
 ローゼンブルク公子だったフェルディナント、のちのローゼンブルク公フェルディナント二世と同い年だったルイーゼが、公子に随行して共に留学生としてこの学園にやってきたあの頃のことを。
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