此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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知らない地、異なる世界

崩壊した日常

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【1】

 薄暗闇が広がる。空気は冷め、地は荒廃が広がっていた。次第に崩れ去っていくような地、黄昏も無く、次第に浸食されていくように闇が訪れつつあった。
 激しい息切れが二つ。追い詰められたそれ、困惑に塗れたそれ、無我夢中に吐き出されたそれ、様々な感情が入り混じる呼吸が白む事無く消える。
 木霊する雑音を振り払うように、二つの何かが振るわれる。助かりたい一心で、ただただ脅威と取り除こうと躍起となって。
 妙に馴染み、寧ろそれが当たり前だったと認識しかねない手の平の感覚に襲われ続ける彼は思い続けた。何故、こうなってしまったのかと。
 困惑は続く、戸惑いは止まらない、恐怖は身を縛る。それでも彼は、彼等は思考すらも排除するように腕を振るう。夢であって欲しい、その切実な願いすらも、雑音に消すように。

【2】

 朝早くの商店街、小鳥の囀りが遠く。まだ肌寒い風が吹き、通りは多少冷えている。それも、陽が射し込むにつれて薄れていくだろう。
 其処に大きな欠伸が浮かべられた。通りをゆっくりと一人の青年が歩いていた。淡い青が滲むブレザー制服を着込み、肩には指定の鞄を提げ、眠気眼を擦っていた。
 彼の名は、山崎やまざき和也かずや。この商店街を抜け、正面に進んでいった末に立つ私立高等学校の普通科に通う学生である。
 欠伸交じりに彼は触れた首をゆっくりと曲げて音を鳴らす。
「・・・いてて」
 僅かに感じた痛みにぼんやりと呟きを零す。そうして立ち止まり、何気なく見上げていた。
 プラスチック製の半透明の天井が商店街の通路を雨風から守る。其処から透けて見えた空、まだ暗いものの雲が見受けられない青が広がる。恐らく今日は晴天だろうか。
 耳を澄ませば、鳥の鳴き声の他、遠くでは自動車のエンジン音、排気音や通過する音が聞こえる。辛うじて誰かの足音も。
 小さく溜息を零した彼はゆっくりと視線を戻し、石畳で規律正しく舗装された通りを歩き出す。聞き心地の良い、革靴の足音が響き渡り、反響は何処かへ消える。
 普段通りの通学路に立つ彼は、何時ものように日常を歩んでいた。
 ふと、肩に提げた指定の鞄を、慣れた手付きで掛け直す。肩が痛んだ訳ではなく、何気ない行為の直後であった。
 彼の肩へ、唐突に誰かが手を掛けた。その行為に多少驚きつつも、やれやれとした面が後方へ向けられた。
「よぉ、山崎ィ・・・俺の家の前で待っててくれって~。前にも言っただろぉ」
 息を切らし、多少顔に汗を滲ませた同世代の学生が文句を呟く。陽気な声と苦笑を見て、山崎は呆れ顔で溜息を零す。
「俺は小母おばさんに、『寝坊しているから先に行ってくれ』って言われたから先に行ってたんだ、晃(あきら)」
 指定の鞄の他、部活動の鞄を提げた彼の名は、新藤しんどうあきら。部活動で、健康的な茶褐色の肌をした、山崎と同級生。お調子者でもある。
 出会いは昨年の事、とある事情でこの町に越し、高等学校に転校してきた山崎。非情に暗く、人を寄せ付けようとしなかった彼に、新藤は躊躇いなく接した。『友達になろ~ぜ~』と、非常に馴れ馴れしく。
 それからは拒絶されても拒否されても、その度に泣き真似や対応を無視したり、逆に怒ってみせたりと、執拗に、過剰と言えるほどに接する態度を改めていた。根気強い交渉が功を奏したのか、今では友人と言う形に納まっていた。
 それでも、性格だろう、何時でも陽気で考えるよりも動く性分の彼に気に障る事はある。それも含めて、彼等は日々を楽しく過ごしていた。
 小さく鼻を鳴らしながら、出会いからの日々を思い出した山崎は笑みを零す。その反応も知らず、新藤は陽気なまま話を続けていく。
「でもさぁ?待ってても良いだろ?少しぐらいさぁ?それが友達付き合いってもんだろ?」
「俺は眠たいんだ。学校でもう少し寝たいんだよ。それにお前が昨日言ってきたんだろうが。用事があるから、早めに行こうぜ、ってな。どうせ、朝練をする積もりなんだろうが」
 呆れと眠気から冷たい態度で吐き捨てる。それに、
「良いじゃねぇか、友達だろ?」
 理由にならない事を語って楽しげに反論する。それに溜息を一つ。
「別に友達じゃないからな、お前とは」
「そんな事言うなって、お前って奴は。冷てぇよな、お前は・・・」
 わざと傷付き、落ち込むようなお道化た反応に失笑が零される。それが笑いを釣り、二人して楽しげに一笑した。。
「そう言えばさ、昨日の・・・」
 それから二人は明るき面で何気ない会話を始める。手始めに昨日のバラエティー番組について。
 楽しみに気持ちは昂揚し、ついつい声は大きくなってしまう。近所迷惑ではなくとも、近くに誰か居れば眉を顰めるか。それほどの明るき雰囲気で商店街を過ぎていった。
 
 商店街を過ぎ、住宅地を真っ直ぐに進んでいれば、遠目に見えていた二人が通う高等学校は相当近付く。朝早くの通学路に生徒の姿はかなり疎らなもの。住民すらも見掛けない。
 それもその筈、今の時間に登校するのは早朝練習に出る部活生ぐらいであろう。新藤はそれに属するのだが、彼は自主的に練習を行おうと奮起しての事。
 二人は途中で横切る自動販売機で各々が好むジュースを購入し、それを片手に楽しそうに会話を続けていた。話題は移り変わり、最近販売されたゲームの内容で盛り上がる。
 途中で交差点に差し掛かる。生憎と信号が赤の為、変わるまで待つ事を余儀なくされる。その間でも話は続く。それなりの速度で走る自動車を眺め、正面に見える学校を見上げ、空が次第に白んでいく光景を眺めながら。
 その内に信号の灯りが点滅を始める。話も最高の盛り上がりを見せようとした。しかし、突然に話が途切れてしまう。オチを語ろうとした新藤が喋らなくなったのだ。
「おい、何だよ。それから如何なるんだ?」
 宙ぶらりんになったオチに踏み込むのだが、彼にその言葉は届かなかった。変に思い、視線を彼に向けると、口を僅かに開いたまま、何度も自らの目を擦っていた。何かに驚愕し、半信半疑の様子であった。
「俺って今、まだ夢ン中に居んのか?」
 呆然とした彼がそう呟く。その彼に、手厳しく、手荒い事に拳が繰り出された。小突く程度のそれだが、笑えない演技だと判断しての仕打ちであった。
「何だよ!?いきなり、何すんだよ!イテェだろ!」
 不意に殴られ、多少よろけた彼が怒りを露わにする。衝撃で正気を取り戻したのか。怒る面を見る視線は少々冷ややかに。
「寝言言っているから、起こしてやったんだよ。悪いか?」
「んな事言ってる場合じゃねぇって!!周り、周りを見ろって!!」
 面倒そうにあしらおうとする彼に、直ぐに怒りを忘れ去った彼が慌てた様子で捲し立てた。
「何、慌ててんだよ。周りって、何を言って・・・」
 肩を掴み、揺さぶりかねない狼狽振りすらもただの演技と呆れ、乗ってやろうと周囲に目を配った時、それに気付いてしまった。
 一瞬、何が起きているのか理解が出来なかった。それは確かな現象としてあるのかと疑問に思うよりも、考えが置き捨てられるような感覚に見舞われていた。
 交差点を走る自動車が異常な速度で走行していた。いや、それは自動車と言えるのだろうか。最早、色の付いた線の集合体。前進しているのか、後退しているのかも分からぬ速度であった。
 それだけではない、周囲に建ち並ぶ建造物、道端に生えた雑草、街路樹、空を漂う白い雲。人間と言う生き物以外の全ての物体の『動き』が急激に速くなっていた。
 何処から聞こえる音は識別出来ぬほど重なり、音程が一定化された耳鳴りのように響き続ける。なのに、隣の人物の息遣いがはっきり聞こえる矛盾が生じていた。
 折り重なるような事態に見舞われた周囲、加速は止まらない。朽ち、錆び、散り、崩れ、加速度に景色が移り変わる。まるでビデオの早送りしていくかのように。
 不測な事態に混乱は必至。思考は停止し、平衡感覚が乱れ、立っているのも疑わしくなっていく。
「一体如何なってんだ?有り得ねぇだろ!ど、如何なって・・・」
 漸く絞り出した疑問の声。呟いた瞬間の心境すらも追い付かないほどに混乱は深まる。
 この異常事態に付いたのは彼だけではない。外に出ていた僅かな人達もまた混乱に見舞われ、小さな騒ぎとなっていた。だが、それすらも現象に呑み込まれ、誰にも気付かれなかった。
「何だ、これは―
 無意識に零していた言葉達は、唐突に聞こえなくなる。掻き消されるように聞こえなくなり、反射的に振り向いた先は黒く染まっていた。先には何も存在していない。住宅街も、交差点も、学校も、傍に居た友人すらも。
 我が目を疑い、疑心暗鬼に囚われていくうちにまた気付く。必死に友人の名を発している筈なのに何も聞こえないと。自身の声すらも聴覚は捉えてくれなかった。同時に何も聞こえてこない事にも気付いた。
 感覚が失われたのか、そう思った矢先に、全身の異常を感じ取る。動こうとしても手足すら動かないのだ。まるで何かに縛られているように。
 咄嗟に身体を確認し、怖気が走るほどに驚愕した。自身が徐々に消えつつあったのだ。既に腰から下は背景と同化し、尚も侵食を思わせて消える。それは何かに奪われているのかと錯覚する。果たして、それは錯覚なのか。
 それを目にした瞬間、当然、言い様の無い恐怖に囚われる。身が膠着し、思考が停止するほどのそれを受け、咄嗟に抵抗が行われる。だが、末端すらも動かせず、完全に身体は束縛されていた。
 身体が空間に呑まれていく恐怖の中、呑まれた箇所の感覚を残されながら、意識は諦めを抱いたように遠退き始める。それも抗う事は出来ず、暗転、意識は呆気無く途切れ、呑み込まれてしまった。
 
【3】

 呑まれた意識は次第に覚醒が促される。朝の目覚めを促されて、ではなく、寒さや暑さに魘されて、でもない。まるで返されたかのように、閉じられた瞼の内で感覚が戻っていた。
 意識を取り戻した山崎は自分が寝ている事を察する。閉じられた瞼の裏で困惑がまだ残されている。それを押し退けるように瞼を開いた。霞み掛かった視界が次第に鮮明になる中でゆっくりと身体を起こす。
 身に付いた何かが落ちる。幾多の感覚を受けつつ、不安定な足場に立ち、焦点が定まった視界が驚くべき光景を捉えた。それに彼は驚きを禁じ得なかった。
 周辺に広がる景色、環境は変貌を遂げていた。いや、異なる場所に移されてしまったのだろうか、そう思わなければ説明が付かなかった。周囲は有り触れた日常風景ではなかったのだ。
 泣き出しそうな空の下、辺りの環境は荒涼としていた。白く、果てしなき白が広がる。残骸だろうか、形から何かしらの建造物が乱立する。辛うじて原形が読み取れるそれらに統合性はない。年代もバラバラ、推し量れない建物までも転がる。
 取り留めも無い岩や草木と思しき何かも混じる。触れてしまえば脆く崩れそうなほど弱々しく、不安定に佇む。それは自然に崩れ去りそうに。
 肌を擦る、渇き切った風が揺らめく。耳奥に届く音は心境を崩しかねないほど、不穏に響く。寒くもなく、暖かくもなく、けれども心底から震え出しそうなのは所感によるものか。
 彼を取り囲む光景は朽ち果てた物達が吹き溜まったかのよう。荒れ果てた、ではなく、静かに終わりつつあるような光景が広がる。眺めるだけで、心が消えそうな不穏な世界であった。
 もう何もかもが、終わりを遂げたと思わせる場所を前にして、呆然とし、立ち尽くしてしまうのは当然だろう。同じような光景が続いていれば、自ずと。
「な・・・な、何だ?此処は・・・い、一体、何が如何なって・・・」
 零れ出す声に激しく混乱している事が分かる。理解出来ない現象の末、信じ難い現実に脳は判断を拒否するように。
 頻りに周囲を確認したとしても状況が覆る事は無い。鼓動が早くなり、呼吸もまた。押し潰されそうな困惑の中、フラフラと足が無意識に動き出す。まるで逃げ出したい思いに呼応したかのように。
「・・・っ!?」
 すると、下方から得体の知れない音を捉え、咄嗟に飛び退いて警戒する。状況が分からない中、その動きは実に滑らかに、反復し尽した慣れが読み取れた。
 臨戦態勢を取り、警戒した双眸が向けられた先には、人が横たわっていた。瓦礫に多少埋もれており、その詳細を確認する事は出来なかったが、人である事は確か。聞き取ったのはその者の声であった。
 その者が誰かは知らない。見覚えのない、年代は古く、目的も異なる服装を着込む。容姿は見難いが男性であろうか。
 如何見ても他人。だが、山崎はその者を何故か新藤晃だと理解してしまった。状況から推察しての根拠でもあるが、本能的に、直感とも言えた。
 氾濫しそうな疑問を抱えた彼だが、先ずは新藤の安否を確認の為に駆け寄る。聞き手に手にしていた何かを離し、荒々しく身体を揺すって語り掛ける。
「おい、おい!起きろ!新藤、起きろって言ってんだよ!」
 言葉遣いが荒くなるのは状況を理解出来ぬ不安から。強くなるのは僅かに脳裏に掠めたある記憶が作用して。
「・・・あ、ああ?な、何だ?」
 荒く揺り起こされた彼はのっそりと起き上がる。寝ぼけているのか、ぼんやりとした面を浮かべる。その折りに、彼の詳細が見えた。
 褐色の皮膚が第一に。一様に精悍とは言えなくともそれに準じた男らしい顔立ち、埃被った短髪はやや深めの青。青色の瞳は揺ぎ無さを象徴してか。
 どれもが、新藤晃と断定する要素が無い。辛うじて体格は似通っているかも知れないが、全く異なる風貌であった。如何見ても他人、知り得ない赤の他人。しかし、山崎は彼だと確信していた。
「大丈夫か、新藤。立てるか?」
 容態を確認しつつ、利き手は何かを取りながら別の手を差し出す。それに彼は応じ、その手を取ってゆっくりと立ち上がる。
「ああ?誰だよ、俺はガリードだぞ?何を言ってんだよ、山崎」
 何時の間にか手にする物騒な何かをそのままに、小さな塵や埃で塗れた衣服を払う彼は冗談を払うように返す。それに山崎は耳を疑った。
「お前こそ、何を言ってる?俺はトレイドだ。山崎なんて名前じゃ・・・」
 言い掛けた言葉が止まり、同時に小さな異変に気付く。二人して認識に弊害が生じていたのだ。自身の認識が異なり、容姿の異なる者を知人と認知する。明らかな異変に困惑は続く。
「俺は、ガリー、ド?いやいや、違う違う、俺は、俺は・・・そう、新藤!新藤、晃だよ!」
「そう、こいつは、ガリードなんかじゃない、新藤晃。それで、俺は・・・トレイド、じゃない。山崎、和也、の筈だ」
 自らに問うように記憶を探る、記憶を整理する。間も無く、自らの証明が完了する。まだ、記憶の混乱が続くようだが、それだけは終えていた。
「・・・で、如何なってんだ?こりゃあ」
「俺が、知るか」
 互いに状況を問うのだが進展などしない。周囲を見ても、終わった光景が広がるだけで問題の解決には一切至らない。寧ろ、気持ちが乱れるだけだ。
「・・・にしても、トレ・・・山崎だよな?全然違うぞ?」
 唐突に冷静さを取り戻した新藤が語り掛ける。緊急時にこそその人が試されると言うが、彼の場合は神経が図太いのか、考えなしなのか。
「・・・お前もそうだぞ?」
 小さな溜息を零した後、山崎は冷めた面で指摘する。乱れた心が落ち着いたのは、彼のお陰と言えた。
 山崎は淡々と特徴を伝える。それに本人はやや大袈裟に驚きを示していた。
 次に山崎は告げられた。まるで戦闘を視野に入れた硬質な服装の他、やや落ち着いた顔立ちだが目付きが少々鋭くとの事。肩に掛かるほどの髪は暗い赤色、瞳の色も赤色で、他人に敵意を感じているような雰囲気があると。
「何か、こう・・・外人だな、全くの別人だぞ?」
「そうお前もな・・・処で、それは何時の間に持っていた?」
「何の事だ?って、本当だ、持ってた」
 恐らくは武器、想像に合致する剣であった。それも両手で持つように開発された大剣であろう、柄は両手で掴んでも有り余る長さで無骨に太く。
 鍔と言える部分は単なる鉄板を張り合わせたように頑丈に厚く。其処から伸びる刀身は人の胴程に太く、その厚みも鉈を優に超える。
 しかし、その全体的に使い古し、廃棄寸前の有様。決定付けられるのが、刀身が無残にも砕けており、柄よりも短い長さしか残っていなかった。
 武器と言うにはあまりにも酷く、鈍器として活用しても心許ない物を彼は握っていた。
「お前も持ってるぞ、多分剣」
 言われ、山崎も利き手の何かを確認する。無意識にもそれを握っていた。
 鞘か何かか、薄汚れてやや反りを見せる物体が大部分を占める。恐らくはその中に鎺(はばき)に支えられた刀身があるのだろうが、見る事は出来ない。
 三つの爪状に尖る銀色のつば、銀色の爪に挟まれて真ん中に黒い爪が備わる。側面には対称して、直線のかなり細い刃を思わせる針が斜に伸びる。背には程度に類似する突起物が二つ、刃の背に添え、柄に向けるように尖る。
 柄は黒く、先端もまるで牙のような鋭利さを持ち、抜けぬようにした歯止めであろうか。
 三分の一部ほどしか見えないのだが、禍々しさを感じた。まるで持っている事が当たり前だという一体感、人肌のような妙な温もりと心地良さがそれを助長するのだろうか。そして、軽かった。剣とは思わせない、木の棒を持っているような不自然な重量であった。
 自然と鞘から抜こうとするのだが無駄に終わってしまう。溶接しているのかと、さもこの形が本来の姿と思えるほど頑丈に。何度引き抜こうと挑戦してみるも、抜ける事はなかった。
「・・・何なんだ、一体」
 その言葉が全てを物語っていた。世界は一変し、姿は変化し、覚えのない衣服や武器までも手にする。そう形容しても進展しないとしても、そう零さずには居られなかった。
 ある程度心が落ち着き、ゆとりが持ち始めたからこそ、冷静に状況分析に当てる事が出来ていた。だが、依然として理解には及べない。頭の中で疑問が駆け巡るのだが、虚しい熟慮でしかなかった。
「・・・で、如何するんだ?」
「如何するも何も、探るしかないだろ」
 自らが動かないと何も進まない。それを自分にも問い掛けるように説明する。その矢先の事であった。
「キャアアアアァァァァッ!!」
 事態の悪化を知らせるように、周囲を劈く女性の絶叫が響き渡った。
 それに緊張した二人は振り返る。冷や汗を滲ませ、心の臓は激しく鼓動し、締め付けられるように痛んだ。
「な、何だよ。如何なってんだよ」
「良いから行くぞ!」
「お、おい、待てって!」
 起こり続ける事態に戸惑おう。それを押し切って反応した山崎は走り出す。応える事を強制されたような行動を前に、新藤は不安を押し切るように叫んで続いていった。
 駆け抜けるその地の感触は気色の悪いものであった。まるで今迄の常識を踏み躙るように、容易く砕けて柔らかく。それでも彼等は走る。まるでそれを振り捨てて、助けを求めるように。

【4】

 走り出したとして、悲鳴が何処から響いたのか。咄嗟に振り返ったのは後方から聞こえたと判断しての事だろう。
 吹き溜まりの地でも更に集積した場所はあろう。山崎が無意識に向かう先、建物達の残骸が積み重なっており、それでも崩壊して小さな丘と化した箇所が存在していた。遠くまで見渡せる地で丁度物陰になり、その裏から聞こえたと推察したのは駆け出して直ぐの事であった。
 不穏な空気と言うのは、先ず肌で感じ取るのか、風を斬る間は言い様の無い感覚に眉は顰められた。絶叫を聞き、不安になった事も原因にもなろう。
 残骸を周り込み、先を確認した山崎の足は止められた。
「ま、待ってって、言って・・・」
 息を切らして追い付いた新藤が文句を口にする。だが、その声は山崎が見下ろす先を見て、言葉を失い、息を飲んでいた。
 丘の影で潜んでいたのは人の群れであった。誰もが横たわり、身動き一つすらしない。周辺の身ならず、残さずその身が赤いのは流血の為。夥しく身から流れ、空気に異臭が混じってしまう程。
 抵抗の後だろう、傍らには武器や木片が転がる。無駄であった事を、その切実な思いを無情に踏み躙った事を、多くの死体が無残な姿と成り果てている。嬲った後ではないだろう。しかし、四肢が分断、生首が埋もれていればそう見做しておかしくなく。
 それは見てはならない景色であった、想像など出来ない光景であった。悍ましい現実に二人の足が竦む。身体は震え、震撼するほどの恐怖に囚われた。そして、理解する。いや、察してしまう、先の絶叫は断末魔であった事を。
 明らかに何かが居る、それを察したとしても直ぐに逃げ出す事が出来なかった。縫い留められたかのように。
 小さな音が鳴った。小石程度の瓦礫が転がるそれ、その音色だけで二人の心音を一気に高鳴らせ、全身に冷や汗を湧かせた。そして、強制的に首を動かさせた。
 映した視線の先、それは其処に居た。前に居ながらも、生気を纏っていない為、それが動くものとは認識出来なかった。
 薄汚れ、劣化と損傷が激しい白い襤褸が動く。否、それを頭から被った何かが動いていたのだ。
 全体的に白く、そして空白が多かった。身体を為すのは、骨。白く、握れば砕けてしまいそうなそれが文字通り骨格を築く。ただの骨の集合ではなく、人骨そのものであった。
 血肉は纏われていない。隙間が多き骨身を剥き出し、何故起立しているのか原理が読めない。それどころか、動いていた。その事実そのものが恐怖として成り立つ。
 骨が軋む、接触し合う音を漏らし、全身を包みかねない襤褸の隙間から顔を覗かせる。眼窩の中央に赤い光を宿し、怪しく揺らめかせる。それが化け物である事の証明となった。
 説明の出来ぬ存在は一体だけではない、潜んでいたのか、そもそも風景と同化していたのか、二人を囲むように立っていた。そして、全ての、手には狂気の塊とも言える物を握っていた。
 全体的に損傷が激しい、所々が欠損し、要とも言える箇所は刃毀れが酷く、砕けている物もある。そう、武器である剣。酷きそれは赤い液体で塗り潰され、握る手すらも汚す。その液体が何なのか、考えるまでも無かった。
 突然に突き付けられた現実を前に、二人の足は震え出す。今にも崩れ落ちそうな身体だが、その場に縛り付けられた様に膠着してしまった。軽い接触音を響かせ、にじり寄ってくる得体の知れない群れは、まさに自身の死を突き付けられた姿であり、必然な結果であった。
 息は詰まり、視界は霞み、意識は朦朧とする。緊張は思考を阻害し、まともな判断が下せなくなる。その手にする武器すらも失念してしまう程の恐怖に精神が狂いそうになって。
 表情が変わる筈の無い骨の顔が、歪み、笑って見える中、脳裏に諦める意思が過ぎりそうになった山崎の目が、後ろに立っていた新藤を捉えた。
 最後の抵抗のような視線移動の先、彼もまた恐怖に囚われ、明確な死の恐怖に絶望した面を為す。見慣れた目に諦めの色が滲む。それを見て、山崎の面が変わりつつあった。
 一瞬、彼の脳裏に浮かんだのは、雨の日の光景。突き付けられた無力感が蘇った。
「・・・ぁぁああッ!!」
 徐に叫んだ。噛み締めた両顎を開け、皮膚を裂けさせるほどに固く拳を握って。忌まわしい記憶を拒絶するような反応が唐突に起こされていた。
「っ!?や、山崎っ!?」
 傍で大声を出された為、驚いた新藤は正気を取り戻し、名前を呼ばれた事も含めて山崎もまた。
「に、逃げるぞっ!!」
「お、おおっ!!」
 俊敏な判断が下された。身を震わせる恐怖を誤魔化す事も含めてか、大声を響かせて促す。即座に受諾する声が返された。
 身体を捻り、振り返ると否や地面を蹴り出して走り出す。全力疾走してその場からの逃走を開始した。先の遣り取りで身体の呪縛は消え、竦みも無くなった為に行えていた。
 瓦礫を散らして逃げ出した直後、空を斬る音が鳴らされた。それが山崎の真後ろで鳴った為、間一髪であった事を示す。化け物の群れの動きが鈍く遅かった事が、運命の分かれ目と言えた。
 二人が逃げ行く際、駆ける足音と自らの息切れ以外、悲鳴や絶叫もおろか何も聞こえなかった。視界には白き残骸の海以外、何も。

「ハァ、ハァ・・・うぐっ!?」
 化け物の群れから逃げ出してから、当ても無く全力で走り抜けていた二人の内、前を駆けていた新藤が躓いてしまう。そのまま体勢を崩し、転倒してしまった。
「だ、大丈夫か、新藤」
 ほぼ並走していた山崎が足を止め、激しく呼吸を乱して心配する。急停止した彼も身体はふら付き、今にも倒れそうなほどに疲労していた。それは新藤も同じ。汗を滝のように吹き出し、咳き込むほどに呼吸を乱す。
 逃走してから一瞬たりとも気を抜かず、力を抜かず、不安定な場所を駆け抜けていたのだ。呆気無く転倒してしまう程に疲労は溜まるのも必然だろう。
「ハァ、ハァ・・・ゴホッ・・・少し、休もうぜ、山崎」
「あ?・・・ああ、そうだな。休む、か」
 瓦礫の海に倒れ込んだ新藤は力なく休憩を請う。その彼を手伝い、立たせていた山崎は返答に躊躇いを見せた。本名に違和感を感じた為に。
 休憩に賛同したのは逃げ切れた事を周囲を見渡して理解し、奇妙な影が見えなかったので安全だと判断しての事であった。
 気付けば、周囲は暗闇に落ちつつあった。頭上の空は既に黒に落とされつつあり、彼方は血を吸い上げたかのように赤く。不安定な心境を掻き乱しかねない時間が訪れんとしていた。
 安全を確かめた二人だが、無意識に僅かな瓦礫の山に隠れるように移動してから休んだのは、先の経験則からであろう。
 幾多の何かが寄せ集められた残骸に凭れ掛かる二人。呼吸を整えると同時に乱れた心境を落ち着かせようと必死になる。だが、時間の経過に比例して疑問が再燃、膨れ上がっていく。
「一体・・・何が、如何なって」
「それだよな。何で、こんな事になっちまってんだ?」
 零された疑問に賛同し、共に今回の事態に思考が向けられた。
 環境の変化、肉体の変化と記憶の混濁、見た事のない化け物との遭遇と、説明のつかない事が続く。生命の危険を顕著に感じ、現実味を帯びている為、夢や妄想の類ではない事は本能的に感じ取っていた。
 しかし、考えても考えても決着に至る事は無く、胸騒ぎと言い様の無い不安に駆られる。
「・・・しかし、さっきの化け物、なんか、見覚えがあるんだよな・・・」
「・・・そんな筈が、ないだろ」
 思い返しても恐怖が甦る存在に対し、新藤は記憶に引っ掛かると眉を顰める。それに山崎は力なく否定する。彼もまた、心当たりがあるようで。
「そう言や、俺達武器持ってるし、倒せたんじゃねぇの?よく見たら、骨の塊だったし」
「お前なぁ・・・」
 彼の指摘は尤もであったが、その様子はあまりにも暢気で間抜けな様子だったので呆れが優先されてしまった。
 しかし、幾ら武器を持っているとは言え、振るう事には当然躊躇ってしまう。勝敗は別として。
 第一に、凶器にもなる武器を振るう事は彼等にとって非日常の行為。命を奪う点に関していえば抵抗しかない。それが命に関わっている状況と分かっていても。
「・・・簡単に言うが、お前、戦えるのか?」
「さぁ、いけるんじゃねぇ?」
 冷静さを取り戻した為か、そのような発言を容易く行う。想像で言うならば容易く、その気安さに溜息が零された。
 呆れられ、誤魔化すように新藤は笑いを零す。それが笑いを誘った。緊張から解け、安堵した事に因って。
 自然と二人を纏う空気が和らいだ。荒みつつあった心は少しばかり落ち着いて。暮れつつある世界で気持ちは和らぎつつあった。
 その空気を掻き消すように、不穏な音が響き渡った。小さなそれは足音と推測出来た。
 途端に息を止めた二人。音を立てないように懸命に物陰に隠れ、音が聞こえた方向を確認する。気付かれないように覗かせた双眸が、音源を僅かばかり捉えた。
 白い襤褸を被った動く人骨、先の化け物と同等のそれが歩いていた。当てもなく、眼窩に宿る光を揺らめかせてフラフラと進む。どうやら、二人を追跡してきた個体ではないようだ。
 一体だけだが、二人は再び恐怖に囚われてその場に固まってしまう。思い出された、誰かの血塗れの姿に悪寒と共に死の恐怖を察した為に。
 必死に息を殺し、姿を隠し、気配を消す事に専念する。発見される事は死に直結すると、警鐘の如き鼓動の中で把握する。だからこそ、二人は見付からない事を切に願った。
 見付からないように隠れながら、瓦礫の向こうで動く化け物。衣擦れならぬ、骨が擦れる音が僅かに、瓦礫を散らす足音から察するに、同じような箇所で右往左往としているようだ。何かを探しているのか、そもそも何かを求めての行動なのか。
 音は接近や離脱を繰り返す。その度に二人の心臓は高鳴った。破裂しそうな衝撃を受け、二人は息苦しさを感じる。その苦しさを必死に堪えて隠れ続けていた。
 次第に音は遠退き始めた。引き摺るような足音が、瓦礫を掻き分けてながら擦る音が耳に届かなくなっていく。完全に聞こえなくなるまで、二人は一瞬すら安心出来なかった。
 脅威が去ったと分かった否や、深く思い息が吐き出された。緊張の糸が切れ、瓦礫へ身が傾れ込む。
「あ、危なかったなぁ」
「ああ、そうだ・・・っ!?」」
 警戒を怠った訳ではない。だが、意識はあまりにも見えぬ化け物に払い過ぎていた。結果、前方から接近する群れに気付くには遅過ぎた。
 安堵し、息を零して意識を戻した時、整い掛けた息が止まった。それは二人同時に、唐突に襲われた激痛に嗚咽すら零せず、ただただ驚きと痛みに意識は支配されていた。
 自然と見開かれていく視界が捉えたのは、薄暗闇の中で浮かぶように立った化け物。群れを為して取り囲み、手にした凶器を一斉に突き出して二人に襲い掛かっていた。

【5】

「スケェイ、スト・・・っ!」
 激痛の中、零された言葉は名称であった。無意識にも化け物の名前を口にしていた。だが、隣の新藤すら気付けぬほど、襲撃に、激痛に意識が集中されていた。
 敵を前に、無造作に突き出しただけなのだろう。それでも刃は衣服を裂き、肉体を突き刺していた。取り囲む数だけ、無防備であった二人の命を奪わんとして突き立てていた。
 走る痛みに襲撃を理解し、苦痛に歪んだ声が滲み出る。激痛に耐える為に全身に力を篭める。それでも、身体の至る所に突き刺され、余す事無く伝えられる痛覚に重苦を強いられる。
 刃毀れの酷き刀身は相手を嬲る為か。無論、化け物にそれを講じる知性があるとは思えない。今の二人にそれを考える余地はなかった。
「・・・っぐ!!」
 一度突き立てられた剣が引き抜かれ、伴った新たな痛みに声が漏れる。そうして、化け物達は距離を僅かに置く。それは確実に仕留める為か、自らが愉しむ為にか。
 思考が歪む痛みを受け、二人の気力は下がる一方であった。戦意が萎えていくと言えた。
 確かな、死の感覚を味わっていた。味わった事のない患部の猛烈な熱と激痛は元より、至る所から流れ出る血が伝う感触、虚脱感を伴った脱力感。経験の無いそれらに諦めの感情が胸の内に生じ始めていた。
「こ、こんな・・・」
 認めたくない思いが口を動かす。信じ難い現実に歪んだ表情は戸惑いに溢れる。死にたくない、だが抗えないと思い込んで。
「や、山崎・・・」
 名前を呼ばれ、顔を動かして新藤を見る。不安げな声を発した彼の面を見て、第一に感じたのは拒否する思いであった。
 新藤もまた恐怖に囚われ、怯えた面持ちは絶望に瀕している。嫌だと叫び出したい悲痛な面を前に、次に脳裏に過ぎったのは記憶であった。
 雨が降り続く道路、横たわった一人の若者、目を閉ざして沈黙した面。
「~っ!新藤ッ!」
 途端に込み上げた熱い何かに怒鳴り声が響かれた。それに呼ばれた彼は驚き、同時に化け物達の動きも一瞬鈍ったか。
「死ぬなよッ!絶対に、死んでくれるなッ!だから、だからッ!!」
 声を荒げて叫ぶ彼は立つ。まるで懇願するような台詞を吐き、顔を歪ませて全身に力を篭めて身体を起こす。生存する、殺気じみた意欲を奮起させた。全ては頭に過ぎった記憶を否定する為に。
「・・・おお!!そうだな!死にたくねぇもんな!!なら、逆にぶっ叩いてやりゃ良いんだよッ!!」
 檄と受け取った彼は活力を取り戻し、有り余って漲らせて立ち上がる。鼻息荒く、荒々しい戦意を迸らせた。その証明が、何時の間にか持っていた剣を雑に構えて。
 反応が鈍った全身を鞭打ち、歯軋り、発揮出来る力のまま二人は動き出す。全力で蹴り出し、各々が持っていた武器を振るった。目の前の敵を倒す事だけに専念して。
 攻撃に際した動きになど今の彼等は気に留めていないだろう。だが、その動きは、反復して行われた練度が窺えた。彼等にその経験は全くないにも関わらず、実に滑らかな動きであった。
 別方面で一閃が繰り出され、破砕音が鳴り響いた。空洞多く、軽々としたそれの直後、地面に大きな何かが落とされた。即座に何かは叩き砕かれ、瓦礫の一部と成り果てていた。
「・・・いけそうだな、これ!」
「そうだな!だが、油断はするなよ!」
「分かってるよ!」
 二人は容易く化け物を撃破していた。足元で砕き、骨片と成り果てて動き出さない様子に勝利を確信した二人。最早、その姿に絶望の色はなく、勝気に吊り上げた口元は余裕ではなく、先を見付けての喜びであった。
 戦況は呆気無く覆されていた。敵の身が脆いと知れば、攻撃が雑と知れば、我武者羅な勢いも相まって一掃する事は容易いものであった。
 周辺は骨片が散乱し、惨たらしい光景と成り下がっていた。戦い、生き残る為の結果あり、気持ちの良いそれではない。それを理解する余裕もなく、為し終えた二人は肩で息を切らし、背中合わせに立って立ち尽くす。暫く、生き残った事実を認識出来ず、ただぼんやりと立っていた。
 復活の兆しも無く、周囲は静かなもの。乾いた風の音を耳にし、危機を回避したと遅れて理解した二人は安堵する。途端に力が抜け、その場に崩れ落ちる。瞬間、気を抜いた事で全身の痛みを再確認してしまった。
「っ!」
「あだっ!?」
 二人して激痛に悶え、声も出せずに苦しむ。押し寄せた波を乗り越え、痛みが落ち着いた後、二人は見合っていた。互いに生きている事を確認すると、笑いが漏れ、小さな笑い声が周辺の色を変えていた。
 気持ちの有り様こそが、戦いを決する一手にも成り得る。恐怖が判断を遅らし、動きを鈍らせ、結果深手や死にも繋がる。彼等はそれに呑まれそうであったが、正念場で逆境を覆す強さを持っている事が証明された。だからこそ、生き残ったのだろう。
「止血だな、先ずは」
「だなぁ・・・」
 落ち着いた二人は冷静にそれの対処を行う。着込む衣服を捲り、脱いで傷の程度を確認する。致命傷でない事を不幸中の幸いとし、衣服を引き裂いて患部圧迫の為に使用する。破傷風や感染症等の危険はあっても、現状如何する事も出来ず、そうするしかなかった。
 素人の応急処置の最中に周囲を見渡し、役に立ちそうな何かを探すのだが目ぼしい物は無かった。どれもが手にした瞬間、脆く崩れるか、用途が分からないものが転がっていたのだ。形状や劣化から年代を推察する気力は二人に無く。
「本当に、一体、何が起こっている?」
 気分が落ち着いた事でこの事態の一番の疑念に触れていた。
「だなぁ・・・本当に、分かんねぇよな。俺達、普通に学校に行ってた筈だぜ?なのに、なんでこうなってんだ?」
「俺達だけじゃない。多分、他も巻き込まれている筈だ」
「それで、さっきの・・・じゃあ!母ちゃんとか、学校の連中も居るかも知れねぇって事だよな!?」
「かも知れないが、探す積もりなら止めておけ。無暗に探して、見付からなかったら如何する?また、スケェイストに囲まれて・・・最悪の結果になるぞ」
 一つの過程に気を揉み、気持ちを逸らせる新藤を制する声が掛けられる。その発言が、冷酷とも言える思考が新藤の反感を買ってしまう。
「何だよ、それ。放って置けって言うのかよ!」
「生きているのも分からないのに探すと言うのか?今は生きる事だけを考えろ!」
「んな、事・・・」
「・・・辛いかも知れないが、生きていないと、何もならないんだ・・・」
 胸を痛め、悲嘆を滲ませる面に新藤は口を閉ざした。沸騰しそうになった空気は冷め、静寂が押し寄せる。同時に先の化け物を呼び寄せかねない声が止み、現状は維持された。
「・・・なぁ、そう言や、俺、この骨野郎の事思い出したんだけど・・・何で、こいつらの事知ってんだ?」
「・・・もう、そんな事は如何でも良いだろ」
「・・・まぁ、だな」
 急変し過ぎた事態の只中の二人、最早些細な疑問に気を留める余裕はなかった。今は生きる事に専念し、余計な事は考えたくなかった。
 会話が終わると同時に応急処置も一応に終える。心許ないが心成しか流血が止まったのではと効果を確認して身体を休めていた。
 そうして訪れる静寂。その静けさが戻ってきた事で二人は再認識した。もう既に陽は没し、夜の帳が下ろされんとしている。辛うじて、互いの表情が読み取れるのは暗順応に加えて、空に浮かぶ月から降り注ぐ光のお陰であろう。
 同時に襲い掛かってきた眠気。度重なる事態に心身共に削られ、安心を覚えた事が助長した。
 とても抗う事は出来ず、コクリコクリと転寝しそうになる。気は抜けない。だが、睡魔に抗えない、二人の意識が途切れそうになった矢先であった。
 物音がした。足音か、風で煽られた瓦礫が転がった音か。何であれ、妙な音が蒙昧としていた意識を強制的に覚醒させた。
 途端に息切れを起こし、切迫した面持ちで見渡す二人。激しくなった動悸と共に息を殺して周囲を警戒した。
 月明かりだけで照らされた夜の荒廃した地は暗く落ち込む。辛うじて瓦礫の輪郭が見えるほど。
 その場所に、無数の赤い光が揺らめく。光力の強弱は距離を示しているのだろう。ぼんやりと宙に浮かび、不規則に動く。その法則性は無いのだが、二つが並列して揺らめく事から生物のものと推察出来、正体は言わずもがな。
「んだよ、おちおち眠れねぇな」
「そうだな」
 身体を休める事も出来ないと理解した彼等はまずは気持ちを落ち着かせ、距離を目測で調べる。決して遠くない距離だが、適応するには容易いほどに離れている。その為、判断するには少しばかり余裕があった。
「如何する?」
「・・・如何するも何も、離れるしかないだろ」
「だよな。こんな所で寝ちまったら、お陀仏だな」
 油断など一切出来ないと判断し、出発を余儀なくされた。何時何処で襲撃されてもおかしくない状況、離れたとしても変わらないかも知れない。
 だが、怪我を負い、処置をしているとは言え、流血は容易くは止まらない。いずれ命を落としてしまうと確認しなくても理解し、状況を打破する為にも動く事を選んでいた。
 下した二人は激痛に耐えながら立ち、近付いて互いを支え合う。動き辛くとも、互いの不安を補い合うように、互いの肩に腕を回していた。
「じゃあ、行くぞ。あんまり音を立てないようにな」
「分かってるけど、すっげぇてぇ。勘弁してくれよ・・・」
 あまりの痛みに弱音を吐く。それはわざとそう口にしていたのだが、返された相槌は冷たいものであった。
「我慢しろ、俺も痛いんだ」
「・・・分かってるって」
 それは強がりも含まれていた。そうしなければ仕方ないと。元より、如何しようも無い事が分かっている新藤は力無げに返答していた。

 二人は力を合わせて荒涼とした地を歩き出す。見覚えの一切ない地を、不安に押し潰されそうになりながらも進み出す。
 四つの足跡をまざまざと刻み込む、赤き液体。点々と残されるそれは、闇に映える程に怪しい色を出していた。
 怪しく佇む暗黒、その先で二人を待ち構えているのは、希望か、それとも絶望か。それを知る術を持たぬ二人は、この理不尽に突き付けられた現実に抗うように、若しくは異変に僅かな憤りを抱え、投げ遣りにその足を動かして夜を通過していった。
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