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本編
【8】ボックス席とVIPルーム / 相川湊
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フロアの奥にあるボックス席は、小ぶりなテーブルを挟んで黒いベンチシートが向い合せになっていた。
テーブルが小さく足元に空間が広くなっているのは、ここでKneelの姿勢が取りやすいようにだろうか。
分厚いカーテンを閉めると、閉鎖的な空間が出来上がった。
ここは本来ならDomとSubがプレイをする場所だということを思い出して、身体がゾクっとする。
こんな狭いところで店長さんと二人っきりになれたら。店長さんにGlareを浴びせられて、Commandを与えられたら、それはどんなに素敵だろうか。店長さんにKneelのCommandをもらって、足元に跪いてみたいな。
身体の奥にともりかけた欲望の灯を、僕は慌てて打ち消した。
ボックス席に来るまでにフロアを通ったのだけど、フロアではDomの足元に跪いているSubが何人か居た。他人がプレイをしているのをこんなに間近に見たのが初めてだった僕は、ものすごくドキドキしてしまった。
あと、フロアを漂うGlareに、僕はほんの少しだけあてられてしまったのかもしれない。
「湊くんは、店長さんが好きなんだ?」
お互いが席についてすぐ、葉月さんにそう言われて、僕はカルーアミルクが入ったグラスをひっくり返しそうになった。
「あ、あのっ……え、ええぇっ……」
テーブルの上で大きく揺れたグラスを両手で押さえる。
手に少し液体が掛かっただけで、なんとかひっくり返すことは免れた。
「顔、真っ赤」
「は、葉月さんが突然変なことを言うからですよ」
おしぼりで、濡れた手を拭きながら僕は言い返した。
「店長さんのこと、色々教えてあげようか?」
葉月さんにそう言われて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「葉月さんは、このお店に詳しいんですか……?」
「ずっと通ってるからねー」
「そ、そうなんですか……」
もしかして、葉月さんも店長さんのことが好きなんだろうか?
ふと心の中に小さな疑問が浮かび上がる。だから、僕に牽制をしようとしてここに連れ込んだとか……?
小さな疑問はすぐに疑心暗鬼へと変わった。
「葉月さんは……好きな人が居るんですか?」
「え? ああ、いるけれど」
やっぱり。そう思った僕の確信は本人によってすぐに打ち消された。
「私が好きなのは、このお店のオーナーだからね。出没頻度が低すぎて、全く困るわ」
「へ? あ、ああ、そうなんですか?」
肩を竦めてあっけらかんと言う彼女に僕は拍子抜けした。
「おかげでこまめに通うしかないから、うっかり常連になっちゃった」
「そ、そうですか……」
でも、僕も店長さんに会うためなら週に何回でも通ってしまいそうだ。いや、そんなに頻繁に通っていたら僕が好きなのが誰なのか、すぐに色んな人にバレてしまいそうだ。月に何回か程度に留めておこう、と僕は心に決めた。
葉月さんは話し上手で、僕が店長さんのことを本人以外から聞くのはどうなのかと躊躇っているうちに、色んなことを教えてくれた。
フルネームは長冨恭介さん。今年28歳のDom。
このバーの店長さんだけど、オーナーは別にいるから、雇われ店長さんなんだそうだ。
黒髪のあの人は有坂さんと言って、高校・大学と店長さんの同級生だったらしい。
訳あって今は店長さんとパートナーのような関係らしいけれど、実はパートナーではないし、恋人でもないのだと教えてもらった。
店長さんに付き合っている人がいないと知って、僕はホッとしてしまった。
だからといって、僕がお付き合いできるというわけではないのに。
しばらく葉月さんとボックス席でお話をしてからカウンター席に戻ると、カウンター席にはもう誰も居なかった。
有坂さん、帰っちゃったのかな?
不思議に思いながらも、目が店長さんを探してしまう。
「二人とも、帰っちゃったんですかね?」
ボックス席で店長さんのことをずっと話していた僕は、ちょっと気が緩んでいたようだ。
うっかり、思ったことを口に出してしまった。
「あー、VIPルームに移動したのかな」
「VIPルーム?」
聞き返した僕に、葉月さんはバツの悪そうな顔をした。
「……多分、プレイしているんだと思う」
「そう、ですか……」
店長さんと有坂さんは、パートナーでもないし、恋人でもない。
だけど、それはそこに何か特別な感情が一切ないというわけではなかった。
VIPルームは特別な部屋。
そこに消えて行った二人。
この二人の間に何もないなんて、どう考えてもそんなはずはなかった。
僕はまた失恋してしまったようだ。
テーブルが小さく足元に空間が広くなっているのは、ここでKneelの姿勢が取りやすいようにだろうか。
分厚いカーテンを閉めると、閉鎖的な空間が出来上がった。
ここは本来ならDomとSubがプレイをする場所だということを思い出して、身体がゾクっとする。
こんな狭いところで店長さんと二人っきりになれたら。店長さんにGlareを浴びせられて、Commandを与えられたら、それはどんなに素敵だろうか。店長さんにKneelのCommandをもらって、足元に跪いてみたいな。
身体の奥にともりかけた欲望の灯を、僕は慌てて打ち消した。
ボックス席に来るまでにフロアを通ったのだけど、フロアではDomの足元に跪いているSubが何人か居た。他人がプレイをしているのをこんなに間近に見たのが初めてだった僕は、ものすごくドキドキしてしまった。
あと、フロアを漂うGlareに、僕はほんの少しだけあてられてしまったのかもしれない。
「湊くんは、店長さんが好きなんだ?」
お互いが席についてすぐ、葉月さんにそう言われて、僕はカルーアミルクが入ったグラスをひっくり返しそうになった。
「あ、あのっ……え、ええぇっ……」
テーブルの上で大きく揺れたグラスを両手で押さえる。
手に少し液体が掛かっただけで、なんとかひっくり返すことは免れた。
「顔、真っ赤」
「は、葉月さんが突然変なことを言うからですよ」
おしぼりで、濡れた手を拭きながら僕は言い返した。
「店長さんのこと、色々教えてあげようか?」
葉月さんにそう言われて、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
「葉月さんは、このお店に詳しいんですか……?」
「ずっと通ってるからねー」
「そ、そうなんですか……」
もしかして、葉月さんも店長さんのことが好きなんだろうか?
ふと心の中に小さな疑問が浮かび上がる。だから、僕に牽制をしようとしてここに連れ込んだとか……?
小さな疑問はすぐに疑心暗鬼へと変わった。
「葉月さんは……好きな人が居るんですか?」
「え? ああ、いるけれど」
やっぱり。そう思った僕の確信は本人によってすぐに打ち消された。
「私が好きなのは、このお店のオーナーだからね。出没頻度が低すぎて、全く困るわ」
「へ? あ、ああ、そうなんですか?」
肩を竦めてあっけらかんと言う彼女に僕は拍子抜けした。
「おかげでこまめに通うしかないから、うっかり常連になっちゃった」
「そ、そうですか……」
でも、僕も店長さんに会うためなら週に何回でも通ってしまいそうだ。いや、そんなに頻繁に通っていたら僕が好きなのが誰なのか、すぐに色んな人にバレてしまいそうだ。月に何回か程度に留めておこう、と僕は心に決めた。
葉月さんは話し上手で、僕が店長さんのことを本人以外から聞くのはどうなのかと躊躇っているうちに、色んなことを教えてくれた。
フルネームは長冨恭介さん。今年28歳のDom。
このバーの店長さんだけど、オーナーは別にいるから、雇われ店長さんなんだそうだ。
黒髪のあの人は有坂さんと言って、高校・大学と店長さんの同級生だったらしい。
訳あって今は店長さんとパートナーのような関係らしいけれど、実はパートナーではないし、恋人でもないのだと教えてもらった。
店長さんに付き合っている人がいないと知って、僕はホッとしてしまった。
だからといって、僕がお付き合いできるというわけではないのに。
しばらく葉月さんとボックス席でお話をしてからカウンター席に戻ると、カウンター席にはもう誰も居なかった。
有坂さん、帰っちゃったのかな?
不思議に思いながらも、目が店長さんを探してしまう。
「二人とも、帰っちゃったんですかね?」
ボックス席で店長さんのことをずっと話していた僕は、ちょっと気が緩んでいたようだ。
うっかり、思ったことを口に出してしまった。
「あー、VIPルームに移動したのかな」
「VIPルーム?」
聞き返した僕に、葉月さんはバツの悪そうな顔をした。
「……多分、プレイしているんだと思う」
「そう、ですか……」
店長さんと有坂さんは、パートナーでもないし、恋人でもない。
だけど、それはそこに何か特別な感情が一切ないというわけではなかった。
VIPルームは特別な部屋。
そこに消えて行った二人。
この二人の間に何もないなんて、どう考えてもそんなはずはなかった。
僕はまた失恋してしまったようだ。
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