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過去篇

ぼくらは恋を自覚する(仮)5-1

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「本当にここでいいんでしょうか?」
 桐岡に指定された建物の前で、昴は慶太のTシャツの裾を掴んだ。

 昨日、桐岡から送られてきたメッセージには、この場所を示す地図と時間だけが記されていた。店名がないことを不審に思わなかったわけではない。ただ、この辺りは何度か桐岡と立ち寄ったことがあったため、行ったことのある店の内のどれかだろうと慶太は特に気には留めていなかった。

 うっかりしたのか、サプライズだったのかはわからないが――
「意外と反省してたんだな、あの人」
 慶太はそう解釈した。
 客引き要素の一切ない、洗練された外観。黒を基調とした店構えは高級感が漂い、近寄り難ささえ感じる。
「ここで間違いないな」
 慶太はもう一度スマホの画面を確認すると、尻込みする昴の手を引いて店内へ足を踏み入れた。



 店は完全個室制で、桐岡が到着していなかったため、慶太と昴は先に六畳ほどの座敷に通された。
 部屋の中心に据えられたテーブルは掘りごたつになっていて、ゆっくりと足を伸ばせる。店員とのやりとりを考え、慶太は下座に座った。隣の座布団をぽんと叩くと、安心した顔で昴が席につく。
 入口と反対側には明り取りの窓があり、中庭の竹林が見える。メイン通りから一本入ったところではあるが、地価の高い繁華街の中とは思えない贅沢な造りだ。

「ここ、高いお店ですよね」
「あー……、いや、余所よそより少し高いけど気兼ねするほどじゃない。ほら」
 メニューを広げ、慶太は金額を指差した。

 確かに、この店は客単価が高い。が、それはどちらかというと、食事というよりは酒によるものだ。この店のオーナーは酒好きらしく、希少性の高い酒を多く扱っている。そのため、飲む人間にとっては高くつく店だが、未成年である昴にとっては大した影響はない。それは、必要性を感じない限り飲酒しない慶太にとっても同じことだ。
 ある意味、桐岡は見栄を張りやすい店を選んだとも言える。

 やっぱりあの人は抜け目ない。慶太は心の中でひっそりと感心し、だったら思う存分食べてやろうと考えた。

「一頭買いしてるとかで、新鮮ないい肉を置いてる。めずらしい部位もあるぞ」
「内臓ですか」
 昴が悩ましい顔をした時、襖が勢いよく開いた。
「間に合ったみたいだな」
 スラックスにワイシャツ姿の桐岡は、二人の手元を確認するとネクタイを緩めた。上座の、昴の正面にどかりと座る。
「お疲れ様です」
「こ、こんばんは……」
「俺は取り合えずビールな。あと、一皿目は特上いっていいぞ」
 ぎこちない態度の昴に、桐岡は歯を見せて笑った。



「明日、昴の家に行く? 度胸あるなお前」
 タン塩を網に乗せた桐岡は、手を止めて慶太を見た。脂が溶け、ジリジリと縁の方から焼けていく。慶太は桐岡が肉を上げるのを待ってから応えた。
「ただ単に友人として挨拶に行くのに、なんの度胸がいるんですか。普通でしょう。このくらい」
「そうか?」
 煙越しに桐岡が問いかけると、肉を頬張ったばかりの昴は小さく何度も首を振った。自分が話しかけられるとは思っていなかったのだろう。ちょこまかした動きがリスのようで、その微笑ましさに慶太は目を細めた。

「昴は違うって言ってるけど」
「迷惑だったか?」
 慶太が眉をひそめると、誤解を解こうと、昴は慌てて烏龍茶で食べ物を流し込んだ。
「違っ……あの、そうじゃなくて。その、わざわざうちに来てくれるというのが普通じゃなくて、すごいことだって」
「昴の両親の立場からすると当然なんだよ。大切な子供がどんな人間と付き合ってるのか、知っておきたいのが親心だ。外泊するほどの中なら尚更な」
 慶太に背中をさすられ、昴はゆっくりと頷いた。

「親としちゃ有難い話だが、珍しいと思うぞ。本当に、慶太は真面目だよな」
 日本酒をあおり、桐岡は深々と息を吐いた。呆れたような、感心したかのような言い方だった。
「真面目で困ることはありませんよ」
「そのうえ、お前は融通が利かないわけじゃないしな。強いわ」
「大人になったら多少の狡さは身に付けるもんでしょ」
 箸を置いた慶太がいたずらっぽい笑みを浮かべる。

 昴は二人を複雑な心境で眺めていた。
 桐岡と話す時の慶太は、自分と話す時よりも砕けている。羨ましいような憎らしいような感情が湧き上がってくる。
 慶太も桐岡も、昴を置いてけぼりにするような話し方はしていない。桐岡は気さくで、自分に対して気を遣ってくれているのがよくわかる。

 楽しくて、おいしい。だけど。
 つい慶太のシャツを摘まみたくなって、昴は自分の右手をつねった。
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