聖者の漆黒

中岡いち

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第四部「回帰」第1話

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 すずしくなる時間。
 かたむいたの光が本殿に直接差し込む。
 周囲を包み始めた影が強い。
 風は弱いが、それでも急激に下がった空気を祭壇さいだん前へと運んでいた。
 御陵院ごりょういん神社に呼ばれたのは楢見崎由紀恵ならみざきゆきえだったが、訪れていたのは娘の沙智子さちこ
「娘の西沙せいさの所に依頼をされたのは……貴女あなた様とうかがっておりますが…………」
 本祭壇ほんさいだんに背を向け、そう切り出したのはさきだった。その横で巫女みこ姿の綾芽あやめ涼沙りょうさがそれぞれ正座をしている光景が少なからず威圧感いあつかんかもし出すのか、沙智子さちこの表情はずっと固く、わずかに下を向いたまま。三人との距離もある。薄暗いせいもあってかその表情も汲み取りにくい。
 もちろんさきもその緊張感を感じていないわけではない。同時に決して責め立てようとするつもりはなかったが、さきの中で西沙せいさの存在がくすぶっているためか、その口調にはどこか気持ちの乱れもあったのだろう。
ことは単純ではありませんが、しかしながら、やはり楢見崎ならみざき様にも〝真実〟を知っておいて頂く必要はあるでしょう。本日お越し頂いたのはそのためです」
 さきの続けたその言葉に、沙智子さちこもやっと口を開き始める。
「……いかにも…………西沙せいさ様に依頼をさせて頂いたのは私です」
「改めて……その訳をお聞きしても?」
 やはりさきは自分の声色こわいろあせりをにじませていた。
 気持ちがザワつく。

 ──……まただ…………また、私は西沙せいさを恐れている…………

 その気持ちの不安定さが、ついさきに言葉を急がせていた。
「確かに楢見崎ならみざき家の方々のあずかり知らぬところで、我々われわれ御陵院ごりょういん家は皆様を守り続けて参りました…………それは今に始まったことではありません…………数百年の長い年月────」
「────ええ…………」
 意外にも、沙智子さちこの小さな声がさきの言葉をさえぎる。
「存じておりました」
 その言葉に、さきの横の綾芽あやめ涼沙りょうさが顔を上げていた。

 ──……馬鹿ばかな…………

 反射的にそんな言葉がさきの頭に浮かぶ。
 誰も知っているはずがない。知っているのは御陵院ごりょういん家を継承けいしょうする人間だけ。

 ──…………しかし…………なぜだ…………

 突然、さきの中で疑問が湧いた。

 ──……どうして楢見崎ならみざき家は知らない?

 沙智子さちこの言葉が続く。
「母は知りませんでした。私が〝御簾世みすよ様〟から…………夢で────」
「夢? どうしてその名を…………」
 思わずさえぎっていたさき顳顬こめかみを、汗が一筋流れ落ちた。
 そしてやっとさきは気が付く。

 ──…………赤い目…………

 沙智子さちこの〝赤い目〟が怪しくそのまぶたの下に浮かんでいた。
 そして思い出す。
 御陵院ごりょういん家で言い伝えられてきた歴史。その大きな起点となった事柄ことがらの中心人物。

 ──…………御簾世みすよは…………赤い目だった…………

 ──……この〝圧力〟は…………

 さき沙智子さちこの間を、生ぬるい空気がゆっくりと流れていく。
御簾世みすよ様が……西沙せいさ様を頼れと…………西沙せいさ様でなければ…………〝のろい〟は終わらせられないと…………」
 その沙智子さちこの言葉から、静寂せいじゃくが生まれた。
 祭壇さいだん松明たいまつが音を立てて小さく崩れる。火のが天井に舞い上がると影に包まれそうな本殿を明るく照らした。
 その中で、沙智子さちこの赤い目が光る。
 綾芽あやめ涼沙りょうさからは、それは妖艶ようえんさを宿やどしているようにしか見えなかった。
 二人にとって、西沙せいさは一番下の妹でありながら、同時に〝おそれる〟べき存在。お互いに、認めながらも認めたくなどない現実。例え神社から追い出したとしても、西沙せいさが神社を継承けいしょうすることがないとしても、今現在で一番の脅威きょういであることには変わらない。
 だからこそ、御陵院ごりょういん家ではなく〝西沙せいさでなければ〟というのは納得するわけにはいかなかった。二人にとって到底とうてい許すことの出来る言葉ではない。
 涼沙りょうさが隣で唇を噛み締めているのを、綾芽あやめは感じていた。

 ──……ここに……なぜ西沙せいさはいない…………?

 しばしのけて言葉を繋いだのは、再び沙智子さちこ
「〝のろい〟の根源こんげんは知りません……誰ののろいなのか……何ののろいなのか…………どうして楢見崎ならみざき家がこんな〝ごう〟を背負わされているのか…………私にはどうでもいい…………息子を守りたいだけです…………皆様は我々を守ってきたとおっしゃいますが…………この神社が守ってきたのは楢見崎ならみざきですか? それとも〝のろい〟ですか⁉︎」
 さきでさえ、何も応えられなかった。もはや、この状況を整理することすら難しく感じる自分に苛立いらだつだけ。
 しかし、沙智子さちこの言葉は続く。
「……だとしたら……私はこの神社をうらみます…………」
 そして、再びの静寂せいじゃくが空気に広がる。
 それは誰にも止められるものではない。

 その数時間前。
 楢見崎ならみざき家にいたのは、西沙せいさだった。


      ☆


 綾芽あやめ楢見崎ならみざき家を訪れた翌日。
 由紀恵ゆきえ沙智子さちこに頼んで西沙せいさに連絡を取っていた。
 来客用の座敷には西沙せいさ由紀恵ゆきえだけ。意外にも西沙せいさはしばらく待たされた。来てすぐに出されたお茶がほとんど無くなるほど。
 由紀恵ゆきえの中にも、呼び出しておきながら気持ちが安定していないような乱れがあった。もはや誰を信じたらいいのかも分からない。昨日突然やってきた巫女みこから聞かされた話は、ただ混乱を増しただけ。
 実際に西沙せいさの前に腰を降ろしてからも落ち着かない。どう話を切り出せばいいのかも定まっていなかった。
 しかし西沙せいさの中では少しずつバラバラだったものが繋がり始めていた。ここへ来た時から感じる綾芽あやめの〝痕跡こんせき〟。それがさらに西沙せいさの中の確信を強めていく。
「私の姉は〝楢見崎ならみざき家を守ってきた〟と言ってたんですよね」
 綾芽あやめが現場に残していた感情を読み取りながらの西沙せいさの言葉はもはや自信に満ちていた。
「私の知る限り、それはうそではないようです」
 西沙せいさはそう続けながら、不安に包まれながらたたみに落ちる由紀恵ゆきえの目を見続ける。
 事実として、さきがそのためにホスピスに関わっていたことに確信を持っていた。御陵院ごりょういんみずからが〝守ってきた〟と言っている以上、さきがあの事件の中の楢見崎ならみざき家の〝血〟の存在に気が付いていなかったわけがない。
 しかし、守りきれなかった。
 西沙せいさは小さく震える由紀恵ゆきえの唇に気が付きながらも、えて言葉を続ける。
 しかも、その言葉は柔らかい。
「……由紀恵ゆきえさん……霊能力者なんて言うと怪しい職業だと思われるかもしれませんけど、私は小さい頃からかんだけはするどい子供でした。普通の人が思うような幽霊が見えるとかそういうことじゃなくて、他人の感情が分かってしまうんです。今、何を考えているか……手に取るように……それと同時に、その人の過去も…………」
 由紀恵ゆきえが目を見開いた。
 まぶたと共に瞳孔どうこうが震えているのでさえ西沙せいさには感じられた。
 続く西沙せいさの言葉は、由紀恵ゆきえの感情も揺らしていく。
「おかしな体質でしょ。普通の人生なんか歩けなかった…………だから……この間お邪魔した時に……分かりましたよ…………例え過ぎたことでも、過去は消えない……変えられるものじゃない…………この家の女性は……長女を出産した時に総てを先代せんだいから〝継承けいしょう〟するはずです。自分のしたことと、これから自分がしなければいけないこと…………」
 由紀恵ゆきえの肩が震え始めていた。

 ──……美由紀みゆきのお陰で……やっと辿たどり着けたよ…………

 そう思う西沙せいさの中で、それでも決して気持ちのよくない〝真実〟がまとまる。
 かすかにれかける声にならない由紀恵ゆきえの声を、西沙せいさ容赦無ようしゃなさえぎった。
「……由紀恵ゆきえさんも無意識の内に…………まるで何かに取りかれたように…………

 ──…………やめて…………

「そしてその遺体は先代せんだいが処理する。広い敷地ですものね。大きな焼却炉しょうきゃくろと専用の埋葬まいそう場所があるはず。やがては沙智子さちこさんの息子さんも、何かに取りかれたような沙智子さちこさん自身が、それを由紀恵ゆきえさんが────」
「────やめてっ‼︎」
 由紀恵ゆきえの甲高い声が、座敷に流れる空気を切り裂いた。
 記憶に無い殺人。長女を産んだ直後にそれを聞かされた過去。ずっと信じたくなかった過去。自分には自覚など無いまま。それでも、自分の娘が殺人を犯すところを見ることで、それを母として実感せざるを得なくなると教えられた。
 そして、その孫を自らが〝処理〟することになる。やがてやってくるその現実。それもまた変えられるものではないと聞かされた。
 気持ちのどこかで〝うそだ〟と思っていた楢見崎ならみざき家の〝ごと〟を赤の他人から改めて突きつけられ、由紀恵ゆきえの感情は完全に理性を失う。
 それでも西沙せいさは動じない。

 ──……美由紀みゆきには……こんな気持ちを味合わせたくない…………

 そして、言葉をつむいだ。
「長男は最初から出生届けを出していない……だから死亡届けも出す必要がない……名前も先代せんだいが決める仕来たりだから、いつも同じ……愛着を感じないように……せいぜいが時代とともに何度か変えてきた程度。戸籍こせき上は存在しない子供だから……死んでも警察から疑われることはない。その役目も母親ではなく先代せんだいの母……由紀恵ゆきえさんも出生届けを提出してきたことにですよね。さいわいにも楢見崎ならみざき家の女性は過剰に守られてきた。お陰で学生の頃の友達なんか一人もいない。社会を知らない内に結婚。長男がいたことすら知っているのは婿養子むこようしの実家だけ。でも一年もせずに亡くなれば愛着も少ない。後は形だけの葬儀をすれば誤魔化ごまかせる。お寺にお金を払って、理由は何とでも作れるはず……流産した子供のものとでも言えばいい。しかも婿養子むこようしの実家は離れた土地の地主レベルの家柄だけ。三男以降の外孫そとまごになんか興味の薄そうな家ばかり…………だから婿養子むこようしに長男や次男は避けられてきた」
 由紀恵ゆきえたたみに両手を付く。その振動が西沙せいさの座布団にまで伝わる。
 丸まった背中を大きく震わせ、由紀恵ゆきえかすかにあふれる小さな声を押し殺した。
 つむがれる西沙せいさの声を待つだけ。
「そしてもう一つ…………それは、三人目以降の子供が産まれた場合…………」
 由紀恵ゆきえがわずかに頭を上げかけ、西沙せいさの言葉が続く。
「すぐに養子に出されてきた…………そうしなければもっと恐ろしい〝のろい〟が降り掛かると継承けいしょうされてきたはず…………その人たちを守ってきたのが御陵院ごりょういん家です。これは私も知りませんでした。そして何の因果いんがか……私は去年…………その数名と関わりを持ちました。他にもいるのかもしれませんけど…………そしてまだ分からないこと……由紀恵ゆきえさんの頭の中をのぞいても見えないのは、なぜ御陵院ごりょういん家が楢見崎ならみざき家の〝血〟を守ってきたのか────そもそもの〝のろい〟の根源こんげんは何か…………」
 由紀恵ゆきえが、頭を少しだけ上げた。
 西沙せいさの言葉を待つ。
「……御陵院ごりょういん神社に……何か秘密があるはずです」
 そして、やっと、由紀恵ゆきえが小さく言葉をらした。
 視線はまだたたみへ落ちたまま。
「…………どうすれば…………」
 西沙せいさはすぐに返していた。
「私も御陵院ごりょういんの人間です……追い出されていなければ、昨日の姉のように継承けいしょうしていたことでしょうね。そして、私もいつの間にか関わっていたわけです。しかし私はその〝かせ〟から外された。それなのになぜかここにいる。そこに意味がないと考えるほうが不自然です。しかも、沙智子さちこさんのほうから私の所にやってきた…………夢に現れた巫女みこの言葉に従ってね。その巫女みこが誰なのか、昨日やっと分かりましたよ…………私だけじゃ分からなかった…………」
 由紀恵ゆきえれたまぶたを持ち上げるように顔を上げ、その目を西沙せいさに向ける。
 震える唇が動いた。
「……本当に…………のろいを…………」
 幼い頃から続いていた、張り詰めた緊張感の中での人生。それが楢見崎ならみざき家の人間の人生だった。そして長女を産んだ直後に聞かされる〝仕来しきたり〟。そのくさりのようなものに縛り付けられ、どこにも逃げ道がなくなる。
 目の前に座る小さな霊能力者が、唯一ゆいいつの希望。
「…………終わらせられるのですか…………」
「私から質問させて由紀恵ゆきえさん…………私は強制はしない。いつでも決めるのは本人…………沙智子さちこさんに秘密にしたまま〝のろい〟を〝継承けいしょう〟するか…………総てを話して〝のろい〟を終わらせるか…………私なら……沙智子さちこさんの記憶を消すことも出来る…………」
 そしてその西沙せいさに対して、由紀恵ゆきえはその力強い〝目〟で応えているかのようだった。
 間違いなく、覚悟を持った〝目〟。

 それから数十分。
 沙智子さちこが座敷に呼ばれる。
 そしてその数時間後、沙智子さちこ御陵院ごりょういん神社に出向いていた。


      ☆


我々われわれ御陵院ごりょういん家は……楢見崎ならみざき家の〝血〟を守って参りました…………」
 さき沙智子さちこに言葉を返し始めた。
「それは沙智子さちこ様でもあずかり知らぬ〝血〟です。長女の後に……産まれた子供たちの存在をご存知ですか?」
 そのさきの言葉に、沙智子さちこは震える唇を噛み締める。
 数時間前に母の由紀恵ゆきえから聞かされた真実。
 それを改めて確認することがこれほどつらいとは自分でも思ってはいなかった。しかし沙智子さちこみずか御陵院ごりょういん神社にやってきた。それは西沙せいさの希望でもあったが、沙智子さちこは自分が御簾世みすよに選ばれた身であることを自覚したからこそ、だからこそ自分で選択した。

 ──…………これ以上、母を苦しめるわけにはいかない…………

 ──……私が終わらせる…………

 ──……………………絶対に…………

 何かにさえぎられているのか、その沙智子さちこの気持ちを読めないまま、さきが言葉を繋ぐ。
「皆……養子に出されています…………そうしなければもっと恐ろしい〝のろい〟がり掛かると言われてきました…………だから我々われわれは────」

 突然の、音。

 その音に、さきの言葉はさえぎられた。
 祭壇さいだん横の板戸いたどが開け放たれた音。
 綾芽あやめも、涼沙りょうさも、さきでさえ予想することすら出来てはいなかった。
 三人がゆっくりと首を回した視線の先。
 そこには、いるはずのない、西沙せいさの姿。
「見せてもらったよ。〝うら〟で」
 その西沙せいさの言葉に、涼沙りょうさが立ち上がって叫んでいた。
西沙せいさ! 勝手に────!」
「気が付かない姉さんが甘いんでしょ? 私の〝幻惑げんわく〟にまただまされて。沙智子さちこさんと一緒に来てたけど、存在を消すなんて簡単なこと」
 西沙せいさの強い〝目〟が涼沙りょうさおびえる〝目〟をとらえる。
 その目に対する〝おそれ〟は、涼沙りょうさだけではなく綾芽あやめも、もちろんさきも知っていること。
 涼沙りょうさも、怖かった。さきとは違い、自分と綾芽あやめは操られる立場。何度も経験し、西沙せいさと目を合わせることをけてきた。幼い頃から。改めて西沙せいさと目を合わせることの意味を感じる。

 ──……〝もの〟…………

 背中に冷たいものが走った。
 その涼沙りょうさが目線を外したことを確認するかのように、口を開いたのはさきだった。
「……西沙せいさ…………」
 さきは小さく息をき、正面に顔を戻して続ける。
「いつからいたのかは問いません。何を見ました? 準祭壇じゅんさいだんで…………」
準祭壇じゅんさいだん?」
 西沙せいさの口元に、小さく笑みが浮かぶ。
 横目でそれを見ていたのは綾芽あやめ

 ──……辿たどり着いたのか…………

 西沙せいさが〝真実〟に行き着いたことを感じた。
 それは、さきでも知らないこと。もちろん綾芽あやめ涼沙りょうさも知らない。
 誰も辿たどり着けなかった。
 〝のろい〟の〝真実〟。
 御陵院ごりょういん家も理由を知らずに仕来しきたりに従ってきた。
 なぜ楢見崎ならみざきの血を守らなければならないのか。
 歴史の中に隠されてきたものが何か。
 そして、どうして〝のろい〟が続いているのか。
「あれは〝準祭壇じゅんさいだん〟なんかじゃない」
 その西沙せいさの声が一段と強くなった。
「あれこそ、御陵院ごりょういん神社の〝本祭壇ほんさいだん〟だ」
 綾芽あやめの細い目が開く。
 涼沙りょうさは動けないまま。
 さきは冷静を保とうとしてか、沙智子さちこの〝赤い目〟を見続ける。
 その空気の中で西沙せいさだけが言葉を繋いだ。
密儀みつぎのための祭壇さいだん? その側面そくめんの裏の意味は……お母さんでも知らないはず…………ここを建て替えた時から準祭壇じゅんさいだんの〝松明たいまつの火〟はやしてはならないと言われてきた。それは御陵院ごりょういん神社のしん祭壇さいだんである準祭壇じゅんさいだん楢見崎ならみざき家に掛けられた〝のろい〟を押さえつけているから。材料をき集めてやっと見えた…………準祭壇じゅんさいだんと言われながらも本祭壇ほんさいだんよりも大事に扱われてきた場所の本当の姿…………御陵院ごりょういん神社を清国会しんこくかいに参加させた伝説の人…………長女の麻紀世まきよと、それに対立して追い出された三女の御簾世みすよ。その御簾世みすよが嫁に入ったのが楢見崎ならみざき家。そのくらいはお母さんでも知ってるんでしょ?」
「総て、見えたと?」
 意外にもさきの返答は早い。
「見えたよ」
 西沙せいさおくさずに応えると、板間いたまを進め、沙智子さちこの隣へ。
 あぐらをかいて腰を降ろすが、そのひざはゴスロリのスカートですぐに隠れた。いつもなら涼沙りょうさがその態度をとがめるところだが、もはや誰も何も言えないまま、次の西沙せいさの言葉を待った。
 外は薄闇うすやみを越え、もはや漆黒しっこく
 厚い雲にさえぎられてか月明かりもない。
 本殿の中を照らすのは祭壇さいだん松明たいまつの揺れる灯火ともしびだけ。
 時折、火のが風に舞う。小さな光のつぶが塊となって照らし出したのは西沙せいさの表情だけ。
「つまり、両家は親戚しんせき同士。そして、麻紀世まきよ御簾世みすよの間に挟まれてた次女が母親を殺して自害じがいしたことは? 清国会しんこくかいに入りたい麻紀世まきよとそれに反対した御簾世みすよの間で相当なドロドロしたせめぎ合いがあったみたいだよ…………そしてそのきっかけとなった〝清国会しんこくかい〟を御簾世みすようらんだ。自分を追い出してまで御陵院ごりょういん神社を継承けいしょうした麻紀世まきようらんだ。やがて二人は……〝のろい〟を掛け合った…………お互いの血筋ちすじやすため…………」
「〝風鈴ふうりんやかた〟とは…………」
 さき自身、無意識の内に口を開いていた。
 さきも真実を知りたかった。
 それに、まるで待っていたかのように西沙せいさが返していく。
「そうだよね……とりあえず楢見崎ならみざき家と一緒に守るべき対象だったんでしょ? 誰も住まなくなった大きな屋敷の管理をしてまで……仕来しきたりは文献ぶんけんみたいな形で残されてるわけじゃない。伝聞でんぶんだけ。そして理由までは伝えられていない。あそこの大量の風鈴ふうりん…………同じ物が楢見崎ならみざき家に何個も下がってた…………」
 沙智子さちこが首を振って西沙せいさの横顔を見るが、西沙せいさは構わずに続けた。
魔除まよけのためって昔から言われてたみたいだけど、どうやらそれはうそじゃないね。風鈴ふうりんに付いてる丸いマーク…………あれはここの準祭壇じゅんさいだん燭台しょくだいに付いてるマークと同じ。あまりにさりげなくて私もどこで見たものかすぐには思い出せなかったよ。おそらくは魔除まよけの〝ねん〟みたいなものを込めたものなんだろうね。そんな風鈴ふうりんが、あの屋敷には無数に下げられてる…………よほど……怖かったのか…………あの屋敷が〝風鈴ふうりんやかた〟になる顛末てんまつを聞いてもらう前に、もう一つ大事なことがある」
 西沙せいささきの顔が少しだけ上がるのを確認し、さらに繋ぐ。
「それまで誰も存在を見付けられなかったあの屋敷が、現在は世間の目にさらされてる。もちろん簡単に見付けられなくなってるのはここの準祭壇じゅんさいだんの力。でも誰かがを作り出した。そして屋敷が最初に見付かったのがおよそ一年前。沙智子さちこさんの〝目〟の色が変わった頃と同じ…………そして、それは御簾世みすよと同じ赤と茶色のオッドアイ…………その御簾世みすよ沙智子さちこさんを経由して私に助けを求めた…………恐ろしい話だよ…………今まで見えなかったものが、ここの準祭壇じゅんさいだんの前に座っただけで総て見えた…………そして、見せてくれたのは…………麻紀世まきよ…………」
「過去が……関与かんよしたとでも…………?」
 さきの言葉はあくまで確認作業のようなものだった。さきの能力的に、過去と繋がることの出来る西沙せいさの感覚は理解出来る。西沙せいさが過去の人間や〝時〟と接触したからとて驚くにはあたいしない。
 しかしことの|問題は、西沙せいさが何を求めているか。それをさきは引き出したかった。
「もしも過去を変えることが出来るとしたら…………」
 そう言った西沙せいさの言葉が続く。
「…………お母さんは……変える?」
西沙せいさ……その考えは…………」
「あくまで一般論だよ。もしも……もしも変えることが出来たら…………〝今〟はどうなっちゃうのかな…………」
 西沙せいさの中に、自らの人生が渦巻うずまいた。

 ──……御陵院ごりょういんの歴史を変えたら…………私の人生は…………

 どうしたいのか、どうなって欲しいのか、それを口にすることは西沙せいさ自身怖かった。
 ただ、今とは間違いなく違うものになる。
 そして、まるでつぶやくような西沙せいさの言葉が続く。
「……それを……実現出来る人がいる…………」


      ☆


 亥蘇世いすよを感じる。
 最近になって、やけに亥蘇世いすよの存在を感じることが増えた。
 麻紀世まきよは布団に横になるたびにそう感じていた。
 全身に広がる火傷やけどを起点としてなのか、それから体調を崩し、横になることが増えた麻紀世まきよとて、その感覚まではまだおとろえてはいない。しかしながら、麻紀世まきよもすでに六十近く。養子の憂紀世うきよに当主の座をゆずって十年程が経っていた。その憂紀世うきよ婿養子むこようしを迎え入れて、今ではすでにその子供達も長男が一人。長女と次女。神社そのものは継承けいしょうしていく事が出来ている。
 しかし、もちろんしん御陵院ごりょういん血筋ちすじ御簾世みすよち切られたまま。
 今もそれは楢見崎ならみざき家にある。

 ──……おかしなものだな…………

 楢見崎ならみざき家の血筋ちすじち切るということは、今や御陵院ごりょういん家の血をつということ。
 しかもそれは御簾世みすよはばまれたまま。
 麻紀世まきよの作り出した〝のろい〟という〝おもい〟は完成されることのないままだった。
 年齢を重ね、当主の座をゆずり、みずからの人生を振り返った時に、やはり浮かぶのは亥蘇世いすよ面影おもかげ

 ──……やはり…………私は亥蘇世いすよを利用したのか…………

 まだは高い時。
 とはいえ、強いはずの日差しは厚い雲にさえぎられている。
 しかも黒い雲。
 それでも雨の匂いはまだ感じられなかった。
 その為もあり、板戸いたど障子しょうじも開け放たれたまま。季節柄ということもあって、すずしくなり始めたゆるやかな風が広いたたみの座敷を流れていく。
 この日は、まだ体調もいい方だった。
 胸もそれほど苦しくはない。
 いつ終わるともしれない命への恐怖は、とうに過ぎた。
 今は、総てを受け入れる覚悟が出来ている。
 しかし、何かが胸の奥に居座る。決してはっきりとは姿を見せない何かが、手の届きそうな所でこちらをのぞき見ている感覚。
 その存在に、時折麻紀世まきよは気持ちを乱されていた。
 そのたびに、亥蘇世いすよを感じる。
 あの頃のように、すぐそばに感じる。

 ──……どうして……今になって…………

 そして、いつも感情がたかぶった。

     〝 ……終わらせましょう………… 〟

 そんな声が麻紀世まきよの頭に浮かぶ。
 それは亥蘇世いすよの声に間違いはない。
 そして、確かにその声は聞こえていた。

     〝 ……二人なら……終わらせられるはず………… 〟

 ──……今更いまさら…………

     〝 ……御陵院ごりょういんの血は……楢見崎ならみざきに………… 〟

 ──…………どうしろと…………

 亥蘇世いすよに触れたかった。
 亥蘇世いすよ吐息といきを感じたかった。

 ──……どうして…………私は亥蘇世いすよを死なせた…………

     〝 ……私は…………うらんではおりませぬ………… 〟

「────うそだっ‼︎」

 その感情の起伏きふくは、麻紀世まきよの本来の力を鈍らせる。
 事実、鳥居とりいに向かって階段を登る人影の存在に気が付かなかった。

 しばらくこの辺りでは雨が降っていない事がうかがえた。
 鳥居とりいへの石の階段までの地面は、すでにかわき切っている。大きくひび割れ、雑草すらも死にえる事を受け入れた土の道。
 その為か、その先にある石の階段すらも水をほっしているように感じられた。
 横に広いかわいた石のその階段に、御簾世みすよは低い下駄げたの音を響かせていく。一段ごとに、体がしびれるような、そんな不思議な感覚が気持ちの中心を通り抜ける。
 もう何十年も登っていなかった石段。目の前の鳥居とりいも以前と変わらずそのたたずまいを見せるだけ。
 ただ、この場所で見続けてきた。これまでの御陵院ごりょういんの歴史の傍観者ぼうかんしゃでしかない。
 この鳥居とりいくぐり、この神社を逃げ出した夜の事を、御簾世みすよは今でも肌に感じる事が出来た。この鳥居とりいは覚えているだろうか、と、ふとそんなおかしな事を考える。
 同時に頭に浮かんだのは、母ではなく亥蘇世いすよ面影おもかげ

 ──……母上の事は……もう顔も忘れかけているというのに…………

 そして、今の自分があの時の母の年齢に近い事を感じた。
 どうするべきか、総ての気持ちが固まった状態で来たわけではない。それでも御簾世みすよ麻紀世まきよに会うべきだと感じていた。
 そして、鳥居とりいの真下。
 特別何かを感じるわけではない。
 麻紀世まきよからの妨害も無い。
 ふと真上を見えげ、すぐに視線を正面へと降ろした。
 足元から続く石畳いしだたみ参道さんどう
 その先には本殿がひかえる。
 新しく建て替えられた建物は、あの頃よりも大きい。
 本殿までの参道さんどうも長くなった。
 その参道さんどうの途中に、人影。
 巫女みこの姿。
 強い風が通っていく。かわいた土煙つちけむりが周囲に舞った。まるでどこかに隠れていたかのような空気の流れ。周囲の木々のざわめきが辺りを包み込む。
 その為か、御簾世みすよの気持ちも震えた。

 ──……なぜに…………こうなった…………

 後悔こうかい無駄むだな事の代名詞であることは御簾世みすよも知っている。振り返っても過去は変わらない。同時に、その後悔こうかいが無ければ未来が無い事も知っていた。
 だからこそ、御簾世みすよはそこにいる。
 はるか先の正面に立つ巫女みこ微動びどうだにしなかった。風に巫女みこ服を揺らすだけ。
 だいぶ距離があるというのに、それでも御簾世みすよにはその表情と感情が見える。
 おびえ、おそれと畏敬いけいが入り混じる。

 ──……御陵院ごりょういんの血では無い…………

 御簾世みすよがゆっくりとを進めた。
 石畳いしだたみの上で下駄げたが甲高い音を立て始め、それが風の音を切り裂いていく。

 ──……操るまでもない…………

 御簾世みすよがそう感じた時、巫女みこが軽く左手を上げた。
「そこにて、しばらく」
 御簾世みすよはその静止に従い、足を止め、前方の巫女みこに赤い目を向けるだけ。
 その巫女みこの言葉が続いた。
楢見崎ならみざき家の御血筋おちすじの方と御見受け致します」
 すると御簾世みすよは軽く視線を落とし、やがて参道さんどう石畳いしだたみから巫女みこへ顔を戻し、小さく応える。
「いかにも……そして…………御陵院ごりょういん家の血筋ちすじ継承者けいしょうしゃでもあります」
御簾世みすよ様ですね」
 意外にも巫女みこの返しは早い。
 しかもすぐに続いた。
「母から伝え聞いておりました…………」
 その言葉にも、御簾世みすよは顔色を変えない。
 母というのが麻紀世まきよの事であろう事はすぐに感じた。
 強い風が二人の間を渡っていく。足元にくすぶ土埃つちぼこりが落ち着く気配も無い。まるできりが立ち込めるような参道さんどうから、巫女みこの足元は隠れたまま。足先の動きから次の体の動きを読むことも出来なかった。
 簡単に入り込めるようなすきはない。

 ──……姉様あねさま……よくぞここまで育てた…………

 例え御陵院ごりょういんの血が入っていなくとも、その立ち振る舞いは決して弱くなかった。
 その巫女みこ────憂紀世うきよが体を軽く回し、横を見せ、そして本殿に顔を向けて口を開く。
「こちらへ」
 そして歩き始めた。
 距離を同じくしたまま、御簾世みすよはその背中に続いた。とてもすきがあるようには思えない。
 言わずとも通じるものがあった。同じ世界の住人だからか、それとも因縁いんねん間柄あいだがらということか。お互いに〝おそれ〟はある。しかしその中には、少なからず〝おそれ〟もある。決して穏やかであるはずがない。
 そんな相手に背中を向ける事の意味は憂紀世うきよでも分かること。しかしそれだけの相手を他に知らなかった。自分が養子である事は義理とはいえ母の麻紀世まきよから聞いていた。自分に御陵院ごりょういんの血は一滴も無い。逆にその事実が自分の気持ちをこれまで押し上げてきた。そして現在の御陵院ごりょういん神社の当主まで登り詰めた。しかし跡取りに御陵院ごりょういんの血を継承けいしょうさせる事は出来ない。その現実も理解したまま。
 自分が求めているものが何か。何か自分でも理解のしがたい感情がある。
 どこか、この流れを待っていた自分がいたのかもしれない。
 そう思いながら、憂紀世うきよが本殿の階段を登った。足袋たびらせながら、広い本殿の中央。一つだけ置かれた厚い座布団に御簾世みすようながす。
「少々、御待ち頂きます……」
 憂紀世うきよはそれだけ言うと、祭壇さいだん横の廊下に姿を消した。
 広大な本殿に相応ふさわしい巨大な本祭壇ほんさいだんが、今、御簾世みすよの目の前。中央、そして左右の燭台しょくだいにはいまかすかにくすぶ松明たいまつうずの赤い光がかすかに見えた。その日も行われたであろう朝の神事しんじが昔と同じかどうかは、もちろん御簾世みすよは知らない。
 それでも本祭壇ほんさいだんの横の小さな板戸いたどは建て替えられたとはいえ昔と同じ。
 裏には、間違いなく〝準祭壇じゅんさいだん〟がある。
 その光景が見えた。
 本祭壇ほんさいだんとは違い、閉鎖的な空間に鎮座ちんざする祭壇さいだん
 昔から簡単に踏み入っていい場所ではなかった。そこにまどうものの恐ろしさは御陵院ごりょういんの人間であれば誰しもが知る事。
 特別な〝密儀みつぎ〟にのみ使われてきた場所。御陵院ごりょういん家の人間以外は決して入ることは許されない場所。
 そして、御簾世みすよは気持ちを決めてここにいる。
 それは覚悟と共にあった。
 少なからずの不安と共に、みずからの〝間違った望み〟────〝間違って望んだ未来〟を終わらせに来た。
 亥蘇世いすよに突き動かされるままに。




       『 聖者の漆黒 』
             第四部「回帰」第1話・終
                 第2話へつづく
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